ドレスの下の聖典

尾崎ふみ緒

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 いま解剖している遺体は、先週デンケのアパートメントで見つかった例の首なし死体だった。
「通報で行ったのって、お前らだったっけ?」
「ああ。あいにく空いてる奴がいなくて、俺とザックが行ったんだよな。でも、あんな現場にゃ二度と呼ばれたくないね」
「でも、担当になったんだろ?」
「なし崩し的にな。他の連中は、あからさまにホッとした顔してたよ」
「別に事件なんて同じようなもんだろうに」
「”これ”を何回も見る羽目になるのは嫌なんだろう。ザックもなるべく焦点を合わせないようにしちゃってるしな」
「でも、かえってお前には合ってるんじゃないか?」
「こんなの、好きで見てるわけじゃないんだぜ?」
「そうか? 周りの人間が顔真っ青になってたのに、お前だけ、何か退屈そうな顔してたぞ」
 そんなアレクサンダーの言葉で、トレヴァーの脳裏にはこの日の光景が思い浮かんだ。
 その日、通報で呼ばれて現場に駆けつけたのはトレヴァーとパートナーのアイザック・ランバートだった。単純に、行けそうな奴が他にいなかったからというだけの理由だったが、まさかあんなことになっていたとは通報内容を聞いた時は予想もしていなかった。
 相棒のザックと連れだって、バギーで向かってみたが、行ってみた先はこれまで知っていたどの事件現場とも違った、異様な空気に満ちていた。
 遺体が発見されたアパートメントは地区のメインストリートであるキュルテンに面していたので、小回りの利くバギーであれば現場に到着するまでさほど時間はかからないと考えていた。しかし、いざ向かってみると、アパートメントに近づくにつれて道はヤジ馬たちでごった返していて、馬車はなかなか進むことができなかった。
 その熱気から察してみるに、よくあるタイプの事件とは違うのらしいことは分かったが、実際に現場に行ってみたらそれ以上のものだったことが分かった。
 ようやく現場アパートメント前に着いてみると、そこは道中の混雑以上の混乱が広がっていた。
 外から見た建物の中は、警察の人間が慌ただしく動き回っていたが、その顔は一様に困惑と恐怖の色が滲んでいた。
 アレクサンダーが、自分たちが到着したことを入り口にいた警官に告げると、その警官が奥にいたらしいカッセル警部補を大声で呼んだ。
「今すぐ行く!」
 声が聞こえたと思ったら、そのカッセルが奥の部屋から小走りでトレヴァーたちのもとにやって来るのが見えた。
「ああ、ようやく来てくれましたか。ちょっと僕たちでは手に負えない状態だったんで助かりますよ」
 そばに来たカッセルは、トレヴァーを見て幾分ほっとした表情をした。
 最初に通報があってから1時間も経ってないというのに、そんなに疲れるような事件なのだろうかとトレヴァーは怪しんだが、カッセルの案内で建物の中を進むにつれて、そうなってしまうのも理解できた。
 ロビー、階段、その他大小様々な部屋で、混乱と混沌、恐怖と不安と虚無が満ち満ちていた。
 カッセルに案内されるがまま、奥に位置している応接室に入った。ここでは遺体発見当時、建物の中にいた人間が集められて、警官たちが各々から聞き取りをしていた。
 大方の人間の顔には不安と困惑が滲んでいた。一体全体、自分が置かれた状況は本当に現実なのか分からないといった顔が並んでいた。
 それでも何とか平静を保って、起きたことと自分の置かれた状況とを整理して現実との折り合いをつけようと努力する者もいたが、一人だけ、理性が破壊されたようにぎゃんぎゃんと泣き喚いている女がいた。
 ザックが視線で女のことを指すと、カッセルは小声で教えてきた。
「第一発見者です。僕たちが来た時から彼女、ずっとあの状態なんですよ……」
 そう言うとカッセルは肩をすくめた。
 それはアパートメントの家主の女性だった。金切り声を上げて子どものように泣き叫び、ぶるぶると全身が震えているのが遠目でも分かる。恐怖に支配されて凍りついた彼女を一人の女が抱きしめ、体を摩ったり耳元で何か囁きながら何とか宥めてやろう、落ちつかせようとしていたが、一向に収まる気配はないようだった。
「現場は?」
「3階です。奥の部屋。鑑識が作業を始めたのが30分前なんで、今は作業のピークってところだと思います。現場には、もうちょっと待ってから行った方がいいですね」
「そうか。じゃあ、他に話が出来る重要参考人はいる?」
 トレヴァーが聞くと、カッセルは部屋の隅で床に座り込んで疲れた顔で煙草を吸っている男を指差し、
「彼も、警察が来る前の遺体の発見現場を見てます」
 と教えてくれた。
 トレヴァーはカッセルに礼を言うと、そちらに向かって行った。

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