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第三章 王城での一月

加護持つ馬と、眠る力

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 神、と一口で言っても、世界には様々な神が存在している。この世界を創った三女神のような女性の姿をした神もいれば、未開の聖域の守護を司り、今はエリューガル王国の守護者として崇められているクルードのように、竜の姿をした神もいる。
 また、人の目には見えない風を模した神や、捉えどころのない炎を司る神もいれば、人の作り出した歌や踊り、酒を愛する神もいる。
 そして勿論、神は人にのみ恩恵を授ける存在ではない。鳥や獣、草花、樹木、果ては魚から昆虫まで。様々な神が様々な形で、それぞれに関連する存在や愛する存在へ恩恵や加護を与えている。

 そんな神の中に、グズゥラと言う名の神がいる。人語を解し自らも操り、海底も天空も自在に駆ける、馬に実によく似た四足の獣姿の神だ。そんなグズゥラが守護するのは、グズゥラの姿に似た――グズゥラに似せてこの世界に生み出された――馬である。

 地域によってはグーラ種ともズゥラ種とも呼ばれるある一つの馬種は、そのグズゥラから加護を賜った馬で、普通の馬よりも遥かに丈夫な体を持ち、人と同じほどの年月を生き、ひとたび己の主人と認める者が現れれば生涯をその主人と生きる、非常に強く気高い種として有名だった。
 また、人の言葉を理解できる高い知能をも有しており、通常の馬より遥かに明確な感情の発露がある。馬でありながら、他の馬とはやや異なる――人に例えて言うなら愛し子のような位置付けになる馬であり、多くの国の王族が所有する馬は殆どがこの馬種であるほど、高い地位にある者に好まれる馬種でもある。

 けれど同時に、その気高さと知能の高さ故に扱い辛い馬種としても有名で、馬の側に人が認めてもらえなければ、飼うことはできてもその背に乗ることは難しいとされている。
 加えて、長命であるため繁殖も通常の馬とは違い、一生の内に三度ほど。番う相手は、一度決めると生涯変わることもない。それらの点からも、とても希少な馬種でもあった。

「扱い辛いと言っても、あいつらは人をよく見ているだけで、女子供には基本的に優しいんだ。そんな顔をしなくても頼めば触れさせてくれるし、乗せてもくれる」

 厩舎への道すがらレナートの話を興味深く聞きながら、私は最初に抱いていた期待が、不安へと変わっていくのを感じていた。

 昨日、レナートの言っていた「それなりの馬」のこと。馬に煩いと言うアレクシアのこともあるので、きっと由緒ある血統の馬の中から選ぶことになるのだろうな、くらいまでは私の予想の範囲内だった。けれど、まさか各国王家御用達の馬種から選ばされることになろうとは、誰が想像しただろうか。しかも、私をうっかり主人と認める馬が現れてしまったら、生涯忠誠を誓って私のそばに居続けるだなんて、馬を必要とする職に就いている人ならばまだしも、私にはあまりに持て余す存在だ。
 ただ、どうもレナートの話し振りからすると、アレクシアがグーラ種以外の馬を認めなさそうな雰囲気なので、私としては全く気が進まないけれど、この決定が覆ることはないのだろう。

 二つある厩舎の奥、グーラ種だけがいると言う、少し小さめのそこに向かって歩く。
 王族だけでなく、キリアンの騎士であるレナートとイーリスも、その立場からグーラ種をそれぞれ下賜されたとのことで、そちらの厩舎にいると言う。その為、私は初めにレナートの馬に会って、馬への接し方を学ぶことになっている。
 他にこの厩舎で主人を得ている馬は、王族以外ではイェルドの側近に、騎士団長と副団長。今後、一月弱の間とは言えそこに私が選んだ馬が加わることを考えて、私は胃が痛み出す予感に顔を顰めた。

 ちなみに、主人を持たない馬は、主人を持つ馬のおよそ倍程度の数いるそうで、その内一頭は、去年生まれた仔馬なのだとか。流石にその仔馬を選ぶことはできないけれど、そんな馬達との顔合わせも今日の予定に含まれている。
 果たして、私のような人間を主人と認めてくれる奇特な馬が現れてくれるのかどうか。
 そんな馬が現れず、グーラ種を貰い受けるのは難しいと言う方向に向かってくれた方が多少なりとも私の気は休まるのだけれど、それではアレクシアが何と言うか。だからと言って無理に一頭選んでも、馬の方にしてみれば、主人と認めてもいない人間に貰われるのは気持ちのいいものではないだろう。

 つまり、私にとっても馬にとっても最良の選択は、グーラ種以外から選ぶことなのだ。ぐるぐると考える私の頭は、無駄だと分かっていても、どうしても結論をそこに持って行きたがる。
 そして、厩舎への道中、レナートに何度も問うている言葉がまたしても私の口から零れ出た。

「……本当に、私にグーラ種の馬が必要なんですか?」
「諦めてくれ」

 レナートも、何度目かの私からの同じ問いに、最早苦笑を零すだけだ。
 アレクシアの我が儘以外にも、王家から私にグーラ種を与えるのが適当だと思われているのは、当然のことながら私がエイナーの誘拐に巻き込まれた上に、泉の乙女であることが関係している。
 むしろ、この国に暮らす上でそのことが――特に後者が関係しないなんてことが、あるわけがない。リーテの愛し子としての泉の乙女は、それだけこの国にとって大切な存在なのだ。多くの民にとってはただ祈願祭の中の一役と言う認識しかなかったとしても、クルードの愛し子の次くらいには、国を統べる側には重要なのだ。私にとっては、非常に迷惑なことに。

「私は、街の片隅でのんびりゆっくり暮らせたら、それでいいんですよ?」
「知っている」
「特別扱いのようなことも、本当はしてほしくないんですけど」
「これでも、王家は君の意見を尊重はしているんだ。最大限譲歩して、君に対して贈る形あるものは、馬だけに留めたんだからな」
「それはそうですけど……」

 本当はもっと、これまでの王城生活で揃えられた衣服以外にも、今後必要と思われる衣服や装飾品類から日用品、食器や家具に至るまで、それこそ、私が今現在持っていないもの全てを揃える勢いだったと、レナートからは聞いている。それが馬一頭に収められたのだから、いくらその馬がグーラ種と言えど、それすら辞退してはエイナーに泣きつかれてしまうだろう、と。
 けれど、今の私は泉の乙女と言っても、いまだに女神から与えられた力がどんなものか、自分自身でも把握していない、名ばかりの愛し子。馬一頭ですら気が引けると言うのが、私の偽らざる本音だ。

 図書館で調べた文献には、過去の泉の乙女に発現した力は、獣と心を通じ合わせることができる、鳥を自在に操れる、天候を正確に予測できる、枯れた緑を復活させられる、枯れた水場に水を呼び戻せる、人や獣の病や傷を癒すことができる、と言ったものだと記されていたけれど、残念ながら今現在の私はそんな不可思議なことのどれか一つだって、できる気がしない。
 他にも、水鏡に未来を見ることができるらしい、なんて記述もあったけれど、それこそ神そのものの力だろう。愛し子とは言え人間が、そんな力を扱えると思うなんて烏滸がましいにもほどがある。
 生憎私に見えたのは、これまで数え切れないほど繰り返してきた過去の私の人生だけ。

 それに、もしも私と同じく泉の乙女だった母にそんな力があったのだとしたら、あんなに酷使させられ弱って死んでしまうことを、母が素直に受け入れたとも思えない。
 未来を見るなんて、天候を予測する力のことが大袈裟に捉えられたものだと思った方が、よほど現実的だ。
 ただ、母が泉の乙女に関することを私に何一つ告げなかった理由は、分かる気がした。

 泉の乙女の力は、獣や鳥に関するものなどを除けば、言ってみれば聖水が与える効果と同じもの。そして、東方の国々ではそんな力を振るえる存在は、慈愛の女神レーの化身、聖なる者、聖なる乙女――聖女として、国の管理下に置かれる。
 もっとも、ここ数百年、そんな存在が現れたとは公には聞いたことがない。あくまで公には、だけれど。

 その体力と生命が続く限り、無限に聖水と同等の力を振るえる聖女なんて存在、国が公表するわけがないのだ。ひとたびそんなことをしてしまえば、その存在を巡って争いが起きることは目に見えているし、国の管理下に置かれると言えば聞こえはいいけれど、戦争の火種になりそうな存在は、早急に見つけて厳重に監禁しておくに限る。

 東方の穀倉地帯なんて言葉だけを聞けば長閑と思われがちだけれど、十もの小国が犇めき合うあの一帯は、穀物の生産や流通において利益が一国に偏らないよう常に監視し合う、危うい均衡で成り立っているのだ。表向き十国で同盟を結んで協調しているように見せておいて、その関係は常に緊張を孕んでおり、国同士の仲は決していいとは言えない。何かの弾みでその均衡を崩す切っ掛けが生まれれば、たちまち国同士で領土の取り合いが生まれる。平穏な田舎の十小国と言う周辺国からの印象とは、内実は掛け離れているのだ。

 そんな中で、母が泉の乙女について私に打ち明けて、それが切っ掛けで私に眠る力が目覚めてしまったら。発現した力が聖水と同等のもので、そのことが国に見つかってしまったなら。私の将来は、また違った悲惨なものになったに違いない。

 私は、服の上からそっと、リーテの雫の入った小瓶に触れた。
 これもまた書庫の文献で知ったことだけれど、リーテに与えられた力は、リーテの雫に宿る女神の加護の力に誘起されて目覚めてきたらしいのだ。これまでの泉の乙女も、祈願祭でリーテの雫を湧かせた後に力に目覚めた者が、圧倒的に多く記録されていた。
 勿論、多かったと言うことはそうでない者もいたわけで、生まれてわずか数年で力に目覚めた者の記録もあった。

 一番新しい記録――母については、十三の時に泉の乙女として祈願祭に初めて出た際にリーテの雫を湧かせたそうだけれど、いつ力に目覚め、発現した力がどんなものかについては、何も記されていなかった。
 母の、王太子婚約者としての立場が記録に残させなかったのか、国にいる間には目覚めなかったのか、目覚めたことも発現した力も母が明かさなかったのか。今となっては確かめる術が何一つないことが、少しだけ悔やまれる。

(お母様のことを、もっと知ることができると思ったのに……)

 私が真っ先にリーテや泉の乙女に関する文献を読み漁ったのは、勿論自分の為でもあったけれど、泉の乙女の先達としても、母のことを一つでも多く知ることができるかもしれないとの期待もあったから。
 結局、母については殆ど何も得られず気落ちした時のことを思い出して、私は改めて、小瓶を強く握った。あとはもう、この小瓶に詰められたリーテの雫に頼るしかない。

 リーテの雫は、名の通り、一滴で十分な効果を発揮する。
 一抱えほどの大きさの水瓶一杯の水に一滴垂らすだけで、そのただの水を、中程度以上の聖水と同等の効果を持つものへと変じさせることができるのだ。そして当然、滴数を増やせばよりその効果は上がる。ただし、効果が上がりすぎて逆に悪影響を及ぼすことになる為、三滴以上加えることは禁止されているとか。
 加えて、水に垂らす前にどのような効果をもたらしてほしいのかを願えば、その効果に特化したものができ上がると言う。例えば、傷を癒すものをと願えば、傷を癒すことにのみ使える聖水になるし、病を癒すものをと願えば、病を癒すことに特化した聖水になる。

 少しばかり恐ろしいのが、生命を司るリーテの力は、生命を生かすことにも、生命を枯らすことにも使えると言う点だ。だから、その一滴に悪意ある願いを――例えば、人を死に至らしめる毒をと願えば、その通り、毒薬ができ上がってしまう。
 勿論、そのように悪用されない為に神殿が厳重に管理しているし、リーテの方でも、悪意ある願いが込められた水は濁るよう人々に示してくれているので、これまでにリーテの雫が悪用されるようなことは起こっていないそうだけれど。

 とにもかくにもそんなご大層なものが、実は一滴ではなく小瓶一瓶分。水瓶何十個分もの聖水を作れる量が、私の手元にある。私の中に眠る力を、起こす為だけに。

 これまでの泉の乙女は、このようなことをせずとも自然と力に目覚めていたそうで、本来は必要のないことだ。けれど、遠くエリューガルから離れた地で生まれ育ち、リーテの愛し子であることを全く知らずに生きてきた私は、そもそもリーテの力に目覚める素地ができていないそうなのだ。
 素地ができ上がらないままに力だけが無理に発現するようなことがあれば、暴走の元になる。その為、キリアンが先んじて私に手渡してくれたのだ。常にリーテの加護に触れることで、私の中に素地を作り上げて自然に目覚めを促し、力の暴走を防止する為に。

 あの時、キリアンは何と言うこともなく譲ってもらったなんて言っていたけれど、一滴ですら大事に扱うべきリーテの雫を、小瓶一瓶とは言え、そう簡単に分けてもらえる筈がない。きっと、無理を押し通して貰って来たのだと思う。神官達にしてみれば、自分達が神聖視する相手に、つべこべ言わずにさっさと寄越せと脅されたようなものだっただろう。
 神官達の心労はいかばかりだろうか。クルードの愛し子、恐るべし。

 けれど、そうまでしてキリアンが私に持たせてくれた、一瓶分のリーテの雫。絶対に、無駄にはできない。果たして、私が力に目覚めその力が発現する日は、いつやって来るのか。
 ただ、せめて力に目覚めるのだとしたら、発現する力は、せいぜいが獣と心を通じ合わせられるくらいであってほしい。リーテには申し訳ないけれど、まかり間違っても、病や傷を癒してしまえるなんて明らかに面倒事に巻き込まれそうな力、私は欲しくない。

 私達が向かう先の厩舎の入口から出てきた馬丁の一人が、レナートに気付いて会釈する。
 吹く風に乗って厩舎独特の懐かしい臭いが届き、私は腹を括って頭を切り替えた。もうここまで来てしまったなら、なるようになれと、投げやりになったとも言うけれど。

 厩舎に足を踏み入れ、その中をレナートの先導で進む。
 鹿毛、青毛、たてがみだけが金色の馬、額が白いぶちの馬――最初にこの世界に作り出された馬がこのグーラ種と言われているからか、様々な毛色を持つ馬が並んでいた。
 どの馬も、見知ったレナートの姿を目にするとよく来たなと嬉しそうな様子を見せ、レナートもそれに気安く応えている。けれど、彼の後ろを付いて歩く私を目にすると、途端に馬達はまるで自分達の気高さを見せつけるように、やや威圧感のある表情で私を見下ろしてきた。
 いくらグーラ種とは言え馬は臆病な動物だと言うし、このレナートとの態度の違いは、見慣れない私を警戒してのことだろうか。

「私、もしかして警戒されてます……?」
「いや、むしろ歓迎されている方だろう。初対面の人間には、自分達がどれだけ優れた馬なのかを見せようとして来るんだ。グーラ種としての誇りなんだろうな。その上で真っ直ぐ見下ろしてくるのは、仲良くしてくれとミリアムを歓迎している態度だから、手でも振ってやれば喜ぶぞ」

 つまり、慇懃無礼と言うわけではなく、真摯に客人を出迎えてくれている、と言うことか。人に例えて想像しながら、私はレナートに言われた通り、ちょうど一頭の馬の前を通り過ぎざまに笑顔で軽く手を振ってみた。私の方からも仲よくしてください、との気持ちを込めて。
 すると、鬣が立派な黒鹿毛の馬は、まるで人が手を振り返すように、目元を和らげ潤んだ瞳で尻尾を振ってくれた。

「ふわぁ……」

 畏まって出迎えられたと思ったら、飛び切りの笑顔を向けられた。そんな心地に、思わず声が出る。
 そして、流石はグーラ種と言うことか、しっかりレナートと私の会話の内容を理解してもいるようで、次に前を通った馬は、先ほどまでの威圧感たっぷりの歓迎の態度がやや軟化して、私を怖がらせないようにしてくれているようだった。

「――こいつが俺の馬、フィンだ」

 その言葉と共にレナートが立ち止まったのは、私が手を振った黒鹿毛の馬の二つ隣の馬房。厩舎の中ほどの場所だった。
 そこにいたのは、鼻筋と足の先が白く、先程の黒鹿毛の馬よりは、やや茶色味が強い馬。レナートの姿を見るや、フィンと紹介された馬は嬉しそうにレナートに顔を寄せ、レナートもそれに応えるようにフィンの首を優しく叩く。
 その後、当然のように私の姿に気付いたフィンは少し後退り、今しがたのレナートに甘えていた姿が嘘のように凛々しく構えて私を見下ろしてきた。

 主人の前と言うこともあるのか、その態度はこれまでの馬よりも一層自慢げであり、主人の客人を出迎えるのだと言う気構えのようなものも窺えた。
 彼らの態度の意味を知って三頭目ともなると、私にも馬に相対する余裕が生まれる。私は少し考えた結果、馬を相手にスカートを摘まんで可愛らしく礼をした。

「初めまして、フィン。私はミリアム。今日はよろしくね」

 そう言って笑顔を向ければ、フィンはその場で足踏みをするように体を揺らし、尻尾を高く振ってとても嬉しそうな仕草をしてくれた。
 どうやら私は、フィンにはとても好意的に受け入れてもらえたらしい。
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