上 下
22 / 25

10 蠢めく陰謀(1)

しおりを挟む

 季節は確実に巡っていく。
 朝晩の冷え込みは、相変わらずジークの身体を芯まで凍えさせている。しかし、いつの間にか陽の当たる日中は、微かな暖かさを感じられるようになっていた。
 それ意識せねば気づかぬほどほどのゆっくりとした変化だけれども、春の足音となって静かに近づいている。

「お、珍しい」

 そんな優しい陽の光に誘われ、フラフラとあてどない散歩に出たところで。城壁の上で気持ち良さそうに眠る猫を見つけ、ジークはつい目を細めた。
 哀しいことに、大概の小動物は彼がそばに寄った途端に怯えたように逃げ去って行ってしまう。寝ている姿ではあっても、ここまで無防備な動物に近寄れることは滅多にないのだ。
 少しばかりの距離を置いて、ジークは微笑ましそうに昼寝に興じる猫を見守る。

 本当はその小さな頭を撫でてみたい。フカフカのお腹に顔を埋めて、太陽の匂いに包まれたい。叶わないことは承知の上で、そんな夢を見る。
 パタン、パタンと一定のリズムで地面を叩く尻尾は心地良さの表れだろうか。その動きに髪を梳かしている時のカナタの反応が思い出されて、ジークの唇が緩む。

「ふぎゃっ!」

 しかし、そんな和やかな時間はそれほど長くはもたなかった。何の前触れもなく猫は目を覚まし、そして尻尾を踏まれたような悲鳴を上げてあっという間に逃げていく。
 その一直線に逃げる後ろ姿を、肩を竦めて見送った。とはいえ、もうそんな反応にも慣れきってしまった。今更傷つくほどでもない。

 そういえば、この場面を初めてみた時のカナタは、恐ろしいほどのショックを受けていたな――そんなことを思い出して、心がほっこりした。
 打ちひしがれた、という表現がぴったりだった彼女の表情。動物たちが逃げ出していく光景を我がことのように嘆くその様子はジークの心は大いに慰めたし、何よりも非常に愛らしかった。

 その結果、謎の責任感まで発揮して「また尻尾触っても良いよ……」という言葉まで引き出せたのだから、ジークとしては逆に運が良かったとすら感じている。

 本当のところ、今はもうそれほど触れ合いに飢えているわけではない。確かにかつては居場所も友人も居ない現状を慰める存在が欲しくて、小動物たちに癒しを求めていた。
 でも、もう自分は孤独ではないのだ。居場所も、仲間も居る。触れ合いは、カナタの毛皮が撫でられれば十分。
 ……その発想が、いささか健全ではないことくらい自覚はしているけれど。まぁ、カナタが可愛すぎるのが悪いのだ。



 ――ご機嫌な散歩は、長くは続かなかった。

「良かった、ジーク。ここに居たのか!」
「リカルド、何かあったのか?」

 あわただしい足音と共に現れた友人。身構えたジークに、リカルドは時間が惜しいといった様子で細かく頷いた。

「ああ。何も聞かず、俺を信じてすぐここを去ってくれジーク。誰に何を言われようと足を止めず、今すぐまっすぐに辺境領を出るんだ、

 早口でまくしたてると、俺は、とくしゃりと顔をゆがめてリカルドは少しだけ言い淀む。

「立場上、これ以上のことは言えないんだ。ただ、お前には生きていてほしい。どうか、言うとおりにしてくれないか」

「取り込み中失礼します、ジーク殿。伯爵がお呼びです。今すぐに執務室まで来るようにと」
「っ!」
「叔父上が?」

 二人の会話を遮った兵士の言葉に、リカルドの顔色が変わった。

「駄目だ! 行くな、ジーク! 早く、外へ!」
「リカルド……」

 必死の形相の彼に、肩を掴まれた。思わず顔を顰めてしまうほどの強い力だ。
 何が起きているのかは、わからない。しかしリカルドがジークに向けるその表情は鬼気迫っていて、自分がのっぴきならぬ状況に追い込まれていることを否応なしに感じさせる。

 その手をそっとほどき、ジークはリカルドにゆったりと笑いかけた。

「ありがとう、リカルド。お前には……本当に感謝している。でも、俺はここを離れることはできない。お前の言葉を信じていないわけじゃないんだ。ただ、俺は責任を果たさなくては」
「ダメだ、ダメだダメだ……!」
「叔父上は執務室だな? すぐに向かう」
「ジーク!」

 呼び止める彼の声に、振り返ることはしなかった。この判断がこれからの未来を左右することになるだろうと薄々察しながらも、伯爵のもとへと向かうジークの足取りに迷いはない――。



「叔父上、お呼びでしょうか」
「……ああ、入りなさい」

 低い声の返事と共に、深い飴色の扉が開かれた。出迎えるのは、古いが作りのしっかりとした机と、ぎっしりと本の詰まった本棚。ほとんどそれだけしかない執務室は、辺境伯の性格をよく表した内装だ。
 ジークはほんの少しだけため息を吐きだすと、まっすぐに顔を上げて室内へと足を踏み入れた。

 ――執務室で辺境伯に相対するのは、これが初めてではない。しかし、ここまで物々しく重苦しい雰囲気は今まで味わったことのないものだった。
 相手に気づかれないように緊張の唾をこっそりと呑み込んで、ジークは厳しい表情の伯爵へと向き合う。
「先ほど、王都から早馬があった」
 ぱさり、と机上に置いたのは、早馬が運んできた書状だろうか。机の上に肘を置くと、伯爵は重々しく告げる。
「陛下が、崩御ほうぎょなされたそうだ」
「……っ!」

 予想もしていなかった、父の死の報せ。
 息を呑んで言葉を失ったジークに、伯爵は淡々と言葉を重ねる。

「急な病だったそうだ。これからひと月の間、国を挙げた葬儀が行なわれる予定だ」
「では、俺も王都に……」
「それには及ばない」

 きっぱりと言って、伯爵は心苦しそうにジークの目を見据える。

「第一王子である君には、今、クーデターの疑いがかけられている。国王の死を契機に武装蜂起をしようとしている……とね」

「なっ……!」

 あまりの言い草に、思わず声を失った。

「もちろん、私としてもこの話が言い掛かりであることは十分承知している。だが、こういった通達が出ている以上、君が葬儀に出向くのは悪手でしかないんだ。……わかるね?」

 黙り込んでしまったジークを見て、伯爵はやるせなさそうに嘆息した。

「君の気持ちも、よくわかる。私もこの地を預かる領主として、中央の理不尽な要求を許容するつもりはない。だが、今は情報が少なすぎるんだ。私は葬儀に参加しがてら、今後の趨勢すうせいを見極めてくる。私が帰ってくるまで、君は辺境領から動かないように」
「待ってください!」
「話は、以上だ。部屋へ戻りなさい。しばらくは外部との接触も可能な限り控えるように」
「そんな……叔父上、もう少し話を! 叔父上……!」



「くそっ!」

 有無を言わさず押し込められた自室で、ジークは苛立ちをぶつけるように机を殴りつけた。頑強な執務机はびくともせず、ジークの手にただ痛みだけが伝わってくる。

 ――父が死んだ。
 それ自体、気が重くなるしらせだというのに、己はその葬儀にすら立ち会えない。
 それどころか、自分の描いていたささやかな願いまでもが奪われようとしているのだ。なのに何もできずにいる自分が、もどかしくてたまらない。

(どうして、立太子の儀を待たずに死んでしまったのですか……)

 亡くなった父親に、届くはずのない恨み言を呟く。
 脳裏に思い浮かぶ父の顔はジークが少年の頃会ったときのもので、そういえば父親とはもう何年も顔を合わせてすらいないことに気がついた。

 父親らしいことをしてもらった記憶はひとつもない。親子の絆と呼べる記憶も何もない。
 それでも、彼にとって唯一の肉親が亡くなったということは、心のどこかにぽっかりと大きな穴をあけていた。ずるずると壁にもたれながら、力なくジークは座り込む。

(アイツが十五の成人を迎えて立太子がつつがなく済めば、解放されると思っていたんだがな……)

 自分の運のなさが、つくづく嫌になる。
 一人きりの部屋の中では、思考は陰鬱な方にしか向かない。伯爵が帰ってくるまでは外出も禁じられているから、人と会って気晴らしをすることもできない。要は軟禁状態だ。

(これから俺は、どうすべきなのだろう……)

 力なく瞼を閉じて、考える。しかし、その答えはいつまで経っても見つからなかった。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

義妹が本物、私は偽物? 追放されたら幸せが待っていました。

みこと。
恋愛
 その国には、古くからの取り決めがあった。  "海の神女(みこ)は、最も高貴な者の妃とされるべし"  そして、数十年ぶりの"海神の大祭"前夜、王子の声が響き渡る。 「偽神女スザナを追放しろ! 本当の神女は、ここにいる彼女の妹レンゲだ」  神女として努めて来たスザナは、義妹にその地位を取って変わられ、罪人として国を追われる。彼女に従うのは、たった一人の従者。  過酷な夜の海に、スザナたちは放り出されるが、それは彼女にとって待ち望んだ展開だった──。  果たしてスザナの目的は。さらにスザナを不当に虐げた、王子と義妹に待ち受ける未来とは。  ドアマットからの"ざまぁ"を、うつ展開なしで書きたくて綴った短編。海洋ロマンス・ファンタジーをお楽しみください! ※「小説家になろう」様にも掲載しています。

失敗作の愛し方 〜上司の尻拭いでモテない皇太子の婚約者になりました〜

荒瀬ヤヒロ
恋愛
神だって時には失敗する。 とある世界の皇太子に間違って「絶対に女子にモテない魂」を入れてしまったと言い出した神は弟子の少女に命じた。 「このままでは皇太子がモテないせいで世界が滅びる!皇太子に近づいて「モテない魂」を回収してこい!」 「くたばれクソ上司」 ちょっと口の悪い少女リートは、ろくでなし上司のせいで苦しむ皇太子を救うため、その世界の伯爵令嬢となって近づくが…… 「俺は皇太子だぞ?何故、地位や金目当ての女性すら寄ってこないんだ……?」 (うちのろくでなしが本当にごめん) 果たしてリートは有り得ないほどモテない皇太子を救うことができるのか?

婚約破棄された私が、再度プロポーズされた訳

神楽ゆきな
恋愛
アリシアは公爵令嬢としての身分を隠し、平民の格好をして、村へ遊びに出かけるのが楽しみだった。 好きでもない婚約者、ビクターとの結婚式が来月に迫っていることもあり、残り少ない自由な時間を満喫していたのである。 しかし、ある日突然、ビクターから婚約破棄を申し入れられる。 理由は、運命の人に出会ってしまったから。 両親は嘆いたが、アリシアは面倒な結婚から逃れられて大層喜んだ。 ところが……いつも通り平民に変装していたアリシアの前に、ビクターが現れると、いきなりプロポーズしてきたのである。 彼の言う運命の相手とは、アリシアのことだったのだ。 婚約破棄されて自由になったはずのアリシアだったが、ここからさらなる面倒ごとに巻き込まれていく。

【完結】うっかり異世界召喚されましたが騎士様が過保護すぎます!

雨宮羽那
恋愛
 いきなり神子様と呼ばれるようになってしまった女子高生×過保護気味な騎士のラブストーリー。 ◇◇◇◇  私、立花葵(たちばなあおい)は普通の高校二年生。  元気よく始業式に向かっていたはずなのに、うっかり神様とぶつかってしまったらしく、異世界へ飛ばされてしまいました!  気がつくと神殿にいた私を『神子様』と呼んで出迎えてくれたのは、爽やかなイケメン騎士様!?  元の世界に戻れるまで騎士様が守ってくれることになったけど……。この騎士様、過保護すぎます!  だけどこの騎士様、何やら秘密があるようで――。 ◇◇◇◇ ※過去に同名タイトルで途中まで連載していましたが、連載再開にあたり設定に大幅変更があったため、加筆どころか書き直してます。 ※アルファポリス先行公開。 ※表紙はAIにより作成したものです。

【完結】王太子と宰相の一人息子は、とある令嬢に恋をする

冬馬亮
恋愛
出会いは、ブライトン公爵邸で行われたガーデンパーティ。それまで婚約者候補の顔合わせのパーティに、一度も顔を出さなかったエレアーナが出席したのが始まりで。 彼女のあまりの美しさに、王太子レオンハルトと宰相の一人息子ケインバッハが声をかけるも、恋愛に興味がないエレアーナの対応はとてもあっさりしていて。 優しくて清廉潔白でちょっと意地悪なところもあるレオンハルトと、真面目で正義感に溢れるロマンチストのケインバッハは、彼女の心を射止めるべく、正々堂々と頑張っていくのだが・・・。 王太子妃の座を狙う政敵が、エレアーナを狙って罠を仕掛ける。 忍びよる魔の手から、エレアーナを無事、守ることは出来るのか? 彼女の心を射止めるのは、レオンハルトか、それともケインバッハか? お話は、のんびりゆったりペースで進みます。

おばさんは、ひっそり暮らしたい

波間柏
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。 たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。 さて、生きるには働かなければならない。 「仕方がない、ご飯屋にするか」 栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。 「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」 意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。 騎士サイド追加しました。2023/05/23

【完結】婚約破棄はブーメラン合戦です!

睫毛
恋愛
よくある婚約破棄ものです 公爵令嬢であるナディア・フォン・サルトレッティは、王家主催の夜会の最中に婚約者である王太子ジョバンニ・ダッラ・ドルフィーニによって婚約破棄を告げられる。 ええ、かまいませんよ。 でもしっかり反撃もさせていただきます。 それと、貴方達の主張は全部ブーメランですからね。 さっくりざまぁさせていただきます! ざまぁ本編は一応完結(?)です。 ブーメラン後の話の方が長くなってます(;'∀') 元婚約者が反省したり(遅い) 隣国の王族が絡んできたりします! ナディアが段々溺愛されていきます(笑) 色々と設定は甘め 陰謀はさくっと陰で解決するので、謎はあまり深堀しません そんな感じでよろしければ是非お読みください(*´Д`) 何だか長くなってきたので、短編から長編に変更しました・・・

【完結】伯爵の愛は狂い咲く

白雨 音
恋愛
十八歳になったアリシアは、兄の友人男爵子息のエリックに告白され、婚約した。 実家の商家を手伝い、友人にも恵まれ、アリシアの人生は充実し、順風満帆だった。 だが、町のカーニバルの夜、それを脅かす出来事が起こった。 仮面の男が「見つけた、エリーズ!」と、アリシアに熱く口付けたのだ! そこから、アリシアの運命の歯車は狂い始めていく。 両親からエリックとの婚約を解消し、年の離れた伯爵に嫁ぐ様に勧められてしまう。 「結婚は愛した人とします!」と抗うアリシアだが、運命は彼女を嘲笑い、 その渦に巻き込んでいくのだった… アリシアを恋人の生まれ変わりと信じる伯爵の執愛。 異世界恋愛、短編:本編(アリシア視点)前日譚(ユーグ視点) 《完結しました》

処理中です...