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第1章:ダメ男とばかりつき合ってしまう
5. 描くのは絵じゃなくて『色』
しおりを挟む「この……色の下に書いてあるのは? 何かのキーワード?」
色見本から視線を上げてマオさんが問うと、葦仁先生は軽く笑った。
「いや。塗ってある絵具の色の名称だから、気にしなくていい。数字も関係ない。色だけ見て決めて」
「わかりました」
そうは言っても。
文字があったら読んじゃうし気にもなるだろうから、本当は色名なんかないほうがいい。
各色についてる普段見慣れない名前。キナクリドンなんたらとかフタロなんたらとか、意味不明なのはいいけど。
ルナブルーとかローズマダーとか、なんかかわいい名前もあるし。ラピスラズリってパワーストーンだし。
初めは、色の名前は書かれてなかった。でも、書いてないと助手が困ったのだ……つまり、私が。
クライアントが選んだ色の絵具を、それぞれ小皿に水で溶いて描ける状態にするのは私の仕事で。
色名がないとどの絵具かわからない。色名がわかっても、120色からパッと手に取れない。そのため、今は色名と、さらにナンバーが書いてある。絵具チューブのほうにもナンバーを記したシールをつけて対応させた。
葦仁先生が文句を言わなかったのは、そうしないと助手が準備するのに恐ろしく時間がかかるのを見て知ったから。
「じゃあ、この色と……」
マオさんの指が指したのはカーマイン。深い赤だ。
手に持ったノートパッドに記録する。
「あと、この色」
もう一色はインディアンイエロー。黄土色に近い黄色。
「次に、きみの悩みのダメ男を表す色を。直感で」
葦仁先生が言うと、マオさんは再び色見本に目を走らせた。
「これ、かな」
選んだのはシャドーバイオレット。暗く濁った紫。
マオさんの選んだ3色をナンバーつきで記入した私は、その絵具を用意しにキャビネットに向かう。
「もう一度色を選んでもらうけど、その前に目を閉じて深呼吸して」
「え……はい」
フーっというマオさんの息を吐く音が聞こえた。
「きみは何の制限もなく自由だ。きみの隣には理想の男性がいて、彼を愛している。満たされた自分をイメージして目を開けて」
20秒くらい経ってから、マオさんが目を開けた。
「うまくイメージ出来たか自信ないけど……」
「かまわない。今度は、今のイメージに合う色を選んで。悩みが解決した自分。こうなりたいと思う自分。望む自分を表す色だ」
引き出しから取り出した3色の絵具と、白くて浅い小皿6枚を手にテーブルに戻る。
葦仁先生の前に持ってきたものをそっと置き、私は待機。
「決めました」
さっき選んだ色を私が書き留めたのを見ていたマオさんが、こっちを見やる。
「この色と……」
アマゾナイト。明るいターコイズブルー。
「この色で」
カスケイドグリーン。青みがかった深い緑。
「最後に、望む自分にふさわしい相手を表す色を」
「この色」
彷徨うマオさんの指が止まったのは、グリーンゴールド。草色の入った渋い黄色。
三つの色名とナンバーを記入し、キャビネットへ。
新たに3色の絵具を探す。
「きみの選んだ色で、2枚の紙に描く」
「でも私……」
「描くのは絵じゃなくて色だ。2通りのきみの状態を表す色だよ」
「それがセラピーなの?」
「第一段階のね。さっき言ったろう? きみの悩みの原因を、描いた色で説明する。比較対象として、悩みのない望む自分の色も描くんだ」
わけがわからないといった顔のマオさんに、葦仁先生が続ける。
「きみがこの色を選んだ理由を、きみの潜在意識は知ってる。自分と向き合うことがこのセラピーの目的で、僕はその補佐に過ぎない」
3色の絵具チューブと6本の絵筆、刷毛を1本。そして、水を入れた筆洗をテーブルに置く。
6枚の小皿を並べる私の横に来た葦仁先生が、用意した6本の絵具を確認する。
私に頷き、先生は筆洗と刷毛を手にマオさんのほうへ。ホワイトボードに貼られた紙を、無造作に刷毛で濡らしていく。
それを横目に、それぞれの小皿に1センチ弱ずつ絵具を絞り出す私。
その様子を見ているマオさん。
絵具の準備中は質問してくるクライアントに葦仁先生が答えてることが多いけど、マオさんが黙ったままなので今日は静かだ。
1色に1本ずつ絵筆を使い、水を垂らして適度な濃度に混ぜる。出来上がった6色の絵具の小皿を、マオさんの隣に立つ葦仁先生の前に並べた。
準備完了。
「じゃあ、まず、こっちの紙に、この2色で描こう。マオさんは右利き?」
「そうです」
マオさんの手元にボード。その右側に、赤と黄色、紫の絵具の小皿を配置する葦仁先生。
「先生。Pって何ですか?」
マオさんが尋ねる。
目の前の湿った紙の右上に、Pの文字が描いてあるからだ。
「プロブレムのP。解決すべき問題」
「描くって……どうやって?」
「どっちからでもいい。1色ずつ、筆に絵具をつけて紙に乗せる。上下半々でも左右でも。二重丸にしてもシマシマでもいい。文字を描いてもいいよ。悩みという字とか」
笑みを浮かべる葦仁先生を見て、マオさんも口元をほころばせた。
「ひとつ言っておくと、湿らせた紙に絵具を乗せると色は滲んで広がる。2色が混ざっても問題ないから。好きに描いて」
「わかりました」
マオさんは、赤色のほうの筆を取った。
チョンチョンと絵具をつけて息をつく。
「あっ……」
紙に最初の一筆を乗せたマオさんが声を漏らす。
「大丈夫。そのまま描いて……そう。次は2色めを」
マオさんは筆を持ち替え、紙に向かう。
私と葦仁先生が見守る中、Pの紙は赤と黄色に染められた。
「最後にこの色だ。好きな場所に色を落として。点でも線でもいい」
鈍い紫の線が、赤と黄に足された。
「オーケー。これで完成だ」
葦仁先生の言葉に、マオさんがホッとしたように息を吐く。
「今度は、望む自分を描く」
描き終えたボードを上にどかし、もう1枚のボードをマオさんの前に設置する葦仁先生。
右側に置かれた絵具の小皿も、ターコイズグリーン、緑、黄色のものに変える。
2枚目の紙に描かれている文字はS。
「Sは何の頭文字?」
「ソリューション。解決策。描き方はさっきと同じだ」
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