神は生贄に愛を宿す

丑三とき

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第一章:生贄

7.生贄儀礼①

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「すごい……本当に月の周りに光の輪っかがある…初めて見た。夜なのにとても明るいんだね」

 小屋の窓の中から夜空を見上げると、煌々と輝く光の輪が、丸く大きな月を守るように周りを囲っていた。

 月を見るのは数年ぶりで、直視するとその明るさに目がチカチカと痛んでしまうほどだった。

「綺麗だろう。だが俺にとってはどうも複雑だ。自身へ贄が捧げられようとしている合図だからな」

 フェンリスは袴や狩衣にも似た、裾や袖の広い真っ白な衣装を身に纏っている。装束も相まって、月に照らされた彼は本当に神々しく見えた。

「だが今はお前がこうしてここに居てくれる。本当にありがとう」

「私も、フェンリスがいてくれてよかった。ありがとう」

 お互いへの感謝を伝えて、どちらからともなく微笑みあった。それからフェンリスはベッドに座る私の隣に腰掛けて、「さあ、アマネもこれに着替えろ」と、巫女装束のようなゆったりした服を渡してきた。

「私も、着替えるの?」

「ああ。儀礼の装束だ」

 偽りの生贄とはいえ、民衆にちゃんとした形で儀式を見せないと信じてもらえないのだろう。

「わかった、着替える」

 とは言ったものの、広げてみると巫女装束とは作りが違って複雑だ。着物に似ているようで羽織のように前が全て開かないし、袴みたいな穿き物もただの一枚布っぽくてよくわからない。

「こ、これ、どうやって着るの?」

 全部広げちゃってどうしたらいいか収集がつかなくなってしまう。まるで初めて着物を触って畳み方がわからなくなった外国人の気分だ。そんな私を見てフェンリスが笑い、「手伝おう」と言った。

 着替えるついでに、彼は私の傷をもう一度診てくれた。骨も問題なく回復に向かっているようで、手足も違和感なく動かすことができた。痛みから解放されると、今度は今まで気にならなかったことが気になり出す。

 服を脱いだ背中のわりと下の部分まで直に髪の毛が触れて、ちくちく刺激する。数年間切っていなかったから当たり前だけど、こんなに伸びちゃったんだな。

「髪が気になるか?」

「うん、こんなに伸びたの、はじめてだから」

「そうか。儀礼が済んだら整えてやろう」

「ほんと?   フェンリス、髪切れるの?  お願いしたいな」

「ああ、いつも自分で適当に……いや、お前の髪は綺麗なので適当にしてしまうのは勿体無いな」

「ふふふっ、いいよ、適当で」

「駄目だ。専用の鋏を揃えよう。切るのはそれからだ」

 変なところ真面目で几帳面なんだから。「それまではこれで我慢してくれ」と、丁寧に頭の高い位置で結んでくれた。私は初ポニーテールに心なしか興奮して、何度も自分の言われた髪を撫でた。

フェンリスは、「汗をかいているな。火が強かったか?」と、私のうなじに滲んだ汗をタオルで拭って暖炉の火に目をやった。

「ううん、ちょうどいいけど、色々さ…緊張とか興奮とか、色々あって……」

「お前にとっては未知のことだらけだ、そうなるのも無理はない。拭いてやろう。背中をこちらに」

 言われるがままにフェンリスの方に背中を差し出すと、丁寧に優しく、タオルで肌を傷つけまいという緊張が手から伝わってくるほどに優しく拭かれた。

「体調が完全に回復すれば風呂に入れてやるから、それまで辛抱してくれ」

「お風呂?  神様もお風呂入るの?」

「ああ、ごく偶にだが入る」

「へぇ、たのしみだな」

 お風呂って世界にもいろんな形のがあるけど、ここでは湯船に浸かるのかな、それともシャワーだけかな。それとも、サウナみたいな蒸し風呂タイプ?  リラックスできるなら何でも良いなあ。久しぶりにお風呂、入りたい。

 お風呂に思いを馳せていると背中を拭き終わったフェンリスが問うた。

「痛くなかったか?」

「うん、ありがとう」

 複雑な装束は、フェンリスの手によってぱぱぱっと手際よく着せられた。手順を覚えようと思っていたけど、着物を着るよりも複雑で難しくて、途中からはその見事な手際に見惚れているだけだった。

 ついに始まるのだという緊張が私を取り囲う。

「そういえば……何にも考えずに生贄になるって言ってしまったけど、村の人たちは今日儀式があることを知っているのかな?  生贄に逃げられたと騒ぎになっていないかな?」

「問題無い。祭壇を人間の目に認識できるようにしておいた」

「祭壇?」

「ああ。神域の外にあり普段は人間には見えないが、"月暈の日に祭壇が出現すれば滞りなく儀式が始まる"と、人間にはそういう合図になっているそうだ。今も続々と祭壇の前に人が集まっている」

「見てきたの?」

「いや、分かる」

「……そっか」

「唇が震えている。……不安か?」

「正直、少し。でも大丈夫。フェンリスがいてくれるなら大丈夫」

「ずっとそばに付いている。俺の言う通りにすればいい」

「うん、わかった」

 月の明かりが当たって不思議な輝きを見せるフェンリスの瞳が私を貫くと、忙しなかった心臓も落ち着きを見せ始めた。



「行こう」

「うん」

 フェンリスは顔を隠すように四角いベールのような面布を付け、私をヒョイっと片手で抱き上げた。

「え……こ、これで行くの?  自分で歩けるよ」

 フェンリス、身長も体格も大きいなと思ってはいたけどいざ密着してみると本当に大きい。私なんか片手で持ち上げられてしまうくらいに。

 慌てて彼に抗議すると、「治ったとはいえ元は骨も襤褸襤褸の酷い怪我だったんだ。歩くのは、もう少し動くことに慣れてからだ」と言い返された。

 保護者のように世話を焼くフェンリス。
 
 そのまま彼の腕に抱かれて小屋を出ると、そこには非日常的な風景が広がっていた。

「わ……」

 広大な土地に、大きな社が寝殿造のように縦に横にといくつも並んで渡り廊下で繋がっている。所々の装飾が異国っぽさを醸し出し、平安時代にいるような、近未来にいるような、不思議な感覚だった。

 フェンリスは建物が並ぶ方とは逆側に足を進める。大きな池には長い木造の橋がかかり、ギシ、ギシ、と歩くたびに木の音が低くしなった。

 独特な雰囲気に、ここが神域であると改めて思い知らされる。
 生活感あふれる小屋に寝かせてくれたのは彼なりの配慮だったのかもしれない。厳かな雰囲気にどんどん落ち着きがなくなっていく。

「ひ、広いね」

 なんとか自分で自分を和ませようと呟くと、フェンリスも気遣って「お前は迷子になりそうだな。明日、改めて案内しよう」とちょっと揶揄うようにおどけて言ってくれた。


 橋を渡り切ったところに、高さ四、五メートルほどもあるアーチ状の石碑が設置されていた。おそらく日本で言う鳥居のようなものだと思う。神域と俗世との結界の役割をなしているんだ。

 それにしても、どこにも人の姿は見えないし声も聞こえないけれど、彼はどこへ行こうとしているのだろうか。
 
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