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第三章 王城での一月

馬選び

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 レナートの先導でフィンの馬房の前を通り過ぎ、更にその奥へと進む。主人を持たないグーラ種は、厩舎の奥の馬房にいるのだ。
 レナートから予め連絡を受けていたと言う馬丁の一人が私達を出迎えて、馬の年齢や性別、大まかな性格を伝えてくれるのを聞きながら、私は一頭一頭、馬の様子をじっくりと観察した。

 当然ながら、どの馬もレナートに連れられてやって来た私の目的を理解しているようで、馬達からも私を見定めるような視線を送られて、妙な緊張の中、顔合わせが進む。
 紹介された馬の年齢は、下は七歳から上は三十歳ほど。基本的には自分の年齢に近い馬を選ぶとのことだけれど、年齢が上の方がどの馬も落ち着いている印象で、私の興味を引いた。
 ただ、人に好みがあるように馬にも当然好みがあるもので、私が興味を引かれても、馬の方から断られることも、当然ある。

 ある馬は、女性があまり好きではないのか私を見るやそっぽを向き、またある馬は、明らかに騎士ではない私には興味はないとお尻を向けた。
 他には、最年少の馬は単に私のような若い女性が厩舎にいることを珍しがったし、最年長の馬は、自分はいいから他の馬から選びなさいとでも言うように、私と視線を合わせようとはしてくれなかった。
 そんな様々な反応を寄越されながら一通り馬を見終えたところで、レナートからどうだ、と声が掛けられる。

「気になった馬はいたか? もしくは、君と仲よくしてくれそうな馬は」

 馬房を振り返り、一通り紹介された馬達をもう一度眺めて、私に対する反応が悪くない印象を受けた馬の中から、私は三頭を挙げた。
 すぐさま馬丁が私の告げた馬を馬房から出して、馬場へと向かわせる。次は、選んだ馬を自由に遊ばせ彼らの性格を見て比較し、どの馬がより自分に合うかを見るのだ。

 最年少の馬が羨ましそうに馬房から顔を出すのに笑いかけながら、横を通り過ぎて行く馬の視線に、私は背筋を伸ばす。
 私自身に大きな拘りがないこともあるのだろうけれど、私が思っていた以上に、馬の側の意思表示が明確なのだ。流石はグーラ種と言うべきか、実際に彼らを目の当たりにすると、主人を選ぶのは自分達だと言う意志の強さが、少しばかり私を委縮させていた。

 こんなことで、果たして私は自分の馬を決めることができるのだろうか。今選んだ三頭の誰からも自分の主人にしたくないと思われたら、また初めからやり直し。だいぶ凹みそうだ。
 来た道を戻るように馬場へと向かいながら、私は隣を歩くレナートを見上げた。

「レナートさんは、どうやってフィンを自分の馬に選んだんですか?」

 馬選びの参考にと思って尋ねれば、何故かレナートは困ったように顔を顰め、その口から、あいつはなぁと呆れ交じりの呟きが落ちる。

「俺の場合は、フィンの方から自分を選べと激しく主張してきたんだ」

 後にも先にもあそこまで主張した馬はいなかったと、少し先を歩く馬丁も目尻の皺を深くして笑う。
 ハラルドと年齢が近く見えた彼は、もう随分と長くここで働いているそうで、レナートの馬決めの時もこうして案内していたのだとか。

「アレックスと一緒に選びに来た途端、俺が順に見て回るより先に馬房の中で暴れまわって、自分にしろと煩くてな……」
「レナートさんに、何か特別なものでも感じたんでしょうか」
「あいつが、そんな殊勝な性格をしていると思うか?」

 うんざりした様子のレナートに、私もフィンのやんちゃな姿を思い出して妙に納得してしまう。フィンの性格を考えれば、どちらかと言えば先ほど見た最年少の馬のように、人間を見定めると言うよりは好奇心を前面に押し出して、ただただその場を楽しみそうだ。

「でも、暴れるくらい、フィンはレナートさんを主人にしたいと思ったんですよね?」
「……いいや。あいつは、主人を持たない馬の馬房から出られるなら、誰でもよかったんだ」
「え……?」

 自分が認めた者でなければ背に乗せることを嫌う馬もいるグーラ種が、己の主人は誰でもよかったとは。
 フィンらしいと言えばフィンらしいのかもしれないけれど、そんな理由で主張したフィンをレナートが選んだなんて、私には俄かには信じられなかった。

「レナートさんは、それでよかったんですか?」
「結果的には、あいつを選んでよかったとは思っている……かな」

 恐らく、フィンの主張があまりに激しくて、彼を選ぶ以外にレナートに選択肢はなかったのだろう。その時のことを思い出しているのか、レナートは懐かしそうに目を細めた。

 当時、レナートはアレクシアの意向で特別に騎士団に入り、キリアンの騎士となるべく彼に仕えていたのだと言う。そして、早々に馬を選ぶことになった。
 そこで目にしたのは、誰より先にレナートを主人にするのだと、馬房の柵を壊す勢いで暴れ出した、六歳ほどだったフィン。レナートに興味を示していた馬も数頭いたそうだけれど、暴れ回るフィンの猛烈な勢いにたじろいで、レナートを主人にすることを諦めた様子だったとか。
 この時のレナートも十三歳とまだ子供だった為、互いの年齢のこともあってフィンが適任と思われたのかもしれない。

「どうしてフィンは、誰でもいいから主人を欲しがったんでしょう?」
「あいつはただ、母馬のそばに行きたかっただけなんだ。主人を持つ母馬の馬房とは、少し離れていたから。そこに、たまたま運よく俺が馬を選びに来たものだから、これを逃す手はないとでも思ったんだろう」

 普通の馬の六歳と言えばすっかり大人だけれど、グーラ種は長命が故に、人間の六歳と同程度には子供の部分があるのだろう。それであれば、母馬にまだ甘えたいと思っていてもおかしくはない。先ほど見ていた七歳の馬も、すぐ隣の馬房に母馬がいた。
 それでも、母のそばに行きたいが為に主人を得ようとするとは、いかにもフィンらしい。これを、なるほどと納得していいのかは、甚だ疑問だけれど。
 私が何とも言えない微妙な表情のまま黙ってしまうと、レナートが、そう言う顔になるよなと彼もまた苦笑した。

「仕方がないからフィンに決めて馬房の柵を開けてやったら、俺を無視して母馬のところに一目散。あの時は流石のアレックスも呆れて、俺に違う馬にするかと聞いてきたくらいだ」
「それでも、レナートさんはフィンに決めたんですね」
「母馬にこっぴどく叱られてしょげているあいつを見てしまったら、どうにも放っておけなくてな……」

 なんとも、面倒見のいいレナートらしい答えだ。流石は、兄である。
 すっかりしょげ返っているフィンと、それを仕方のない奴だなと言う思いで見つめるレナートと言う構図が容易に想像できて、私は思わず笑い声を漏らしてしまった。

「フィンの母馬の主人の方も驚いたでしょうね」
「子供を叱る自分の馬を見て爆笑していたよ、アレックスは」
「まあ! 母馬はアレックスさんの馬だったんですか!」

 思いがけない人の名を聞いて、私は驚きに目を丸くする。
 親子で騎士と言うだけでも驚くのに、親子揃ってグーラ種に乗っているだなんて。しかも、限られた人しか手にできないグーラ種を得ていると言うことは、アレクシアは騎士としてかなり腕が立つ人物と言うことになる。
 レナートからは、アレクシアはただ騎士だったとしか聞いていないけれど、実は騎士団の中でも特別な地位にいたのではないだろうか。
 祈願祭の日、テレシアから紅の獅子と呼ばれた女性騎士団長の話も聞いたことだし、エリューガルでは、相応の実力があるならば重要な地位に女性が就いていても、何ら不思議ではない。

「アレックスさんは実力のある騎士だったんですね」
「……それなりの実力者だったことは否定しないが、アレックスの馬は元々アレックスの持ち馬だからな? 嫁入り道具の一つとしてアレックスと一緒にやって来ただけで、別に下賜されたわけじゃない。そんなことより、今はミリアムの馬だろう」

 レナートの指差す先では、一足先に馬場へ着き、のびのびとその中を動き回る三頭がいた。
 さらりと告げられたアレクシアについての新たな話に、どう言うことか詳しく話を聞きたくはあったけれど、三頭が厩舎から出てきた私に気付いて一斉に首を巡らせ私の到着を待っているのでは、レナートに続きをせがむわけにもいかない。
 何となく、ほんの少しばかりレナートに話をはぐらかされたような印象を持ちつつも、私は気持ちを切り替えて素直に馬達の元へと駆け寄った。レナートの言う通り、今は私の馬選びが先決だ。

「お待たせしてしまって、すみません」

 私の謝罪に、たちまち三頭が馬場を駆け始める。
 一頭は、額から鼻筋にかけて白斑が広がる栗毛の牡馬。一頭は長毛が濃い褐色の、少し小柄な鹿毛の牝馬。もう一頭は、額に雫のような白斑を持ち長毛が白い月毛の、こちらも牝馬だ。
 三頭は初めの内は仲よく一緒に、駆け足程度の脚運びで私に自分達の姿を示すように駆けていたけれど、次第に栗毛は牡らしく三頭の中から抜け出て速度を増し始めた。

 私が最初におや、と思ったのはその時だ。
 次に私がその気持ちを強くしたのは、馬丁から馬達にあげてくださいと手渡された人参を、彼らに差し出した時。元気な栗毛は、走ってきた勢いそのままに他の二頭を押し退け、全て平らげる勢いで人参に食い付いて、すっかり食い荒らしてしまった。
 牡らしい食べっぷりと言ってしまえばそれまでではあるものの、あまりの勢いに手まで食べられてしまうのではと驚いて身を引いた私に、栗毛から馬鹿にするように鼻息を掛けられて、私の中で一つの考えが頭をもたげる。

 その考えが確実なものに変わったのは、栗毛が存分に人参を食い荒らした後、すっかり私の存在を無視して馬場を駆け始めた時だった。
 その、単に馬房から出る口実が欲しかっただけだと言わんばかりの振る舞いは、私を唖然とさせるのには十分で。

「……な……っ」

 握り締めた拳が無意識に震え、栗毛の得意げな様子に、外に出たいと主張していたフィンの姿が重なった。
 けれど、フィンはちゃんとレナートに意思を示し、レナートの言うことを聞いて、最低限私を乗せて歩くと言う仕事はこなした上での自由行動だった。私の馬選びを利用した上、馬鹿にする態度で勝手気ままに振る舞う栗毛とは、天と地の差だ。

 栗毛のことを、一瞬でもフィンに似て格好いい馬だなと思った私が馬鹿だった。
 フィンの方が何倍も格好よくて、性格だって可愛げがあって素敵な馬だ。あんな性格の悪い栗毛の彼と一緒にするなんて、フィンに対する冒涜である。
 私が怒りを込めて栗毛を睨み付ければ、向こうはいかにも「今頃気付いたのかい、お嬢さん」とばかりに目を細め、後ろ足で地面を掻いて、これ見よがしに跳ねる姿を見せつけてくる。

「なんて馬なの!」

 思わず拳に力が入り、辛うじて手の中に残っていた人参が、その握力に負けて折れた。
 勿体ないとばかりに鹿毛が慌てて地面に落ちた人参を口に入れ、ついでに私の手に鼻を突っ込んで、折れた残りの人参も食べてしまう。けれど、私はそちらには構わず背後のレナートを勢いよく振り返り、抑えきれない怒りをぶつけていた。

「レナートさんも見てましたよね! 何なんですか、あれ! あんまりじゃないですか!?」
「してやられたな、ミリアム」

 馬場の外から柵に寄りかかってこちらの様子を眺めていたレナートは、けれど私の怒りに真剣味なく軽く笑うだけで、私に降りかかった災難を楽しんでいるようだった。私の怒りに同意してくれる様子は、まるでない。

「他人事だと思って……!」

 私はこれでも、真剣に自分に合う馬を見つけようとしていたのに。それなのに、その真剣な場で、自分の欲求を満たす為だけに私を利用するなんて!
 挙句に、あの人を舐めきった態度である。いくら気高く賢い馬でも、性格があれほどひん曲がっていては気高さのけの字もない。ただの意地の悪い家畜だ。いくらグーラ種だからと言っても、人間に対してやっていいことと悪いことはあるだろうに、全く反省する気配がないだなんて、憎たらしいにもほどがある。

「私だって愛し子なのに」

 その自覚がしっかりあるわけではないけれど、少しは同じ愛し子同士と言う意識で、私と相対してくれてもいいのではないだろうか。馬にしてやられた自分自身が悔しくて情けなくて、思わず恨みがましく言葉が出てしまう。
 そんな私の頭の上に、ぽん、と軽い調子で手が置かれた。本日二度目のその感触に私が驚く間もなく、諫めるように力がこもり、わずかに私の首が前傾する。

「それは逆効果だぞ、ミリアム」

 私の視界を遮るように伸びていた腕が去って、やや真面目なレナートの顔が現れた。

「愛し子と言う立場を笠に着て振る舞えば、あいつらは余計にミリアムを見下す。それに、愛し子だからと言うことで擦り寄って来ようとする馬だって、いないとも限らない。そんな馬を貰えば、いつか必ずそいつはミリアムを裏切る。ありのままのミリアム自身を馬に見てもらって認めてもらわなきゃ、意味はないんだ」

 真剣な青の瞳に見据えられて告げられたことは至極もっともで、私は素直に「はい」と返事をするしかできなかった。
 抱いていた怒りが急激に萎んで、私は反省と共に肩を落とす。こんな私だから、馬にいいように利用されてしまうのだ。

「いいじゃないか。ミリアムの馬候補が絞られたと思えば。ああ言う生意気な奴は、その内、絶対に逆らえない人間が主人になるものさ」

 レナートから新たに人参を持たされながら、私はいまだに馬場を一頭でのびのびと駆ける栗毛を眺めた。その脚運びは軽快で、実に楽しそうである。
 けれど、ふと足を止めて遠くを見つめたその姿は、私にどことない寂しさを感じさせた。風を切って駆けても物足りなさを窺わせるその横顔に、私は「あ」と小さく声を漏らす。

 あの馬は、今年で二十歳ほどだと聞いた。そして、いまだに主人がいない。つまりは、レナートの馬選びの時もイーリスの時も、もしかしたらキリアンやエイナーの時も、彼は人に選ばれず、また彼自身も己に相応しいと認める主人に出会えなかったことになる。
 そんな中で、久々に馬を得ようと人間がやって来ると知って、今度こそはと言う気持ちが彼にあったとしたら。

 きっと彼は、騎士を背に乗せて走りたい馬だ。主人の為に駆け、主人に掛け替えのない相棒であると思われたい馬だろう。そして、王族が全員馬を得ている今、やって来るのは騎士だと思ったに違いない。それなのに、現れたのが明らかに騎士ではない少女で、さぞがっかりしたことだろう。その落胆はいかばかりだっただろうか。
 そう思えば、私に対しての意地悪な行動も理解できる気がする。鬱憤の捌け口にされたことは、許し難いけれど。

「……早くあの子も、主人にしたくなるような人と出会えるといいですね」
「そうだな」

 私の視線に気付いたらしい栗毛が、途端にこっちを見るなと嫌そうな顔をしたので、私は気を取り直して、二頭の牝馬へと向き直った。きっと彼は、人間からの同情なんて望んでいないだろうから。
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