上 下
80 / 83
第14章 真の望みを祈れ

本当の望み -1

しおりを挟む
「ラシャには、今朝のことはせておいた。涼醒にはそう言ってある。おまえには事後承諾じごしょうだくになったが…」

 キノを先に通し、ドアを閉めた浩司が言った。

「うん。浩司がそれでいいなら…。希由香に何かされてたら別だけど、彼女も護りも無事だったから…」

 キノは部屋の奥へと進み、ベッドの前で立ち止まる。

「三つ、あなたに言いたいことがあるの。二つは私から、もうひとつは…希由香の代わりに」

「…おまえは希由香じゃない」

「だから言えることがあるの」

 そして…私だから聞けることも…。
 希由香の胸元に光る銀のくさりから視線をがし、キノが振り返る。

「俺も、言い忘れたことがある」

 浩司は壁際に置かれた椅子に腰を下ろし、わきにある小さなテーブルの上から煙草を手に取った。浩司の向かいに座り、キノも煙草に火を点ける。

「先に聞いておいた方がいい?」

 立ち上る二つの煙の間に、キノは浩司を見つめる。

 客間に腰を落ち着けようとした浩司に、続き部屋で話したいとキノは言った。希由香のいるここでなければと感じたからだが、浩司の方はどうなのだろう。
 キノの肩越しに希由香を見る浩司のひとみは、その奥に抱える心がどうであれ、ただ静かだった。彼女の姿が目のはしに映ることに安心しているかのようにも、その反対に、世界にたったひとり残された最期のひとりが、まぼろしと知って見る恋人を眺めているかのようにも見えた。そのが、ゆっくりキノへと向けられる。

「そうだな」

 浩司は煙草をみ消した。キノがそれにならう。

「おまえの見てきた希由香の記憶は、発動の日までのものだ。3年近く経った今のあいつの心が、あの頃と全て同じだと思うな」

 変わらないよ。少なくても、あなたへの思いは…。あなたも、それを知ってる。

 心の中で、キノがつぶやく。

「考えるのは…これからの幸せだ。あいつのな」

 あなたの幸せもそこにある…そうでしょ?

「わかった」

 キノは微笑んだ。そのを計るようにしばし見据え、浩司が表情を緩める。

「おまえの話を聞こう」

 うなずき、キノは深呼吸をする。
 重くはなく、張りめてもいないこの空間に、かされている何かがある。浩司の心から解放されるべき、希由香への思い。その存在を確かめるべく、キノは今ここにいる。

「継承者のことを知る前に言ったことと…ほとんど同じよ。ひとつは、あの祈りには納得出来ない。希由香の幸せを願うあなたが、彼女にとっての幸せが何かわからないはずないよね。後悔するのがわかってるなら、始めからしないで。何をどう考えても、私は反対よ。もし、本当に、自分の苦しさを消したいのが一番の理由なら…希由香じゃなくあなた自身から、彼女の記憶を消せばいい。そうでしょ? 涼醒と同じことを、私も思ったの。怖いなら、それが何だとしても何からでも、ひとりで逃げればいい。希由香が望んでないのに、一緒に連れていかないで。その先が幸せに向かってるならいい。でも、そうじゃないってわかってるのに、止めないではいられない。自分を幸せにするのは自分だけど、その思いは誰にでも生まれるわけじゃない。もし、あなたを忘れれば愛せる人に出会えて、その男が彼女を幸せにするって考えるなら、そんな男がいるなら…このままあなたを思ってる間にだって出会う可能性は同じで、その人を愛するはずよ。そういう相手じゃなきゃ、あなたみたいには彼女を救えない。二つ目は、護りの力じゃなきゃ叶わない望みがほかにないなら…シェラの呪いをいて」

 一気にそこまで言うと、キノは一旦いったんの間を置いた。黙ったままの浩司のが揺れる。

「祈りが何だったとしても発動する…私にここでそう約束させた時、反対されるってわかってたんでしょ? 反対されたら、自分が迷うってことも。迷うのは、あの祈りが本当の望みじゃないから…」

 その言葉は、浩司の目をせさせた。

「決めるのは浩司だってわかってる。あなたの本当の心が望むことなら、私は反対しない。だから…知りたいの」

 キノは息をめ、浩司の視線が自分に戻るのを待つ。

「あの祈りを望む気持ちは、嘘じゃない。だが、おまえの言う通り、本心でもない」

 浩司が顔を上げる。

「本当の望みを願わないための…かせだ」

「それは…」

 自分を見つめる浩司のひとみに、キノは小さく息を飲む。自分に見せる心の色の、その暗さにではなく、様々な思いの入り混じった複雑な深さに。

「あなたの本当の心はシェラの呪いをきたいのに、そうしないように…希由香に自分を忘れさせるってこと…?」

「そうなるな」

「どうして? 彼女を悲しませたくないから?」

「…そうだ」

「じゃあ、もう、かせなんか要らない」

 かすかに眉を寄せる浩司に、キノは微笑もうとした。けれども、そうするほどには、言おうとすることの痛みは軽くなかった。

「希由香の望まないことでも、私には理解出来る。あなたがそう言ったのは、私も彼女の悲しむことを選べないから…でも、私は選べるよ」

 浩司が口を開く前に、キノが続ける。

「あなたが思うように生きて幸せだと思えるなら…。希由香が悲しいのは、あなたがいなくなることそのものだけ、残された自分を悲しくは思わない。だから…悲しませてもいいよ。『俺がいなくなったら生きていけない女になるなら、もうここには来るな』そう言われても、彼女はあなたのそばにいたでしょ?」

 ずっとそばにいたかった。あなたを思う自分を、幸せだと思ってる。でも、それ以上の幸せも願った。叶えられるのは浩司だけ…だから…。

「ほかに理由がないなら…」

「あるんだ」

 キノの言葉をさえぎり、浩司が微笑んだ。

「言わずにおきたかったが、そういうわけにはいかないみたいだな」

「…これ以上、何を隠してるの? どうしてそんな…何もかもあきらめたみたいに笑うの…?」

 全くその手掛かりのつかめない不安ほど、心を不気味に震わせるものはない。伝わるその震えを止めるため、キノはテーブルに乗せた自分の手を無意識につかんだ。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

形だけの妻ですので

hana
恋愛
結婚半年で夫のワルツは堂々と不倫をした。 相手は伯爵令嬢のアリアナ。 栗色の長い髪が印象的な、しかし狡猾そうな女性だった。 形だけの妻である私は黙認を強制されるが……

やり直すなら、貴方とは結婚しません

わらびもち
恋愛
「君となんて結婚しなければよかったよ」 「は…………?」  夫からの辛辣な言葉に、私は一瞬息をするのも忘れてしまった。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される

風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。 しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。 そんな時、隣国から王太子がやって来た。 王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。 すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。 アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。 そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。 アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。 そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

処理中です...