ある時計台の運命

丑三とき

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旅路

震える叫号

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『まじ、クソめんどくセーなぁこのガキよぉ!!誰が養ってやってると思ってんだあ゛ぁ!?』



父さんは母さんよりも力が強い。
だから僕にものを投げるんじゃなくて、僕を投げる。壁や床などに叩きつけられた体は、次の日必ず痛かった。
それでも小さい時はまだ手加減されていたようだ。痛いと言っても青あざになっていたり棚の角にぶつけたところからちょっと血が出ていたりするだけ。

体がどんどんが大きくなると、父さんも遠慮が無くなった。6年生の時には捻った足首が倍に腫れ上がったこともあった。ただでさえ好意的でない学校の子から、「歩き方怪物みたい」と、さらに懐疑的な目を向けられた。この奇形めいた足首は絶対にバレてはいけないと思った。

先生たちは「アキオ君困ったことない?」と定期的に心配の声をかけてくれた。先生には申し訳なかったけど、でもやっぱりどうしても知られたくなくて本当のことが言えなかった。

僕は何を知られたくなかったんだろう?先生になら腫れ上がった気持ち悪い足を見せても、変色した肌を見せても、別に嫌われることは無いと思う。大人はそんなことで子供の僕を嫌ったり軽蔑するものでは無いと知っていた。でも、あの時の僕は何かを隠したくて必死だった。



怪我が治りかけるとまた叩かれて、踏まれて、投げられる。父さんに触れてもらえる瞬間は、痛いけどやっぱり嬉しい。水をかけられるのは苦しいのでいつまで経っても克服できないけれど。

また今日も、髪を掴まれ、思い切り振り回され、最後はどこかしらに衝突する。

いつものように固く身構えた。


ーーードンッ!!





予想したものとは程遠い衝撃が体に甘くのしかかる。何故かどこも痛くない。



「アキオ、大丈夫か!?」

気づけばジルさんの大きな体に包まれていた。そりゃ痛く無いはずだ。なんか大きいクッションに全身でダイブした感じ。

それよりも僕今何していたんだっけ?馬車に乗っていたらイガさんの叫び声が聞こえて、車体が思い切り揺れて。
そこからまた何か起きた気がするけど、何が起きたか忘れてしまった。

ジルさんのおかげで何の問題も無い。どこも痛く無いですよと頷く。

メテさんはこちらを気にしながらも、扉の外に半身を出してそちらに意識を向けている。真剣な音色で「盗賊・・・いや、違う」と静かに呟いた。良くないことが起こっているのが直感でわかる。

「メテ。アキオを頼む」
「はい」

メテさんがこちらに来て、代わりにジルさんが離れていく。離れていってしまう。今離れたらいけない気がする。
行かないで欲しい。
長くて逞しい腕を掴みたいけど、僕が何か意思を示すことが許される場面じゃないのは明らかだ。


ジルさんが馬車を出て行き、視界から居なくなった瞬間心臓が激しく毛羽立って僕を威嚇した。体ごと胸が飛び跳ねてしまいそうになるのを必死で抑える。

外で何が起きているのだろう。メテさんに寄り添われながら、外の音に耳を澄ませることに集中した。


「そちらのかた、道を開けてはくれないだろうか」

ジルさんから放たれたのはいつもの優しい声ではなかった。地を這うように重いが、どこか穏やかな様子が保たれている。
相手は盗賊じゃないのかな?

「・・・何だよ、さっきの軍服の男といい、お前たち軍の奴らか」

次に聞こえてきたのはイガさんでもジルさんでもない男の声。険しく尖っているが、発声が不安定だ。震えているように聞こえないでもない。

「その通りだ」

「なるほどな、どうりで立派な馬車だ。そうか、そうかよ・・・」

ジルさんの返答に、男の人が落胆とともに怒りの色が滲む。その怒りの矛先はおそらく自分自身に向けられている。
ああやっぱり。この人、怖がってる。
怖いのはこっちなんですけど。

「こんなに目立つ馬車でノコノコと。貧弱な戦争成金でも迷い込んできたのかと思ったが、まさか軍人様のお通りだとはな」

「どうされた?私たちに何か御用だろうか」

「つくづく運が悪い。ははっ、折角薬草を見つけたってのに、エレネイ、ごめんなぁ・・・」

何もかもを諦めたかのような音色に変わっていく。その様子に、背筋がゾクゾクする。

「顔色が悪い、怪我もしておられる」

「結局報われない人間は何しても報われないってことか」

「馬車に薬箱を積んである。そのナイフを下ろして手当をしないか?」

ジルさんの問いかけは何も耳に入っていないようだ。はっきりとは聞こえないけれど、ボソボソと、無理だ、もう終わりだ、などずっと独り言を呟いている。

というかナイフを持っているの?盗賊じゃん。
でもここにいる人たちは皆軍人。そんな簡単にやられることはないはずだ。
今聞こえている声は男の人一人だけ。大勢で襲って来られない限り、かすり傷すら負うことはないだろうと、この時は呑気に考えていた。

「エレネイ、父ちゃんもう、もう無理だ」

「顔を上げてくれ。何があったのか聞かせてくれないだろうか。手にしておられるのは薬草だな。あなたは薬師か?それとも」

「お前もつくづく不幸だな、生まれた時から貧乏で、病気に苦しんで、父ちゃんまで失うなんて」

「ご主人?」

「でも無理だ、ごめんな。もう無理なんだよ!!!うああぁぁ!」

だめだ、これはだめなやつだ。
曲がりなりにも新聞記者として仕事をしてきた。態度や表情や声を元にその人の心を推し量ることは、ある程度身に付いているつもりだ。

この声は覚悟を決めた人の声だ。

「アキオ君!」

気がつけばイガさんの制止を振り切って馬車を飛び出していた。杖の存在なんて忘れていたので、数歩歩いただけで足が絡まってあっけなく膝をついてしまった。

目線の先にはジルさんがいる。馬車が止まってからほんの数分の出来事のはずなのに、旧友との再会を果たしたような懐かしさを感じる。

よかった。

いつもと変わらぬ威厳のある佇まいに安堵した。


ふと、水滴が重たく滴るような音が耳を突き刺す。
地面には真っ赤に染まった刃物が転がっている。

いやだ、なんだこの気持ち。いやだ、怖い。

ジルさんの足元には、ボトボトと血溜まりが広がっていた。

ああ・・・!ジルさんが・・・ジルさん、ジルさん・・・!

「ジルさんっ!!!」
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