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第四章 母の故国に暮らす
母とお守りと
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わずかに黄みを帯びた白の壁紙、光沢のある濃い苔色のカーテン、白茶の猫足テーブルに淡紅色の小花の散るソファ、種々の草花が描かれた淡い色味の絨毯――今朝出掛ける時とはすっかり見違えた私好みの家具で揃えられた自室で、私は鉱石の入った小瓶を両手に大事に抱え、窓辺に置いた。ちょうど雲間から半分欠けた月が姿を現して、ことりと小さな音を立てて揺れた小瓶の中身が、月の光に淡く発光し始める。
三日三晩、陽光と月光を浴びせる。そうすることで髪と鉱石が一つになり、新しい核が生まれるのだとウゥスは言っていた。
この世にたった一つだけの特別な核ができ上がるまで、ほんの少しの辛抱だ。
淡い光を纏う小瓶を眺めて完成するその時に思いを馳せながら、私は少し考えて、衣装部屋へと足を向けた。
扉を開けば、そこには王城から持って来た服と、昨日買ったばかりの服が分類別に綺麗に並んでいる。部屋の模様替えと共に、こちらも私が使いやすいようにと整理してもらったものだ。その数は、今生至上最も多い。それこそ、どの服を着ようかと迷ってしまうほどに。それでも部屋が服で埋まるには程遠く、どちらかと言えばがらんとした印象を与える。
アレクシアの案内で新しくなった部屋に通された際、衣装部屋の寂しい光景を見て、もっと買い揃えていかなきゃならないねぇ、とアレクシアが嬉しそうに言っていたことが思い出された。お手柔らかに、とは言ったものの、その言葉をアレクシアが素直に聞いてくれるかどうかは実に怪しい。
苦笑を零しつつ、私は部屋の一角に置かれた小物入れの引き出しを開けた。そこから目的の物を取り出し、私は再び窓辺へと戻る。綺麗に折り畳まれていたそれを少しばかり広げて窓辺へ置き、改めてその上に小瓶を安置してみた。
豊穣の女神セーを表す金の麦穂、それを束ねる緑のリボン。撓む麦穂と伸びたリボンが描く円に包まれているのは、繁栄を表す柘榴の赤い意匠――アルグライスでは一般的な、所謂お守りとして大切な相手への贈り物に施される、女神セーを象徴する刺繍。それが隅を飾る、イーリスが私にくれたハンカチだ。
私自身が女神リーテに力を授かった存在なのに、他国の神を表す刺繍を持ち出すのはどうだろうと思いながらも、大事な小瓶を核の完成まで守って欲しくて、選び取って持って来てしまった。
「……うん、いいかも」
小瓶だけの時よりも存在感が増した窓辺の一角に私が満足したところで、扉が人の来訪を告げる。夕食を済ませ、寝支度もすっかり整えたこの時間に私の部屋を訪れるのは、一人しかいない。
扉の向こうに応えれば、私が開けるより先に外から扉が開かれ、私が予想した通りの人物――アレクシアが入室してくる。アレクシアは布が被せられた一抱えもある何かを自ら持ち、茶器を乗せたワゴンを押す侍女を一人伴っていた。
その様子に真っ先に私の頭を過ったのは、新たな贈り物だ。
まさか、昨日散々店を連れ回してたくさんのものを贈り、今日はこうして内装をすっかり一新して「ミリアムの部屋」にしたと言うのに、アレクシアはそれでもまだ私に贈り足りないと言うのだろうか。私の方は、よくしてもらい過ぎて、どうやってこの恩を返したらいいのか分からないくらいなのに。
「お前は本当に欲がないねぇ、ミリアム。安心おし。こいつは、正当な所有者であるお前に渡してくれるよう頼まれたものでね。私達からの贈り物じゃあないよ」
考えていることが顔に出ていたのだろう。アレクシアが笑いながら私の考えを否定して、抱えてきたものをテーブルへと置いた。その際に聞こえた重そうな音に私が興味を引かれている間に、ワゴンを室内に入れた侍女が退室し、身軽になったアレクシアが私をその腕に抱き締める。
「また寝てしまっているかと心配したんだが、今日は起きていてくれてよかったよ」
「昨日はすみませんでした」
「ミリアムが謝ることはないさ。私達がお前を連れ回しすぎた所為なんだ。それならむしろ、謝るのは私達の方だろう?」
私には、昨夜自分がいつベッドに入ったのかの記憶がない。けれど、その記憶はなくて当然だった。私はアレクシアが来るのを待ちながら、ソファですっかり眠ってしまっていたのだ。それをベッドまで運んで寝かせてくれたのは、部屋を訪れたアレクシアだった。
部屋まで来たものの来訪を知らせても返事がない上、扉側からは背凭れで死角になる位置のソファに横たわっていた為に姿も見えず、一瞬とは言え肝が冷えたと聞いたのは今朝のこと。
その為、模様替え後のソファは、当然のようにどこに座っていても扉からその姿が見える位置、向きに変更させられている。
「おや。あれは……」
ふと私の髪を撫でていたアレクシアの手が止まり、その視線が窓辺に置かれたものに気付いた。視線の先にあるのは、核の鉱石を入れた小瓶だ。
再び雲間に月が隠れてしまっても、一度纏った淡い光は消えることなく灯り続け、小さな照明のように窓辺を微かに照らしている。
「お守りの核です。夕食の時にはお話しできなかったんですけど、実はお守り屋にも行ったんです。そこで、店主のウゥスさんに作り方を教わって――」
「ああ……懐かしいねぇ」
窓辺へ向かい、目を細めて小瓶を間近から覗き込むアレクシアの横顔は、言葉の通り昔を懐かしむようだった。
そう言えば、愛し子の髪のことはラッセの両親――サロモンとアレクシア――も知っているとウゥスが言っていた。この場合、二人にとっての愛し子とは、私ではなく私の母のこと。アレクシアは、母がこうして髪を素材の一つに特別な核を作る場面を目にしたことがあるのだろうか。
「アレックスさんは、特別な核のことをご存知なんですね」
「昔、エステルが作るところを見たことがあるんだよ。ウゥスに聞かなかったかい?」
私が首を振れば、アレクシアは何かを考えるように微かに眉を寄せ、あいつ、と小さく零し、その口から軽いため息を漏らす。けれどすぐにその顔には笑みが戻り、母がお守りを作った時のことを私に教えてくれた。
アレクシアが母と知り合い、友人となって間もない頃のこと。あなたはどうにも危なっかしいから、私があなたを守ってあげましょうと、母がアレクシアの為にお守りを作ってくれたのだ、と。
「団長を務める二人の男を伸して騎士団長になったばかりで、蛮族の女だの凶悪戦士だの血狂い騎士だの色々言われて周囲から敬遠されていた時に、この私を守ってやろうと来たもんだ。あの時は、一緒に話を聞いていたイェルドと大笑いしたよ」
何を馬鹿なことをと言うアレクシアに対して、母は怒るでも拗ねるでもなく、ただ、とっておきのお守りを作ってあげるからついて来なさいと、自信に溢れる顔で返したのだそうだ。そして向かったのは、ウゥスの店。
出迎えたのが、お守りの効力を信じていない者からすれば胡散臭く思える顔立ちのウゥスで、アレクシアは当初酷く訝ったのだと言う。加えてキスタスバにはお守りの文化がなく、神自体への信仰もエリューガルに比べて薄れており、胡散臭い相手に懇切丁寧に説明されたところで、ただの石ころに祈りを込めてどうするのだとアレクシアは信じもしなかった。
けれど、母はアレクシアのそんな思いも見透かして、その夜に月光を浴びて仄かに光る核を見せたのだそうだ。
「出来上がった核も見せてもらったが、その時は流石に、これは信じるしかないだろうと思ったもんさ」
「お母様がそんなことを……」
「今じゃ、そのお守りがあったお陰で、私は多少の無茶をしても大きな怪我をすることもなく、息子二人も無事に産むことができたんだと思っているよ。お守りを作ってくれたエステルには、感謝してもしきれない」
そこまで話して口を噤んだアレクシアの横顔に、その時初めて、浮かぶ感情が懐かしさだけではないことに私は気が付いた。
改めて母がもうこの世にいないことを思い知り、悲しんでいる――涙こそ見えなかったものの、私にはアレクシアが母を思って泣いているように見えて、思わずつられて胸が詰まった。その途端、頭にアレクシアの手がぽんと乗る。
「やれやれ、何て顔をしているんだい、ミリアム。……いや、お前にそんな顔をさせたのは私か。悪かったねぇ、少し思い出してしまったものだからさ」
「アレックスさん……」
アレクシアの瞳が苦笑と共に細められ、私の頭を優しく撫でながら、今一度その視線が小瓶に落ちた。今度は小瓶の中の核を通してただ昔を思い出すように、その意識は遥か遠くを見つめて、まるで覚悟を決めたような面持ちでアレクシアの口が開く。
「……私はね、知っていたのさ。エステルが死んだんだろうってことを」
「え……?」
思いがけない一言に顔を上げるけれど、わずかに口元に笑みが浮かぶだけで、アレクシアの瞳は小瓶に注がれたままその視線は交わらない。
「だいぶ前に、エステルから貰ったお守りの核が割れてね。壊れたお守りを持ち続けているのはよくないってんで、ウゥスのところに持って行ったのさ。そうしたら、あいつが珍しく狼狽えるじゃないか」
その時のことを思い出しているのか、アレクシアの笑みがわずかに深まる。けれどその眉は下がったままで、同時に悲しみも増して見えた。
「その顔があんまり面白かったもんだから、私は冗談のつもりでエステルが死んだのかと聞いたんだ。そしたらウゥスの奴、真面目くさった顔でそうだと答えるじゃないか。思わずかっとなってぶん殴っちまってねぇ。あの時はウゥスに悪いことをしたよ。……今思えば、ちょうど十年前のことだったか」
信じたくはなかったんだけどねぇ、としみじみと呟くアレクシアの言葉を聞きながら、私ははっとする。
お守りの効力は、永続的なものではない。時と共に効力は徐々に弱まり、力が全て失われた時には、お守りはその役目を終えて壊れてしまうものである。
効力の持続期間は香木片が最も短く、鉱石は高価なものになればなるほど長い。ただし、私の髪を核に用いたお守りは核が特別製な分、効力の持続期間は通常のものとは比較にならないとウゥスには説明を受けていた。
その話を聞いた当初、私は単に、最も高価な鉱石で作ったお守りより十年単位程度で長くなるのだろう、くらいに考えていた。けれどアレクシアの話が本当であれば、この特別製の核で作ったお守りの効力は、髪の持ち主が死ぬまでと言うことになる。
エリューガルでは、クルードにしろリーテにしろ、愛し子は大切にされる存在だ。彼らの身に降りかかる命の危険は極力排除され、その身は守られ、きっと誰もが天寿を全うしてきたことだろう。愛し子が自らの髪を用いて作ったお守りも、それが壊れるより先にお守りを贈った相手が亡くなることの方が、多かったのかもしれない。
だからウゥスも、まさか母がそんなに早く亡くなるなんて思いもしなかったのだろう。たとえ国を出たとしても。国を出た更にその後に、姿を晦ましたとしても。
あのウゥスが狼狽するなんて私にはどうにも想像ができないけれど、だからこそ、余計にウゥスの驚きが伝わってくる。そして、お守りの効力について、私に正直に告げることを憚ったのだろうことも理解できた。
ウゥスは商人としては抜け目がない人物だろうけれど、今日の私への心遣いを思えば、何と優しい人だろうか。こんなことなら、二本と言わずもう何本か、たとえラッセに叱られることになろうとも、ウゥスに礼として髪を提供しておくんだった。
私がそんなことを考えていれば、アレクシアがようやく小瓶に向けていた顔を上げた。既にその顔からは過去を懐かしむ色も母の死を悲しむ色も失せて、見慣れた柔らかな微笑みがアレクシアを彩っている。
「いいものを見せてもらったよ、ミリアム」
「そんな。私こそ、お母様のお話が聞けて嬉しかったです」
「エステルの話なら、これからもお前が望むだけ話してやるさ。イェルドやハラルドが知らないあいつの面白おかしい話も、私にはいくつもあるからねぇ……どうせあの二人は、お前の前では紳士ぶって綺麗な話しかしなかったんだろう? 特にハラルドはエステルの美化が過ぎる。お前には、エステルの大いに笑える話をたっぷり聞かせてやろう」
そう言ってアレクシアは悪戯に片目を瞑ってみせるけれど、私が母に抱く印象と大いに笑える話とが結び付かずに、一体どんなとんでもない思い出話を聞かされることになるのかと、私は思わず顔を引きつらせた。
そうしながら、私とアレクシアはようやく窓辺を離れてソファへと戻る。
三日三晩、陽光と月光を浴びせる。そうすることで髪と鉱石が一つになり、新しい核が生まれるのだとウゥスは言っていた。
この世にたった一つだけの特別な核ができ上がるまで、ほんの少しの辛抱だ。
淡い光を纏う小瓶を眺めて完成するその時に思いを馳せながら、私は少し考えて、衣装部屋へと足を向けた。
扉を開けば、そこには王城から持って来た服と、昨日買ったばかりの服が分類別に綺麗に並んでいる。部屋の模様替えと共に、こちらも私が使いやすいようにと整理してもらったものだ。その数は、今生至上最も多い。それこそ、どの服を着ようかと迷ってしまうほどに。それでも部屋が服で埋まるには程遠く、どちらかと言えばがらんとした印象を与える。
アレクシアの案内で新しくなった部屋に通された際、衣装部屋の寂しい光景を見て、もっと買い揃えていかなきゃならないねぇ、とアレクシアが嬉しそうに言っていたことが思い出された。お手柔らかに、とは言ったものの、その言葉をアレクシアが素直に聞いてくれるかどうかは実に怪しい。
苦笑を零しつつ、私は部屋の一角に置かれた小物入れの引き出しを開けた。そこから目的の物を取り出し、私は再び窓辺へと戻る。綺麗に折り畳まれていたそれを少しばかり広げて窓辺へ置き、改めてその上に小瓶を安置してみた。
豊穣の女神セーを表す金の麦穂、それを束ねる緑のリボン。撓む麦穂と伸びたリボンが描く円に包まれているのは、繁栄を表す柘榴の赤い意匠――アルグライスでは一般的な、所謂お守りとして大切な相手への贈り物に施される、女神セーを象徴する刺繍。それが隅を飾る、イーリスが私にくれたハンカチだ。
私自身が女神リーテに力を授かった存在なのに、他国の神を表す刺繍を持ち出すのはどうだろうと思いながらも、大事な小瓶を核の完成まで守って欲しくて、選び取って持って来てしまった。
「……うん、いいかも」
小瓶だけの時よりも存在感が増した窓辺の一角に私が満足したところで、扉が人の来訪を告げる。夕食を済ませ、寝支度もすっかり整えたこの時間に私の部屋を訪れるのは、一人しかいない。
扉の向こうに応えれば、私が開けるより先に外から扉が開かれ、私が予想した通りの人物――アレクシアが入室してくる。アレクシアは布が被せられた一抱えもある何かを自ら持ち、茶器を乗せたワゴンを押す侍女を一人伴っていた。
その様子に真っ先に私の頭を過ったのは、新たな贈り物だ。
まさか、昨日散々店を連れ回してたくさんのものを贈り、今日はこうして内装をすっかり一新して「ミリアムの部屋」にしたと言うのに、アレクシアはそれでもまだ私に贈り足りないと言うのだろうか。私の方は、よくしてもらい過ぎて、どうやってこの恩を返したらいいのか分からないくらいなのに。
「お前は本当に欲がないねぇ、ミリアム。安心おし。こいつは、正当な所有者であるお前に渡してくれるよう頼まれたものでね。私達からの贈り物じゃあないよ」
考えていることが顔に出ていたのだろう。アレクシアが笑いながら私の考えを否定して、抱えてきたものをテーブルへと置いた。その際に聞こえた重そうな音に私が興味を引かれている間に、ワゴンを室内に入れた侍女が退室し、身軽になったアレクシアが私をその腕に抱き締める。
「また寝てしまっているかと心配したんだが、今日は起きていてくれてよかったよ」
「昨日はすみませんでした」
「ミリアムが謝ることはないさ。私達がお前を連れ回しすぎた所為なんだ。それならむしろ、謝るのは私達の方だろう?」
私には、昨夜自分がいつベッドに入ったのかの記憶がない。けれど、その記憶はなくて当然だった。私はアレクシアが来るのを待ちながら、ソファですっかり眠ってしまっていたのだ。それをベッドまで運んで寝かせてくれたのは、部屋を訪れたアレクシアだった。
部屋まで来たものの来訪を知らせても返事がない上、扉側からは背凭れで死角になる位置のソファに横たわっていた為に姿も見えず、一瞬とは言え肝が冷えたと聞いたのは今朝のこと。
その為、模様替え後のソファは、当然のようにどこに座っていても扉からその姿が見える位置、向きに変更させられている。
「おや。あれは……」
ふと私の髪を撫でていたアレクシアの手が止まり、その視線が窓辺に置かれたものに気付いた。視線の先にあるのは、核の鉱石を入れた小瓶だ。
再び雲間に月が隠れてしまっても、一度纏った淡い光は消えることなく灯り続け、小さな照明のように窓辺を微かに照らしている。
「お守りの核です。夕食の時にはお話しできなかったんですけど、実はお守り屋にも行ったんです。そこで、店主のウゥスさんに作り方を教わって――」
「ああ……懐かしいねぇ」
窓辺へ向かい、目を細めて小瓶を間近から覗き込むアレクシアの横顔は、言葉の通り昔を懐かしむようだった。
そう言えば、愛し子の髪のことはラッセの両親――サロモンとアレクシア――も知っているとウゥスが言っていた。この場合、二人にとっての愛し子とは、私ではなく私の母のこと。アレクシアは、母がこうして髪を素材の一つに特別な核を作る場面を目にしたことがあるのだろうか。
「アレックスさんは、特別な核のことをご存知なんですね」
「昔、エステルが作るところを見たことがあるんだよ。ウゥスに聞かなかったかい?」
私が首を振れば、アレクシアは何かを考えるように微かに眉を寄せ、あいつ、と小さく零し、その口から軽いため息を漏らす。けれどすぐにその顔には笑みが戻り、母がお守りを作った時のことを私に教えてくれた。
アレクシアが母と知り合い、友人となって間もない頃のこと。あなたはどうにも危なっかしいから、私があなたを守ってあげましょうと、母がアレクシアの為にお守りを作ってくれたのだ、と。
「団長を務める二人の男を伸して騎士団長になったばかりで、蛮族の女だの凶悪戦士だの血狂い騎士だの色々言われて周囲から敬遠されていた時に、この私を守ってやろうと来たもんだ。あの時は、一緒に話を聞いていたイェルドと大笑いしたよ」
何を馬鹿なことをと言うアレクシアに対して、母は怒るでも拗ねるでもなく、ただ、とっておきのお守りを作ってあげるからついて来なさいと、自信に溢れる顔で返したのだそうだ。そして向かったのは、ウゥスの店。
出迎えたのが、お守りの効力を信じていない者からすれば胡散臭く思える顔立ちのウゥスで、アレクシアは当初酷く訝ったのだと言う。加えてキスタスバにはお守りの文化がなく、神自体への信仰もエリューガルに比べて薄れており、胡散臭い相手に懇切丁寧に説明されたところで、ただの石ころに祈りを込めてどうするのだとアレクシアは信じもしなかった。
けれど、母はアレクシアのそんな思いも見透かして、その夜に月光を浴びて仄かに光る核を見せたのだそうだ。
「出来上がった核も見せてもらったが、その時は流石に、これは信じるしかないだろうと思ったもんさ」
「お母様がそんなことを……」
「今じゃ、そのお守りがあったお陰で、私は多少の無茶をしても大きな怪我をすることもなく、息子二人も無事に産むことができたんだと思っているよ。お守りを作ってくれたエステルには、感謝してもしきれない」
そこまで話して口を噤んだアレクシアの横顔に、その時初めて、浮かぶ感情が懐かしさだけではないことに私は気が付いた。
改めて母がもうこの世にいないことを思い知り、悲しんでいる――涙こそ見えなかったものの、私にはアレクシアが母を思って泣いているように見えて、思わずつられて胸が詰まった。その途端、頭にアレクシアの手がぽんと乗る。
「やれやれ、何て顔をしているんだい、ミリアム。……いや、お前にそんな顔をさせたのは私か。悪かったねぇ、少し思い出してしまったものだからさ」
「アレックスさん……」
アレクシアの瞳が苦笑と共に細められ、私の頭を優しく撫でながら、今一度その視線が小瓶に落ちた。今度は小瓶の中の核を通してただ昔を思い出すように、その意識は遥か遠くを見つめて、まるで覚悟を決めたような面持ちでアレクシアの口が開く。
「……私はね、知っていたのさ。エステルが死んだんだろうってことを」
「え……?」
思いがけない一言に顔を上げるけれど、わずかに口元に笑みが浮かぶだけで、アレクシアの瞳は小瓶に注がれたままその視線は交わらない。
「だいぶ前に、エステルから貰ったお守りの核が割れてね。壊れたお守りを持ち続けているのはよくないってんで、ウゥスのところに持って行ったのさ。そうしたら、あいつが珍しく狼狽えるじゃないか」
その時のことを思い出しているのか、アレクシアの笑みがわずかに深まる。けれどその眉は下がったままで、同時に悲しみも増して見えた。
「その顔があんまり面白かったもんだから、私は冗談のつもりでエステルが死んだのかと聞いたんだ。そしたらウゥスの奴、真面目くさった顔でそうだと答えるじゃないか。思わずかっとなってぶん殴っちまってねぇ。あの時はウゥスに悪いことをしたよ。……今思えば、ちょうど十年前のことだったか」
信じたくはなかったんだけどねぇ、としみじみと呟くアレクシアの言葉を聞きながら、私ははっとする。
お守りの効力は、永続的なものではない。時と共に効力は徐々に弱まり、力が全て失われた時には、お守りはその役目を終えて壊れてしまうものである。
効力の持続期間は香木片が最も短く、鉱石は高価なものになればなるほど長い。ただし、私の髪を核に用いたお守りは核が特別製な分、効力の持続期間は通常のものとは比較にならないとウゥスには説明を受けていた。
その話を聞いた当初、私は単に、最も高価な鉱石で作ったお守りより十年単位程度で長くなるのだろう、くらいに考えていた。けれどアレクシアの話が本当であれば、この特別製の核で作ったお守りの効力は、髪の持ち主が死ぬまでと言うことになる。
エリューガルでは、クルードにしろリーテにしろ、愛し子は大切にされる存在だ。彼らの身に降りかかる命の危険は極力排除され、その身は守られ、きっと誰もが天寿を全うしてきたことだろう。愛し子が自らの髪を用いて作ったお守りも、それが壊れるより先にお守りを贈った相手が亡くなることの方が、多かったのかもしれない。
だからウゥスも、まさか母がそんなに早く亡くなるなんて思いもしなかったのだろう。たとえ国を出たとしても。国を出た更にその後に、姿を晦ましたとしても。
あのウゥスが狼狽するなんて私にはどうにも想像ができないけれど、だからこそ、余計にウゥスの驚きが伝わってくる。そして、お守りの効力について、私に正直に告げることを憚ったのだろうことも理解できた。
ウゥスは商人としては抜け目がない人物だろうけれど、今日の私への心遣いを思えば、何と優しい人だろうか。こんなことなら、二本と言わずもう何本か、たとえラッセに叱られることになろうとも、ウゥスに礼として髪を提供しておくんだった。
私がそんなことを考えていれば、アレクシアがようやく小瓶に向けていた顔を上げた。既にその顔からは過去を懐かしむ色も母の死を悲しむ色も失せて、見慣れた柔らかな微笑みがアレクシアを彩っている。
「いいものを見せてもらったよ、ミリアム」
「そんな。私こそ、お母様のお話が聞けて嬉しかったです」
「エステルの話なら、これからもお前が望むだけ話してやるさ。イェルドやハラルドが知らないあいつの面白おかしい話も、私にはいくつもあるからねぇ……どうせあの二人は、お前の前では紳士ぶって綺麗な話しかしなかったんだろう? 特にハラルドはエステルの美化が過ぎる。お前には、エステルの大いに笑える話をたっぷり聞かせてやろう」
そう言ってアレクシアは悪戯に片目を瞑ってみせるけれど、私が母に抱く印象と大いに笑える話とが結び付かずに、一体どんなとんでもない思い出話を聞かされることになるのかと、私は思わず顔を引きつらせた。
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