感染~殺人衝動促進ウイルス~

彩歌

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前編

2話 平凡な日々

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ーー2年前。


「時雨も時雨らしい道を選んだよな!」
「それを言うなら遥人もだろ?」


時雨の就職祝いということで、時雨は遥人の家に遊びに来ていた。と言っても、特に理由なく普段からよく遊びに来ているからいつものことと言えばいつものことだった。
遥人と時雨は幼馴染で親友だった。年の差はあったが、対等に関係を築き上げていた。遥人の妹の雨音もよく時雨になついており、兄妹のいない時雨は雨音を実の妹のように可愛がっていた。


「雨音は?」
「ん、ちょっと学校であってな。ニュース見たか?」
「あー、あれか。苛めを苦に自殺ってやつか。そういや雨音、あの高校だっけ」
「クラスメイトだったんだと。で、落ち込んでる」
「そりゃまたなんで?」
「苛めの原因を作ったのが自分なんだと言ってるんだ。死んだ奴に告白されたらしいんだ。あいつモテるからさ、そいつが抜け駆けしたって相手の子が苛めを受けるようになったわけ」
「あー、それはしんどいな。女が絡むと大変だもんな」
「お前のせいじゃないって言ったんだけどさ、モテない俺じゃイマイチ説得力なくて」
「俺もモテないけどな?ちょっと顔みてくるよ」
「悪いな。お祝いしようって呼んだのに」
「いいよ。雨音は妹みたいなもんだから」


勝手知ったる他人の家。時雨は雨音の部屋をノックする。が、返答はなくシンとしている。ドア越しにもたれかかり、ふーと息を吐いた。


「遥人が心配してるぞ。俺も、だけどな。顔を見られるのが嫌ならこのまま吐き出しちまえ。抱えたままはしんどいぞ?」
「……話は……兄さんから、聞いたでしょう……?」
「聞いたけど、雨音の口からは聞いてないよ」

涙混じりの声に時雨は優しくそうだなと答える。

「……担任も知ってたのか?」
「……見て見ぬふりでした。私も、です……」
「雨音は手出しできないだろ?手を出したら状況悪化させてしまうからな。お前は見捨てたんじゃないよ。守ってたんじゃないか」


息を飲む気配がし、ドアの向こうから嗚咽が聞こえてくる。

ドアをガチャリと開け、泣く雨音の涙を拭ってやる。


「……悔しかったな。辛かったな」


ぎゅっとしがみついてくる雨音の頭をそっと撫でてやる。


「俺さ、教師になるんだよ。熱血って柄じゃないけどさ、生徒の味方になれる人間でいたいと思うんだ。不安定な年頃の奴らの味方になりたいと思うんだよ」
「ぴったりだと思います。優しい時雨兄さんに」
「……そ、か。ありがとな」


照れる時雨にふわりと優しく雨音は泣き笑いをする。


「失った命はもう戻らない。ここから何を学ぶかだ。落ち込んでても何も得られない。好きだって言ってくれたんだろ?なら、笑って見送ってやろう?きっとそのほうが喜ぶ」


時雨の言葉に雨音は大きく頷いた。


「これじゃどっちが兄貴かわかんねーな」
「お前が頼んだんだろうが」
「そりゃそうだけどさ、なんか悔しい」


不機嫌そうな遥人の頭をぐしゃぐしゃと時雨が撫でる。


「ふたりとも弟妹きょうだいで親友だ。俺はそう思うよ」
「なんだよ、いきなり!」
「遥人がなんだか泣きそうに見えたから」
「弟扱いするなよ」
「えー、俺のほうがお兄さんだからなー。お前も辛いときは甘えろよ?二人くらいなら支えてやるから」


時雨の笑顔に椿兄妹が抱きついた。


本当に、本当に幸せな時間だった。
ずっとこんな関係が続くとこのときは信じて疑わなかった。



ーー半年前。


「なんかいつも悪いな」
「何を今更遠慮することがあるんだか」


珍しく帰りの早かった遥人と時雨はふたりで酒を飲んでいた。最近遥人は大きな事件を抱えているらしく、この飲み方から考えるとかなり厄介なものらしい。


遥人は雨音を一人にさせたくなくて時雨を呼んでいた。雨音が大人びているとはいえ、まだまだ未成年で、甘やかし過ぎかもしれないが心配だったのだ。甘え下手な妹が甘えられる相手は数少なかった。


「事件、どうなんだ?」
「んー、ぶっちゃけお手上げさ。警察の手に負えない」
「特に変わったニュースは見ないけど?」
「情報操作してるんだよ。真実が広がるとパニックが起こる可能性が高いからな」


ということはこれ以上喋れない内容だろうと予測される。時雨はそっかと相槌を打った。



「ーーだからさ、俺がいなくなったら雨音を頼むよ」



カランと持っていた缶ビールが落下し床に広がっていく。


「……お前な、冗談でもそんな縁起の悪いこと言うなよ」
「この目が冗談に見えるか?」
「だから雨音がいない日にわざわざ呼んだのか。今日は友達の家に泊まりに行ってるんだろう?」
「時雨にしか頼めないんだよ」
「そんな危ない仕事辞めちまえよ」
「俺らが危険な目にあうからこそ、誰かの“大切な人”を守れるんだよ」
「その“誰か”の中に椿遥人の名前も入れとけよ」


あーぁと溢れたビールをタオルで時雨が拭く。その手を強く遥人が握りしめた。そして繰り返し、雨音のことを頼んでくる。


「俺はね、遥人の正義感というか信念嫌いじゃないよ。けどさ、遥人が幸せに生きるのも大事じゃないの?」
「俺は幸せだよ。好きなようにやらせてもらってる。可愛い妹がいて、大切な親友がいるし」

まっすぐな強い瞳にはぁと時雨が折れる。


「……わかったよ。頼まれてやる。でも、最後まで生きることを諦めるな。あと、雨音に嫌われてでも警察官になるのは辞めさせるぞ」

雨音は兄に憧れ、警察官になろうとしている。

「そうしてくれ。あいつは俺が死んだら絶対事件を追いかける。危ない目にはあわせたくない。止めてくれ。嫌な役割ばかりでごめん」
「甘えとけよ。俺のほうがお兄さんっていつも言ってるだろ?」
「……ありがと。あ、まだビール飲む?」
「焼酎飲みたい」
「麦?芋?」
「芋。ロックで」
「りょーかい。ついでに肴の追加作ってくる」
「筑前煮食べたい」
「今からじゃ味が染まないから、それはまた今度な」
「はいよ。じゃあふわっふわのだし巻き焼いて」
「りょーかい」


キッチンに向かっていく背中を時雨は眩しそうに見る。


「……お互い不器用な生き方だよなぁ」


ポツリとそう小さく呟いた。


結局その日はふたりともべろべろになるまで酔い、泊まりから帰って来た雨音にこってりと説教された。二日酔いの頭にぐわんぐわんと響いて、遥人とふたりで苦笑いをしたことをよく覚えている。



なぁ、遥人。
俺は思いもしなかったよ。
お前を殺すのがまさか俺だなんて。
遥人もだろう?
ごめんな。
でも。
約束はちゃんと守るから。
雨音は俺が守ってみせるからーー。



「なかなか結羽も意地悪だよね」

くすりと笑う人影に結羽は驚くこともなく振り向いた。この人が神出鬼没なのは常のことなので気にしても仕方ない。


「お久しぶりですね。しずくさん」
「久しぶりだね」


雫は人好きのする笑顔でにこりと笑った。雫は通りすぎる人が見惚れるほどのショートカットの似合う美人だ。何人ものスカウトを笑顔でかわしている。


「MIPVの研究はどう?」
「特にこれといって進展はなしですね」
「天才と呼ばれる結羽でもこれとは本当に厄介なウイルスだね」
「雫さんも天才でしょう?」
「元、でしょ?結羽には負けるし。それにあたしは助手だからね。すごいのはみちるだよ」
「満さんはなにか言ってましたか?」
「なにも。こっちも進展はないよ」


ひらひらと手を振る雫に結羽はため息を吐いた。


「そそ。今日はこれを渡しに来たんだった」


ばさりと何かのリストが手渡される。問うような視線を向けるとにっと雫が結羽に笑いかける。


人体実験モルモットリストだよ。死刑囚ばっか。殺しても問題ない奴ばかりさ。むしろ早く殺したほうが無駄な税金もかからなくて良いんじゃない?」
「どこからこういうのを仕入れてくるんです?」
「それは企業秘密ってことでよろしく。ま、使い方は結羽に任せるよ。あと、満からの伝言。西野時雨を生かすよりも、殺して、解体して調べたほうが早いんじゃない?って」
「意地悪なのは私よりお二人じゃないですか」


困った顔の結羽に対し雫はニコニコと笑顔だ。綺麗なショートカットがふわりと吹き込んだ風に揺れる。


「悪戯に生かして、ウイルスが拡大するのを懸念してるだけだよ。あたしも満もね」


じゃあねと身軽に雫は窓から外に飛び降りる。


生かす医者に、殺す医者満さん、か」


目的は同じなのに手段はこうも違う。


「可哀想だけど時雨をもう少し追い詰める、か」


結羽はそうひとりで呟いて、開けっぱなしになっていた窓をパタンと閉じた。




「待て!」


ヒラリと窓から飛び降りてきた雫に銃が突きつけられる。


「ん?銃とは穏やかじゃないね~」


クスクスと笑いながら雫は銃に怯むことなく、握った手ごと蹴り飛ばす。


「あたしを止めたいなら銃よりももっといいものを持って来なきゃね?」
「それが医者の台詞かよ」
「あたしは医者じゃないよ。ただの助手だからね~帰ってもいいかな?もう満が寝る時間なんだ。遅くまで起きれないのに、あたしがいないと満は寝れないんだよ。ま、帰るなと言われても帰るけどね。遊ぶのはまた今度。待てないなら一撃で殺してあげても良いけど?でも、鏡夜きょうやはそこまで馬鹿ではないでしょ?」


笑顔に反して殺気が放たれる。鏡夜と呼ばれた男は降参とばかりに手を上げる。銀の髪が月光にきらりと光る。


「良くできました~」


パチパチと雫が拍手をし、鏡夜は悔しげに唇を噛みしめる。


「あたしを殺したいなら団体様で来なきゃね?」
「犠牲者が増えるだけだ」
「人を殺し屋みたいに言わないでよね。あくまでもあたしは襲われる側なんだから。正当防衛だよ」


じゃあねと雫は去っていく。鏡夜はなにもできずに自分より小さな背中をじっと見つめていた。



「満、ただいま!」
「おかえり、雫。もう眠くて眠くて。でも、雫のこと待ってたんだ」


半分目が閉じた満の長い髪をさらりと撫で、遅くなってごめんねと雫が笑う。すり寄る満に抱き寄せられて、ふたりで目を閉じる。


「結羽に渡してくれた?」
「渡したよ~帰り道に鏡夜に会った」
「あぁ、だから遅くなったんだね。大丈夫?怪我してない?」
「してないよ」
「ふふ。それもそうか。僕の雫がそう簡単に負けるわけないからね」
「ま、鏡夜の嗅覚には正直驚かされはしたけどね」
もう寝ようと雫が笑う。
そうだねと満が答えた。
すぐにすぅと満の寝息が聞こえはじめる。


「さぁ。あの子結羽はどうするだろうね?」


雫は小さく呟き、傍らの温もりに身を寄せ眠りについた。



暗い部屋でパソコンのモニターだけが光っている。その傍らに雫から渡されたリストがある。


「やっぱりそういうこと、なんだよね」


彼女らがわざわざ危険を犯してリストを渡してくるということは、手詰まりの証でもある。そもそも雫と満は表の世界にほとんど顔を見せない。裏の世界でふたりは生きている。が、確かな腕と知識でふたりは有名だった。
彼女らを知ったのは本当に偶然で、怪我を負った雫を助けたのがきっかけだ。それ以来気に入られて、ちょこちょこと雫が訪ねてくるという関係だ。


「……仕方ない、か。時雨を死なせるわけにいかないし、殺人をさせるわけにもいかないし」


気乗りはしないが渡されたリストから無作為に人を選ぶ。


「ーー感染者になってもらおうか、死刑囚さん」


恨むなら殺人を犯した自分を恨んでもらおう。


「ま、私も殺人鬼と変わらないけどね」


自嘲気味に結羽は笑い、準備を進めていく。





「今日は別の仕事があるので、あなたは神代さんのところにいてください」
「結羽はそのこと知ってる?」
「いえ。急に決まったことですからまだ連絡はしていません」
「結羽忙しそうにしてたから大丈夫かな?」
「無理そうなら部下をつけるまでのことですよ」


ふたりは時雨の作った朝食を食べる。人を殺めた時雨は職を失い、家も失い、雨音の世話になっている。


『神代さん、おはようございます。今日、西野さんを預けたいのですが大丈夫ですか?』


雨音の声を聞きながら思う。
無理に雨音が自分の面倒を見る必要はないんじゃないかと思う。牢屋に入れて、必要なときだけ連れ出して検査なり、実験なりすれば良いと思う。
いくら上に言われたからと言って、ここまで自分の世話をする必要はどこにもないのではないだろうか。


「大丈夫だそうです。……どうしたんです?人の顔をじろじろと見て」
「無理しなくていいのに、と思って」
「無理ってどういう意味です?」
「わざわざ兄貴の仇の世話をする必要なんかないってこと」


反論しようとする雨音はうまく言葉が出ずに黙り込む。


「上からの指示ならこう言えば言い。殺されそうになりました。だから俺とは一緒にいられない、と」


時雨は包丁を雨音の首に突きつける。


「……俺、知ってるからさ。雨音がずっと眠れてないこと。だから、そう言っとけよ」


嘘にならないように浅く皮一枚を切り、じわりと血が滲む。
すぐに消毒をし、ガーゼをあて包帯を巻いていく。


すたすたと時雨は仏壇に向かい、今朝も遺影に手をあわせる。



「気晴らしに久しぶりに友達と会ってきたらいい。俺は結羽のところにいるから心配は要らない。俺といるだけで、俺の顔を見るだけでストレスが溜まるだろう?」


ゆらりと雨音の瞳が揺れる。
見なかったふりをして、弁当を渡してやる。


「行ってらっしゃい」
「……行ってきます」


あの日から歯車は狂ったままだ。
狂った歯車はもう元には戻らない。
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