感染~殺人衝動促進ウイルス~

彩歌

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後編

10話 雨宮雫

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泣き崩れる秋を結羽がそっと抱き締めた。


これがMIPVなんだろうか?と結羽は考えを巡らせる。が、冷静な精神状態でいられるわけもなく身体が震えていた。 


「……結羽さん……これはMIPVだと思いますか?」
「……いや、違う。君はMIPVに罹患しないはずだから」 
「じゃあ、一体何が……?」


悩んでも答えは出ない。


「……警察に連絡しなきゃ」


スマホを取り出す秋の手を結羽が掴んで止める。


「……警察に連絡はしない。遺体を連れて逃げるよ。非情だと思うかもしれないし、ただ自分の罪から逃げているだけと思うかもしれない。ただ、ヒントは遺体にあるはずなんだ。だから、警察に遺体を渡すわけにはいかない。その罪は全てを終わらせてから私が償う。だから、今だけは私に従って」


真摯な結羽の瞳に秋は頷き、涙を拭う。
泣いている場合なんかじゃない。


「私の研究所だったらすぐ居場所がわかってしまうね。データだけを取り出して違う場所に行こう」
「どこか行く当てがあるの?」
「あるよ。君も良く知ってる場所だ。おそらく私の読みが当たっていれば彼のところも被害が出ているはず」
「さすがだね、結羽。迎えに来たよ。データもこの通り。君が被害にあったかのように偽装し、研究所も破壊してきた」


そこにすっと現れたのはレイラだった。


「さすがだね、レイラ。そっちの被害は?」
「香月が死んだ。鏡夜と連絡がつかない」
「香月さんが……?」
「こっちは時雨と雨音がやられたよ。MIPVではないね……?」
「違うな。MIPVなら私たちも死んでいるからね」


レイラはショックを受けている秋を優しく抱き締める。


「秋が無事でよかった」


レイラのぬくもりに秋の涙腺がまた緩む。


「香月になついていたからね、秋は。今のうちに泣きなさい。これからは戦いになるだろうから。結羽、佐々羅命ささらみことという人物を知ってるかい?」
「いえ」
「この“悲劇”の首謀者だ。裏では満が糸をひいている。そろそろ覚悟を決めないといけないね」
「……えぇ。できればしたくはなかったんですが」
「そうだね。“彼”とは良き友人でいたかったよ」


訳のわからないという顔をしている秋にレイラが告げる。

「雨宮雫は敵だ。最優先に彼女を殺しに行く」

その言葉にぽろりとまた涙が溢れた。



「あっちの標的はまずあたしだろうね」
「だろうね。僕でもそうするよ」


ふたりで大きなベッドに寝転びながら満と雫は呟いた。


「正直な話、勝算はどれくらい?」
「条件によるかな。一対一なら、秋と真澄には勝てる。結羽は頭脳戦になれば五分五分。レイラには正直勝てない」
「つまり、結羽とレイラの対策をすれば良いわけだね」
「秋と真澄に組まれてもアウトだけどね」


「んじゃ、僕が雫と組んだらどうなる?」
「え、満ってなんか武道みたいのできたっけ?」
「できないけど銃は扱える」
「んー、未知数としか」


雫は苦笑いする。


「今さらだけどさ、どうして香月を殺したの?戦力的には真澄を削るほうが合理的だと思うんだけど」
「雫の心が揺れるのを軽減するためだよ。香月にも秋にも非道になれないだろ?」
「そんなことーー!」
「ないとは言わせないよ。できないから今でも雫の部屋に3人で笑った写真が飾られてるからね。大丈夫。裏切りだなんて思ってないよ。雫は僕からは逃げられないんだから」


部屋の空気が凍てついた。


「……大丈夫。裏切りなんてあり得ないから」
「雫が僕を掴まえて、願いを叶えるといってくれたんだもんね」
「そうだよ。忘れてなんかいないよ」
「僕たちはもう家族だものね」


満は幸せそうに笑う。
雫も笑っていたが、どこか悲しげだった。


「雫。瀬尾大樹はどう動くと思う?」
「鏡夜の仇をとりにくるだろうね」
「そもそも彼は何者なのかな?」


言われてみて、よく知らないことに気づかされる。


「探ってくる」
「気をつけて」


部屋を飛び出していく雫を満は笑顔で送り出す。


「……命。話は聞いてたよね?」
「はい。聞いていました」
「立花秋を殺せ。雫には絶対気づかれるな。気づかれたらお前の命はない」


冷たい言葉に命は静かに頷いた。


「他にご命令は?」
「ないよ」


命はすぐに行動を開始するーー。





「ん。ここだよね。……あれ?誰もいない……?」


気配を真後ろに感じ振り向く。強烈な蹴りが雫を襲う。


「鏡夜を、返せ……っ!」


怒りに満ちた眼光が雫を貫く。


大樹にとって鏡夜が全てだった。
追われて死にかけていた命を助けてくれたのも、なにもわからない自分にいろいろなことを教えてくれたのも、暖かい寝床と食事を与えてくれたのも、優しさをくれたのも、全て鏡夜だった。


鏡夜だったのに。


気がつけば鏡夜は動かなくなっていて。
そうしたのは自分自身で。
名前を呼んでも目を開けてくれなくて。
どうして良いかわからなくて。

そんなとき“敵”の匂いがした。

気がつけばその匂いを辿り、襲いかかっていた。
確か彼女の名は“雨宮雫”。
血の匂いを纏った殺人鬼だ。



「あー、びっくりした。急に何するのさ?あたしはまだ何もしてないよ?」
「お前からはヤツの匂いがする。それに血の匂いも」
「ヤツ……?誰かわかんないけど、あたしは敵扱いってことでオッケー?」


軽口を叩きながらも大樹の攻撃を雫は軽々とかわしていく。


「やられっぱなしもあれだなー。攻撃してくるってことは反撃しても良いってことだよね?」

渾身の雫の蹴りが頭に入り、ぐらりと大樹の身体は傾いて膝をつく。

「あ、動かないほうがいいよ~脳震盪起こしてるから。じっとして。別に危害を加えに来たわけじゃないんだよ?君のこと知らないから調べに来ただけ。君はどっち側の人間なのかな、っと!」


話の途中で撃たれ、雫は後ろに下がる。


「え、と、だいじょーぶ?俺は鏡夜の仲間の青空真澄。鏡夜の様子を見に来たのと、あんたを保護しに来た」


ちょっとごめんなと抱き上げて壁際に大樹をもたれさせる。


「あんたが雨宮雫?」
「そうだよ。それがどうかした?」
「あんたが秋を育てて、香月と親友だったんだよな?」
「……そう胸を張って言えたらいいんだけど、あたしは二人を裏切ったからね」
「香月が言ったんだよ。親友を、あんたを助けてくれって。今のあんたは幸せなのか?助けてって香月が言ったんだから、幸せじゃないんじゃないのか?」


まっすぐな言葉と視線から雫は目をそらす。
自分すら知らない本音を、本心を暴かれそうで怖い。


「逃げんな、雫。俺の目を見ろ。目を見て話せ。俺は香月の望みを叶える。誰を敵に回しても、何を敵に回しても。俺はあいつの相棒だから」

「……近寄るなっ!」

怯えたように雫が真澄から距離を取る。

「いーよ。今日は大樹を連れて帰るから。またな?雫」

にっと笑い、真澄は大樹に近寄っていく。
その隙に雫は外へと飛び出した。身体がかすかに震えている。


「……どう……し…て……?」


裏切ったのに香月は自分を心配してくれるのだろう。
酷いことをしたのに……。



「……うわぁぁぁっ…!」


夜に雫の泣き声が響いていた。


ーー人を滅ぼし、


ふたりきりになった世界で、


それでも生きることがつまらなかったら、


一緒に死のう。


約束だよ、満ーー。




「雫はすごいね」


満面の笑みで香月と秋が雫の手元を覗き込む。


「あたしはすごくないよ。二人の協力があってこそだよ」
「俺なんかなにしてるかさっぱりわからないし」
「僕はわかるにはギリギリわかるけど、着眼点が違ってて想像つかないよ」
「二人とも褒めても何も出ないからね~?」


雫の才能は輝いていた。


「……今日も満さんは部屋から出てきませんか?」
「俺たちやっぱり邪魔なんでしょうか?」
「そんなことないよ。満はもともとあんな感じだし。人間嫌いなんだ。あたしだけはなぜか大丈夫なんだけどね」


先に住んでいた満と仲良くしようと香月と秋はしていたが、満の頑なな拒絶により二人の心は折れていた。


「満もいろいろあったからね。関わりたいと思ったらきっと話してくれるから待っててあげて」


雫の言葉に香月と秋はほっとしたように笑った。


「朝ごはん持っていってくるね。昨日から何か研究してたみたいだから、ひょっとしたらそのまま手伝ってくるかも」
「こっちは雫の言ってた仮説の検証をしてみるよ」
「俺も手伝う!」
「秋は宿題をしなさい。わからないところは聞いてくれたら教えるから」
「用があったら遠慮しないで呼んでくれたらいいからね?」


平和な日常が続いていく。


「おはよ、満。朝ごはんの時間だよ」
「ん。んー……、ちょっと待って。今良いとこだから」
「うん。待ってる」


とんと考えている満に身体を預ける。


「雫。どうしたの?」
「ん。ちょっと、ね」
「疲れたの?」
「そんな感じ」
「手、抜けばいいんじゃない?頑張りすぎだと思うけど」
「頑張ってないと潰されそうになるんだよ」
「頑張っても潰されそうになってるのに?」


何も言えなくなって、身体の震えが伝わってくる。


「孤独だね、僕も雫も」


満は振り返って、いつの間にか泣いていた雫をそっと抱き締めた。


「何があったか教えてくれる?」
「……香月が……あたしのことを、助けてって……言ってた……あたしは心配される、資格なんか…ないのに……」
「まるで僕が悪人みたいだね。こんなにも僕は雫のことを大切にしてるのに」


優しく満は雫の涙を拭っていく。


「……雫。誰が僕のかわいい雫を泣かせたの?」

甘い声に雫は身を委ね、ぽつりと彼の名を告げた。





雫。
君はとても涙に似ている。
泣いた顔も笑った顔もそっくりだ。
だから、守れなかった約束を守りたい。
ねぇ、雫。僕は雫のことが好きだよ。
だから。
君の涙をとめてあげるーー。



「おかえり、真澄。彼を無事に保護できたみたいだね。危険なところにひとりで行かせてすまない」
「久しぶり、レイラ。俺はだいじょーぶだよ。身体、動かしてるほうが気が楽だから」

真澄の目は腫れていた。無理もない。相方を失って彼は泣いていることが多い。彼はとても相棒を頼りにし、大切にしていた。


「……レイラ」
「どうしましたか?」
「俺、今からたぶん最低なこと言う」
「良いですよ。ちゃんと聞きますから」
「こっち側は雫を殺すんだろ?俺は雫を殺さない」
「理由をお聞きしても?」
「香月が雫を助けてくれって言ったから。俺は香月の望みを叶えたい。だから、レイラとは一緒にいられないし、邪魔もすると思う。俺はレイラを裏切るよ。それが相棒の香月に唯一してあげられることだから」


真っ直ぐな瞳がレイラを見つめる。
レイラはふと笑って、真澄の髪をくしゃりと撫でた。


「わざわざ言わなくてもよかったんですよ?」
「ううん。ちゃんと言うよ。俺はレイラのこと好きだし尊敬もしてる。だからこそ、ちゃんと言いたかった」


じゃあと真澄はレイラに背を向ける。


「レイラ、今までありがと。ばいばい」


去っていく背中をレイラは寂しげに見つめていた。

「あなたまで死なないでくださいね、真澄」





すうすうと雫はよく眠っている。
お茶に混ぜた睡眠薬が良く効いているようだ。これなら朝まで起きないだろう。


満はベッドから抜け出すとさらりと雫の髪を撫でた。


「命、いる?」
「いますよ」
「僕は少し出掛けてくるから、雫を守ってて」
「了解しました」


命は雫のベッドの側に座り込む。


「君を泣かせる者は全て僕が排除掃除してくるよ」


優しく微笑んで満は部屋を後にする。



「おや?珍しいお客さんですね」
「久しぶりとでも言っておこうか?」
「いや、必要ないよ。で、何の用事かな?」
「かわいい部下のためにちょっと頑張ろうかなと思ってね」
「僕はそのかわいい部下に用事があるんだけど」
「行かせはしませんよ」


レイラはスッとナイフを構える。


「……僕はあんまり接近戦得意じゃないんだけどなぁ」


満は銃を構える。


「私はね、秋も真澄も悲しませたくないんです。彼らはもう十分すぎるくらい傷つきました」
「僕を殺せば雫を殺さずに済むからね」
「そういうわけです。だからあなたには死んでもらいますよ」


ナイフが満へと振り下ろされる。





「できた!これで臨床試験をクリアすれば終わりだね」


雫の言葉に香月と秋は目を輝かせる。
これが完成すれば今ある抗生物質を越える薬を作ることが可能となる。


「じゃあ、いくよ」


雫は出来上がった薬を自分に投与する。


「……どうですか?」
「ん、特に何ともないかも……?」


そう言った瞬間、手にぬるりとした感触がし、傍にいた秋と香月がぱたりと倒れる。


「え……?」


戸惑いの声が漏れる。


「ちょっと我慢してね」


チクリと首に痛みが走り、ぐらりと身体は傾く。


視界に映ったのは血塗れの香月と秋を介抱する満の姿だった。


「ーーっ!」


はぁはぁと荒い息で飛び起きる。繰り返し見る悪夢だ。ただの夢じゃない。これは過去の出来事でもある。手が血で汚れているような気がして、手を洗おうと起き上がろうとするがうまく力が入らずがくりと崩れ落ちる。


怪我をしないようにとそっと抱き止められ、雫はパチパチと瞬きをする。


「えっと、君は誰?」

若干呂律が回っていない。
そういえばいつの間に眠ったんだっけ?

「佐々羅命」

短い返事が返ってきて、雫も名前を告げる。


「危ないから、寝てて」
「危ない?」
「睡眠薬が残ってる」
「睡眠薬?なんで?」
「理由は知らないけど使ってたから」


誰がとは聞く必要はないだろう。

何か考えがあるんだろうと半ば無理矢理自分を納得させて、雫は命の言うとおりに動くのをやめた。満がここにいることを許していることを考えれば命は敵ではないし、自分に危害を加えることもないと判断できる。


「手を洗いたいんだ。気持ち悪くて」
「手は汚れてないけど?」
「汚れているんだ。ただ見えないだけで」
「よくわからないけど、手を拭くものを持ってくる」


去っていく背中に声をかける。君はなぜここにいるのか、と。


「満があなたを守れと言ったから」


感情の乏しい声がそう告げた。




「銃は間合いにさえ入ってしまえば怖くないんですよ」
「だからといって、実践する人はあまりいないと思うけど」

振り回されるナイフをかわしながら、満は反撃のチャンスを伺っていた。当然ではあるが、そんな隙は見当たらない。相手が悪すぎる。近接の戦闘を得意とする雫でさえ、レイラと戦うのは厳しいと言っていたのだ。彼女は間違いなく強い。


ーーキン。


甲高い音を立ててナイフの刃が折れる。
受け止めつつ、満はナイフを少しずつ歪めていた。


「刃のないナイフは無意味だよね」


ざっと後ろに下がり距離を取り、引き金を引く。が、その弾は投げ捨てられたナイフに命中した。
続けざまにトリガーを引くが弾道を読まれているのかいとも容易く避けられてしまう。


「強者の攻撃ほど読みやすいものはありません。無駄が削ぎ落とされ、効率化された動きになる。故に読みやすい」
「確かにそうだね。お互いにお互いの攻撃が筒抜けだ」
    

満はそう言うと銃を手放す。


「相手の裏をかかなくてはね」


そう言うと満はメスを取り出して勢いよく自分の手を切りつけた。





「ーー見るな!雫!」


よろよろと近づこうとする雫を満が後ろから捕まえ、その目を塞ぐ。


「今、興奮してるでしょ?ゆっくり息をして」


襲い来る衝動にかられるように雫は暴れる。


ーー殺せコロセ。


声がする。
香月と秋はまだ死んでいない。

殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃーー。


「放せーー!」


満を振り切り床に落ちたナイフを手にし振り上げる。
しかし、振り下ろそうとされた刃は満に捕まれ血に濡れていく。


「手を放して。ゆっくり息をして」


満が雫を静めていく。ようやく首に打った薬が効いたのか、雫の呼吸は少しずつ落ち着いていく。


預けられた身体が震え出す。


「少し、おやすみ。雫」


薬が追加で打たれ、雫はぐったりと意識を失う。


雫の瞳からは涙が溢れていた。

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