ゆうら

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プロローグ

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 私には、すれ違う全ての人に、挨拶をする習慣は無い。

 知らない先輩の横を、挨拶せずに通り過ぎる。知らない人だから、挨拶する対象としては認識していない。存在を気に留めることもない。

 でも、私が〝知らない人〟と認識しているだけで、私は〝消したい奴〟と認識されていた。

 下駄箱に向かって歩いていると、急に頭がグラっとし前方に倒れる。後ろから頭を殴られた。両足を掴まれ、引きずられていく。この方向にあるのは焼却炉。掴んでいた足を放った〝手〟が、私の服を剥ぎ取り、燃える炉の中へと放り込む。こういう話題を、テレビで見たことはある。ただ、無縁な場所での無関係な出来事だと思って見ていた。

 私を蹴る〝足〟は、わかるだけで三本。みぞおちを蹴られ、言葉を発するどころか呼吸も上手くできない。どうすることが最適解か。頭の中が〝どうしよう〟で埋め尽くされていて思考が働かない。

 何かを言われている。
「許してくださいと言え!」
 仮に言葉を発せたとしても、言わない。言っても、私の服は戻ってこない。それに私は許しを請わなければならないようなことをしていない。

 無言を貫く私を、〝足〟は蹴り続ける。
 全て燃やされたから、失いたくない物は残っていない。次に失う物は、生命。それを失えば、その先は無い。終わることよりも、ずっと続く方が苦痛──だからか、失うことに対する未練のようなものは無い。

 予鈴が鳴る。途端に〝足〟が遠ざかっていく。

 私はこの後どうすることが正解か。
 一、焼却炉に入る。私を〝消したい〟という願望を叶える義理は無い──却下。
 二、帰宅する。きっと、明日も明後日も燃やされる。学校に来なくなるまで、服を燃やされ続ける。私は、毎日裸で帰宅することになる──却下。
 三、保険室に向かう。結果は、帰宅する場合と同じ──却下。
 四、教室に向かう。この選択肢しかないかな。選びたくはない──窮余の策。

 教室前方の扉を開け、入室する。授業中に突然扉が開けば、視線が私に集中する。
「服はどうした!?」
 教師が腕を掴む。
 服を着ていないことに注目されると、私は露出狂だと印象付けられてしまう。
「他に、気にすべきことがあるのでは?」
 注目させたいのは傷──血が混じる真っ赤な唾を、教師の顔に吐きかける。

「きゃーっ!!」
 呼応するように悲鳴が連鎖する。

 廊下に血を垂らしてきた。血痕を辿り教師や生徒が集まってくる。校舎中に悲鳴が木霊する。

「朝、焼却炉に居た子……」
「私も見た」

「早く、服を着なさい!」
 私に怒鳴る教師。指示を遂行するため、最後列窓際の席に向かう。
「その服、脱いで私にください。先輩に燃やされた服の代わり。それで我慢してあげます」
「辞めなよ!」
 この耳障りな声に止められる筋合いは無い。私に『臭い』と言った声。
「私を蹴っていたとき、気分は良かったですか? 服は着たいですけど……先輩の服は、臭そうなので要らないです」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
 後方から、ぶつぶつと念仏のように唱える声が聞こえる。顔を覗き込もうとしても、頑なに顔を上げない。近付いてわかった。この匂い、さっき嗅いだ。この靴下、さっき見た。
「先輩、私を見てください。見たいから脱がしたんですよね。それとも私の身体を、皆に見せるために脱がしたんですか? 先輩の服を、私にくれるのなら許してあげます」

 私は、服をもらうために、先輩の教室に来た。クラスメイトには、裸を見られたくない。誰かに見られるのなら、知らない人の方が良い。

 私が凶器を持っていないことは見ればわかる。隠せる物を身に付けていない。ただの小学五年生。大人なら、簡単に拘束出来る。
 廊下を駆ける足音。警察官は私を押さえ付ける教師たちを拘束する。

 教室に来る前に警察に通報した。
「丘下小学校で、知らない複数の人に暴行されました。血が止まりません。多分、骨が何本か折れているから、あまり動けません。剥ぎ取られた服を、燃やされてしまったので……服が無くて外に出ることが出来ません。死にたくないです。助けてください」

 事実を正確に伝えた。

 複数の成人男性が、裸の小学生女児を押さえ付けている現場を、複数の警察官が目撃。

 血まみれで、裸の私。
 私に覆い被さる、複数の大人。
 響き渡る悲鳴。

 私が服を欲しがっていたこと、暴れていないことを複数の先輩が証言。私が流血している理由と、服を着ていない理由については、そこに居た全員が口をつぐむ。過呼吸やパニック発作を起こした生徒は半数を超える──

 服を求めている女児に、服を着せない正当な理由は無い。話しているだけの女児を、複数の大人が押さえ付ける正当な理由は無い。流血し、骨折している生徒に応急処置を施さない正当な理由は無い。

 私は、教師は無関係であると主張した。しかし、私の意思とは無関係に、教師たちは被疑者となり逮捕された──

 私が性犯罪被害者であると伝えられた両親は、私と同じ空間に居ることを避けるようになった。

 放課後。教室に行くと、先輩たちは私を避けるように散る──
「全然来ないので、迎えに来てあげました。荷物、持ってください」
 ランドセルを持たせ、一緒に教室から出る。

 二人の先輩は、あれ以来、学校に来なくなった。

「骨、まだ痛む?」
「はい。時間が経てば痛くなくなるそうなので、問題ありません。先輩が荷物を持ってくれるので、助かっています」
「ごめん……」
「服をもらったので、許しました。学校、楽しいですか?」
「楽しくないよ」
「いじめられて、何故、黙っているんですか?」
「自業自得だから……」
「そうですか。ところで何故、いじめられてるんですか?」
「酷いことをしたから……」
「誰に酷いことをしたんですか?」
「あなたに」
「私は許しました。それなのに、いじめが続いているのはおかしいです。私が迎えに行くからダメなのでしょうか」
「違う! 来て! ください……じゃないと、学校に来られなくなる」
「それは求愛ですか? どきどき」
「学校に来れているのは、毎日迎えに来てくれるから。あと数分我慢すれば終わると思えるから、耐えられているだけ。本当は、痛いし、怖いし、何度も学校に行くのを辞めようと思った」
「スルーされた気がするのは、気のせいでしょうか?」
「なんであんなこと、しちゃったんだろう……凄く後悔してる。償いきれない、許されないことをして、どうすればいいんだろうって、悩み続けてる」
「求愛してくれれば解決です」
「はあ……どんだけ愛に飢えているのよ」
「両親が私と目を合わせてくれません。避けられています。クラスメイトにも避けられています。教師も私を避けます。私と会話してくれる人は、先輩だけです。求めてはいけないでしょうか?」
「深刻……それで、よく普通にしていられるね」
「その認識は誤りです。限界です。あと五分だけでも長く一緒に居てほしいと言いたくなるのを我慢することが、困難になってきています」

「言ってくれればいいのに」

「私のことで悩んでいる人には、言えません。私と一緒に居たいと望んでくれる人と一緒に居たいです。どんな用途や目的でも構わないので、私の存在理由が欲しいです」

「そうだよね……私では、ダメだよね」

「違います。私には、先輩しか居ません」

「奪って、ごめんね」

「違います。違うのです。私の話を、聞いてください」

 翌日、先輩を迎えに行ったら教室の窓から飛び降りていた。
 自殺の理由は、私のいじめに耐えられなくなったからだと聞いた。
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