ある時計台の運命

丑三とき

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旅路

震える叫号①◉sideJILL

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✳︎✳︎✳︎出発前夜✳︎✳︎✳︎

私の作った料理を美味そうに食べるアキオは、最初の頃より肉付きが良くなった。小さな口に運ばれる量が増えていくたび、私の中に達成感のようなものが積み重なる。

本当はもう2~3日休養してから出発する予定だったが、少し早めておいてよかった。

ここ数日、アキオがうなされることが多くなった。夜中に突然息が荒くなり、体を丸めて何かに耐えるように震え出すのだ。
悪い夢でも見ているのかもしれないと思い、仰いで風を送ったり香を焚いたりするが、全く治まる気配が無い。

起床した時にはすっかり元通りになっているから、そのことについて下手に触れるのは避けてひとまず様子を伺うことにしていた。


しかし今朝、アキオに更なる異常が起きた。
茶が入ったカップが床に落ちて割れた時、瞬く間にその目から光が消えたのだ。あの地下室で出会った時と全く同じような顔に、一瞬呼吸を忘れた。
体内の水分が尽きてしまうほど汗を流し、荒い呼吸を繰り返す。

私の声も届かない。必死に呼びかけても、意識だけがどこかへ行ってしまっているようにうつろな目をくうに向けているだけ。


何度も必死に呼びかける。
戻ってきてくれ。私のことを見てくれ。


私の必死の呼びかけについに反応を見せたアキオは、何事もなかったかのようにきょとんと間抜けた顔を向けた。
やっと私のことをその目に捉えてくれたことに安堵しつつも、その奇妙な様子に言い知れぬ焦燥感が襲いかかる。

風に靡いていつの間にか私の前から消え去ってしまうのではないか。

この子を失う恐怖は、これまで経験した何よりもおぞましい。

自分の中に生じた焦りを誤魔化すようにアキオに話かけるうち、彼の表情もいつもと変わりない穏やかなものに戻っていった。


軍医の講義で何度も聞いたことがある。
症状に個人差はあれど、心に負った傷が心理的に影響してフラッシュバックや現実感消失などに悩まされる『心的外傷後ストレス障害』という病気。
戦時中は非常に多くの軍人が患い、自ら命を絶った者も多い。

専門の知識を持つ医師は少ない。頼りになるのは衛生部隊のコーデロイ医師くらいだろうか。

彼には今王都で奴隷被害者や戦争孤児のケアにあたってもらっている。少々業務過多になってしまって申し訳ないが、心療の専門である彼に業務の合間を縫ってでもアキオを診てもらわねば。




出発してしばらく、私は馬車の中で衝撃的な事実を告げられることになる。


何とアキオは24歳だというではないか。
一瞬、記憶が混濁しているのではと考えたが、確かにこれまでを振り返っても振る舞いは礼儀正しく、記す言葉も理知的だった。

人から「もっと噛み砕いて話せ」とよく注意される私の堅苦しい言い回しを理解するし、少しの説明で全体像を把握する頭脳は、子供のそれでは無かった。

その割に常識に乏しい。
初めの頃は、田舎生まれで戦後の情勢に苦労した、数多くの戦争孤児の一人だと思っていた。教育が受けられていない彼らは、何も知らず生きている。
しかし彼はーーー。

私の中にあるひとつの可能性が生まれた。
もしそれが事実であれば、あまりにも危険すぎる。

独断で判断は出来ない。王都で王や顧問の見解を聞いてからでも遅く無い。


それまで何事も無い平穏な旅路を望んでいたが、どうやらそういうわけにもいかないようだ。

盗賊頻出地区を抜けてしばらく進んだ頃、異質な気配を察知した。イガやメテも同様の反応を見せ、馬車が急停止する。

咄嗟にアキオに手を伸ばすと、再びあの虚な目をしている彼が目に飛び込んだ。

息をしているのかしていないのか、生きているのか死んでいるのかも分からない。
消えてしまう、という恐怖に包まれた。長い一瞬の後、ようやく腕に収めた彼を力一杯抱き込んだ。直後、馬車の壁に体を叩きつけられる。


腕の中の温もりが消えていないか、それだけが頭を占める。

必死に何度も呼びかけるとすぐにその黒い瞳に光が宿った。

よかった。戻ってきてくれた。


しかし気は抜けない。外には第三者の気配がする。敵意が肌に突き刺さった。

「盗賊・・・?いや、違う」

「メテ。アキオを頼む」

外の様子をうかがうメテにアキオを任せ、後ろ髪を引かれながら馬車を降りる。

そこには一人の男が立っていた。年は私と同じか少し上くらいだろうか。手には、葉縁が赤紫色をしている植物が数本握られている。あれは確かナサムという薬草だ。うまく処理をすれば咳や痰に効くとされているが、素人には無理だろう。それともあの男は薬師なのだろうか。

薬草と一緒に握られた刃は、明らかに私たちに向けられている。

「そちらのかた、道を開けてはくれないだろうか」

なるべく刺激せぬよう心がけて声をかける。
私たちも旅路を急ぐ。頭の中で何とか穏便に済む方法を練る。

「・・・何だよ、さっきの軍服の男といい、お前たち軍の奴らか」

「その通りだ」

「なるほどな。どうりで立派な馬車だ。そうか、そうかよ・・・」

「こんなに目立つ馬車でノコノコと。貧弱な戦争成金でも迷い込んできたのかと思ったが、まさか軍人様のお通りだとはな」

力なく呟く男からは、一体何が目的なのか読み取れない。

「どうされた?私たちに何か御用だろうか」

「つくづく運が悪い。ははっ、折角薬草を見つけたってのに、エレネイ、ごめんなぁ・・・」

男が悲痛に顔を歪める。そうか。この方もずいぶん逼迫ひっぱくした暮らしを強いられているのだろう。
民間人の支えになりたいと望んでも、その多くは思い通りに事が運ばない。命が終わる瞬間に立ち会う事だって幾度とある。


彼はまだ助かる。
長い距離を歩いてきたのだろう。足や手などに傷はあるがすぐに手当すれば何の問題もない。
栄養は充分ではないように思うが、意識もしっかりしている。正確な処置を施せばすぐ元気になる。

「顔色が悪い、怪我もしておられる」

「結局報われない人間は何しても報われないってことか」

「馬車に薬箱を積んである。そのナイフを下ろして手当をしないか?」

「エレネイ、父ちゃんもう、もう無理だ」

私の声が耳に入っていないのか、傷の手当を提案しても、何と呼び掛けても、自分と子の幸せを諦めたように陰鬱に笑っている。

子供がいるらしい。ということは、その薬草は子供の病を治すためにやっとの思いで手に入れた薬草というところか。
しかし薬草の加工は素人では無理だ。そういったこともおそらく知らないのだろう。

「うああぁぁ!」

男が震えた叫びを上げながらこちらに向かってくる。
この男の嘆きを、私にはどうすることもできない。甘んじて受け入れる以外の選択は無かった。


脇腹に焼けるような激痛が走る。
刃物が引き抜かれると同時に、ジュク、とした嫌な湿り気を感じる。

この傷は精霊の力によってすぐにでも止血され、明日にでも塞がり、5日もすればすっかり無かったことになってしまうだろう。彼の大きな勇気は、何と粗末な結果しかもたらさない。

許してくれ。この国を、どうか許してくれ。

「ジルさんっ!!!!!」


鈴の音のように凛とした声が聞こえた。
震えていて、少し掠れているけれど、その澄んだ音色に身体中の血液が熱くなるのを感じる。
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