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第一章 『歪んだ刃先』

四話 『無慈悲な文房具店』

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「ど、どうしたんだ…?」
 急な態度の変化に多少な困惑を覚え、そんな情けない顔を浮かべる愛斗に少女は目を光らせた。それは夜空が映える水面のように、月光の光を宿した美しく澄んだ瞳だった。
「あなた‥‥‥、いや、愛斗だったかしら? さっき言ったわよね。生泉高校一年だって」
「あ、あぁ、言ったけど、それがどうした?」
意外な反応に微妙な違和感を覚えるが、それをスルーし、意識は彼女の発言全てに注がれた。先程までの狼のような鋭い目付きが一転し、今はどこか弱弱しい、普通の女性の目に変わっている。その急激な変化は愛斗の未発達の恋心を擽るもので、明らかなるギャップの差に軽く赤面する。意識していないだけであって、彼女は自分の吐息が掛かるすぐそばでこちらを眺めている。その異常な距離感に鼓動が乱れ、心拍数を抑えるかのように服を握り力で抑制する。
 「ふぅーん。見た感じ、あなたは普通そうね。どうしてまたこんな高校を受験したのかしら?」
 「いや、別に受験したわけじゃなくて、高校側からのお誘いでの入学することになったから、やっていけるかどうか不安で‥‥」
 愛斗の発言に彼女は初めて見せる人間らしい表情をそこに浮かべた。驚いたように見開いた瞳は男性の心を雁字搦めにし、一時と目を離させなかった。近寄り、触れた肌に鳥肌が立ち、逸らしていたはずの視線を下へ下へと下げる。覗き込むような視点は彼女の瞳ではなく、無防備に開いた胸元へと引き付けた。
 脳内を小汚いピンク色に染め上げ、男性としての本能が雄たけびを上げた。高く唸るその雄たけびは不審な視線を浴びている彼女にも届いてしまい、数秒の沈黙と共に今の状況に気づく。
 瞬間、彼女は愛斗から離れ、耳まで赤く染め上げて悔しそうに口を尖らせながら、
 「ちょっ! あ、あなたは一体何を考えているの⁉ 真剣に物事を話しているのに、それなのに、そのー、え、エッチな考えをしてっ! こ、この変態少年!」
 「それは違うだろ! 僕はただ君の質問への答えを待っていただけであって、別にえ、エロいことを考えていたわけでは…‥」
 「話はいいわ。私から半径一メートル以内に入ったら刺殺するから。この変態がッ!」
 女性に似合わない汚らしい言葉を吐くと、発言通り愛斗から距離を置き、精算のカウンターに棒立ちする哀れな少年を睨む。過剰な警戒心に呆れ、それでも誤解を解こうと必死に抗議をする。
 「ねぇ! 頼むからそんなゴミを見るような目をやめてくれ! これじゃ僕が加害者じゃないか!」
 「いいじゃない、お似合いよ。私も少し馬鹿だったわ。あなたみたいな変態が生泉高校から誘いが来るわけがない。少し興味を持ってしまったけれど、嘘ってのはすぐにわかったわ。あーあ、無駄な時間を取ってしまったわ」
 酷い言われようにさすがの愛斗も胸に手を当て、傷ついたライフゼロのハートを撫でながら屈辱的な言葉を受け続けた。一回の誤解でここまでボロクソに言われてしまえば言い返すどころか、新たな火種を生み出さぬために相手の機嫌を取る振る舞いに悩んでしまう。
 「あなたのせいで買い物する気も失せたし、もう私は帰るわ。えーっと、愛斗? だったわよね? まぁ、私だから口論で済んだけど、他の女性にしたら捕まるかもしれないわよ。気を付けなさいね。それじゃ」
 最後の最後まで感に触れるような物言いをする彼女に続くづく憤怒が止まらない。最終的な話の終わり方は自分が性的犯罪を犯す前提での軽い忠告。腹立たしいを通り越して、いっそ殺意すら芽生えてしまう。
 彼女は美しく靡く髪を片手で抑え、文房具屋を去っていった。残ったのはメンタルが壊滅した愛斗と、静寂を迎えた文房具店だった。
 少し肌寒く感じる店内で、急な出来事への脳の処理が追い付いていない店員と同様の愛斗は目を合わせ、気まずそうに苦笑いを浮かべた。
怒っていた脳が正常状態に戻るのにほんの数秒のタイムロスがあり、それを乗り越えた今、改めて冷静な気持ちを取り戻し、店員に指を立てながら言った。
 「会計お願いします!」
 その清々しい顔はここ数分の記憶をすべて抹消し、出来事自体を消した青空のように澄み渡った顔だった。
 店員も一瞬の戸惑いを見せたが、すぐさま本調子に戻り、愛斗が手渡した品々を受け取るとする。が、時計を見るや否や慌てた様子で事務用の服を脱ぎ、
 「定時なので閉店です。また今度ね」
 店員も抱いていたであろう恐怖感。それを定時を口実にし目の前にした客を追い出したのだ。
 「で、でも! 僕これないと困るんですけど⁉」
 「はいはい、また今度ね」
 会話のバトンすら成り立っていない中、背中を押され、されるがままに店を追い出された。店内から体全体が押し出され、片足でバランスを取りながら体制を整える。急な追い出しに不満を言ってやろうと振り返り、店の中に居るはずの店員に大声で愚痴を零そうとする。
 「いや、僕客なんだか————————ッ」
 「だ・か・らッ! また、今度ッ!」
 「あっぐッッ⁉」
 痺れを効かせた店員は、醜い醜態を晒しながら吠える愛斗の傍までより、腹部を強く殴った。それはボクサーも見惚れるほどのアッパーで、空を気りながら打撃音一つ立てない無音の凶器が腹に入った。だけでは止まらず、店員の振り返り際の回し蹴りが溝に入った腹部の横腹を蹴り飛ばした。店員の踵が横腹を押し飛ばし、重力を無視した体が向かい側の店のシャッターにぶち当たる。響く爆音。少しの間シャッタにめり込んだ愛斗が空中で停滞し、思い出したかのように重力が仕事を務め、ボロボロの体は地に落ちた。
 「待っ‥‥て、待ってくれ! まだ、まだ僕は文房具をッ!」
 言った頃にはもう遅く。文房具屋もシャッターを閉め返事はしなかった。
 独り取り残された愛斗は通り行く近隣住民の注目の的となり、遅れてやって来た羞恥心が心を炙った。恥ずかしいという感情をここまでに味わったことは今まで生きて来て初めてだ。
 悔しい、憎たらしい、恥ずかしい。様々な感情が交差する中、確かに覚えている彼女の顔を脳裏に焼き付け、心に、その己に復讐の誓いを立てる。
 ボロボロに引き千切れた私服に、腕から流れる血液。強く殴られた腹は未だに痛み、そんな重傷を負いながら帰宅路を進んでいく。足を引き摺り、痛みを噛み締めながら駅までの道のりを進んでいく。
 「今日は‥‥、散々な一日だったよ。本当に‥‥」
 紅に染め上げられた夕日にそう言葉を掛け、観衆の目に付かぬよう人の少ない裏路地を通っていく。ひんやりと冷たい路地で、悪臭漂う暗闇で、少年は愚痴を零しながら歩いて行った。
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