感染~殺人衝動促進ウイルス~

彩歌

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6話 かつての仲間

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言葉は刃物などよりもいとも容易く人を傷つけることができる。
傷も見えなくて、どれだけ傷つけられたかも分からない。


雫の心はぼろぼろで傷だらけだった。
“天才”と呼ばれるのを望んだことは一度もなかったし、そう呼ばれることに興味もなかった。でも、世間は雫を天才と呼び期待し、勝手に失望して詐欺師扱いをし、雫を追い詰めた。


大切な人母親を失い、今度は大切な人を助けられるようにと選んだ道だった。努力の成果ももちろんあったけれど、幸いにも才能にも恵まれ雫は医学の道を歩いていた。日本は勉強するのは窮屈で、雫は海外へと飛び出した。幸か不幸かお金は母親が残していてくれたため、お金に苦労することはなかった。



「雫さん!今日はもう講義終わりですか?」


同じ道を目指す日本人の少年と出会った。雫も若かったが彼は更に若かった。雫のほうが先輩だったが、年の差を気にすることなくふたりは一緒にいることが多かった。


「やっぱり大学は難しいですか?」
「簡単ではないけど、香月の成績なら大丈夫だよ」

高校生と大学生。ふたりともレベルの高い学校に通っている。


「あたしは自分で選んだ道だけど、香月は大変じゃない?親の後継ぎとか。他にしたいことあったんじゃない?」
「医者以外は考えたことなかったですね。あ、でも医者になるとは決めてはいないんですよ?」
「医学部に行くのに?」
「医学を活かせる仕事に就きたいって思ってるんです。医者以外にも命を救う仕事もあると思うから。こっちに来る前に父に話をして、好きなようにしなさいって許可も貰いましたし」


良い年なのに頭を撫でられて気恥ずかしかったですと香月は笑った。


「雫さんも医者になるんではないんでしょう?医学部を卒業したら薬学を学ぶと言ってましたし」
「うん。何になるのかはまだ決めてないんだ。ただ人を助ける仕事をしたいなって思ってる」
「薬学も興味深いですね。雫さんに弟子入りしようかな」
「いいよ~あたしでいいならなんでも教えちゃう!」


笑顔でふたりは同じ時を過ごしていく。


やがて時は経ちーー。



「んじゃ、あたしは先に日本に帰るね」
「先に雫さんが帰るとは思わなかったな」
「あたしには医学より薬学が向いていたみたいだね」

笑顔で雫が手を振る。

「香月のこと待ってるよ。寂しいから早く帰ってきてね。そうしたら一緒に勉強して、研究をしよう」
「すぐ帰りますから待っててくださいね」


別れを惜しむようにハグをし、約束と小指を絡める。


「こっちに名前が届くくらい頑張ってくださいね!」
「ばーか。そんな簡単に無理だってば。ま、努力はするけどさ」



ーー多くの人間を助けよう。病気なんて怖くないって言える世界にしよう。



同じ道標の元、二人は別の道を歩きだす。



ふと目にしたニュースが雫の名前を告げている。


「ほら、こっちまで届いたじゃないですか」


優しい笑顔で香月はふわりと笑った。

それは“天才”雨宮雫が生まれた瞬間だった。

「本当にこっちにまで雫さんの名前が届くとは思ってなかったです」
「あはは!あたしもだよ。人生って何が起こるかわからないよね~」


二人はこんな感じに離れてからも連絡を取っていた。


「なんだか遠くのひとになっちゃったみたいで寂しいな」
「あたしはあたしだよ。周りが騒いでるだけで、あたしは変わってない。それにさ、香月もこっち側じゃん?あたしの弟子なんだからさ」


変わらない雫にホッとして香月は電話越しにくすくすと笑う。


「なんで笑うのさ?」
「変わってなくてよかったな、って。偉そうになってたら嫌いになってたかもしれないです」
「えー。香月に嫌われるのは嫌だなぁ」
「僕だって雫さんのこと嫌いになりたくはないですよ?」
「あたしは変わらないと思うよ?目指すものがあって、一緒に頑張れる大切な友人がいる」
「雫さん、生真面目ですもんね」
「んー、それは香月にだけは言われたくない」


他愛ないことを話す時間が幸せだったと気づくのは失ってから。
このときは二人が道を違えるとは誰も思いはしなかった。


「今更って言えば今更なんだけどさ、“さん”付けやめない?あと、微妙に混ざる敬語も。なんか距離があるみたいで寂しいじゃん」
「……拗ねてるんですか?」
「拗ねてないし、今、敬語使った!」


かわいらしい雫にふふと香月が笑う。


「敬語は癖だから多少は許して?」
「名前は呼び捨てにして?」
「わかった、雫」
「ありがと、香月」


ガヤガヤと雫の後ろが騒がしくなる。


「あ、見つかった。撒いたと思ってたのに」
「逃げてたの?」
「逃げてたの。香月と電話したくて」
「怒られるよ?」
「怒られても、こういう時間が欲しかったんだよ」
「相変わらず寂しがり屋なんだから」
「うん。だから、早くこっちに来てね」
「来月には卒業だから、卒業したらすぐ行くね」
「待ってる」


じゃあと電話が切られ、ふうと香月はため息をついた。


「忙しいのに電話してくれてありがと」


優しい声が響いていた。


それから、雫は多忙のようで卒業まで
電話をすることはなかった。
日本に帰る日と飛行機の便を知らせるメールを送り、ワクワクしながらその日を待った。



雫のことだからきっと迎えに来てくれるだろうと思うと自然と笑みが零れた。



「ーー香月っ!」


がばっと抱きつく雫の背中に腕を回す。


「久しぶり」
「待ってたよ」


まぶしい笑顔が出迎えてくれた。


少し離れたところにぽつんと赤い髪の少年が立っている。じっと雫のことを無表情で見つめている。



「秋。おいで」


雫が手招きをするとその少年はびくりと身体を震わせる。


「怖くないから、おいで?」


そろそろと近づいてきた秋と呼ばれた少年は酷く痩せていた。


「香月。この子は立花秋。あたしたちの研究の要になる子だよ。前にいたところで酷い扱いを受けていたから警戒心が強いんだ。……秋。この人は渡香月。あたしの親友だよ。これから一緒に過ごすから仲良くするんだよ」


よろしくねと香月が差し出した手を秋が叩き落とす。


「ごめん、香月」
「大丈夫だよ……怖がらせてごめんね、秋くん」


今度はしゃがんでよろしくねと挨拶だけをする。戸惑いながらもこくんと秋は頷き、雫と香月は笑っていた。


これが秋との出会いだった。


数ヶ所連絡が取れなかったのは秋を引き取っていたからだと雫は告げた。
到着した雫の研究所は研究所というより、保育園のようにオモチャが広がっていた。


当時雫20歳、香月16歳、秋13歳。


「えーと…雫って子ども好きだっけ?」
「やっぱりそこ聞くよね。どちらかと言えば好きな方だけど、別に養子が欲しかったわけじゃないから安心して?」


その一言にひとまず香月はホッと息をついた。


「身も蓋もない言い方にはなるけどさ、お金があれば割となんでもできるよね?」
「まー、否定しきれないね」
「秋を買ったんだよ。他の研究所から」
「……一応聞くけどいくら使ったの?」
「え、全財産」


やっぱりという風に香月は頭を抱えた。雫はお金に関して割とルーズで、良いと思ったものは後先考えずに金額を気にせずに買う悪癖がある。


「今、ちゃんと生活できてるの?お金あるの?」
「さすがにやばいなって思ったから株をやってみたんだよ。そしたら、前より増えた」
「株の才能もあったんだね……この子にはそれだけの価値があるの?」
「秋って呼んであげて。物扱いは秋が嫌がるからね」


ぴったりとくっつく秋の頭を撫でながら雫が笑う。秋もほんの少しだけ嬉しそうに雫に身を任せている。


「秋はね、特殊な血液を持っているんだよ。最初は研究所からあたしに対して協力の要請があったんだ。で、興味を持ったあたしはそれを受けて研究所を訪れた。予想はしてたんだけどさ、酷い環境で人体実験が当たり前のように行われていたよ。さすがに目を背けてしまったよ」
「人体実験って時点でまともな研究所ではないね。それさえ承知で行くほど、秋の血液が魅力的だったんだね?」
「人間はそれぞれ固有のウイルスを持ってるでしょ?秋のは特別製で、どんなウイルス相手でも抗体を作ることのできるウイルスを持ってるんだ」


「ーー本当に!?」


「本当に」


驚く香月に雫は頷く。


「それだけの価値はありますね」
「でしょ?でもね、環境は劣悪だし、研究員の態度が気に入らなかった。人間を人間扱いしないのはやっぱり見ていて辛くてさ、自分で研究したくて秋を買い取る交渉をしたんだよ」
「で、足元みられて全財産とられたわけですね」
「そういうこと。けどね、実はまだ何の研究もできていないんだよ。秋は劣悪な環境にいたから今よりもっと痩せていたし、警戒心が強くて近づくこともできなかったんだ。あたしは確かに秋を買ったけど、道具扱いしたくもなかったから、秋を人間に戻すところから始めたんだ」


ぐいと香月は雫の手を掴み、袖を捲った。服の下にはおびただしい数の噛み傷ができていた。
腕以外もおそらく酷いのだろうと予想できる。


「ようやく普通にご飯を食べてくれるようになって、秋に触れても大丈夫なようになったところだよ」


どれだけ酷い扱いをされていたのだろう。
雫の傷を見て、香月はバカと小さく呟いた。



ーーそうだなぁ。“秋”がいいかな。君の髪は秋の紅葉みたいに綺麗な色だからね。


初めて少年に与えられたのは“名前”だった。


「あき?」
「そう。“秋”だよ。君の名前。番号で呼ぶのはおかしいでしょ?」


きょとんと見上げる顔に触れようとそっと手を伸ばすが、びくりと秋の身体が震え伸ばした手に噛みついた。
そっと優しく頬を撫で、抱き締めてやる。


「怖いなら噛んでていいよ。ずっと辛かったね。もう大丈夫だからね、秋」


背中をさすってやると力は抜けていき、身体を雫に預けてくる。


「ん。良い子だね。あたしは怖くないから安心していいよ」


ぐぅと秋の腹が鳴る。ガリガリに痩せているところをみると秋はきっとまともな食事を与えられていない。


「胃腸が弱ってるかもしれないからお粥にでもしようかな」


ひとりにさせておくのも不安だから、秋を連れてキッチンに向かう。


「秋、嫌いな食べ物はある?」
「食べ物?」
「ごはん。食べられないものはある?」
「たべたらくるしくならない?」
「へ?」
「からだ、へんになったりしない?」
「……ならないよ。ご飯は美味しいし、楽しいものだよ」


食事に薬か毒を混ぜられていたのだろうか。
秋の食事に対する反応に雫は驚いていた。


結局消化の良いようにお粥と卵焼きとほうれん草のおひたしを作った。一口食べて見せてから、どうぞと秋に差し出せば秋はものすごい勢いで食べていた。


「あたしのも食べていいよ」


良い食べっぷりに雫は笑い、自分の皿を差し出してやる。それもきれいに秋は完食していた。


風呂に入れるのも一苦労だった。風呂を怖がり暴れていた。徐々に慣らすことに決めて、最初はタオルで拭くだけにした。
身体に触られるのも怖がって噛まれたり、引っかかれたり、蹴られたり、泣き出してしまったりした。

言葉も話せるには話せるが、あまり考えることができないようで会話にも苦労した。

少しずつ。
少しずつ。
ゆっくりと秋にあわせて時間を過ごしていく。
気がつけば香月の卒業が近づいていて、雫は最初よりはだいぶ良くなった秋を連れて香月を迎えに行った。



「雫ー。秋、僕が作ったご飯食べてくれないんだけどどうしたらいい?」
「一口、目の前で食べてからあげてみて」
「あ、食べた」
「で、食べたら頭撫でて誉めてあげて」
「痛っ!」
伸ばした手を噛まれたのか香月が悲鳴をあげる。

「しずく!」

パタパタと秋は雫に近づいてきてぎゅうとしがみついた。


「秋、どうして香月に噛みついたの?」
「こわかったから」
「香月が何か秋にしようとした?」
「わかんない」
「わかんないじゃなくて考えてごらん?頑張ってご飯を食べた秋を誉めようとしてくれたんじゃないかな?」

責めるのではなく、諭すように雫は秋に話かける。

「秋。手を噛まれたらどう思う?」
「いたい」
「うん。痛いよね。だからね、香月にごめんなさいをしておいで?秋も痛いのは嫌でしょう?」


素直に頷いて香月にごめんなさいと謝る秋を見て雫がふわりと笑う。


「香月。消毒してあげるから手、貸して」

(あと、この薬飲んどいて)

秋に気づかれないようにそっと薬が渡される。

「リスク回避のために、ね」



「なかなか進展は難しいね」
「ギブアップする?」
「まさか。僕は雫に協力するって決めてるから」
「いきなり子育てでごめんね?」
「大丈夫。秋が良い子なのは見ててわかるから」


それに雫が自由なのは昔からだしと笑った。

「秋は賢いなぁ」

勉強を見ていた香月がよしよしと頭を撫でる。事実、秋の知能は思ったより高くあっという間に同世代に追いついていた。


「お話するのもかなりうまくなったね」
「うん!雫と香月のおかげだよ」
「人とのつきあい方もかなり良くなった」


嬉しそうに秋は雫と香月の間に座っている。
暴れたり、噛みついたりすることはもうなくなっていた。
なにかを訴えるためには言を使うことを学んだからだ。

3人でいろいろは場所に出掛けたりもした。遊園地や映画、カラオケ、ボーリングなどの娯楽をはじめ、スーパーやコンビニなど日常的に出かける場所にも行った。
最初こそ人混みにパニックを起こしてはいたが、それも回数を重ねるにつれ大丈夫になっていった。
ある程度の社会性も身に付き、秋は順調だった。


「ねぇ、秋。学校に行ってみない?嫌なら強制はしないよ」
「学校って、テレビとかに出てくるあの学校?」
「そうだよ。秋と同じ年の子たちが一緒に勉強しているんだよ」
「行ってみたい!」


秋はキラキラと目を輝かせる。


「んじゃ、新学期にあわせて手続きをするよ」
「社会性を学ぶには学校は良いね」
「友達もできるだろうし」
「僕たちだけじゃなくたくさんの人と関わるのは良いことだ」


「友達、できるかな?」
「秋ならできるよ」
「そういえば秋の苗字って何?」
「“立花”だよ。前いた研究所の名前が立花だったから、秋が来たときに立花にしておいた」
「“雨宮”にしとけばよかったのに」
「や、なんか照れくさくて」
「まぁ、わからなくもないけど」


「んー、結婚もしてないのに子どもができた感じがする」
「そういうのもいいんじゃない?」
「え、香月は結婚願望ないの?」
「まだないかな」
「あたしはあるなぁ」


クスクスと笑いあう二人に秋は不思議そうに首を傾ける。


「秋にはまだ早いかな」
「そうだね。もうちょっと大人になってからだね」


そして、春。


席が隣となった秋と雨音が出会うことになるーー。


学校にはびっくりするくらい多くの人間がいた。
雫と香月と一緒にいられないのは寂しかったけど、見るもの全てが新しくてキラキラと輝いて見えた。


「あなたが立花秋さんですか?」


少し緊張混じりの声がかけられる。
ちょっとドキドキしながら振り向くと綺麗な顔立ちをした少女と目が合った。黒というよりは紺に近い色の髪。真面目そうで、少しだけ近づき難くて、でも優しい瞳をしていて。
不思議と視線が吸い寄せられていた。


「そうです。あなたは?」

「椿雨音です。あなたの隣の席なんですよ。新学期から立花さんが転入し、外国育ちでよくわからないだろうからいろいろ教えてあげてと先生に頼まれたんです」

「ありがとうございます。そうなんですね。よろしくお願いします」
「いえ」

秋が満面の笑みを向けると照れたように雨音も笑った。

雫さんの配慮に秋は心の中でありがとうございますと告げた。余談にはなるが、雫も香月も外国暮らしが長かったので英語も教えてくれていた。


「立花さんは日本語はどれくらいできますか?英語の方がわかりやすいのであれば、英語で話しますが」
「大丈夫です。ちゃんと日本語で話せるし、読むのも書くのもできます」
「それならよかったです」
「一つ聞いてもいいですか?」
「はい。どうぞ」
「家族に年上には敬語を使いなさいと教わりましたが、同級生にも敬語のほうがいいですか?」
「いえ。敬語じゃなくても大丈夫です。ただ立花さんと私は初対面だから敬語を使っただけですよ」
「じゃあ、敬語なしで話がしたいです。椿くんと仲良くしたい」
「日本に友達は?」
「いないんです」
「では、私があなたの初めての友達ですね?」


優しく笑う雨音に秋は嬉しそうに頷いた。


「私はつい敬語で話す癖があるので気にしないでください。あと、気軽に雨音って呼んでください」
「嬉しいけど、そんなにすぐ俺のこと信用していいの?」
「あなたが悪い人じゃないのはすぐわかりますよ。嘘をつけないタイプでしょう?これでも人を見る目はあるんですよ」


雨音はそう笑う。
本当はその紅葉のような髪と瞳に目を奪われたのだけれど、それは秘密にしておこう。


根拠はないけれど予感がした。
きっとこの人とは長い付き合いになるだろう、と。




「雨音、雨音っ!数学のテスト何点だった?」
「100点でしたよ。秋は?」
「98点。雨音に勝てたかと思ったのにー」
「そう簡単には抜かせませんよ?」
「雨音のいじわるー」


頬を膨らませる仕草が可愛らしい。

素直で愛され気質の秋はすぐにクラスに馴染んでいた。だからそちらの輪にいくのかと思っていた。けれど休み時間に来るのはいつも雨音のところで、いつの間にかふたりはとても仲良くなっていた。



「秋、学校はどう?」
「すごく楽しいよ。友達もいっぱいできた」
「それはよかった。秋は人に好かれるタイプだよね」
「すごく仲良しの子もできたんだよ」
「へぇ。どんな子?」
「頭が良くてね、冷たいように見えるけど優しいんだ」
「あ、テストの点数勝負した子?」
「うん。全然勝てなかった」
「そりゃすごいね。秋が勝てないって」


学校の話をしながら夕食を食べる。


「ね、秋。今から真面目な話をしてもいいかな?」


急に真面目な声で話す雫に、秋は頷く。


「研究に協力をお願いしてもいいかな?」
「もちろん、いいよ。そのために俺は買われたんだもん」


秋の言葉に雫と香月が頭を軽く叩く。


「嫌なら断っていい。始まりはそうだったから否定はしないし。断ったからといって君をないがしろにするつもりはない」
「秋をそういう目でしか見てないなら、もうとっくに実験をしてるよ。家族だと思ってたのは僕たちだけなのかな?」


「……俺も家族だと思ってる。だから協力、したい」


ぽろぽろと泣き出した秋をふたりが抱き締める。


ありがとうと雫が笑いながら秋の涙を拭った。



「秋にとって雫さんは恩人であり、親でもあるわけなんですね」
「どうして今はこんなに敵対しているんだ?」
「どうして、なのかな。俺にもよくわからないや」

秋は寂しそうに笑う。

「……誰も悪くないんだ。雫さんも、香月さんも悪くないんだよ。今でもあのふたりはお互いをなんだかんだで思いあっている。簡単になくなってしまうような絆じゃない」


結羽が作戦の準備をする間に秋は雨音と時雨に自分の過去を話していた。


「おまたせ。準備ができたよ。そうは言っても時雨と雨音は留守番だけどね」


ひとつ宿題を残していくよと結羽が口を開く。


「雨音、真実を教えてあげる。遥人はMIPVに感染していた。人を殺してしまう前にーー」
「ーーやめろっ!!」


細い結羽の腕を時雨が掴む。結羽が何を言おうとしているかを察した時雨が声を荒げる。


「やめない。遥人のためを思うなら話す方が良い。遥人は嘘が嫌いだ。親友に全部背負わすのも嫌がる」


時雨を結羽は振りほどく。
瞳に涙が溜まっていく。


「人を殺す前に死を望んだ。親友時雨に殺してくれと頼んだよ。もちろん時雨は拒絶した。だから遥人は時雨を殺そうとして、反撃を誘ったんだ。“殺人”じゃなく“正当防衛”となるように。雨音、薄々と気づいてはいただろう?時雨の首には絞められた痕が残っていたのだからね。時雨は遥人が人を殺そうとしたことを隠したくて、雨音を憎しみでもいいから理由を作った。君たち兄妹を守るために。時雨が“感染者”だったことは知らなかっただろうけど」


目を見開く雨音に、時雨は涙を流す。



「どう向き合うかは君たち自身だよ。ただ私は遥人の願いを知ってもらいたかったんだ」


さぁ、行こうと結羽は秋を連れていく。



「知らないほうが幸せなこともあると思う」


責めるような秋の視線に結羽は肩を竦める。


「……手紙が届いたんだよ。“殺人”になっているのなら、真実を明かして時雨を守ってくれって、ね。時雨はきっと自分を庇うだろうからとね」


秋の瞳が揺れる。


「さ、満を拐いにいこうか。私の予想が正しければ彼は今ひとりでいるはずだ」





はぁはぁと息があがっていた。


恐らくレイラと雫の実力はほぼ互角だ。
なら、今日香月と真澄と戦っていた雫の方が不利だ。応急処置をしたとはいえ、香月に使われた薬も残っているし、それに対して自分で使った薬の副作用もある。


まずい。
作戦を考えろ。
自分がやられたら誰も満を守れない。
守れないのは嫌だ。
仲間を失うのは嫌だ。
だから。
必死で考えろ。


カランと雫は武器を手放した。


驚くレイラとの距離をぐっと詰め、足技を中心に攻めていく。

足は威力の高い攻撃ができる。雫はレイラよりも小柄だから、背の高い彼女よりも素早い攻撃が可能だ。


「あなたはなぜそんなに強いのですか?」
「なにがあっても大切な人を守るために強くなったんだ」


カランとふたりからではない音がし、周囲がガスに包まれる。ガスを吸わないようにしたが、弱っている雫は防ぎきれずパタリと倒れる。
レイラはうまく回避し、外へ出て、侵入者へと視線を向けた。


「はじめまして。私は神代結羽」
「秋じゃないか!どうしてそっちにいるんだい?」
「香月さんを裏切りました。雨音を殺そうとしたんです」


秋が意識を失った雫を抱き上げる。


「レイラさん。取引です。俺の血をばらまかれたくなかったらここは退いてください」
「ひとつこちらの条件を飲むなら良いだろう。いや、ふたつか」

取引というより、脅しに近い言葉を秋はレイラに向ける。


「条件とは?」
「まずMIPVの抗体を満から奪うこと。あと、香月を止めるからそっちが落ち着いたら私の元に帰ってくること。秋も大切な仲間だからね」


ふわりと笑うレイラに秋はしっかりと頷いた。


「満は部屋に鍵で閉じ込められている。彼女を貸しなさい。悪くはしないから、私に任せて。ふたりは隠れていなさい」


秋はちらりと結羽を見る。結羽が頷くのを見て、姿を隠す。


レイラは秋から雫を受けとると鍵を取り出す。



「ーー雫っ!ここから出せ…っ!」



満が叩いていたドアをレイラが開ける。



「MIPVの抗体を渡せ。断るとどうなるかはわかるな?」

意識のない雫の首にはナイフがあてられている。



「……卑怯者が」
「なんとでも言えばいいさ」



満はレイラを睨み付けながら抗体を渡す。


雫をその場に降ろし、駆け寄ってきた満に攻撃を加え昏倒させる。


「もういいよ。出ておいで」


レイラの言葉に結羽と秋は姿を現す。


「抗体はもらっていくよ。あとは好きにしたらいい。個人的にはこのふたりを引き離すのをオススメするけれどね」
「……雫さんを連れて帰ろうか、秋」
「それがいいかもしれないね」


ふわりとレイラは秋の頭を撫で、去っていく。


秋と結羽も雫を連れこの場を後にした。


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