ある時計台の運命

丑三とき

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王都

最大のご褒美

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ダリタリの町で支援にあたっていた隊員らが続々と帰城している。
住民と樹木の治療も落ち着き、これ以降は数人の隊員が持ち回りで駐在しながら様子を見ることになった。

奴隷事件の現場から派遣した樹木医アーボリストのブルネッラも昨夜戻ったと連絡を受けた。彼を戻したのは新人の講義を担当してもらうためだ。
幅広い知識を要する樹木医の人材はそう多くなく、一人ひとりへの負担が大きくなってしまう。彼にはまとまった休みを取ってもらえるよう、講義終了後の勤務を調整しなければいけない。
何はともあれ、ダリタリの町を救うことができて本当に良かった。いずれ訪れて、あの彼・・・に一言挨拶をしなければ。
しかし、私の顔を見れば例の件を気に病んでしまうだろうか。
せっかく回復したのに心労が祟っては元も子もない。やはり私は顔を見せない方がいいかもしれない。



時刻は既に夜の11:30をさしている。
アキオはもう寝てしまっただろうか。
どちらにしろこの時間だ。風呂は入っているだろうから、私も司令官室でシャワーを済ませて早々に帰るとしよう。


シャワーを浴びても、美味い飯を食べても、質の良い睡眠をとっても、この身を一番癒すのはやはりアキオと過ごす時間だ。何をしている時も彼が頭から離れることは無い。


手早く疲れを洗い流し、自室の前まで転移する。

アキオが寝ているだろうと思い、起こすまいとゆっくり戸を開けば

「お帰りなさいっ」

という声と共に愛らしい顔がのぞいた。



「アキオ、起きていたのか」

「はい…」

部屋に入り、小さな頭をひと撫でする。
私が今日一日中会いたいと求めていた人物は、目の前でもじもじと何か言いたそうにしていた。

「どうしたアキオ。何か困ったことでもあったのか?
それとも嫌なことがあったか?言いづらいことか?」

両手で頬を包み目を合わせようとするも、彼の大きな瞳は私からするりするりと逃げていく。

「そ、そうじゃないです。大丈夫です。
……ん、ジルさん石鹸のいい匂い」

「ああ、仕事場でシャワーを済ませてきた」

「そうだったんですね。遅くまで、お、おつ、疲れ様です」

——なでなで


「……ん?」

「よく、頑張りました……」

——なでなで

ゆらゆらとおぼつかない足を杖で支えながら背伸びをして、小さな手で私の頭を撫でる。
彼の足に負担がかからないよう少し屈めば、その手は私の頭頂部を、先ほど私がしたようにゆっくりと撫でた。

「……ありがとう。アキオに労られると疲れが全てどこかへ吹き飛ぶ。
しかし珍しいな。アキオが私の頭を」

そう声をかけると、心地のいい手が離れていってしまった。

「オグルィ先生が言っていたんです。自分がされて嬉しいことは、相手も喜ぶはずだって。嫌、でしたか?」

「嫌な訳が無いだろう」

「本当ですかっ?」

「ああ。……しかしアキオ、君は私を撫でるために遅くまで起きて待っていたのか?」

「はい!」

冗談のつもりが、思わぬ返事に言葉が詰まる。


私も、アキオにより親しみを持ってもらう為にはどうすれば良いか考えていた。
ここで共に暮らすのだから、彼にはもっと自分の家のように気を抜いて過ごして欲しかったからだ。

若い隊員らがしばしば冗談を言い合い仲を深め合っているのを聞き、私もアキオに冗談を言ってみることを思いついた。

冗談とは、思いもよらない戯れ程度の文言を面白おかしく言い合うことだ。
私を撫でるために起きていたなど、思いもしなかった。

私は30年生きてきた中で初めて発した冗談が不発に終わった事よりも、彼が私を待っていたという事に心を奪われていた。


「ジルさん?」

「っあぁ……。アキオ、起きて待っていてくれた事はとても嬉しい。ありがとう。
しかしこの時間だ。寝不足になってはいけないから、今日はもう一緒に寝よう」

「はい。じゃあ、布団に入ってから撫でます」

聞き分けよく頷くアキオ。
相変わらず表情は分かりづらいが、鼻息をフンッとひとつ吐き何かを意気込んでいるようだ。
私の心をここまで揺るがせるのは、後にも先にも彼以外居ないだろう。


いつものように2人で寝台につくと、布団にくるまった彼はこちらを向いてちょこんと腕を出し、先程のように私の頭を撫でる。

「お疲れ様ですジルさん」

彼にとって”恩返し”に過ぎないこれが、私にとっては人生最大の褒美に他ならなかった。

ふわふわとした感触に安らいでいると、その手は頬に到達した。私の体が温まっているからだろうか、少し冷たい手は非常に心地が良い。

しばらくすると、アキオは私の眉や顎など、顔の形を確かめるようにひとつひとつ撫でていく。


「……はっ!」

唇に手を掠めた途端、息をのみ驚いたような様子を見せるアキオ。

「どうした?」

「ちょっと、待っていてください」

そう言って寝台を抜け出してサイドテーブルをごそごそと探り、何かを持って戻って来た。

「ジルさん、唇がカサカサしてます。この練り油を塗ってあげます」

再び布団に潜り込み、器用にチューブからひと掬い人差し指に取った。
持って来たのは、市場で練り油屋の店主から貰ったという試供品の小さなチューブ。


「んっ!」
と彼は唇をわざとらしく閉じて見せ、私にも同じようにするよう促す。指示に従うと、細くしなやかな指が私の唇に優しく触れた。
薄暗い中、真剣な眼差しでゆっくりと左右に指を動かす。

数度往復すると、今度は薄く唇を開いて見せ、再び同じようにするよう指示を飛ばした。
彼を真似て少し口を開くと、より念入りな手つきで練り油を練り込む。



これは何かの試練だろうか。

私は何を試されているのだろう。


私の唇が潤っていくのが楽しいのか、ほんの少しだけ口角を上げて仕上げに入るアキオ。
私は心を無にする事に専念した。

時折「ふふっ」と面白そうな息を漏らしながら存分に私の唇を弄んだ目の前の人物は、満足げに「これでオッケーです」と呟いた。

「ジルさんの唇、つやつやになりました」

「……そうか。ありがとう」

「では続きをしましょうか」

「続き?」

彼の言葉に一瞬戸惑ったが、直後再び心地の良い手の感触が頭に触れ、意味を理解した。

「よしよし」

「お疲れ様です」

「いい夢を、見てください」

そんな言葉を紡ぎながら私の髪の毛の感触を楽しんでいた手はやがて緩み、彼の労りの言葉が段々と寝息に変わっていった頃、私もまた、アキオに意識を預けるように夢の中におちていった。





アキオの”恩返し”は城のあらゆる場所で行われた。
その理由は明らかである。アキオはこう言っていた。

『自分がされて嬉しいことは、相手も喜ぶはず』

彼が私を処構わず撫でるのは、これまで私が彼を処構わず撫でていたからだろう。

一緒に食堂で昼食をとれた時も、訓練棟に見学に来た時も、まずは「お疲れ様」と私の頭を撫でた。

少々の照れ臭さは感じるが、勝ち誇った気分になってしまうのも仕方が無いと思う。
イガやメテにも同じことをしているのだろうか。
この愛らしい恩返しが自分だけに向けられたものならどんなに良いか、そんな風に考えてしまう私は酷い上官なのかもしれない。


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