この世界よりも、あなたを救いたい~幸運がいつもあなたのそばにあるように~

Kinon

文字の大きさ
上 下
54 / 83
第10章 夜明け前の攻防

何のため誰のために

しおりを挟む
 キノはフラフラとベッドの縁に腰を落とした。備えつけのデジタル時計の数字が、ぼんやりと目に映る。

 丁度1時間前に、涼醒からの電話がリシールの来訪を告げた。そして、今その同じ番号から、涼醒ではないリシールがキノに話しかけている。

「声も出ないほど驚いてはいないでしょう? 充分予想出来たはずだわ。涼醒君が一人で逃げ切れるとでも思ってた?」

「奏湖さん…涼醒は…?」

「発信器を置いていかれたおかげで、見つけるのに時間がかかったわ。涼醒君があなたのそばを離れるのも意外だった。だけど、結果は同じよ。あなたに…話があるの」

「涼醒に替わって。彼の携帯からかけてるってことは、そこにいるんでしょ? 」

「ええ。でも、話すのは無理よ」

「…涼醒に何をしたの?」

 携帯を握るキノの手に力がこもり、ピアスが耳の後ろに食い込んだ。

「涼醒に何かあったら、あなたたちをほろぼしてやるから!」

「怖いわね。でも、どうやって?」

「護りに祈るよ。ヴァイのリシールをこの世から消してって」

 キノの耳に響く奏湖の甲高い笑い声が、狂喜きょうきに光るジャルドのひとみを思い起こさせる。

「何がおかしいの? 本気よ」

「それは不可能だから。ラシャと同じ力を持つ継承者の命は奪えないし、大勢の命を奪うのも無理よ」

「…あなただけのなら奪えるのね」

「そうしたいなら、やれば? 貴重な力をそんなことに使うなんて、無駄もいいところだけど。私一人いなくなっても、一族は困らないもの」

 一瞬、キノは奏湖の後ろから聞こえる音を聞き取った。
 パソコンのキーを弾くような音と、不規則な電子音。けれども、それらが何であるかを気にする余裕など、今のキノの心にはない。

「心配しなくても、涼醒君はまだ無事よ。あなたが私たちの言う通りにしてくれるなら、ずっとね」

「護りは渡さない。あなたたちに…涼醒は殺せないでしょ?」

「よく知ってるじゃない。でも、痛めつけることは出来るわよ? 私たちには独自のおきてがあって、それにそむいた者には罰が与えられる。話したでしょう? ごうもん問は得意よ。リシールの命を奪えないのはちょうどいいわ。ジャルドは手加減を知らないから」

 キノは唇をむ。奏湖への怒りが、熱い心を沸騰させる。

「そんなことしたら、あなたたちみんな同じ目に合わせてみせる。私なら…ジャルドも殺せるよ」

「それはこっちも同じだわ。あなたの身が安全なのは、祈りの呪文を知りたいからよ。ラシャの者はもうすぐ帰る。そうすれば、紫野希由香もいるから、人質ひとじちは二人になるわ」

卑怯ひきょうだね…。護りを手にいれるためなら、何でもやるの?」

「聞くまでもないんじゃない? もし、あなたが警察を呼んだ場合には、涼醒君のことも通報してあげる。医者が怪しむくらいの怪我 けがを負わせてからね。あなた自身も困るでしょう? こっちの世界にはいるはずのない人間だもの」

「…そこまでして、もう一人の継承者を探したいの? 9人そろえると、いったいどうなるっていうの?」

「私たちが護りの力で何をするかまで知ってるのなら、話は早いわ。ヴァイには今、9人の継承者がいることがわかった。覚醒していない残る一人を見つけ出せば、長年の願いがやっと叶う。一族の、リシールの繁栄…ジャルドの願いよ」

「繁栄って、いったいどういう意味?」

 短い沈黙の後、奏湖が静かにたずねる。

「希音さんは、リシールがどうして人数を増やせないか知ってる?」

「…男は子孫を残せないから?」

「そう。おかしいと思わない? ラシャのために存在する私たちにだって、人間として普通に生きる権利はあるわ。でも、ここでは子孫を残すために、女は必ず子供を産まなきゃいけない。愛する男がほかにいてもよ。あなたなら、耐えられる?」

「それは…奏湖さんの愛する人が、リシールだからなのね」

「…9人の継承者が力を合わせると、リシールの男も子供を残せるようになる。そう言い伝えられてるわ。私は…一族が繁栄しようが滅びようが、それはどうでもいいの。だけど、義務で子供をつくるなんてまっぴらよ」

「もう一人が見つかっても、9人が賛成しなきゃいけないんでしょう?」

「そうね。でも、反対する者なんているわけないわ」

 キノは目を閉じ、息を吸う。

「浩司は…」

 深い息を吐き、目を開ける。

「きっと賛成しない。だから、あなたたちが護りを手に入れても無駄よ」

「何を言ってるの? 反対する理由なんてないでしょう? それに、もし反対したとしても…紫野希由香をたてに取れば、言いなりに出来るもの」

「…浩司を甘く見ない方がいいよ」

「あなたもね。ジャルドはもうすぐ館から出られるわ。そろそろ結論を出したらどう? 涼醒君を思うなら、早めに護りを渡した方が利口よ。それとも、彼はあなたにとって、人質の価値はないのかしら?」

 キノは濡れた髪を乱暴にき上げる。

「護りをラシャに持ち帰らなかったら、あなたたちは継承者を失う。それでもいいの?」

「どういうこと?」

「浩司は…ラシャの者と約束してるの。護りをラシャに戻せなかったら、自分の力を返すって…」

 しばしの間を開けた後、奏湖が呆れた声を上げる。

「バカバカしいわ。苦しまぎれの出まかせなら、もっとましな話にするのね。そんな約束、榊浩司に何のメリットがあるっていうのよ」

「信じないなら、それでもいい。だけど、後で泣くのは私だけじゃないよ」

 感情を抑えたキノの言葉に、奏湖が押し黙る。

「涼醒は…本当にそこにいるの? 捕まえたなら、私の居場所を聞いたはずよね。何て答えた?」

「そこがどこか、彼が口を割るのを心配してるの? 彼があなたのことより、自分の身が可愛いくなったらどうしようって?」

 キノが声を上げて笑った。

「その心配をする必要はないの。涼醒は私がどこにいるか知らないよ。ペンを置いたホテルを出てすぐに別れたから。涼醒からは何も聞き出せない、これは言っておいた方が親切かなと思って。それより…私が知りたいのは、彼が何て答えたかよ。もし、つかまって私の居所いどころを聞かれた時に、こう言うって決めてある場所があるの。本当につかまえたなら、涼醒から聞いたはずよ」

 奏湖は何も言わない。

「答えられないの? 」

「聞く前に気を失ったから…。だけど、間違いなくここにいるわ。この携帯を使ってるのが、その証拠よ」

 キノの頭と精神は動揺しているが、奏湖の口調に混じる不審の色を感じ取れなくなるほどではない。

「嘘よ…涼醒はそこにいない」

「そう思いたいなら、思えばいいわ」

 二人が無言で息を詰める中、キノの耳にざわめきが聞こえた。

「私たちは、必ず護りを手に入れる。そして、一族の繁栄を願うわ。9人の継承者が現れるなんて、滅多にないチャンスなのよ」

「リシールが繁栄を選ぶ時、世界は滅びることになる…その予言のことをラシャで聞いたよ。それは知ってるの?」

「…世界が滅びる?」

「そう。今予言されてる崩壊とは別に…それでも?」

「信じないわ…それも、作り話なんでしょう? だって、本当なら…ジャルドが知らないはずないもの」

「私には、予言にどれだけの信憑性しんぴょうせいがあるかとか…リシールのことも、わからないことの方が多いよ。だけど、世界が崩壊する可能性があって、それを止めるために自分に出来ることがあるなら…そう思ってる。私にも、守りたいものがあるの」

「…ジャルドが護りを手にしても、世界の崩壊はけられるわ」 

「奏湖さん…ヴァイのリシールたちは厳しい決まりにとらわれてる、逃げ出したい、そう言ったのも、全部嘘だったの?」

「嘘じゃないわ。ジャルドは冷酷で、無慈悲で…暗いひとみには一遍いっぺんの情も見せないような男よ。彼に支配されてる限り、苦しむ者はいなくならない」

「だったらどうして? ジャルドが護りを手に入れたら、救われた世界は彼の思うままになるよ。それでもいいの? 奏湖さんは、ジャルドの言いつけで誰かを傷つけても平気なの? 辛くはならないの?」

「平気よ…私はジャルドの望むことなら、何だってするわ。一番辛いのは、彼にとって自分が何の役にも立たないことだもの」

 つぶやくようにそう言った奏湖の声に、キノは彼女の心を聞いた気がした。

「ジャルドは、この時のために自分が存在してると思って生きて来たのよ。私は彼の力になるって決めたの。それが…私の役目よ」

 おのれの役割を自分で決めるよりも、知らぬ間に与えられた役を無意識に演じることの方が容易たやすい。そして、良心の範疇はんちゅうをも自らが決めるならば、それに見合う返報へんぽうを受ける覚悟を持たねばならない。
 奏湖の決意の出所でどころを思い、キノは一瞬怒りを忘れた。

「奏湖さんは…」

「とにかく、あの人の邪魔は、誰にもさせないわ」

 感情的に言い放つ奏湖の背後で、誰かがささやくような声がする。何を言っているのかまでは、キノにはわからない。

「希音さん、続きは…会ってから話すことにしない?」

「え…?」

「まさか、同じホテルにいたとはね」

 キノが息を飲む。

「どうして…」

「携帯よ。通話中なら、そこがどこか突き止める方法を知ってるの。あなたが…話を続けられる状態で助かったわ」

 その言葉に弾かれたように、キノは携帯を耳から離し通話を切った。考えるより先にバッグをつかみ、ドアへと走る。

 キノの足が、扉の一歩手前で凍りつく。絨毯張じゅうたんばりの廊下は、歩く者の足音を響かせはしない。けれども、何かの機具の触れ合うかすかな音が、キノの正面に近づき止まった。
 次に聞こえたのは、控えめな呼び鈴とドアをノックする乾いた音。
 本来なら中にいる客にサービスを運ぶ者の来訪を告げるその音が、まるで非常ベルのようにキノを戦慄せんりつさせ、その|《め》瞳を固く閉じさせる。

 大丈夫。私は強い…。

 開かれたキノのひとみに宿る光に、あきらめのかげ微塵みじんもなかった。

 キノの背後に見える窓の外、遠い丘の輪郭りんかくが濃紺に浮かび上がる。
 リシールの館。その東棟に配された中空の間に朝の陽が射し込む時、キノはラシャへと降りるだろう。そして、無の空間を旅するその時は、必ず力の護りとともにあらねばならない。

 たとえ、それが今日ではなく、何日か後のことになるとしても。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

離婚した彼女は死ぬことにした

まとば 蒼
恋愛
2日に1回更新(希望)です。 ----------------- 事故で命を落とす瞬間、政略結婚で結ばれた夫のアルバートを愛していたことに気づいたエレノア。 もう一度彼との結婚生活をやり直したいと願うと、四年前に巻き戻っていた。 今度こそ彼に相応しい妻になりたいと、これまでの臆病な自分を脱ぎ捨て奮闘するエレノア。しかし、 「前にも言ったけど、君は妻としての役目を果たさなくていいんだよ」 返ってくるのは拒絶を含んだ鉄壁の笑みと、表面的で義務的な優しさ。 それでも夫に想いを捧げ続けていたある日のこと、アルバートの大事にしている弟妹が原因不明の体調不良に襲われた。 神官から、二人の体調不良はエレノアの体内に宿る瘴気が原因だと告げられる。 大切な人を守るために離婚して彼らから離れることをエレノアは決意するが──。 ----------------- とあるコンテストに応募するためにひっそり書いていた作品ですが、最近ダレてきたので公開してみることにしました。 まだまだ荒くて調整が必要な話ですが、どんなに些細な内容でも反応を頂けると大変励みになります。 書きながら色々修正していくので、読み返したら若干展開が変わってたりするかもしれません。 作風が好みじゃない場合は回れ右をして自衛をお願いいたします。

あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます

おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」 そう書き残してエアリーはいなくなった…… 緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。 そう思っていたのに。 エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて…… ※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

家出したとある辺境夫人の話

あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』 これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。 ※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。 ※他サイトでも掲載します。

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。

松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。 そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。 しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。

【完結】愛も信頼も壊れて消えた

miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」 王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。 無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。 だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。 婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。 私は彼の事が好きだった。 優しい人だと思っていた。 だけど───。 彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。 ※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。

彼女にも愛する人がいた

まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。 「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」 そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。 餓死だと? この王宮で?  彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。 俺の背中を嫌な汗が流れた。 では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…? そんな馬鹿な…。信じられなかった。 だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。 「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。 彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。 俺はその報告に愕然とした。

処理中です...