ある時計台の運命

丑三とき

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王都

心を書き起こす②

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その優しい口調に促されるように、僕は生まれてからのことを話した。
以前ジルさんにも話したことを整理しながら少しずつ、なるべく簡潔に。

時間はかかってしまったけど、先生もジルさんも静かに聞いてくれた。
話し終えた時、無意識にジルさんの手首を指の型がつくほど強く掴んでいたことに気がついた。

全てを聞いた先生は顎をつまみながら「なるほど」と呟き、こう続けた。

「ひとつ質問していいかい?もちろん答えたくなかったら答えなくて大丈夫」

「はい」

「君は……死にたいと思ったことはあるかい?」

背中に触れるジルさんの手に、わかりやすく力が入った。

「難しい質問です…。常にそう思っていながら、自分の中できちんと『死にたい』という気持ちが芽生えるのをずっと待っていたんです。
死にたいけど、とはいえ死に対してもそこまでの活力は無くて、むしろ死ぬって普通に怖くて、でも自分に命があるのは、それはそれでどうしようもなく嫌で…もうどうしていいかわかりませんでした」

先生は僕から出る言葉の全てを認めるように、そのひとつひとつに頷いた。

「あの、でも、今は違います!生きててよかったです。ジルさんと、皆さんと出会えて本当によかったと思っています」

「そっか…ありがとう。本当にありがとう。
ごめんね。辛いことを話させてしまったね」

「いいえ、大丈夫です。すみません…」

先生はまた少しだけ考えてから

「やはり司令官殿が予想された通り、君のその症状は心的外傷後ストレス障害から来るものと考えてまず相違無いだろう」

と診断をくだした。

「悪夢やフラッシュバックは典型的な症状だ。
そして君が元の世界でもずっと抱え続けていた”現実と自分自身が解離している感覚”というのも、症状の一種なんだよ。心にあまりにも強いストレスがかかると、そのショックから心を守ろうとする機能が働き、感情が鈍くなる。そして生きていることに絶望を感じる」

「感情が鈍くなるのに、絶望を感じるんですか?」

「人間の脳というのは複雑でね。1人の人物の中に全く別の機能がいくつもいくつも備わっている。そしてその真逆の機能が頻繁に入れ替わって現れることもあるんだ。
例えばこの障害で言えば、トラウマとなる体験に対して強い恐怖反応のスイッチがオンになることもあれば、その恐怖を過剰に抑制することもある。今君の脳が反応したようにね」

「今…?
僕の中で、何が起こったんですか?」

「さっき扉の外で音がした時、どんなことを感じた?」

「なんか、なんだろう…危ないと思って…ここから離れなきゃって考えたけど、なんだか…
ごめんなさい、やっぱりうまく言えない」

「大丈夫大丈夫。充分伝わってるよ。
君はね、大きな音に反応して、ほんの一瞬恐怖や不安に関わる部位がとても強い反応を示したんだ。本当に一瞬だけね。そのあとすぐに感情をコントロールする部位が活発になって、恐怖を抑え込んだ」

言葉は難しいけど、自分に起きた不可解な感覚を的確に言葉におこす先生は魔法使いのように見えた。
…事実魔法使いなのだけど。


「そういえば、『何も無くなった』って、一瞬そう感じました。そう感じる前は確かにすごく怖かったと思います」

「君にとってああいう激しい音は辛い記憶としてインプットされているようだ。だから怖い記憶を抑え込んで、忘れてしまおうとしたんだね。今までもこんなことがあったかどうか、思い出せる?」


「確か……小屋でお皿を割ってしまった時、両親からの暴力を思い出した気がします。それでひとりでどこかに取り残されたかんじになって…。
ジルさんが僕を呼び戻してくれなければどうなってたかって考えると、今でも怖いです。
それから、過呼吸になった時はもう全部が全部怖くて、今まで忘れてしまっていた恐怖が全て流れ込んできたみたいでした。でも、それもジルさんに話すうちに落ち着いたんです」

「そっかそっか。すごいね。自分で整理をつけられたじゃないか」


――――なんか嫌だ。
そんなふわふわした訳の分からない恐怖をきちんと言葉にして正体を明らかにするだけで、見えない不安が目に見えたみたいに自分の中にすっと馴染んでいく。

「おそらく今まで恐怖の感情が生じた時は無意識に抑制することが多かったけど、過呼吸になってしまった時の君は恐怖と向き合っていたんだろう。辛かったと思うけど、でも間違いなく一歩前進と考えていい」


一歩前進…。
ウインクでもしそうなほど爽やかな笑みでそう言われ、気持ちが軽くなった。
そして、一番知りたかった事を聞く勇気を振り絞ることができた。


「あの…僕は治りますか?」


先生は一瞬考えを巡らせた後こう言った。


「……君は頭がいいから、あえてこう言おう。例え症状がしばらく現れなくても、『治った』と考えない方がいい」


優しい顔で、優しい口調で紡がれた言葉は、あまりにも残酷に響いた。

「本当はね、ちゃんと治るよ。安心して。
ただ君は幼い頃から心が疲れてしまっていて、症状が慢性化している。
こうなってしまえば1、2ヶ月では治らないんだ。
これからも記憶が君を苦しめることがあるだろう。
その間隔は分からない。毎日かもしれないし、数ヶ月発作が無かったのに突然現れることもあるかもしれない。
しばらく症状が出ていない間に治ったと思い込むと、再発した時に落ち込んで自分を責めてしまいかねないからね。
少しずつ少しずつ克服して行って、いずれ症状の発現を無くそう。
そうだな。君の場合は最低でも5年以上はかかると思う」

その歳月は気が遠くなるほど長く感じた。
先生のその魔法で、今すぐにでも治して。
一瞬でもそう縋りつきたいと考えてしまうくらいには追い詰められていたらしい。

「…あのねアキオ君、これだけは約束して。
自分が弱いからなんてお願いだから絶対に考えないで。
これは人間にとって当たり前の、むしろ健全な反応なんだ。だから自分を責めてはいけない」

懇願するように語りかける先生。

そうだ。
これは僕自身の問題だ。自分で治さないと意味がない。
そのためにいろんな人たちがこうして助けてくれている。


「分かりました」

僕の返事に納得したように先生とジルさんが頷いた。



具体的な治療方法の説明も受けた。
一応精神を安定させる薬も貰ったけど、それは”お守り”にして欲しいというのが先生の意見。
使っちゃダメな訳ではないけど、成分が強いから最終手段で。という事らしい。
「まあ最悪これ飲めば大丈夫」というものがひとつあるだけで安心感は全然違うし、発作を必要以上に恐れなくて済む。

主な治療として行うのは心理療法だ。

「克服の仕方は人それぞれ合う合わないがあると思うから色々試していくしか無いんだけど、まずは恐怖に向き合うことから始めてみよう。
これまでのアキオ君は負の記憶に反応してしまった時、恐怖や不安を無意識に抑え込んでいたよね。次からはできるだけ自分の感情に向き合ってみて欲しいんだ」

「やってみます。でもどうやったら向き合えるでしょうか…」

「それは、君自身で既に答えを導き出せているじゃないか」

「え?」

「司令官殿だよ。
君が一番信頼を置いているのは司令官殿だろう?
自分の感情に何が起こっているのかを自分で認識するために、まずは司令官殿に感じた事を口に出して話してみて」

一番、信頼。
へ、変な意味じゃ無いよね…?

この世界には鋭い人が多いからもう色々バレることに抵抗は無くなってきたけど、変に動揺して自分から墓穴を掘られにいくのだけは避けたい。

上がりそうになった眉を落ち着けて、平然を装う。
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