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第四章 母の故国に暮らす

聖花の物語と、友人の花屋

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 今より遥か昔。まだ、この地がシーナンと呼ばれるよりも、花で溢れるよりももっと以前。この地に点在する村の一つに、ある聖域の民が居を構えた。

 その聖域の民の名は、アーデ・リーデ。

 新緑を思わせる輝く緑の美しい髪に、清らかな泉の水を掬ったような白銅色の瞳。透き通る白い肌に、人にはない先端の伸びた形のいい耳――彼女は、まるでこの世のものとは思えない、類稀な美しさを持つ民だった。
 アーデの美しさは多くの男を魅了した。誰も彼もが彼女と近付きになろうとし、彼女の美しさを称え愛を囁き、共にありたいと求婚をした。しかし、アーデの美しさに目が眩んだだけの見知らぬ男達の言葉を、彼女が受け入れることはなかった。また、下心を持って近付く者に対しても、その対応は冷たかった。
 それがまた男達の心に火を灯し、我こそはと日々誰かしらがアーデの元を訪れるようになるのだが、当然のようにその行動は彼女の心を疲弊させた。
 疲れた顔を見せ始めたアーデを村人は心配したが、彼女に夢中になっている男達の耳に、村人の声は入らない。無理に男達を押し止めようとすれば理不尽な暴力が村人を襲い、アーデの心を更に傷付ける。それ故、村人は表立って男達に対して行動を取ることができないでいた。

 そんな中、彼女を助け支えたのは、近くに住まう一つの家族だった。
 若い夫婦に幼い一人息子。彼らは花を育て、それを売って生計を立てていた。とりわけ誰より花を愛し、両親に倣って懸命に花を育てる息子は、アーデの心を何より癒した。
 男達も、幼い子連れでアーデの元を訪れ彼女に歓迎される家族には、強く出られはしなかった。
 家族はまた、時折アーデを食事に招待し、日常の他愛のない話をし、息子と共に野山で遊んでは、彼女の心を救った。幼い息子も彼女のことを姉のように家族のように、草花の師匠のように慕い、彼女の日々の生活に小さな喜びを灯した。
 やがて、アーデがどんな男にも決して振り向かないことが男達の間に広まると、近付きになろうとする者も求婚する者も、その来訪は徐々に減っていった。毎日だったのが三日に一度になり、七日に一度になり、一月に一度になり……数年をかけてとうとう誰もアーデを求めてやって来ることがなくなって、ようやく彼女の生活に平穏が戻る。
 いつも、どこか影を帯びた笑みばかりだったアーデに朗らかな光が戻り、疲れの色が濃かった顔にも明るさが戻り、親しくなった家族と楽しく過ごす時間が大いに増えた。

 そうしてただ心穏やかに月日を重ねる内、いつしかアーデの視線は家族の一人息子を追うようになっていた。
 息子は両親の愛情の元ですくすくと成長し、どこかあどけなさを残しながらも、すっかり頼もしい顔つきの青年になっていたのだ。
 その背もアーデを優に超し、彼を見下ろしていた彼女の視線は、いつの間にか見上げるようになっていた。それでも、息子は変わらずアーデを姉のように慕い師と仰ぎ、花の世話に勤しみながら日々を過ごす、真面目な青年であった。
 故に、アーデは己の心に芽生えた思いを秘すことにした。何より、これまで数多の男を冷たくあしらい求婚を全てすげなく断ってきた身で、どうして思いを告げられよう。ただ彼のそばで、彼の一生を静かに見守っていければそれで十分――アーデは己にそう言い聞かせた。

 その頃には、息子も多くの娘達に思いを寄せられるようになっていた。それこそ、かつてのアーデのように、息子のことをろくに知りもしない者にまで。
 しかし息子もまた、優しげな微笑みを浮かべながらも、向けられる誰の視線にも振り向かなかった。声を掛けられても申し訳なさそうに眉を下げ、丁寧に謝罪をするばかり。息子の態度に怒りを滲ませる娘にも、息子はただただ申し訳ないと弱く笑うのだった。
 そんな息子を、初めの内こそ黙って見守っていた夫婦も、年月を経ていくにつれ、次第に心配し始める。
 周りの若者達が次々に結婚して家庭を設けていく中で、息子は未だ独り身。両親を大切にし、仕事も熱心にこなし、花に対する愛情がどれだけ深くとも、このままでいい筈がないのだ。
 たった一人の大切な息子である。夫婦もアーデも、彼には幸せになってもらいたかった。
 悩んだ夫婦は密かにアーデに相談し、彼女もまた、己の心に蓋をして積極的にその相談に乗った。そして、変わらずアーデと時を過ごす息子にそれとなく、伴侶を見つけるようにと勧めた。

 しかし、それらの言葉を息子が聞き入れることはなかった。息子は彼を心配する両親にもアーデにも言い訳をせず、ただ首を振り、己には愛する花があればそれでいいと繰り返すばかりだったのだ。それがどれだけ両親とアーデを悲しませているかを知りながらも、息子が思いを曲げることはなかった。
 何故なら、息子もまた、その胸の奥に一つの思いを秘めていたのだ。幼い頃から、姉と師と接し続けた女性――アーデに対して。
 しかし、これまでアーデがどれだけ男に苦しめられてきたか、間近で嫌と言うほど見てきた息子は、その苦しみを知るが故に、彼女へ思いを告げることはすまいと心に誓っていた。己はただ、その一生を彼女のそばで花を育てて過ごしていければ十分だと。
 息子は、彼女を苦しめてきた男達と同じにだけは、決してなりたくなかったのだ。

 それから再び、時は過ぎる。一年が経ち、二年が経ち……息子が成人となってから、十度目の花の季節を迎えた頃。
 一人の若い娘が、息子の元を訪れた。
 娘は近隣の村に住む者で、息子の顔見知りであり、時折花を購入してくれる客でもあった。だから、娘は花を買い求めにやって来たのだろうと、息子は快く出迎えた。
 しかし、この十年ですっかり広くなった花畑を案内する息子へ、娘は笑って告げる。花も欲しいが、息子が欲しくてやって来たと。そして、別れを告げに来たのだとも。
 娘は、遠くの街からやって来た男に見初められ、嫁ぐことが決まっていた。嫁ぐことに後悔はないが、嫁いでしまえば生まれ育った村へ戻って来ることはない。息子の育てた花を買うこともなくなる。何より、息子に会うことができなくなる。
 故に、最後に息子の姿を心に焼き付け、叶わぬと知りながらも告げずにはいられなかったと言うのだ。心置きなく嫁ぐ為に。死ぬ時に後悔することのないように。

 時間をかけて花畑を見て回り、息子と語り、これまでになく多くの花を買った娘は、来た時よりも晴れやかな、それこそ幸せに満ちた顔で息子の元を去って行った。愛の言葉と、感謝の言葉と、別れの言葉を口にして。
 娘の言葉は、息子の心に強く残るものだった。
 どれだけ己に言い聞かせても、己の心は決して誤魔化せない。思いを告げぬと誓ったところで、その実、息子の視線はいつだってアーデを追っていた。時と共に褪せることを願う思いは、褪せるどころかますます募り、捨てきれぬ思いが度々夢となって現れ、息子を苦悩させる。
 己はこの先を、ずっとそうして生きていくのか。胸に言えぬ思いを抱えたままで。心にもない笑みを顔に張り付けて。
 息子には、清々しく笑って去る若い娘の姿が酷く眩しく映っていた。

 それから息子は、以前にも増して仕事に打ち込むようになる。息子の様子自体は普段と変わらぬように見えて、アーデと共に過ごす時間ははっきりと減り、その内、二人の間で言葉が交わされることもなくなっていく。広くなった花畑のその向こうに家まで建て始め、息子が両親と共に住む家にすら帰らぬ日々が長く続いた。
 アーデはそれを寂しく思いながらも、そうして人は変わり離れていくものなのだと、静かに見守ることにした。息子がそれを望むなら、己に何が言えるだろうかと、己の心の涙には気付かぬ振りをして。

 そんなある日のことである。
 一人で過ごすことが日常となって久しいアーデの元を、不意に息子が訪れた。あまりに突然の来訪は彼女を心底驚かせ、同時に大きな変化を予感させるものであった。
 それでも息子の姿だけは、しばらく見ない時があったことを忘れさせるように、変わらぬものだった。日々の作業ですっかり汚してくたびれた服、擦り切れたズボンに履き潰した靴。その日も夢中になって作業をしていたと分かる、鼻の頭に付いた土。
 ただし、その瞳だけは、どこか決意を秘めた強さを持っていた。まるで、この来訪が最後だとでも言うかのように。
 息子は、やっと家が完成したからけじめをつけに来たとアーデへ告げた。アーデは久々に息子に会えた内心の喜びを隠し、戸惑いながらも、話を聞こうと息子を彼女の家の中へと招き入れる。しかし、それより先に息子が動いた。その手に持った、彼女が一等好きな花を差し出して。そして、ただ一言を、心を込めて彼女へ贈った。

私の誰より大切な人フィア・オル・シーナ

 それは、求婚を意味する古い言葉であった。聖域の民の、愛を示す言葉であった。
 そして、息子は己の思いの全てをアーデへと告げた。幼い頃に抱いた思い、己の葛藤と逡巡と決意を。あの日、息子の元を訪れた若い娘がそうしたように。
 それは、アーデにとって予想もしないことだった。己の思う相手が、同じように己を思っているなど、思いを秘すと決めた彼女にどうして考えられようか。

 アーデは驚きに言葉を失い、息子は返答を待って口を噤み。沈黙が二人の間を流れて――アーデの手が花を受け取り、その瞳から涙が溢れた。
 零れた涙は、次から次に大地に花を咲かせていった。赤、黄、橙、白に薄紅。彼女の心を代弁するかのように明るい色ばかりが咲き乱れ、喜びに流れ続ける涙はやがて、その場に泉までをも湧かせた。
 清らかな水の流れに沿って緑が茂り、花が咲き、木々が芽吹く。その中で、アーデもとうとう己の心を素直に告げた。これまで秘していたもの全てを吐き出した。
 それは息子を大いに驚かせ、喜ばせるものだった。
 大地の異変に驚いた村人が集まる中、互いの思いが同じと知った二人は初めて抱き合い、輝く泉のその中で、涙していた。

 *

 そののち、二人は息子の建てた家で、最期の時までを幸せに暮らすこととなる。
 二人は多くの子に恵まれた。アーデはその子らに己の力を分け与え、夫となった息子と共に老いる道を選び取る。大地にもまた己の力を分け与え、愛する者の育てた花はみるみる広がり大地を覆い、いつしか、誰からともなくこの地を「宝の地シーナン」と呼ぶようになった。
 やがて二人が亡くなると、彼らの子らは二人を決して忘れぬようにとの思いを込めて、彼らの名と彼らが愛した花から取って、自らのことを「カルネアーデの子」と称すようになる。

 ルネ・カルネアーデ。
 アーデ・リーデ・カルネアーデ。

 シーナンの花の大地を作り上げた二人の眠る墓石には、そう、名が刻まれている。


 ◇


 右の客は赤三本。その隣の客は赤、黄、白それぞれ五本。その後ろの客は水色をあるだけ、左から二番目の客は橙と薄紅を二本ずつ、左端の客は紫と青、水色に淡い薄紅、白を多めで――

「俺には黄色を一本! それと、握手をいいかな……愛らしい花屋のアーデ?」
「え? 握手……ですか? えっと、あの……」

 店先に置かれた色別に籠に入った花を前に飛ぶ、絶え間ない注文。それに加えて、遠慮もなく私の手を握る勢いで差し出された手に、テレシアが嬉々として語ってくれたテルツァ作「聖花の花嫁」の物語を頭の片隅で思い出しながら、私はただただ戸惑っていた。
 そんな私の目の前に、背後から黄色の花が突く勢いで現れる。

「はい、黄色が一本! それから……握手、だったかしら? ねぇ?」

 そう言いながら力一杯男性の手を握り締めたのは、わざとらしいほどに明るい笑顔のイーリスだ。私の前に立ちはだかるように体ごと男性と相対すれば、たちまち正面の男性の笑顔が引き攣った。

「イ、イーリス……帰ってたのか、お前」
「そりゃ、聖花祭だもの。帰って来るに決まってるじゃない」
「お、おう。そうだな、うん。お、おかえり……」
「ええ、ただいま。……それで? うちの子に、何か用?」

 イーリスが凄んだ瞬間、男性の口から「ひぃ」と情けない声が上がる。かと思えば、差し出された花をイーリスの手からひったくるように受け取って握られた手を振り解き、あっと言う間に走り去ってしまった。
 それはもう、正に脱兎のごとくと言う言葉がぴたりと当て嵌まる勢いで。

「まったく……。そこに屯してる男共にも言っておくけど、この子に変なことをしたらただじゃおかないわよ? この子は、アレックス様のところのお嬢さんなんだから!」

 この意味が分かるだろうとばかりに店先に大勢押しかけている集団へ向かってイーリスが一睨みすれば、放たれた一言の強大な威力と共に一斉にその場がざわついた。
 当然私も驚いて、慌ててイーリスの服の裾を掴む。

「イーリスさん!? あんまり大ごとには……」
「あら、これくらいは平気よ。それに、この私があなたのそばにいるのよ? その意味が分からない人はいないわ」

 確かに、この国の王太子殿下の騎士がこうまで言えば、皆理解するだろう。エディルは王都にほど近い都市でもあるし、祈願祭でのことが広まっていないとも思わない。
 それに、何と言っても私のこの髪色だ。
 シーナン地方は、聖域の民アーデ・リーデの力が大地にも及んでいる影響か、緑や青系統の色味の髪を持つ人が多い。とは言え、私の色はカルネアーデ家にしか現れない特別な色。王都ほどにその存在は目立たないとは言え、決して埋もれさせてはくれない色である。
 そして、シーナンに住む者であればこそ、その色の意味するところは重々承知しているだろう。だからこそ、男性客は私のことを冗談交じりながらも「アーデ」と呼んだのだ。私がどんな反応をするかも、見てみたかったのかもしれない。
 けれど、許されるのは精々そこまで。
 イーリスの多少大袈裟な言動は、これ以上、馬鹿が馬鹿なことを先に口にしてしまわない為の忠告である。アレクシアの名も、大いに効くことだろう。

「分かったなら、この子を困らせないように大人しく並んで花を買いなさい!」

 イーリスの一喝に、店先に大勢押しかけていた集団が慌てて動き始めた。ただし、整列する者は意外に少なく、その大半は蜘蛛の子を散らす勢いで店の前から消え去って、しばし店の前の通りの見通しがよくなる。
 その様子を見て満足気にイーリスが頷いたところで、イーリスの隣から別の頭が覗いた。
 やって来たのは、イーリスと同じ色の瞳を持つ人物。私達が、突風で倒れた老夫婦を介抱している時に出会った少年だ。

「もう。姉ちゃんがそう言う言い方するから、お客さんが逃げちゃうんだよ。姉ちゃんの方がよっぽど営業妨害だから、後ろに引っ込んでてよ」
「ちょ……っ! 何ですって!?」

 眉を吊り上げるイーリスを問答無用で後ろへ押しやると、少年は何事もなかったかのように注文された花束を次々に客へと手渡し、代金を受け取っていく。そうして居並ぶ客を手際よく捌いたかと思ったら、最後に私へと人好きのする笑みを向けた。

「変なお客が来たら俺が対処するから、遠慮なく声をかけてね」

 イーリスのものより数段明るい色の頭髪が吹く風に揺れ、少年の笑顔を彩る。それは確かに私に向けられた筈なのに、何故か周囲から黄色い悲鳴が上がり、捌いた筈の客が再び押し寄せてきた。それも、先ほどは男性客が主だったのが、今度は女性客だ。
 またもや次々に花束の注文が飛ぶ中で、少年は笑顔を絶やさず慌てず、丁寧に接客をこなしていく。そんな彼の名は、リネー。年齢は私の一つ上。イーリスの従弟であり、イーリスの実家でもあるこの花屋で働く者の一人である。
 突風に遭った時には、偶然にも近くの屋敷へ結婚式用の装花の配達に来ていたそうで、そのお陰で、転倒した老夫婦を配達に使っていた荷馬車に乗せ、店の手伝いに来ていたフレデリクにすぐに診せることができた。

 そして現在、私達はその場の流れで花屋を手伝っていた。
 イーリスはフレデリクに代わって店の裏で力仕事を、売り子の経験があるライサは籠一杯の花を両手に通りに出て売り歩きを、テレシアは店の外で客を呼び込み、私は店内でリネーと共に客の応対を担当している。

「ありがとうございました」

 花束を手に店を出る客を見送って、私はふぅと一つ息を吐いた。
 イーリスの一喝のお陰か、単にそれなりの時間が経過したからか、初めの内こそ見慣れない臨時の手伝い売り子に加えて私の存在があった所為で殺到していた客も、今はだいぶ落ち着いている。
 そして、今見送った客を最後に店内に一時客の姿がなくなったことを見て、私は受付台の端に置かれた椅子に腰掛けた。久しく感じていなかった達成感交じりの疲労に、勝手に頬が緩む。そんな私の前に、水の入ったグラスが差し出された。

「ふふ。疲れちゃった?」
「接客をしたのが初めてだったので、少し……」
「え! 初めてだったの? 全然そんな風には見えなかったけど」

 私の答えに目を丸くするリネーに、私は笑いながら「そうですか?」ととぼける。
 確かに、手伝いに入って早々客に殺到された時は不慣れさ全開ではあったけれど、なにぶん「今生では初めて」と言うだけの私だ。ほんのわずかな時間で、私の数多の記憶が勝手に私を動かした。恐らく、本当に初めて接客を経験する人に比べれば、その上達は早かったに違いない。
 花束作りに関しては本当に初めてだった為、慣れるまでは不格好な出来ばかりで客に手渡すのも申し訳なかったけれど、今ではひっそり自画自賛するくらいには様になってきている。そしてそれはとても楽しい作業で、下女としてこき使われていた時の労働よりも、よほどやり甲斐のあるものだった。

「そう言ってもらえたら、自信になります」
「姉ちゃんより、よっぽど手際もよくて上手だよ」

 リネーが腰を屈め、悪戯っぽくわずかばかり声を潜める。
 けれど、その内緒話は内緒話にはならなかった。私が「あ」と思った時にはリネーの背後にぬっと人影が現れて、その頭頂部に拳骨を落としたのだ。

「悪かったわね、私は役に立たなくて」
「痛っ! もう……姉ちゃんはすぐそうやって暴力を振るうんだから」

 頭を摩り、リネーがやって来たイーリスを睨むけれど、イーリスはまるでその話を聞く様子もなく無視をして、私へと視線を移していた。

「お疲れ様、ミリアム」
「イーリスさんも、お疲れ様です」

 互いに労ったところで折よくライサとテレシアも連れ立って戻って来て、落ち着いていた店内に少しばかり賑わいが戻る。

「全部売れたよ、リネーさん!」
「もう売れたの? ありがとう、ライサちゃん」
「あたし、これでも服屋の娘だもん。売り子なら任せてよ! もっと、じゃんじゃん売って来るから!」

 どんと胸を張るライサは、この中の誰よりも小柄だと言うのに、実に頼もしい。花の売上金が入った袋をリネーに手渡し、冷たい水で喉を潤しても、まだまだライサの瞳はやる気に満ちていた。

「ライサったら、凄いのよ。話し上手で、色んな人に気持ちよく花を買わせるの」
「ふふん。そこは、父さんに鍛えられたからね!」

 テレシアに褒められたのが嬉しいのか、ライサは鼻を高くして得意げだ。そんなライサの姿は、それが彼女の魅力なのか私が彼女の友人だからか、見ているこちらまで嬉しくさせてしまうから不思議だった。
 そうして小休止を挟みながらも、私達はその後も精力的に働いた。
 ライサは再び花一杯の籠を両手にし、私とテレシアは時折場所を交替して接客に精を出し、老夫婦の診察と手当てから戻って来たフレデリクと交代したイーリスも表に出て、客の応対に入る。そうかと思えば全員で籠を持ち、当初予定していてできなくなってしまったエディルの街散策を兼ねて、花を売り歩いた。

 様々に働き続けた私達は、結局閉店するまで手伝いにすっかり費やし、夕食も予定外にレリオール家にご馳走になってしまった。けれど、それはそれで貴重な経験と楽しい時間でもあり、私は当初の決意もどこへやら、友人との旅行の楽しさを噛み締めるのだった。
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