感染~殺人衝動促進ウイルス~

彩歌

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後編

15話 ウイルス

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声がした。
もう二度と聞くことができないと思っていた声だ。
鼻の奥がツンと痛くなる。
真澄の唇が大事なその名前を紡いだ。


『ーー感動の再会はまた後で。今の状況を説明するよ。結羽がαとβの瓶を持って大樹と共に逃走した。それを満の部下の命と僕が追っている。雫は怪我をして治療中だから雫と満とレイラは動けない』
『てことは今動けるのは俺らと香月と命って奴だけ?』
『そうなるね。秋は今どうしてる?』
『秋は雫さんたちの混乱に乗じて眠らせてあるよ。時雨と共にね』
『大樹の無線機を使ってるんだね、結羽。ねぇ、君は本気で人を殺すつもりなの?』
『本気だよ』
『なら、止めないといけないね。みんなのためにも、君のためにも。真澄、無線のチャンネルを替えるよ。番号はわかるよね?』
『いつもの、だよな?』
『そう。じゃあまた後でね、結羽』

無線を切り、チャンネルを替える。

『秋、話は聞いてたね?』
『うん。眠ったふり気づかれてなかった?』
『大丈夫だったよ。時雨はさすがに一般人だから眠っているよね?』
『寝てるよ』
『結羽の狙いは時雨だ。どう対処する?』
『リスクは高いけど寝たふりをして、奇襲する』
『2対1になるけど大丈夫?応援には行くつもりだけど』
『心配なのはそこじゃない。結羽が時雨を殺すかどうかだよ。殺すつもりだったら守りきれる自信はない』
『殺すつもりはないと思う』
『なぜ?』
『眠らせる隙があるなら先に殺すほうが確実だからだよ』


ふわりとベランダに中性的な男が降り立つ。


『誰か来た。中性的な男の人だ』
『彼が命です。味方だから心配は要りませんよ。ですが、彼は結羽を追っていたはず。彼がいるということはーー』
『私もいるということだね』


無線はそこで途絶える。


「眠ってなかったんだね、結希」


結羽は少し悲しげに、君を巻き込みたくはなかったのにと呟く。


「ねぇ、命。どうして君はそっち側にいるの?酷い目に逢わされたこと、忘れたわけではないよね?」
「あなたに救われ、命さんに出会ったとき以前の僕は死にました。今は満さんの言うことを聞くだけの亡霊です」
「命といい、満といい、結希といい、バカばっかりだ!こんなにも人間は愚かだというのになぜわからない?どうして味方をする?」


結羽の口から血がつぅと垂れ、血管が浮き出ている。
目は血走り、息も荒い。


「結羽っ!もしかしてーー」
「その、“もしかして”だよ。αとβのウイルスを両方接種した。これは本当にヤバいねぇ。人を殺したくて殺したくてウズウズするんだぁっ!」

「そう簡単に殺させやしないよ」
「人間はイヤな奴もいっぱいいるけど、良い奴もいっぱいいる!」

追い付いた香月と真澄も武器を構える。

『真澄、時雨の回収は終わった。今から新しい抗体を作り出す』
『そっちは任せた!俺は相棒と暴れてくる!』


そんなふたりの前にスッと秋が立つ。



「どうして、結羽は、姉さんは、そこまで人間を憎むの?」
「結希は覚えていないのか……?」
「ほとんど覚えていないよ。結希って名前も違和感があるくらい」
「私たちの時間はね、あと少ししかないんだ。本来、そろいは別々じゃ生きられないんだよ」


「え……?」


戸惑う秋に結羽は刃を向ける。



「私たちの命は弄ばれ、消えようとしている。ならば、私たちにも命を弄ぶ権利があるとは思わないかい?」


「対って一緒にいないとその寂しさで弱ってしまうんだって」
「なんだかうさぎみたいだね」
「そうだね。だから極力一緒にいさせてあげたほうが良いらしいんだ」
「この子の片割れはどこにいるの?」
「立花研究所だよ。そこからこの子は追い出された」
「そっか……結羽、待っててね。俺が必ず連れてくるからーー」



ーーそれは在りし日の記憶。



「ねぇ、食べないの?」


彼女が来てから随分経った気がするが、満は彼女の話すところを聞いたことはなかった。
どうやら雫のことは苦手なようで、満にべったりだった。話さないだけで嫌いなようではないようだ。


ぐうと彼女の腹が鳴る。


「あぁ、もう。ほら、口開けて。あーん」


チラチラと様子を見ながら結羽はようやく一口食事を口にした。

「大丈夫でしょう?自分で食べてごらん?」

スプーンを手渡すと結羽はしっかりと握って食べ始めた。


「良い子だね、結羽」


頭を撫でると結羽は少しだけ嬉しそうに笑った。



「……ねぇ、雫。結羽を歪めてしまったのは僕なのかな…?」

容態の安定してきている雫に満は問う。

「否定はできないよね。結羽は満にべったりだったから。俺はもう大丈夫だから結羽のところに行ってきなよ。気になるんでしょ?」

血の足りない青白い顔で雫は笑う。

「結羽もたぶん苦しんでる。助けてあげて」

そっと雫に背中を押され、満は頷いた。


「待ってるから、ちゃんと帰ってきてね」
「うん。行ってくる。絶対死ぬなよ」


お互い笑いながらそっとキスをし、離れた。



「命を弄ばれたからと言って、同じことをして良いわけじゃない。復讐も無意味だ。俺にできることは同じ思いをする子たちをなくすこと。そのためにレイラと共に戦った」
「残された時間が少ないとわかっても、結希は憎まないの?」
「俺は結希じゃないよ。秋だ。憎まないで良いように雫さんは俺を育ててくれた。憎しみはただ辛く悲しいだけ」
「価値観が合わないね。私は憎くて憎くてたまらない。もう話はいいよ。時雨を手にいれて、人を滅ぼすんだ。死は平等に安寧をもたらす」 


結羽の攻撃から香月が秋を守る。


「秋。君はここにいて。僕たちが戦うから」
「久しぶりだな、香月と一緒に戦うの」
「殺しちゃダメだからね?」
「わかってるって」
「命も殺しちゃダメだからね?」
「……はい。僕は大樹の相手をします。彼とは昔馴染みですから」


「時雨を手に入れたければ俺らを倒すんだな」

長い足が結羽に襲いかかる。



「……目が覚めましたか?」

ん、と声をあげる時雨に心が声をかける。

「はじめまして。僕は相楽心、こっちは時任香澄。真澄の、秋たちの仲間です」
「あなたはこの戦いの“鍵”です。どうかご協力をお願いします」
「俺が“鍵”?俺は親友もその妹も助けられない情けない男だ。俺にできることは何もないよ」

自嘲気味に笑う時雨にいいえとふたりは否定する。


「……いろいろ調べましたよ、あなたのこと。神代かみしろ時雨さん、あなたは結羽と秋の実の兄ですね?」

その言葉に時雨は驚くのではなく苦笑していた。



母の大きくなった腹にぴとっと耳を当てる。どんと音がし、びっくりした少年はソファーから転げ落ちる。

「時雨、大丈夫?ふふ、お腹の子達元気でしょう?いっぱい蹴ってくるのよ」
「いたくないの?」
「痛くないわ。元気だなぁって安心するのよ」

母は優しく時雨の頭を撫でる。

「もうすぐお兄ちゃんね」
「弟と妹ができるんだよね?」
「そうよ。一気に賑やかになるわね」
「げんきにうまれてくるんだよ」

優しく腹を撫でるまだ小さな手に、母は優しく微笑んでいた。

幸せが待っているとそのときは信じていた。



「……え、なん、て?」
「お父さんとお母さんが亡くなったと言ったんだよ」
「時雨。うちにおいで。うちは子どもがいないし、知らない関係でもないでしょう」
「弟たち、は…?」
「そんなものはいなかったのよ」
「でも……」

たしかにいたと言おうとし、ぱたぱたと涙を流す叔母に時雨は口をつぐむ。

「時雨。忘れてしまいなさい」

ぎゅっと叔父に抱き締められ、両親と弟と妹を失った事実にポロポロと涙が溢れた。


「……俺の勘違いじゃなかったんだな。結羽に初めて会ったとき、母さんに似てると思った。名前も“神代”だった。向こうは気づいてなかったけど、生きていると知れて嬉しかった。秋もすぐ弟だってわかったんだ。結羽にすごく良く似ていたから」
「彼らの血の特性を消すには近親者の血液が必要です。あなたの症状が軽かったのは彼らと血が近かったから」
「特性を消せば、ふたりは普通に生きられるのか?」
「ええ、理論上は。まずは薬を使って様子をみます。少しずつあなたの血に近づけ、骨髄を移植すれば彼らは“普通”に生きられる。ドナーの適性次第ではありますが」

その言葉に時雨は喜びの涙を流す。

「結羽を救うために、αとβの接種の治療をしなくてはいけません」


「ーーそれに僕が協力しても構わないかい?」


さらりと髪が揺れる。
喜んでと心は笑った。



「もー!どうなってんだよ!?攻撃当たってんのに全然倒れる気配がねー」
「おそらくウイルスの影響だろうね。激しい殺人衝動で我を忘れてる。痛みも感じていないようだね」
「香月っ!手加減なんかしてる場合じゃねーよ!?」

必死な声に香月は押し黙る。

「そうだよね、ふたりに任せるわけにはいかないよね」

真澄と香月の間に秋が立つ。

「秋!姉弟で戦うな!」
「姉弟だからこそだよ。俺が止めなくちゃ。これ以上酷いことをする前に。ねぇ、香月。あの薬はある?」
「免疫抑制剤のことだよね?」
「あれを俺が三錠飲むよ。そうしたら結羽と同じ状態になれる」
「危険だ!それはできない」
「大丈夫だよ。俺はみんなを助けたい。真澄と香月じゃ結羽を倒せない。だからお願いします」
「香月、秋を信じよう」

ふたりの視線に香月ははぁとため息をつく。

「腕、出して」
「錠剤じゃないの?」
「液体の方が良く効くんだ。副作用もきついけどね」

薬が秋の体内に入っていく。
う、と苦しげな声が漏れる。


「俺が正気を失ったら、その時は殺してねーー」


雰囲気の変化に大樹と命はぴたりと動きを止めた。
お互い結羽と秋に釘付けになっていた。


「……悲しいですね。なぜあんな風に戦わなければならないのでしょう」
「意外だな。戦いが好きなのかと思ってたよ」
「戦いは嫌いですよ。僕は穏やかに暮らしたい。満さんが必要としてくれたから戦っていただけです」
「じゃあ、もう俺たちが戦う理由はないな」
「そうですね。ふたりを見守りましょう」



結羽と秋の実力は拮抗していた。お互い攻撃を当て、どんどん身体がぼろぼろになっていくのに、勢いは止まらない。


「まずい、ね。これじゃ共倒れだ」
「くそっ!何か手はないのかよ!?」
「たぶん、満さんが動いてくれてる」


真っ直ぐに言い切る命にふたりは息をつく。


『命、薬ができたから取りに来てくれるかい?』
『どんな薬なんですか?』
『ふたりの血の特性を消す薬だ。急遽作った薬だからどこまで効くかはわからない』
『やってみるっきゃねーな』
『それしか方法はなさそうだ』


命は階段をかけあがり、屋上へと行く。そこに降り立ったヘリコプターに近寄り、満から薬を受け取った。


「僕が結羽に隙を作るから、薬を投与してね」
「はい」


頷く命の頭をそっと満は撫でる。


「君には酷いことをしたね。これが終わったら自由にして良いよ」
「……自由」
「君が好きなようにしたらいい」
「なら、満さんといたい」
「うん。一緒にいようか。今度は良いことを教えてあげるね」


満は命を連れ、中に入る。香月にも結羽と同じ薬を手渡した。


3

2

1

0


満は結羽の目の前に飛び出し、ぎゅっと抱き締めた。正気を失った結羽が満を攻撃する。


「君も僕が傷つけたね。ごめんね。ここまで追い詰めてしまって」 


動きが一瞬止まり、つぅと涙が一筋伝う。その隙に命が薬を使い、結羽は大人しくなった。
秋はまだ自我を保っていたので苦労することなく香月が薬を使っていた。

双方が動けなくなり、戦いが終わる。


「終わりました、ね」
「まだまだやることは多いですけどね」
「ふたりは僕と雫と心の三人で治療していくよ」
「えぇ。お願いします」


「……今更だけどさ、香月は本当に香月なの?」

ぎゅっと真澄は香月を抱き締める。

「難しい質問だね。香月は死んだ。けど、本人がクローンを望んだためクローンが作られた。本人と思うか、違う人間と思うかは真澄次第だよ」
「香月は香月だよ。おかえり。もう置いていかないで。俺、雫にいっぱい声をかけたんだ。香月の望みを叶えたくて」
「君は雫を救ってくれた。本当にありがとう」
泣き始める香月に真澄はおろおろとする。


自分たちの居場所に帰ろう。
今日は喜びを分かち合って、明日から後始末をしよう。


「ーー全部終わったよ」
「おかえり、満」
「ただいま、雫」
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