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第1章:ダメ男とばかりつき合ってしまう
8. みんな、何かしらと闘ってるんだね
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「マオさん、あさっての3時に予約を入れていきました」
「彼女は大丈夫そうだ。よかったな」
「そうですね。過去の男に囚われてダメ男としかつき合えないままでいたら、人生ムダにしちゃいますもん」
絵具のチューブをしまいながら視線を感じて顔を上げると、葦仁先生が私を見ていた。
「何ですか?」
「実感がこもってるように聞こえたから。西園寺さんの彼氏はダメ男なのかと思ってね」
私はわざとらしく顔をしかめて見せる。
「私を勝手にセラピーするの、やめてください」
「必要になったらいつでもしてあげるよ」
「けっこうです。私、メンタル弱いですから」
葦仁先生が声を上げて笑う。
信じてないな。まぁ、嘘だけど。
この男相手に心理戦やるほどバカじゃないし、弱みを晒すほど無防備でもない。
自分のプライベートはほとんど話したことないけど、先生の情報はセラピーの中でチラホラ出てくるから少しは知っている。
「先生。奥さんが僕のすべてだって……本当ですか?」
「うん。きみは冗談だと思ったの?」
「いえ。確認しただけです」
冗談だと思った。
マオさんが冷めた目で見ちゃうって言ったことを、あえて口にしてみただけだって。
「愛される覚悟ってやつがあるんですか?」
「そう。僕じゃなく彼女のほうにね」
葦仁先生をまじまじと見つめた。
「おかしいかな? 僕がひとりの女のために生きてるのは」
ハッキリ言っておかしい。
ここで働き始めて約4ヶ月。
セラピーでの持論とクライアントが全く来ない時のちょっとした世間話から、この人は倫理的にも心理的にも利己主義者だと思っていたからだ。
誰のためでもなく自分のために生きろ。
クライアントにそう諭していたこともあるのに。
「正直意外です。先生に奥さんがいるのは聞いてましたけど……そこまでとは」
「意外、ね。きみとは私生活の話をあまりしないからかな」
「してほしいですか?」
「いや。助手としてのきみの能力を把握出来ていれば十分だ」
「私もです。セラピストとしての先生を信頼出来れば、それでいいと思います。あ、そうだ」
片づけの手を止めて、葦仁先生に視線を留める。
「笑っちゃってすみません。マオさんに、若い女性の涙には弱いって言った時に」
「嘘だと思ったの?」
「違います?」
葦仁先生が苦笑する。
「確かに弱くはないな。女が泣くのは8割が演出だと思ってるからね」
「残りの2割は?」
「1割はただの生理現象。1割は感情の結露。これには女も男もないし、黙って見守るしかない。たまに見惚れることもあるよ」
「マオさんの感情は悲しみと悔しさ?」
「それと、憐み。憐憫の情ってやつだ。彼女の場合は自分に対するね」
「自分をかわいそうって思ったら負けです」
つい口にした言葉に、葦仁先生が片方の眉を上げる。
「何に?」
「さあ……臆病な自分とか運命とか。特に相手を想定して言ったわけじゃないですけど」
「みんな、何かしらと闘ってるんだね」
葦仁先生は何と闘っているのか。
みんな何と、何のために闘っているんだろう。
そして、私は。
闘う相手が何なのか、何を求めて闘うのか……今はもうわからない。
すでに闘いを放棄して、ただ流されているだけのような気もする。
「敵じゃない、見えないものが相手だと分が悪いな」
「そう思います」
それきり、葦仁先生はデスクで書類を書き始め、私は絵具の小皿と筆を洗いにキッチンへと向かった。
洗い物を済ませ、入り口のドアの施錠を解除し、プレートを裏返す。
カウンセリング中から受付中へ。
1日に訪れるクライアントの数は、7時間の営業のため多くて4人。平均2人。ひとりも来ない日も月1くらいである。もっとも、週によって2~4日の不規則営業だけど。
今日はもう5時を回ってるから、クライアントは来てもあとひとりか。
両手を上に伸ばして首を回す。
来客のない時間は、すぐに対応できる状態でこの場にいる限り、何をするのも自由だ。
なので、受付カウンターのイスに座ってパソコン画面を見ていることが多い。もちろん、仕事じゃなく暇つぶしのネット閲覧。
この時間、勉強に充てれば資格のひとつでも取れそうだといつも思う。
ドロックが廃業した時は占い師になろうかな。
そう考えるのは、この占いビルにあるほぼすべての店舗で常に占い師および鑑定士を募集してるから。
そして、どの店もわりと繁盛している。
多くの人が、誰かに何かに救いを求めてるんだろう。
たとえ嘘偽りの言葉でも。幸運の欠片を大げさに解釈した明るい未来の予言でも。本人が効くと信じれば絶大な効果を発揮する助言になる。
少なくとも、自分を変えるきっかけにはなりそうだ。
ここドロックも同様。
セラピーを見て楽しみつつ、救われるクライアントを見続けていれば……私も自分を変えたくなるかもしれない。
カウンターに腰を押しつける前に、まずは二人分のコーヒーを淹れようと思ったところで。
入り口の向こうに人影が現れ、ドアが開く。
「いらっしゃいませ」
キッチンへと向かいかけた踵を返し、受付カウンターの中に戻る。
「こんにちは。カラーセラピー研究室『ドロック』にようこそ。助手の西園寺と申します」
私は柔らかな笑みを浮かべ、本日二人目のクライアントを温かく迎えた。
「彼女は大丈夫そうだ。よかったな」
「そうですね。過去の男に囚われてダメ男としかつき合えないままでいたら、人生ムダにしちゃいますもん」
絵具のチューブをしまいながら視線を感じて顔を上げると、葦仁先生が私を見ていた。
「何ですか?」
「実感がこもってるように聞こえたから。西園寺さんの彼氏はダメ男なのかと思ってね」
私はわざとらしく顔をしかめて見せる。
「私を勝手にセラピーするの、やめてください」
「必要になったらいつでもしてあげるよ」
「けっこうです。私、メンタル弱いですから」
葦仁先生が声を上げて笑う。
信じてないな。まぁ、嘘だけど。
この男相手に心理戦やるほどバカじゃないし、弱みを晒すほど無防備でもない。
自分のプライベートはほとんど話したことないけど、先生の情報はセラピーの中でチラホラ出てくるから少しは知っている。
「先生。奥さんが僕のすべてだって……本当ですか?」
「うん。きみは冗談だと思ったの?」
「いえ。確認しただけです」
冗談だと思った。
マオさんが冷めた目で見ちゃうって言ったことを、あえて口にしてみただけだって。
「愛される覚悟ってやつがあるんですか?」
「そう。僕じゃなく彼女のほうにね」
葦仁先生をまじまじと見つめた。
「おかしいかな? 僕がひとりの女のために生きてるのは」
ハッキリ言っておかしい。
ここで働き始めて約4ヶ月。
セラピーでの持論とクライアントが全く来ない時のちょっとした世間話から、この人は倫理的にも心理的にも利己主義者だと思っていたからだ。
誰のためでもなく自分のために生きろ。
クライアントにそう諭していたこともあるのに。
「正直意外です。先生に奥さんがいるのは聞いてましたけど……そこまでとは」
「意外、ね。きみとは私生活の話をあまりしないからかな」
「してほしいですか?」
「いや。助手としてのきみの能力を把握出来ていれば十分だ」
「私もです。セラピストとしての先生を信頼出来れば、それでいいと思います。あ、そうだ」
片づけの手を止めて、葦仁先生に視線を留める。
「笑っちゃってすみません。マオさんに、若い女性の涙には弱いって言った時に」
「嘘だと思ったの?」
「違います?」
葦仁先生が苦笑する。
「確かに弱くはないな。女が泣くのは8割が演出だと思ってるからね」
「残りの2割は?」
「1割はただの生理現象。1割は感情の結露。これには女も男もないし、黙って見守るしかない。たまに見惚れることもあるよ」
「マオさんの感情は悲しみと悔しさ?」
「それと、憐み。憐憫の情ってやつだ。彼女の場合は自分に対するね」
「自分をかわいそうって思ったら負けです」
つい口にした言葉に、葦仁先生が片方の眉を上げる。
「何に?」
「さあ……臆病な自分とか運命とか。特に相手を想定して言ったわけじゃないですけど」
「みんな、何かしらと闘ってるんだね」
葦仁先生は何と闘っているのか。
みんな何と、何のために闘っているんだろう。
そして、私は。
闘う相手が何なのか、何を求めて闘うのか……今はもうわからない。
すでに闘いを放棄して、ただ流されているだけのような気もする。
「敵じゃない、見えないものが相手だと分が悪いな」
「そう思います」
それきり、葦仁先生はデスクで書類を書き始め、私は絵具の小皿と筆を洗いにキッチンへと向かった。
洗い物を済ませ、入り口のドアの施錠を解除し、プレートを裏返す。
カウンセリング中から受付中へ。
1日に訪れるクライアントの数は、7時間の営業のため多くて4人。平均2人。ひとりも来ない日も月1くらいである。もっとも、週によって2~4日の不規則営業だけど。
今日はもう5時を回ってるから、クライアントは来てもあとひとりか。
両手を上に伸ばして首を回す。
来客のない時間は、すぐに対応できる状態でこの場にいる限り、何をするのも自由だ。
なので、受付カウンターのイスに座ってパソコン画面を見ていることが多い。もちろん、仕事じゃなく暇つぶしのネット閲覧。
この時間、勉強に充てれば資格のひとつでも取れそうだといつも思う。
ドロックが廃業した時は占い師になろうかな。
そう考えるのは、この占いビルにあるほぼすべての店舗で常に占い師および鑑定士を募集してるから。
そして、どの店もわりと繁盛している。
多くの人が、誰かに何かに救いを求めてるんだろう。
たとえ嘘偽りの言葉でも。幸運の欠片を大げさに解釈した明るい未来の予言でも。本人が効くと信じれば絶大な効果を発揮する助言になる。
少なくとも、自分を変えるきっかけにはなりそうだ。
ここドロックも同様。
セラピーを見て楽しみつつ、救われるクライアントを見続けていれば……私も自分を変えたくなるかもしれない。
カウンターに腰を押しつける前に、まずは二人分のコーヒーを淹れようと思ったところで。
入り口の向こうに人影が現れ、ドアが開く。
「いらっしゃいませ」
キッチンへと向かいかけた踵を返し、受付カウンターの中に戻る。
「こんにちは。カラーセラピー研究室『ドロック』にようこそ。助手の西園寺と申します」
私は柔らかな笑みを浮かべ、本日二人目のクライアントを温かく迎えた。
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