この世界よりも、あなたを救いたい~幸運がいつもあなたのそばにあるように~

Kinon

文字の大きさ
上 下
66 / 83
第11章 守るべきもの、切望するもの

冷たい仮面の下に -4

しおりを挟む
 奏湖の眉間に刻まれた細いしわが表すのは、キノに対する怒りではない。

 それぞれが何を選び、物事がどの方向へ向かおうとしているのか。そして、自らの取るべき道がある。
 そのことわりをわかってはいても、よりどころとしていた支えの一部を突然失い、奏湖は自分を見失っていた。心の弱さを完全に制御せいぎょするにはいまだ未成熟なおのれへの苛立いらだちと焦燥しょうそうが、奏湖のゆがませている。

「誰も希音さんを説得する気はないの?」

 奏湖が部屋を見まわす。けれども、視線をジャルドにめる勇気はない。
 ナイフの刃が柔らかいキノの肌を撫で、首にあかい線が薄くついた。

「奏湖…!」

 涼醒が叫ぶ。キノは身じろぎもせず、奏湖を見つめている。汐とリージェイクは、かけるべき言葉を探している。その場から動かずに、浩司が口を開く。

「おまえも、これと決めたことには自分の命をいとわず行動出来るんだろう。だが、自分のでも他人のでも、人の命をける時…それで何を得て何を失うか、ちゃんと考えてやってるのか?」

 奏湖が浩司をにらむ。

「馬鹿にしないで。けに負けたらどうなるかくらい覚悟してるわ」

「一族の繁栄を願う…おまえがとらわれているその望みは世界を壊す。たとえ完全な崩壊をまぬがれたとしても、継承者の命を失うだけじゃなく多くの犠牲ぎせいを払うのは確かだ。そうまでしてこの血を増やして何の意味がある? その後の世界がクリムと同じ道を辿たどるなら、ヴァイは時を止められるだけじゃ済まない。それだけの…」

「待って。今、何て…?」

 浩司の言葉をさえぎる奏湖の顔には、当惑とうわくよりも濃い恐怖の色が浮かんでいる。

「何らかの事情があって時を止めるしかなかったらしいが、ラシャは…」

「違う! その前よ! 継承者の命を失う!? そう言ったの…?」

 浩司が眉を寄せる。

「おまえ…知らなかったのか。ジャルドはおまえに…」

「奏湖!」

 ジャルドの呼ぶ声に、奏湖の身体からだが一瞬強張った。小刻みに揺れる視線を、逆側へと移動させる。

「もう…やめるんだ。きみが一族の繁栄を望む理由はもうないだろう?」

 ゆっくりと歩み寄るジャルドのひとみ射竦いすくめられ、全神経を彼に向ける奏湖は、ただ呼吸のみをしているかのように見える。

 足を踏み出そうとした涼醒の腕を、浩司がつかむ。
 今、奏湖のナイフからキノを救おうとするのは、容易たやすく見えてそうではない。奏湖の意識から離れているであろうナイフの刃は、キノに触れている。今の奏湖であれば、咄嗟とっさの反応の動きの方が、故意こいに行うものよりも危険なのは明らかだった。

 唯一ゆいいつ、奏湖のすきを的確にくことの出来るキノ本人ならば、喉元のどもとあかく光る刃先から逃れることが出来たかもしれない。けれども、キノの意識も、ジャルドへと向けられている。

「本当なの…?」

 聞き取れないほど小さく震える声で、奏湖がたずねる。

「その時が来て、終わって…あなたがいなくなることで教えるつもりだったの? そんな…」

 手の届く距離で足を止めたジャルドは、これ以上に辛いことはないというようなで奏湖を見つめている。
 キノは今はっきりと気づいていた。ジャルドのにある闇は浩司のものとは違う。けれども、ジャルドもまた、暗い闇の深淵しんえんでもがき苦しんでいるのだと。

「奏湖…」

 ジャルドが奏湖へと手を伸ばす。
 最後まで引くことをしなかった、支配者ジャルドの悲しい同志。部屋にいる全ての者が、奏湖を止められるのは、ジャルドだけだと知っている。

「私…一族の繁栄を願えば、ずっとあなたといられると思ってた」

 奏湖がつぶやくように言う。ジャルドはナイフを握る奏湖の手をそっとつかみ、その刃をキノから離した。

「一緒に笑って…あなたが死ぬ時も、そばにいて…」

 言葉をまらせる奏湖を胸に抱き寄せ、ジャルドはその耳元に何かささやいた。床を打つナイフの音が響く中、ジャルドの指先が奏湖の髪を優しく撫で、その額に触れる。

 継承者の持つラシャの力に導かれ、ジャルドの腕にくずれる奏湖。その閉じたまぶたから、涙がこぼれた。
 それは悲しみゆえか、喜びゆえか。あるいは、その両方を含むしずくなのか。愛する男の隠された真実を知り、それでもなお、彼を思う自分の心に安堵あんどし、奏湖は今、安らかな境地に眠るのかもしれない。



 ジャルドたちの望んでいた一族の繁栄は、継承者たちの命と引き換えに願われるものであるという事実。そして、大切なもののためにおのれす者たちの思いを知ったからだろうか。キノの脳裏にふと、浩司と交わした会話がよみがえる。

『愛する者を残して自分が死ぬのと、愛する者の死を見るのと、どっちが辛い?』
『…どっちも…辛いよ』

 得体の知れぬ胸騒むなさわぎを覚え、キノは足元をふらつかせた。奏湖の涙から視線をがし、窓から差し込む陽光に目を細める。

 明日の夜明けに、護りは無事ラシャへと戻るだろう。その安心が、キノの心に残された不安を新たにする。
 浩司が我が身よりも守りたかったもののひとつ、約束された護りの発動。

 キノが浩司の祈りを知る時が来た。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

家出したとある辺境夫人の話

あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』 これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。 ※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。 ※他サイトでも掲載します。

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます

おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」 そう書き残してエアリーはいなくなった…… 緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。 そう思っていたのに。 エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて…… ※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

【完結】愛も信頼も壊れて消えた

miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」 王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。 無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。 だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。 婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。 私は彼の事が好きだった。 優しい人だと思っていた。 だけど───。 彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。 ※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。

松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。 そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。 しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

処理中です...