この世界よりも、あなたを救いたい~幸運がいつもあなたのそばにあるように~

Kinon

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第9章 それぞれの役目

ひとりに -2

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 キノはベッドに寝そべり、携帯電話を耳にあてていた。
 午前2時04分。館に向かう予定の4時まで残り2時間。夜明けまでおよそ3時間半。力の護りが新たな祈りを発動可能にするまでは、4時間と10分。
 このまま何事もなく4時になれば、二人は館へと出発する。その途中でリシールたちが追って来たとしても、館のある森までは辿たどり着ける。その後どう転ぶかは、まだ誰にもわからない。

 館の目と鼻の先で騒動そうどうを起こされては困るという彼らの弱みをくのなら、1時だろうが4時だろうが変わりのないことだった。けれども、同じ制約を受けている涼醒の言葉が、おどしではなく本気であると思わせなければならない。一度きりの最後のチャンスにけると見せかけるには、夜明け間際まぎわの方がそれらしい。

 彼らは夜明けを待っている。ラシャの者がいなくなり、ジーグと交わしたジャルドの約束が完了する時を。それまで護りを遠ざけておくことが、館の外にいる者たちの役目であると考えて間違いはないだろう。

 ラシャの者は、同じ時に二人が人の姿で地上にあることは出来ない。そして、地上に降りた翌日の夜明けに戻らなかった場合、二度とラシャへは降りられず、ほぼ3日後にその力は消え失せる。
 ジャルドが自分の力をけたねらいは、そこにあったのだろう。約束の成立に従い、それを実行するジーグは、必ずラシャへ戻らなければならない。

 もし、この約束がなければ、ジーグは地上にとどまることも可能になる。たとえその力をなくすとしても、ラシャの者であれば、護りの安全を優先する。そして、ジーグがなくなるまでの間に、ラシャは何らかの手段をこうじ得る。それを未然に防ぎ、ジャルドは時が満ちるのを待っている。

 けれども、奏湖との電話で知ることとなったに、ジャルドの計画は変更を余儀よぎなくされたかもしれない。そのことが、キノと涼醒の不安をあおる要因となっていた。
 今この瞬間にも、護りを探す者がやって来るのではないかと。

 そんな話をひとしきり続けた後、キノは急に思いついたかのように、R市の海で見た夕陽を語った。いつか、希由香が浩司と一緒にあの砂浜に立つ日が来ることを願い、信じているのだと。

「私は、夜に見る海が好き。特に冬の、誰もいなくて寒くて、空より暗い海…出てくる陽も、沈む陽もなくていいの」

「泳がないなら、夏じゃなくてもいいか。俺も、夜の海は好きだな。ほかのものがみんな小さく思えて、自分がそこにいてもいなくても変わらない。なのに、ただいてもいいんだって気がしてくる」

「帰ったら、海に行きたいな…涼醒と一緒に」

「…希音が望むなら、いつでも連れてってやるよ」

「ありがとう、楽しみにしてる…」

 キノは落ち着かない様子で、何度も身体からだの向きを変える。

「あともう少しだね…。タクシー、入口まで呼んでもらうの?」

「ああ。その後で、俺が部屋まで迎えに行くから待ってろ。出る時は一緒でも、もうかまわないしな。4時になったら電話する。それまで、ゆっくりしてろよ」

「うん…涼醒もね」

 二人は通話を切った。キノは携帯電話を胸に抱え、目を閉じる。

 無事に館に着けるのかな…。最悪の場合は警察を呼ぶ…でも、そうしたらどうなるの? ジャルドがそんなことさせるはずはないって言うけど、もし、タクシーが襲われたら? 警察沙汰になったら、それを起こしたリシールは…ラシャの制裁って、何をされるの…? 涼醒をそんな目に合わすのは嫌だ。万一の時を考えたら、ここにいて時間が過ぎるのを待つ方がいいの? そして、護りを発動すれば…。だけど、そうしたら…。

 キノはベッドから起き上がり、窓に引かれたカーテンを開く。

 希由香…私、どうしたらいい? 間に合う可能性があるかぎり、浩司の祈りをあきらめたくないよ、そのためにここに来たのに…。たとえ世界が救えても、浩司を救えないんだったら、護りを見つけるのが私である意味なんてないじゃない? 希由香じゃなく、私が護りを手にしてることの意味が…きっとある、そうでしょう…?

 深い夜の空に、月が浮かんでいた。

 涼醒と見る海の上には、丸い月があるといいな…。

 今キノが目にしている白い月は、左半分を細く輝かせ、夜明けに向けて南の空を目指している。

 私、涼醒のことを大切だって思ってる。浩司のことも、希由香のことも…。何を選べば、誰も傷つかなくて済むの? 後悔はしたくない…どうするべきか、自分で決めなきゃならないってことは…どうしようもないことを受け止めるより、幸運なことなのに…どうして難しいの…。



 キノの手に持ったままの携帯が鳴った。涼醒にかけた電話を切ってから、ものの10分も経っていない。裂くように空気を震わせるその音が、悪い予感よりも確かな事実が起きたことを伝えている。

「涼醒? 何かあったの?」

「…リシールが一人ドアの前を通った。俺がこの部屋にいるのは当然感知しただろうし、俺に気づかれたのもわかってる。多分、少し離れたところで見張ってると思う。ホテルの外にも、少なくてもう一人はいるはずだ。希音もここにいると思ってくれてるな。応援を待ってから入って来るつもりらしい」

「どうやって…」

「奏湖が言ってたろ? 一族の男は全員、軍の特殊訓練を受けてるって。専門的な知識もばっちりだろう。いざとなれば、カードロックも開けられるさ。とにかく…4時になっても、俺は迎えに行けない。おまえはそこから一歩も出るな」

「でも…」

「時間がないんだ。約束してくれ。浩司が降りたら連絡する。それまで、無茶むちゃな真似はするな」

「涼醒はどうするの? つかまったら?」

「俺のことはいい、自分の心配だけするんだ。今は護りを無事にラシャに戻すことだけ考えなけりゃ…」

「涼醒が心配に決まってるでしょ!? つかまったらどうなるの? 」

 ヒステリックなキノの声に、涼醒が深い息を吐く。

「落ち着けよ。何があっても、希音がここにいることは言わない。だから安心し…」

「そんなこと心配してるんじゃないの! 涼醒に何かあったら…」

「それなら大丈夫だ。何されようが、死ぬことはないからな」

「でも…」

「もう切るよ。今ならまだ、騒ぎを起こさずに逃げ切るチャンスはある。そのための階段前の部屋だ。この携帯にはもう絶対にかけるなよ」

「涼醒…」

「どうなるかは、まだ決まっちゃいないさ。最後まであきらめなくてもいい。願いが叶うように祈ってろ。希音。大丈夫だ。おまえは強い」

「涼醒…私…」

 言い終わらぬうちに、通話が切れた。

 誰かと一緒に夜の海を見たいって、初めて思ったの…。私に…ひとりで海を見に行かせないで…。



 部屋のドアノブと携帯のリダイヤルボタンに触れそうになる指先を幾度もこらえながら、キノは一瞬たりともじっとしてはいられなかった。

 涼醒からの電話が切れてから30分後。キノは頭を熱からまそうと、熱いシャワーを浴びた。最後にかぶった冷水のしずくを滴らせたまま、窓の前に立ち尽くす。

 涼醒は、私を守ってくれてる。私が、自分の役目を果たせるように…。ありがとう。私は大丈夫だから、祈ってるから…涼醒も無事でいて…。

 澄んだガラスに映る背後の灯りから、キノの目が焦点をずらす。

 どうなるかは、まだ決まってない…。だけど、あと2時間半くらいで、夜が明け始める。浩司の祈りは、もう…間に合わないの?

 四角い窓の向こう、直線距離にして6キロ足らずの場所にある目的地が、今のキノには見えない海よりも遠かった。

 ううん、まだ…わからない。護りの発動は、明日の朝6時14分までだもん。明日の夜明けでも間に合うはず…それまでに何かいい方法が見つかって、何とか館に辿たどり着いて…それから、ここの継承者のうちの誰かが、ラシャへの道を開いてくれればだけど…。



 サイドテーブルの上の携帯電話が、キノが手にしてから2度目の呼び出し音を鳴らす。どこからのコールでも同じはずの機械音が、まるで意思を持つもののささやき声であるかのように響く。
 その音にどこか不穏なものを感じながら、キノは携帯の画面に目をやった。そこに映る着信番号が、涼醒の持つ携帯からだと伝えている。

「涼醒? 大丈夫だったの?」

 急いで通話ボタンを押してそう呼びかけたキノの耳に、涼醒からの返事はない。

「涼醒? 聞こえる?」

 不気味な沈黙のもたらす緊張に、キノの鼓動こどうは急速に速まって行く。

「涼醒…? そこにいるの? 聞こえてる?」

 繰り返されるキノの問いに、ようやく人の声が返される。けれども、それは涼醒のものではなかった。

「ちゃんと聞こえてるわ」

 虚空こくう凝視ぎょうしするキノの目のすみで、ルームライトの明りが色を失う。

「涼醒君じゃなくて、残念だったわね」

 聞き覚えのある声が、楽しそうに言って笑う。
 耳に響くその声に、頭の芯を揺らすような目眩めまい誘発ゆうはつされ、キノの視界がグラリと揺れた。
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