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第三章 王城での一月

紅の獅子

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 その始まりは、何かを思いついたように目を瞬かせたアレクシアからの「ああ、そうだ」と言う、簡素な呟きからだった。
 結局、馬上から一度も下りることのないままだったアレクシアが、修練場に集っている訓練参加者を見渡すと、突然、口端を持ち上げたのだ。

「ちょうどいいから、言っておこうかねぇ」

 独り言として私が聞き取れたのは、そこまで。私の肩を強く抱いたアレクシアが大きく息を吸ったかと思ったら、私は思い切り耳を塞ぐ事態に陥っていた。

「いいかいお前達! 聞いていた通り、この子はフェルディーンの保護する娘だ! この子に手を出したら、ただじゃおかないからね! 全員、覚悟しておきな――っ!!」

 修練場どころか城全体に響き渡るのではないかと言う大音声が轟き、驚いた鳥が飛び立つ羽音が残響に重なる。
 その中で、少なくない人数が顔を青くして顔を逸らしたり、その場から後退る動きを見せた。幾人かは私が見物していた中央の区画にいた訓練参加者で、ライサの騒動の時も最前列で事態を見ていた覚えがある――つまりは、ライサの行動の結果をしっかり目にしたと思われる人達で。

「……ぁ」

 思わず漏れた声は、私の無意識だった。直後に、その一声が余計なものであることに気付いて両手で口を押さえたけれど、時既に遅し。

「ほぅ……? なるほど?」

 私の肩を抱く手に力がこもり、アレクシアのそれまで穏やかだった表情が、肉食獣のそれに豹変した。

 *

 それは、正に紅い大嵐。修練場を縦横無尽に暴れ回るアレクシアは、一人で複数を相手取ってもあっさりと薙ぎ倒し、吹き飛ばし、次々に屍の山を築いては吠えていた。
 ――いや、アレクシアが握るのは刃を潰している剣なのだから、そこに血の色は決して見えないのだけれど。アレクシアに倒された人も、打ち身や打撲程度の軽傷で済んでいて、間違っても本当の屍になどなってはいないのだけれど。
 それでもそう表現するしかない、ある意味で惨状と言うべき光景が、そこに広がっていた。

「たった一人相手にだらしないねぇ、お前達っ! それでも近衛騎士なのかい!」

 鋭い風を伴って空間を割くように剣が弧を描き、その軌道上にいる者全てを吹き飛ばす。
 この場が本当の戦場であればきっと、私の目の前で剣を振るって暴れるアレクシアは今頃、死屍累々の山の上に立ち、その全身を鮮血で染め上げているのだろう。
 それほどに敗北者の数は多く、アレクシアの強さは他を圧倒していた。

「この程度で王都の民を守れると思っているなら、新人から出直しといでっ!」

 アレクシアが吠える毎に兵士が宙を舞い、騎士が地に伏す。そして、倒れた仲間のかたきを討つべく、新たな兵士が、騎士が、声を上げてアレクシアへと挑んでいく。
 ――いや、やはりその表現もおかしいだろう。だって、誰も死んではいないし、そもそも元は訓練で、人死にが出るようなことにはならないのだから。
 それでも、そんな言葉がすらすらと浮かんでしまうほどの有様なのだ。私の目の前で繰り広げられている大騒ぎは。
 そして、そんな無茶苦茶な世界の中でも息一つ乱さず唇を吊り上げて笑うアレクシアは、一見すれば凶悪な犯罪者のようだけれど、恐ろしさよりも雄々しさを伴って、私の目には誰より格好よく映るのだから、実に不思議だった。
 そんなアレクシアの暴れ振りを、武具・用具庫の脇にあるベンチに腰掛けて呆然と眺めながら、私は隣に座るレナートに感情の失せた声で問いかける。

「……黙ってましたね、レナートさん」

 アレクシアが起こした最初の城門での騒動と、次に訓練に乱入すると言う騒動で見物人が戻って来たどころか倍増してしまった修練場は、職務に当たっていた騎士までもが手の空いた隙に次々と飛び入り参加をして、今や祈願祭もかくやとばかりの大賑わいを見せている。最早お祭り騒ぎで、訓練どころではない。そもそも、アレクシアが乱入した時点で訓練なんてものではなくなってしまっているのだけれど。
 そして、そのお祭り騒ぎの見物にやって来た人の多くが、アレクシアを指す言葉をその口に上らせていた。

「また紅の騎士団長様の戦うお姿が見られるなんて!」
「まだあんなにお強いってのに、アレックス殿はどうして団長を辞してしまわれたのやら……」
「流石は、負け知らずの紅の獅子殿だ」
「相変わらず、なんて美しさなのかしら。女性剣士の憧れの君は」

 あちこちから聞こえるそんな会話を漏れ聞いて分からないほど、私は馬鹿ではない。
 だからアレクシアの姿に聞き覚えがあったのかと理解したところで、レナートが時折アレクシアについて濁すような態度だったことを思い出したのだ。

「……俺は一応、断ったからな」
「それって、形だけですよね」

 テレシアが私を祈願祭に誘った時にも、レナートは形だけ止めるような言葉を発して、自らの保身を図っていた。
 今回もきっと、初めてアレクシアと対面する時まで黙っておいて私を驚かせようと言う、テレシアの悪戯心が発端なのだろう。そして、一度言ったら聞かないテレシアのこと、止めても無駄だと分かっているから、どうせレナートも真剣に断ろうとはしなかった筈だ。

「ミリアム、あの――」
「言い訳なら結構ですからね、エイナー様」

 反対隣に座るエイナーにも、私は感情を乗せずに言い放つ。当然、エイナーも知っていて黙っていた側だ。ほんの少し前に、王子としての姿に感動した私の気持ちを返してほしい。騎士を決めたことにお祝いの言葉をとも思っていたけれど、今はすっかりそんな気持ちも失せてしまった。
 ただ私にも、アレクシアが「紅の獅子」と言う二つ名を持った元騎士団長であると言うことに気付く機会を、みすみす逃してきたと言う落ち度はある。

 テレシアの話し振りから、すっかり歴史上の偉人だと思い込んでしまったのがそもそもの間違い。とは言え、それ以降、興味を持って紅の獅子について聞いたり調べたりすることがなかったのは私。そして、日々のアレクシアの話やフィンにまつわる話から、レナートにもっとアレクシアのことを聞こうとすることもなかったのも私なのだから。
 特に、グーラ種に乗っていると言うところで紅の獅子を思い浮かべていたのに、どうしてそれとアレクシアを結びつけなかったのか。私が気付かなかったことに、レナートはきっと胸を撫で下ろしていたのだろうけれど、私としては悔しくてならない。
 思わず膝の上で拳を握り締めて悔しさに打ち震えていると、レナートが宥めるように私の頭を撫でてきた。

「頭を撫でられたって、知りません。反省してください」
「反省はしてるさ。だから、機嫌を直してくれないか」
「嫌です」

 あの騒動で私が部屋を移って以降、何故だかレナートがこうして私の頭を撫でることが、すっかり増えた。
 それは、私を褒める為であったり慰める為であったり、今のように私の機嫌を取る為であったりと様々だけれど、いつも、すいとレナートの手が伸びて来るのだ。まるで当たり前のように。そして、あの日見た母の夢を彷彿とさせる手つきで撫でるものだから、私もいつの間にか自然とその手を受け入れて、撫でられることに慣れてしまっていた。

 今思えば、これは私にレナートを「お兄様」と呼ばせる為の一つの作戦だったのではと言う気がしないでもない。賭けまで行っていたのだ。レナートが一体何を、もしくはいくらの金額を賭けていたのかは知らないけれど、そうでもなければ、急にレナートがこんな行動に出る筈がない。
 賭けを有利にしようと言う下心と、そんな理由で事ある毎に私を撫で、お陰ですっかり撫でられ慣らされてしまった悔しさに、私はぺしっとレナートの手を払い除けた。
 そして、私を絆しにかかろうとしたって決して思い通りになるものかと、この程度で許すと思ったら大間違いだぞとばかりに殊更に渋面を作る。
 けれど、そんな私を嘲笑うかのように、レナートから再び声が掛かった。

「今日の菓子は全部ミリアムにやるから」
「本当ですかっ?」

 夢のような言葉に瞳を輝かせて勢いよくレナートへと振り向けば、途端にレナートの意地の悪い笑顔に出迎えられ、私は己の単純さを激しく後悔した。
 今まさに! この程度で許さないと! 思った筈なのに! どうして……っ!

「も……もので釣ろうったって、そうはいきませんからねっ」

 慌てて言い繕ってみても、その言葉にどれだけの説得力があっただろう。レナートが吹き出すのを堪えるように口元に拳を押し当てながらそっと顔を逸らすのを見て、私の口から「もうっ!」と不満の声が飛び出した。

「ミリアム、僕の分も……あげようか?」
「エイナー様まで乗っかろうとしないでください! いりませんっ!」

 笑いを噛み殺しながらエイナーまでそんなことを言うものだから、私はレナートを思い切り睨みつけてから、アレクシアへと視線を戻した。
 修練場では現在、隊長格の人達とアレクシアとの対戦が始まっており、先ほどよりはアレクシアに対抗できているようで、見物人の盛り上がりも増している。それでもまだまだアレクシアには余力があるように見えるので、彼女の強さは底知れない。

 二つ名の通り、獅子が獲物を狩るように相手に肉薄しては重い一撃を見舞って吹き飛ばし、素早い身のこなしで相手の剣を避けざま、横っ腹を薙ぐ。そうかと思えば真正面から斬り込んで力で押し切り、相手の力を利用して宙を駆ける。
 全体的な動きはレナートに似ているようでいて、レナートにはないしなやかさはイーリスの剣を思わせ、軽やかな身のこなしはオーレンを連想させた。
 今年の祈願祭の強者達を一人に凝縮したようなアレクシアを前に、いまだ彼女に膝を付かせる対戦者は出ていない。本当に、何故アレクシアは騎士を辞めてしまったのか、不思議に思うほどの強さだ。
 鮮やかな紅の髪といい、その強さといい、もしかしてアレクシアもいずれかの神から力を授かった愛し子なのだろうか。
 無意識にレナートへと顔を向ければ、私の言いたいことが分かっているかのように、レナートは軽く肩を竦めた。

「断っておくが、アレックスに神の加護はないぞ」
「そうなんですか?」
「俺としては、加護があると言ってくれた方があの強さに納得できて助かるんだが」

 どこか遠い目をするレナートに乾いた笑いを漏らして、私はレナートにあれほどの力が遺伝していないことに、少しだけほっとする。いや、多少は遺伝しているだろうか。だって、図書館から部屋まで、重たい私を平気な顔をして抱えて帰ったのだから。
 もしかして、この先も鍛錬を続けていたら、レナートも相手を簡単に千切っては投げてしまえるほどの怪力騎士になってしまうのだろうか。それはそれで、怖いもの見たさで期待する気持ちもうっかり湧いてしまうけれど、できればレナートには月華の騎士様でいてほしいので、ご遠慮願いたい。

「ところで……ミリアムはアレックスのことを、どう思う?」

 不意に表情を改めたレナートからの問いに、私はわずかに首を傾げた。どう、とは、抽象的で答え辛い。
 レナートも己の問いがあまりに漠然としたものだったことに気付いたのか、小さく唸って頭を掻き、悪いと零す。その横顔は一人の男性と言うよりは母を前にした息子と言った雰囲気で、これまでに見たことがないレナートの新たな表情だった。
 けれど、それを目にして理解する。レナートは、気にしているのだ。
 これまで散々私に語って聞かせて来たけれど、いざ本人を前にして、しかもあんな想定外の対面の仕方で、おまけに現在、常人離れした強さを見せつけて暴れている状況で。私がそんなアレクシアを目にして、彼女に対してどんな感情を抱いているのかを。
 アレクシアを、母を――恐れていないだろうか、と。

「その、何と言うか……」

 珍しく言葉を濁すレナートをこれまた珍しいと思いながら、私は口元を緩めた。

「素敵な方だと、思います」

 ぱっとレナートが顔を上げて、わずかに目を瞠る。その顔がまた、母を思う息子の表情だったものだから、私の笑みも自然と深くなった。
 当たり前のことなのに、いつも騎士としてのレナートの姿ばかり見ていたからか、アレクシアを語る時も一人の騎士を騙る口調だったからか、すっかり意識から抜け落ちていた。レナートだって人の子なのだ。
 どうして、そんな当たり前のことを忘れてしまっていたのか。そのことがどうにもおかしくて、私はついには小さく噴き出してしまった。

「レナートさんは、アレックスさんが大好きなんですね」

 息子として、母をとても愛している。家族として、とても大切に思っている。
 言われたレナートはどうにも居心地が悪そうに視線を逸らして、何とも言えない表情に顔を歪めたけれど、それが答えだ。目の端が仄かに色付いて見えるのは、もしかして照れているのだろうか。
 またしてもレナートの珍しい表情を目にして、私の中に小さくない驚きと喜びが湧き上がった。だから、私も正直に私の気持ちを告げる。

「本音を言えば、少しだけ……最初は、怖かったです」

 平気で城門で騒ぎを起こし、いくらグーラ種だからと言っても馬に私の体を掬い上げさせ、馬上で受け止めてしまうなんて。長い長い繰り返しの人生の中でも、あんな体験はこれが初めてだ。勿論、そんなことを躊躇なくやってのけてしまう人に会ったのも初めてのこと。
 私の中の「女性」の姿を覆し、私のこれまでの経験を軽く凌駕する言動を見せるアレクシアはあまりに異質で、ようやくこれまでと異なる人生を歩み始めたばかりの私には特に、刺激が強すぎた。だから、それが私にある種の恐れを抱かせたのは事実だ。

 けれど、それは未知のものに対する恐怖でこそあれ嫌悪ではないし、強烈な印象ばかりの中にも、確かに私に向ける柔らかな愛情は存在していて、私はそれをきちんと受け取った。
 そんなアレクシアを、いつまでも恐ろしいとは思わない。何より、今目の前で剣を振るうアレクシアの姿は、実に惚れ惚れとするほど美しく格好いい。そんな彼女を私が嫌いになんて、なる筈がない。

「今は、私を保護してくださる方がアレックスさんでよかったと、心からそう思っています」

 レナートを真っ直ぐ見つめれば、彼の柔らかな眼差しが私にそっと感謝を告げる。
 少しだけ胸のつかえが取れたように安堵して、アレクシアを眩しそうに見つめるその横顔は、言葉にしなくとも嬉しそうだった。私も、今まさに複数で対戦していた騎士の最後の一人を倒して剣を高々と掲げるアレクシアの鮮やかな姿に、目を細める。

 その時、流石に少しばかり息を弾ませて、それでも膝を付く気配は微塵もないアレクシアの視線が、私を捉えた。私がこれまでの戦い振りの素晴らしさを称えて拍手を送れば、まるでそれに応えるようにアレクシアがすっと姿勢を正して顎を引き、何かの儀式の一幕を演じるように剣を振り始める。
 右に左に、前方に。静かに舞った一連の動作の最後に、私に向かって捧げるように剣を胸に掲げれば、見物人から大きな拍手が沸き起こった。

「今のは……?」

 凛々しい姿に見物人と共に拍手を送りながらも、初めて目にした舞に、私は恐らく意味を知っているだろうレナートを窺った。そうすれば、レナートは少しばかり困ったような笑みを見せながら、私の予想通りに答えてくれる。

「――キスタスの戦士の剣舞……その一つだ」

 聞き慣れないのにどこか聞き覚えのある言葉に、私は目を瞬いた。
 連想されるのは、一つの国名。シュナークル山脈を挟んでエリューガルの東隣にある、騎馬民族の国。いまだ人身売買が公然と行われ、私がエイナーと共に、人攫い夫婦に連れて行かれそうになっていたであろう場所。好戦的な国民性と優れた騎馬術は、多くの国で傭騎兵としての需要を生み出していると言う――

「ミリアムにはキスタスバ、と言った方が分かりやすいか。アレックスは、キスタス人……キスタスバの生まれなんだ」

 一瞬息を詰めて身を引いた私の顔を、けれどレナートは責めるではなく、思案気に眉を寄せて覗き込んでくる。それは、先ほど私に対してアレクシアのことをどう思うかと問うて来た時より、よほど私自身を気にかけたもので、私は己の示した反応を恥じた。

「気にしなくていい。キスタスバが、これまで東方の国々に対してどんなことをしてきたかは、知っている。勿論、どう思われているかも。それに、こちら側でも決して評判のいい国と言うわけでもないしな」
「でも、あの、私……」

 私に愛情を向けてくれる相手に対する反応としては、最悪だった。今、これだけ見物人で盛り上がる修練場を見れば、この国の人がアレクシアを好意的に受け入れていることは明らかなのに。

「大丈夫だよ。ミリアムは東の国で暮らしていたんだもの。みんな分かってる。だから、気にしないで」

 顔を青くして慌てる私の手をエイナーが優しく掬い取り、落ち着かせるように握り締めてくれる。
 そんな二人の反応に、気付いた。だから、レナート達は私にこのことを黙っていたのだと。
 会う前にその情報だけを聞かされていたならば、私は今よりもっとはっきり、アレクシアに対して恐れを抱いただろう。レナートに対する態度にも、変化が生じたかもしれない。そして、紅の獅子の話やアレクシアの剣技、王族に対する態度を目にすれば、今とは違った受け取り方をしただろう。母の友人と言うことについても、どう思ったことか。

 私は、堪らず修練場内を見やった。
 先ほどの剣舞は終了の合図でもあったのか、場内はようやく落ち着きを取り戻し、アレクシアが汗を拭っている姿だけがある。そして、彼女の元へと、このお祭り騒ぎに参加することのなかったキリアンや騎士団長が歩み寄る姿も見えた。彼らの間には、キスタスバの人間だからと言う差別的な色は欠片もなく、親しみしか窺えない。アレクシアの存在を当然のように受け入れる姿に、私の胸がどうしようもなく締め付けられた。
 見物人達が祭りの終了と共に引き揚げ始めて、私の視界から次第に人の数が減っていく。アレクシア達の姿が、よりはっきりと見てくる。私は気付けばベンチから立ち上がり、アレクシアの元へと駆けていた。

 掛ける言葉が、何かあったわけでもない。ただ、どうしてかアレクシアのそばに行きたかった。行かなければいけないと、そんな気持ちに突き動かされたのだ。
 アレクシアが私に気付いたのは、彼女まであと数歩の距離のところ。振り向くと同時に視線が合って、私はあれだけアレクシアの元へと思っていたのに、どうしてかそれ以上進めずにぴたりと足を止めてしまった。アレクシアと何事かを話していたキリアンも当然気付き、言葉を止めて私を不思議そうに見ている。

「どうしたんだい、ミリアム?」
「……あ、ぇ……と」

 問われても、言葉が出て来ない。そもそも衝動的な行動で、私自身アレクシアの元まで駆けて行ってどうしたいのか、分かっていないのだ。開閉する口からは、はくりと息が漏れるばかり。何か言わなければとの焦りが視線を泳がせ、キリアンの姿を目にしたところで会話を中断させていることに気付いて、自分の失態に私の足は無意識に怯むように後ろへ一歩下がった。
 うっかり出て来てしまったけれど、とにかく謝罪をして戻ろう。そう思って泳ぐ視線をアレクシアへ向け――

「おいで」

 全てを受け入れるような柔らかな声に、私は目を瞠った。

「おいで、ミリアム」

 再度呼び掛けられ、両手を広げたアレクシアの笑顔を目にした瞬間、私の足は勝手に地を蹴っていた。

「――アレックスさんっ!」

 私からもアレクシアに腕を伸ばして、彼女の腕の中に飛び込む。まるで幼子が母親にしがみ付くように、赤い髪に埋もれるように、私はただただ強くアレクシアに抱き着いた。

「ああ……ミリアムは優しい子だねぇ。こんな娘に思ってもらえるなんて、私は幸せ者だ。本当に堪らなく可愛らしい……愛しい私の娘。これからは、私がうんと愛してやろうね」 

 疲れも見せずに私のことを軽々と抱え上げて、アレクシアが私に頬ずりをしてくれる。
 それだけで言葉にならない喜びが胸に湧いて、私は離すまいとするように、一層強くアレクシアの肩に顔を埋めた。
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