この世界よりも、あなたを救いたい~幸運がいつもあなたのそばにあるように~

Kinon

文字の大きさ
上 下
13 / 83
第3章 Reseal(リシール)

リシール

しおりを挟む
 キノがシートベルトを締めると、涼醒りょうせいの運転する車は勢い良く駐車場を飛び出した。

「涼醒君、きみの家に行く前に、うちに寄ってくれる?」

「通り道だしな。何か取って来たいものでもあるのか?」

 キノは少しだけ迷い、口を開く。

「コウに…ラシャの使いに、言っておきたいの。湶樹ちゃんのところに行くから遅くなるけど、心配…」

 涼醒が急ブレーキを踏んだ。キノの身体が前につんのめる。

「何…? どうしたの?」

「…ラシャの奴がいるのか?」

「え?」

 質問の意味が飲み込めず、キノは涼醒を見つめた。そこには、驚きと嫌悪の表情が浮かんでいる。

「知ってるんでしょ? ラシャの使いが私のところに来てること…」

「来たのはな。今も、まだいるのか?」

「うちにいるよ。何で?」

 涼醒が無言で車を発進させる。キノはわけがわからず、目の前を過ぎる白いビルと運転席を交互に見やる。

「私が湶樹ちゃんと会うこと、ラシャに知られない方がいいのかなとも考えたけど、コウをだますみたいで嫌なの。ちゃんと話せばわかってくれると思って」

「そういうことじゃない。そんなのは、黙ってたっていずれバレる。知ってるはずのないことを聞かされた時、あなたに知らないフリが出来るとは思えないからな」

「私にだって、必要な時に必要な顔くらい作れるよ」

「それが通用するのは、相手がただの人間の場合だろ」

 二人を乗せた車が、キノのアパートへと向かう脇道を通り過ぎる。

「このまま行くよ。先に湶樹と話した方がいい。ラシャの使いには、今言おうが後からだろうが大差ない」

「…じゃあ、何がまずいの?」

「来たのは2日の0時だったな」

「うん。わかったのは昼過ぎだけど」

「それからずっといるんだな? 今も、同じ奴が」

「うん。それがどうかしたの? コウは6日間いるって言ったよ」

 フロントガラスをにらむ涼醒の顔が険しくなる。沈黙が訪れる前に、キノが続ける。

「いったい何なの? コウは…ラシャの使いなんでしょう?」

「ラシャから来たのは、間違いないさ。その先は、湶樹に聞いてみろよ。あいつの方が詳しいし…確かだ」

「さっきも思ったんだけど、どうして?」

「何が?」

「湶樹ちゃんと比べるような言い方してる。きみも、リシールなんでしょう?」

 涼醒は乾いた声で笑った。

「一応はな。同じリシールの母親から、同じ日に生まれた。父親は普通の人間だが、双子はどっちもリシールだ」

「リシールは、遺伝なの?」

「優性遺伝に近いが、リシールの因子は潜在せず、母親から子へ伝わるだけだ。リシールも普通の人間も、両方生まれる」

「じゃあ、きみも湶樹ちゃんも、同じ血を引く、同じリシールじゃない」

「その血の濃さは、全く違うさ」

「どういうこと?」

「…俺はただのリシールだ。ほとんどの者たちと同じ、大した力は持っちゃいない。かすかな予知能力と精神感応のほかには、普通の人間より直感力や精神力が優れる程度さ。だけど、湶樹は違う。あいつは…リシールの継承者けいしょうしゃなんだ」

「継承者?」

「そうだ。ひとつの世界に数人しかいない。いつ、どこに現れるかは、全くわからない。突然変異みたいなものだな。湶樹は、その中の一人さ。力を持ち、一族を率いるべく生まれついた存在だ。物心ついた頃からずっと、湶樹と自分との違いを自覚させられて来た。まわりの者たちの態度が、俺にそう教え続けた。口には出さなくても、それくらいわかるさ。だから、自分を卑下ひげしたくなくても、自然にそういう言い方になっちまうんだ。故意にしてるわけじゃない」

 キノは何も言えなかった。涼醒はそれきり黙ったまま、ハンドルを握り続ける。


 キノの働くデパートから20分ほど走り、実家のある街に入った。湶樹たちの家は、小学校の向こうに見える丘の方にあるらしい。

「小学生の頃の湶樹ちゃんは覚えてるけど、きみのことはよく思い出せないな」

 子供の頃の通学路になつかしさを感じ、つぶやくようにキノが言った。

「俺はあなたを知ってたよ。あの頃から、キノって呼ばれてたな」

「みんな、希音きのんって言ってるんだろうけど、が聞こえなくて…の方が呼びやすいしね。だから、キノでいいって言うようにしたの」

「俺はちゃんと希音って言える」

 キノが笑う。

「じゃあ、そう呼んで。ずっと、何かおかしいと思ってたの。言葉使いが綺麗きれいなわけじゃないのに、きみが私のことをって言うから、変な感じだったんだ」

「知らない年上の女を、あんたとは言えないだろ。いつも他人には、わりと丁寧な言葉でしゃべるんだけど、なんとなく…希音にそういう気づかいは無用な気がしたんだ。俺にもいらないからさ」

「そうだね。1、2年長く生きてるからって、それなりの経験がなきゃ同じだもん。ちょっと早く生まれたのを理由にえらぶれるのは、学校の門の中だけ」

「同感だな。希音は俺より子供なところがありそうだし」

「反論は出来ないかも」

 涼醒が笑う。楽しい時やおかしい時と同じ普通の笑い声に、キノは何故かほっとする。
 タイヤの下は国道から県道へ、そして、今はセンターラインのない細道へと変わっていた。木々をぐ車のヘッドライト以外に灯りはない。

「こっちの方に来たことってなかったけど、家とか店とか全然ないんだね」

「子供の頃は不便だと思ってたよ。だけど、静かなのは嫌いじゃない。まあ、リシールのやかたが住宅街にあったら何かと面倒だろうから、へんぴなところにあるのは当然だな。年に何回かは大人数が集まるし、外国人も出入りするしさ」

「リシールは、世界中にいるの?」

「住む地域は限られるから…世界各国にいるわけじゃない。それに、行方をくらます者はほとんどいないから、一族の知らないところに存在するリシールもまずいない」

「全部でどれくらい?」

「リシールが生まれたら、必ずラシャに登録される。それによると、イエルでは6千人に欠けるくらいだな」

「結構大勢いるんだ」

「そうじゃない人間に比べたら、100万人に一人か二人さ。極端に増えも減りもしないらしい」

「そうなんだ…。私、世界やラシャ、それにリシールのことも、最近になって初めて知ったの。今、やっと少しずつわかって来たばっかり。私が知らなきゃいけないことも、きっとまだいっぱいあるはずなんだ。だから、涼醒もいろいろ教えてね」

 涼醒は前方から目をらし、キノを見つめた。すぐに視線を戻したその顔には、優し気な微笑みを浮かべている。

「えらく素直だな」

「そう? だって、知らなくて困ることはあっても、知ってて困ることはないでしょ? 私は、自分にとって辛いことでも知りたいの。知らない方がいい、その方が楽なことは確かにあるだろうけど…私はそんなのごめんよ。いいか悪いかは、自分で決める。だから、教えてくれる人がいるのは幸せなことだって思ってる」

「俺はひねくれて育ったから、そこまで素直じゃないけど…考え方は同じだな。与えられた嬉しい贋物にせものに踊らされるより、真実をつかんでからどうするか、自分で決める方がいい。その手がどんなに痛かろうが、その方がましさ。俺も希音の言うように、本当のことを知らずに笑ってるなんてのは…死んでもごめんだな」

「そういうところは気が合うね」

「合わないのがどこか、知ってるのか?」

 笑いながら、キノが答える。

「社交性の違いかな。店で美紅が言ってたじゃない、涼醒が合コンで人気者だったって。私、苦手なんだ。ああいうところで愛想良くするの」

「わかる気がする。嫌な男にはしかめっ面してそうだよな」

「一応、顔に出さずにはいられるけどね。まがりなりにも接客業してるし。でも、合コンには馴染めない。何か自分が…品評会で番号付けられてるみたいで」

「実際、その通りだろ。男も女も」

「涼醒はうまく振る舞えるんでしょう? さわやか好青年みたく」

 涼醒が声を上げて笑う。

「本当は違うような言い方だな」

「違うでしょ?」

「優しく気の利く男を、女は好むからな。そうしてた方が、何かと便利だ」

「相手を見つけるには都合がいいってこと? でも、本性はいつかバレるじゃない」

「そこまで長く、一緒にはいないさ」

 キノは眉を寄せる。

「すぐ別れちゃうの?」

「2、3度寝れば、それで終わる。喧嘩する暇もなく、飽きることもなく、丁度いいだろ。可愛い女はたくさんいるしな」

「女の子がかわいそうじゃない。それに、涼醒だってリシールでしょう? 知らないところで子供でも出来てたらどうするのよ。涼醒が何者か、ちゃんと教えてるの?」

「今まで、誰にも話したことはない。言っても信じるとは思えないしな。それに…俺が寝た女に子供が出来ることはありえないから、大丈夫さ」

 キノが涼醒をにらむ。

「何を根拠に?」

「…俺に、子孫を残す能力はない」

 涼醒が自嘲じちょう気味ぎみに笑う。

「さっき言ったろ。因子を持つ者は、必ずリシールとして生まれる。でも、それを残せるのは、女だけだ。リシールである父親は存在しない。リシールの男は生まれるが、子孫繁栄に貢献こうけんすることもない、役立たずさ」

「ごめんなさい、私…」

「希音が謝る必要はない。知って困ることはない、だろ? だから話したけど、気にするなよ。確かに、妊娠させる心配がないからって遊んでるのは俺だしな」

 タイヤが段差を踏み越えるような揺れを感じ、キノが後ろを振り返る。辺りは暗く、大きく茂った枝に揺れる葉が、空を覆い尽くしているようだった。

「ただ…彼女たちも似たようなもんさ。本当の俺なんか知ろうともしないし、愛してもいない。適当に顔が好みで、自分を気持ち良くしてくれる男なら、誰だって同じなんだ。俺は…一時いっときだけ、何もかも忘れさせてくれるならそれでいい。ほかには何も、望んじゃいない」

 キノは言葉が出なかった。涼醒は車の速度を落とし、森の中にある空き地のような場所で停めた。

「ここから少し歩く」

 涼醒がエンジンを切った途端、辺りは光を失った。車から降りた二人を闇が包む。

「こっちだ。足下に気をつけろよ」

 キノは涼醒の声が聞こえる方を見る。密集した木々の間から届く月明かりは、かろうじて人の輪郭が見えるくらいに弱い。キノはたどたどしく足を踏み出した。

「つかまれ」

 キノは一瞬ためらいながらも、差し出された涼醒の手を取った。浩司と似た繊細なその手が、キノを森の奥深くへと導いて行く。

「無口になったな。リシールの家に行くのは緊張するか。それとも、俺の女との付き合い方が気に食わないのか?」

 しばらく無言で歩き続けた後、涼醒が言った。

「ううん。涼醒も、愛する人に巡り会えるといいなって思ってただけ」

「希音は信じてるのか? そういう奴がどこかにいるって」

「うん。何度離れちゃっても、何度でも出会うような相手…だからって、運命の人だとかは思わない。愛するかどうかは、自分の心が選ぶと思うから」

「愛してるなんて、どうやってわかる? それがなくても、楽しめるだろ」

「でも、身体からだが触れてても…心は寒いじゃない。涼醒も、寂しく思うでしょ?」

「そうだな…」

「だから…出会えるって信じたいの」

「…いつか、会えるといいな。おまえも、俺も」

 暗闇の中、キノは涼醒を見つめる。真直ぐ前を見ているその横顔が、ぼんやりとした灯りに照らし出されて来る。

「湶樹がお待ちかねだ」

 涼醒の言葉にキノが前を向く。
 そこには、鬱蒼うっそうとした森の中に突然現れたかのように大きな、そして、どことなく畏怖いふを感じさせる館があった。真黒く見えるその壁に窓から漏れる明りはなく、玄関と思われる扉の前には、ランプを手にした湶樹が立っている。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

すれ違ってしまった恋

秋風 爽籟
恋愛
別れてから何年も経って大切だと気が付いた… それでも、いつか戻れると思っていた… でも現実は厳しく、すれ違ってばかり…

拝啓、大切なあなたへ

茂栖 もす
恋愛
それはある日のこと、絶望の底にいたトゥラウム宛てに一通の手紙が届いた。 差出人はエリア。突然、別れを告げた恋人だった。 そこには、衝撃的な事実が書かれていて─── 手紙を受け取った瞬間から、トゥラウムとエリアの終わってしまったはずの恋が再び動き始めた。 これは、一通の手紙から始まる物語。【再会】をテーマにした短編で、5話で完結です。 ※以前、別PNで、小説家になろう様に投稿したものですが、今回、アルファポリス様用に加筆修正して投稿しています。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

王妃様は死にました~今さら後悔しても遅いです~

由良
恋愛
クリスティーナは四歳の頃、王子だったラファエルと婚約を結んだ。 両親が事故に遭い亡くなったあとも、国王が大病を患い隠居したときも、ラファエルはクリスティーナだけが自分の妻になるのだと言って、彼女を守ってきた。 そんなラファエルをクリスティーナは愛し、生涯を共にすると誓った。 王妃となったあとも、ただラファエルのためだけに生きていた。 ――彼が愛する女性を連れてくるまでは。

処理中です...