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第8章 カウンセラー

この人に、話したい

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 そうだ。
 僕が修哉さんに言ったんだ。

かいのやったことは許せないけど、凱は許せる』って。

 綾さんもきっと……同じなんだ。
 だけど……。

「だから、凱とは普通に話もするし、相談にも乗るし。勉強もみてあげてるのよ。相変わらず、カウンセリングは受けてくれないけど」

 そう続けて、綾さんが息をつく。

 だけど……綾さんは当事者だ。

「凱と二人でいて……怖くないですか?」

 静かに言った。

「その時の恐怖は、残ってないんですか。思い出しませんか」

「ジャルド」

 綾さんも静かに。でも、はっきりとした声で言う。

「凱が私をレイプしようとしたのは、実際にするためじゃない。言わば、パフォーマンスよ。それがわかってるから、恐怖はないわ」

「じゃあ……実際にされていたら……? 恐怖を感じますよね?」

 眉を寄せた綾さんの黒い瞳が、僕を見つめる。



 この人に……何を聞きたいのか。
 何を言わせたいのか。

 凱のことじゃない。
 そうじゃなくて……。

 心から切り捨てたパーツがそこにある。
 それに目をやった。
 まだ、見るべきじゃないのに。
 まだ……拾い上げる勇気は、ないのに。

 自分の中に巣食うセックスへの恐怖に怯えている。

 だから。
 レイプされそうになった綾さんに、その時の恐怖をどうやって消したのか聞きたかった。
 彼女にも生じたはずのセックスへの恐怖の葬り方を、知りたかった。

 でも。
 やっぱり、実際にされているのといないのとは同じじゃないのか……。



「私……」

 心がグルグルと回り始めた時、綾さんが呟いた。

「レイプされたことがあるの。学生の頃に」

 え……?

 声を出さずに、口を開いた。

「その時は……すべての男が怖くなったわ。絶対に私を襲うことはないって思える友人も、教授さえもね」

 驚きよりも恐怖に見開いた僕の瞳を見据え、綾さんが続ける。

「同性の友人に後ろから肩を叩かれるだけで、ビクッとしちゃって……人に触れられるのが嫌だった。もちろん、恋人ともセックスなんか出来ない。一生出来ないと思ったわ」

「ほんとの話……なんですよね」

「あたりまえでしょう。あなたの気持ちはよくわかるって近づくのに効果的だとしても、私は空想を事実のように語ったりはしない」

 僕の発言に目を眇めてそう言った綾さんの瞳に、嘘はない。

「ごめんなさい」

 素直に謝った。

「そんなこと言わせて……」

「いいのよ。さっき言わずに済ませたのは私だから」

 綾さんの表情が和らいだ。

「レイプ未遂にさほど傷つかないのは、それ以上の経験があるからだって言わずに。凱が本気じゃなかったから、で済まそうとしたの。私はもう平気だけど、出来れば知られたくはないことだし……あなたにもきついと思ったしね」

「僕は……」

 何て言えばいいんだろう……?

「話したいことがあるんでしょう?」

 僕の代わりに綾さんが言う。

「何でも聞くわ」



 この人に、話したい。
 何でそう思うんだろう。

 綾さんは、僕に……何をしたのか。

 今日、この部屋で、僕たちはカウンセリングという名目で雑談をしていた。
 いろいろな話を聞いた。
 エルファのこと。
 ショウのこと。
 凱のこと。
 れつのこと。
 綾さんのこと。

 彼女は、とても誠実に僕と向き合っている。
 同情じゃなく。
 指導でもなく。
 嘘くさい慈悲もなく。



 心にドアがあるとすれば。
 それをノックするわけじゃなく、ただドアの前にいる感じ。
 
『開けて』とは言わず。
 待っているからとプレッシャーをかけることもない。
 北風と太陽作戦に引っかかったりもしない。



 なのに、今、そのドアが消えていた。



 僕とほかの人を隔てるドアは、知っているかどうかのボーダーだった。
 知識として頭でわかっているんじゃなく、実体験で心と身体が知っているかだ。

 女の人が男にレイプされるのと少年がレイプされるのとでは、その恐怖も屈辱も心身の受ける苦痛も違うだろう。

 それでも。
 自分の意思なく相手に強行され、尊厳を奪われるその行為。
 そして。
 それが自分に及ぼす影響を身をもって知っている人間は、ボーダーで分けられた同じ側にいる。

 その存在に、僕の気が緩んだ。
 そして、僕はすでに綾さんを信用している。



 だから……心を見せることが出来るのか。



「怖いんです。セックスが。人がしているのを見ただけで、恐怖を感じます」

 棒読みで言った。

 ギリギリでせき止めている感情を僅かにでもこぼしたら、ガードが一気に崩れちゃいそうで。


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