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幕間 あるメイドの見た景色

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 ガシャーンッ! と食器が割れる音が耳を貫いた。頭が痛くなるほどの衝撃音は、思わず眉を顰めたくなってしまうもの。
 努めて表情が動かないように意識して、マリーは顔を俯かせる。一介のメイドの反応が、万が一にもお偉方の機嫌を損ねてしまったら大変だ。他のメイド達も同様に、怯えながらも嵐が過ぎるのを静かに待っているのが見てとれる。

 テーブルの上に用意された昼餐が床にぶちまけられ、使用人たちの目の前で見るも無残な姿へと化していく。うつわごと床に叩き落とす乱暴な音が、食堂に響き渡る。
 暴力的なその音に晒されているとまるで自分自身が削られていくようで、心臓が音を立てて軋むのを感じた。

 先日いきなり北の砦にやってきた、迷惑極まりない『高貴なお客人』――せっかくの昼餐を食器ごと床に払い落とした張本人が、その正体だ。
 気に入らないメニューなら下げれば良いだけなのに、勿体ない……根っからの庶民のマリーは視線に非難の色が出ないように注意しながら、ひっそりとぶちまけられた昼餐に目をやる。



「このメシを用意したヤツに伝えておけ、二度と馬鹿な真似はするなと!」

 砦一帯に響くような大声。そして、わかったな、と吐き捨てるような言葉と共に荒々しくその場を立ち去る足音が続く。
 その足音が完全に遠ざかったのを耳で確認してから、マリーはそっと顔を上げた。

 同様に恐る恐る動き始めたメイド仲間と顔を見合わせて、無言のまま首を振る。
 声は出さずとも、やるべきことは明白だ。使用人たちは黙々とそれぞれの持ち場について、掃除に取り掛かる。
 下手なことを口にできないというのが、彼らの共通した想いだった。気まずい沈黙の中で進められる清掃作業はいつもより効率が悪く、時間が経つのは遅い。



 一体何が気に入らなかったのだろう、とてきぱき床を掃き清めながらマリーは内心で首を傾げた。食事の内容は普段から出しているものだし、とりたて彼の気持ちを逆立てるような何かはなかったように思う。

 がこの辺境の地を訪れてから、三ヶ月あまり。常に人手が足りていないこの砦では、末端のメイドであるマリーでも賓客である彼とそれなりに接する機会があった。
 だからこそ、不思議なのだ。普段の彼は見かけこそ威圧感のある体躯をしているものの、メイドにも気さくに話し掛けてくれるような親しみやすい人柄だ。
 それなのに、彼は何かの拍子に激高して今日のように唐突に怒りを露わにすることがある。その理由が、少なくともマリーにはまったくわからなかった。

 ――馬鹿な真似、って言ってたけど何のことだろう?

 掃除をしていても頭はヒマなもので、ホウキを動かしながらもマリーはついつい余計なことを考えてしまう。しかし答えの出ない問いは結局、彼女の頭にただ客人への苦手意識を刻み込んだだけ。
 マリーの中で彼の印象が「よくわからない理由で突然怒り出す要注意人物」に切り変わったことで、脳内会議は議論を終えた。

(ま、普段は優しく見えても癇癪を起こすような人物は要注意ってことカナー。あんまり関わり合いにならないように気をつけよっと)

 メイドなんて仕事をやっていると、性格はドライになっていく。そんな結論であっさり納得して、マリーはそれ以上無駄なことを考えるのをやめて次の作業に取り掛かる。

(王子、なんて魔物に喩えられるくらいだもん。そりゃ、ロクな人物じゃないよねー)

 ――最後に頭に浮かんだのは、そんなおよそ人前では口に出して言えないあだ名であった。


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