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第8章 カウンセラー
恐怖を凌駕する感情
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「あの行為そのものに……マイナスのイメージしか持てません」
「ジャルド……」
感情を排除した声で話す僕を、綾さんが静かな瞳で見つめている。
同じように、何の感情も表に出ていない彼女の顔は……黒い瞳の人形みたいだ。
「人も怖い?」
短い沈黙の後、綾さんが口を開いた。
「身近な……たとえば、リージェイクと二人きりで部屋にいて怖いと感じる?」
「え? どうして……?」
「セックスする能力があるわ」
思いきり眉をひそめる。
だからって。
リージェイクが僕を、なんて……考えたこともない。
「彼が僕をレイプする可能性はないと思います。もちろん、怖いと思ったこともないです」
「ラストワは怖い?」
「いえ」
「凱は?」
「怖くないです」
「修哉は?」
「綾さん」
綾さんの問いを止めた。
「知っている人間で、僕が怖いと感じる人はいません」
「じゃあ。あなたの知らない人間で、セックスする能力のある男と同じ部屋にいたら、怖い?」
「いえ。今はもう、そんなことはありません」
「最後に……」
微かにためらってから、綾さんが続ける。
「目の前にあなたをレイプした男がいたら、怖い?」
その言葉に薄れない記憶が呼び出されて、目の下の皮膚がピクッと跳ねる。
凱と……レイプしようとした男と二人でいて怖くないかって綾さんに聞いたのは、自分だったら怖いんじゃないかと思ったから。
でも、今。
綾さんに聞かれて、あらためて想像してみると……不思議なほど恐怖はない。
今あるのは、恐怖じゃなく……。
「いえ。逆に……嬉しいです」
一度落とした視線を戻して。
「復讐出来るから」
そう言った僕の瞳に、綾さんは怒りと憎しみを見たんだろう。
ほんの少しの驚きと。賛同の意を込めるように頷いてから、彼女は笑みを作った。
「それでいいわ。憎しみは恐怖を凌駕する感情よ。そして、憎しみが消える時……恐怖も力を失う。あなたは、もう二度とレイプし得る人間を怖がることはない。大丈夫よ」
大丈夫……。
綾さんが本当にそう思っているなら、そうかもしれない。
カウンセラーによる暗示だとしても効きそうだ。
実際。レイプされるかもって恐怖は事件直後にはあったけど、もう誰にも感じない。
だけど……。
「あの行為を無理やりする可能性のある男は、怖くありません。だけど、セックス自体は怖い。人間の貪欲さとエゴの象徴みたいな行為だと思います」
「そうね。ほかの動物みたいに生殖目的だけじゃないもの。快楽のため。愛情表現のため。何らかの欲を満たすため。確かに貪欲だわ」
綾さんが溜息をつく。
「人間が貪欲なんじゃなくて、貪欲だから人間になったのかもしれない。進化の過程でね」
「それなら、僕はほかの動物のグループに入りたかったです。猫とか」
クロたちを思い浮かべた。
野生動物と違って、人間によって生死を左右される愛玩動物。
それでも。
彼らは理不尽に捨てられて死ぬ時、自分をかわいそうだなんて微塵も思わないはずだ。
羨ましいと思った。
「ジャルド」
綾さんの真剣な眼差し。
何かを伝えようと開いている。
「あなたの感じる恐怖は、未知なるものへの恐怖よ」
反論しようとする僕を、綾さんが手を上げて制す。
「レイプは暴力」
ゆっくりと下ろされる綾さんの手が、僕の視界を過る。
まるで、目の前の曇りを払拭するかのように見えた。
「自分の意思でするセックスとは違う。そこを間違うと、恐怖は消えないわ」
「身体の感覚は……同じでしょう?」
「心の状態で違うの。自分が望んでいるかどうかで」
その『欲』がない僕には、理解不可能だ。
「まだ子どもだから、僕にはわからないって言ってるんですね」
「そうね」
綾さんが苦笑する。
「あと何年かすればわかるわ。急がなくてもいい」
「わかりたくありません。僕はセックスなんかしたくない」
吐き捨てるような僕の言葉に、綾さんはこれまでで一番険しい顔になる。
「ジャルド……」
感情を排除した声で話す僕を、綾さんが静かな瞳で見つめている。
同じように、何の感情も表に出ていない彼女の顔は……黒い瞳の人形みたいだ。
「人も怖い?」
短い沈黙の後、綾さんが口を開いた。
「身近な……たとえば、リージェイクと二人きりで部屋にいて怖いと感じる?」
「え? どうして……?」
「セックスする能力があるわ」
思いきり眉をひそめる。
だからって。
リージェイクが僕を、なんて……考えたこともない。
「彼が僕をレイプする可能性はないと思います。もちろん、怖いと思ったこともないです」
「ラストワは怖い?」
「いえ」
「凱は?」
「怖くないです」
「修哉は?」
「綾さん」
綾さんの問いを止めた。
「知っている人間で、僕が怖いと感じる人はいません」
「じゃあ。あなたの知らない人間で、セックスする能力のある男と同じ部屋にいたら、怖い?」
「いえ。今はもう、そんなことはありません」
「最後に……」
微かにためらってから、綾さんが続ける。
「目の前にあなたをレイプした男がいたら、怖い?」
その言葉に薄れない記憶が呼び出されて、目の下の皮膚がピクッと跳ねる。
凱と……レイプしようとした男と二人でいて怖くないかって綾さんに聞いたのは、自分だったら怖いんじゃないかと思ったから。
でも、今。
綾さんに聞かれて、あらためて想像してみると……不思議なほど恐怖はない。
今あるのは、恐怖じゃなく……。
「いえ。逆に……嬉しいです」
一度落とした視線を戻して。
「復讐出来るから」
そう言った僕の瞳に、綾さんは怒りと憎しみを見たんだろう。
ほんの少しの驚きと。賛同の意を込めるように頷いてから、彼女は笑みを作った。
「それでいいわ。憎しみは恐怖を凌駕する感情よ。そして、憎しみが消える時……恐怖も力を失う。あなたは、もう二度とレイプし得る人間を怖がることはない。大丈夫よ」
大丈夫……。
綾さんが本当にそう思っているなら、そうかもしれない。
カウンセラーによる暗示だとしても効きそうだ。
実際。レイプされるかもって恐怖は事件直後にはあったけど、もう誰にも感じない。
だけど……。
「あの行為を無理やりする可能性のある男は、怖くありません。だけど、セックス自体は怖い。人間の貪欲さとエゴの象徴みたいな行為だと思います」
「そうね。ほかの動物みたいに生殖目的だけじゃないもの。快楽のため。愛情表現のため。何らかの欲を満たすため。確かに貪欲だわ」
綾さんが溜息をつく。
「人間が貪欲なんじゃなくて、貪欲だから人間になったのかもしれない。進化の過程でね」
「それなら、僕はほかの動物のグループに入りたかったです。猫とか」
クロたちを思い浮かべた。
野生動物と違って、人間によって生死を左右される愛玩動物。
それでも。
彼らは理不尽に捨てられて死ぬ時、自分をかわいそうだなんて微塵も思わないはずだ。
羨ましいと思った。
「ジャルド」
綾さんの真剣な眼差し。
何かを伝えようと開いている。
「あなたの感じる恐怖は、未知なるものへの恐怖よ」
反論しようとする僕を、綾さんが手を上げて制す。
「レイプは暴力」
ゆっくりと下ろされる綾さんの手が、僕の視界を過る。
まるで、目の前の曇りを払拭するかのように見えた。
「自分の意思でするセックスとは違う。そこを間違うと、恐怖は消えないわ」
「身体の感覚は……同じでしょう?」
「心の状態で違うの。自分が望んでいるかどうかで」
その『欲』がない僕には、理解不可能だ。
「まだ子どもだから、僕にはわからないって言ってるんですね」
「そうね」
綾さんが苦笑する。
「あと何年かすればわかるわ。急がなくてもいい」
「わかりたくありません。僕はセックスなんかしたくない」
吐き捨てるような僕の言葉に、綾さんはこれまでで一番険しい顔になる。
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