黒竜住まう国の聖女~呪われ令嬢の終わりと始まり~

奏ミヤト

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第二章 芽吹きの祈願祭

祈願祭終幕・騒宴の名残

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 二曲を続けて踊り、三曲目は遠慮して下がった私とエイナーは、何故か人が割れて出来上がっていた道を進み、盛大な拍手でキリアンに迎えられた。
 間近に見たキリアンは何やら随分と感極まった様子で、込み上げるものを懸命に堪えながらエイナーの目線に合わせて片膝を付くと、そのままひしと弟を抱きしめる。

「ああ、エイナー! とても素晴らしいダンスだった! お前が、あれほど見事に踊れるようになっていただなんて、私がどれほど感動したか……! 見ているこちらまで幸せな心地にさせてくれるお前のダンスには、ティスカでさえ喝采を送ること間違いなしだ! 本当に素晴らしい! エイナー、今日はお前の素晴らしさが芽吹いた記念すべき日だ。……ああ、愛しい弟よ。やはりお前は私の自慢の愛し子だ……っ!」

 感動に打ち震えながらエイナーを抱きしめて離さないキリアンは、私がこれまでに見たどの姿よりも優しく愛情溢れる兄だった。その口から紡ぎ出される言葉の端々からも、エイナーが可愛くて愛しくて仕方がないと言う思いが全身から伝わってくる。

 ただ、私がこんなにも感動しているキリアンを目にしたのが初めてだからかもしれないけれど、ほんの少し、ほんの少しばかり、愛情過多な気がしないでもない。
 実際に私も、エイナーとのダンスは楽しかったので大袈裟とは決して言わないけれど、エイナーへの愛情が溢れすぎたその勢いに押され、私は無意識に二人からわずかに離れたところで足を止めていた。
 それでも、エイナーの前では、キリアンはこんなにも弟への愛情を示す優しい兄なのかと思うと、笑みが零れることは止められなかった。

「よかったですね、エイナー様」

 踊っている最中、兄以外とは初めて踊るのだとエイナーは私に明かしてくれていた。加えて、そんな自分を兄は見てくれているだろうかと、期待と不安を抱いていたことを思い出す。
 エイナーは褒められて嬉しそうにしつつも、大勢の人の前と言う恥ずかしさからか、すいと私から顔を背けてしまった。そして、その照れ隠しなのだろう、いつまでも抱擁を解かない兄に痺れを切らしたように、腕の中から抜け出そうと藻掻き始める。

「も……もう、兄上っ。僕一人で踊っていたんじゃありませんよっ。ミリアムだって、とても素敵だったでしょう?」

 エイナーは抜け出す口実として私のことも見てほしいと促すけれど、どうもキリアンはエイナーが藻掻けば藻掻くほど離すまいと力を強めているようで、肩口に顔を埋めて一向にエイナーから手を離す気配はなかった。そして当然、小さなエイナーの力だけでは、大人であるキリアンは引き剥がせない。
 なかなか自力で抜け出せない現状に、エイナーは先ほどはにかんでいた柔らかな表情から次第に焦るように、キリアンの腕の中でじたじたと動き始めてしまった。私も見かねて、これはキリアンに声をかけるべきかと一歩を踏み出し、その気配に気付いたエイナーと一度目が合う。

「ミ……」

 私の名を口にしかけて、けれど、エイナーは何やら喋っているらしいキリアンの声に一旦口を閉じた。兄の言葉にじっと耳を傾け、困ったように眉尻を下げながらも、私に向かっては助けは必要ないと首を振る。
 ありがとう、と口の動きだけで私に告げて、喋り続ける兄の言葉を最後まで聞き、その可愛らしい口から観念したようなため息が一つ。それから、慈愛のこもったふわりとした笑みをその顔に灯した。

「……兄様。兄様のエイナーはどこにも行かないよ?」

 抜け出そうと突っ張っていた腕をキリアンの背に回し、赤子をあやすようにぽんぽんと叩いて、ついでのようにその頭も撫でる。肩口のキリアンへ頬をすり寄せ、背に回した腕に力を込めて、エイナーは兄の大きな背中をぎゅっと抱きしめた。

「キア兄様が大好きなエニーは、ずっとここにいるよ」

 極めつけに囁かれたのは、私の知っているエイナーからは想像もできないほどに兄への愛と甘えとがたっぷりと込められた、蕩けそうなほどに愛らしい声と、言葉。それはさながら、恋人に愛を囁くようで。
 ひっしと抱き合う二人の兄弟が、一瞬、私の目には愛し合う男女のように映る。
 そんなことはない筈なのに、心なしか二人を取り巻く空気まで甘く蕩けて見えて、見てはいけないものを見てしまった心地に、私の足は無意識に後退ってしまった。

 もしかして、今この兄弟にとって、私は完全なお邪魔虫なのではなかろうか。ここは、速やかに二人きりにさせるべきなのでは――誰よりも二人の近くにいたばかりに、うっかりその姿をこの目にしっかりと焼き付けてしまった私は、不意に過った自分の思考に我に返った。そして、我に返った勢いそのままに、イーリス達の元へ向かおうと一歩踏み出す。
 その時。

 それまで、頑としてエイナーの抱擁を解かなかったキリアンがすくりと立ち上がり、けれどその手はしっかりとエイナーの手を握り締めたまま、まるで何事もなかったように私へと微笑みかけてきた。
 その表情は私が見慣れたいつものキリアンで、寸前まで弟と熱い抱擁を交わし愛を囁き合っていた光景は、私の見た幻だったと言わんばかりだ。

(……いやいやいや、待って、私。愛は囁き合ってなかったよね!? ……多分!)

 私が内心慌てていることなど知りもしないキリアンは、私が後退ったことで空いてしまった距離を詰め、完璧な王子の微笑を振りまいてくる。

「すまない、ミリアム。あなたもとても美しかった。フレデリクの言う通り、いまだ眠りの中にいる若芽に、雪解けを知らせて咲き誇る睡蓮の花のようで見惚れたよ」
「……あ、ありがとう、ございます……」

 まるで光を纏ったかのような綺麗な微笑だったけれど、つい今しがたの、すっかり二人の世界に入り込んだ熱い抱擁を見せられた後では、どんな賛辞も表情も、私は不思議と平静な心で受け止められていた。むしろ、とってつけたような賛辞を聞かされた心地で、平静と言うよりはすこぶる冷静に言葉を受け止めた気がする。顔に熱が集まるどころか、心臓も全く高鳴る気配がない。

 人間、驚きが過ぎると一周回って冷静になると聞いたことがあるけれど、もしかしたら今の私のような状態を言うのだろうか。
 これは新しい体験をした……などと密かに私が思っていると、エイナーがキリアンと繋いだ手を引いて、兄の意識を私から彼へと戻した。
 まるで自分だけを見てと言わんばかりのその行動に、やはり私はこの場に邪魔だったかとはっとしたけれど、この状況で先に行きますとは、少々言い出しにくい。
 どことなく微妙な沈黙が流れる中、エイナーが自分を見下ろすキリアンへ、ぽつりと告げる。

「兄上。僕、お腹が空きました」
「エイナー……もう、兄様とは呼んでくれないのか?」
「兄上。僕、早くミリアムと食事がしたいです」

 兄上、と殊更強調するように呼び掛けながら、エイナーはキリアンと繋いでいるのとは逆の手で私の手を握った。私へ顔は向けてくれなかったけれど、優しく手を握ってくれるその行動からは、ひとまず私を邪魔と思っている様子は見受けられない。
 そのことに私が安堵していると、キリアンの紅の瞳がじっと私へ――何故かは分からないけれど、特にエイナーに握られた手へ――注がれて、これまた見事に作った微笑が口元に浮かんだ。
 それはもう、見事に輝く微笑が。
 その迫力に気圧されて半歩後退りながら、私はさり気なく、握ってもらえたばかりのエイナーの手から自分の手を引き抜いた。どうしてだか、そうしなければならない気がしたのだ。

「……そうだな。食事に行こうか」

 果たして、私の取った行動は正解だったのか否か。微妙な間があったことを気にしながらも、私達はキリアンの一言に従い、エイナーを挟んで三人、並んでイーリス達の元を目指して歩く。
 その間、エイナーの手を引いて歩くキリアンはすこぶる上機嫌な様子で、そんな兄を見上げたエイナーは、兄に悟られないよう気を付けながら私に顔を向け、声なく「ごめんね」と呟いた。
 今にも鼻歌を歌い出してしまいそうなキリアンと、申し訳なさそうに眉を下げるエイナーと。その対比がおかしくて、私はエイナーからの謝罪に、笑って緩く首を振った。
 きっと、それだけキリアンにとっては、先ほどのエイナーのダンスが特別なものだったと言うことなのだろうから。エイナーが家族にそれだけ大切にされていると言うのは、彼の友人としても、とても嬉しい。

 そうして向かった先で私が目にしたのは、何やら騒ぐ男性陣の姿。
 にこにこと笑うラーシュを挟んでハラルドとオーレンが向かい合い、互いに何事かを言い合っている。そして、我関せずと眺めていたレナートが、ハラルドとオーレン二人に同時に声をかけられ、私の見る前で、無理やり三人の輪の中に引きずり込まれていく。
 騒ぎの中心は向かい合っているハラルドとオーレンのようだけれど、私の目には、四人でとても楽しんでいるように映った。
 一体、彼らは何をそんなに熱心に話しているのだろう。

「皆さん、なんだか賑やかですね」

 若いレナート達の中に、年長のハラルドが一人混じっていることを少しばかり意外に思いながら、私は男性陣のすぐそばでやり取りを傍観しているイーリスの脇から、顔を覗かせる。
 その途端、賑やかだった声がぴたりと止んだ。

「あら。お帰りなさい、ミリアム」
「はい! ただいま戻りました、イーリスさん」

 イーリスに寄り添うフレデリクにも会釈をしたところで、今度はエイナーが私の脇から顔を出した。純粋な疑問の浮かんだ瞳が瞬いて、居住まいを正した四人を映す。

「何をやっていたの、ラーシュ?」
「オーレンと一緒に、ハラルド殿のお話を聞いていたんですよ、エイナー様」

 お帰りなさいと白い歯を見せたラーシュに三人が揃って首肯し、その中から一歩前へ進み出たハラルドが丁寧に腰を折り、私へと微笑んだ。

「おかえりなさいませ、ミリアムお嬢様、エイナー殿下」

 その姿は相変わらず恐れられる教官の面影がなく、兵団の制服を着ているにも拘らず、私に本当の執事であるかのような錯覚を抱かせた。きっと母も、今よりずっと若いハラルドにこうして出迎えられていたのかと思うと、どこかくすぐったい。
 そんな気持ちを抱えながら、私は興味を引かれるままにハラルドへ問いかける。

「ハラルド様、皆さんにどんなお話をされていたのですか?」

 四人で随分と盛り上がっていたようだし、知識が豊富なハラルドの話はさぞ面白く、勉強にもなるのだろう。私は特にこの国のことについては知識不足でもあるし、もしもこれからの生活に役に立つ話であれば、ぜひ聞いてみたいものだ。
 期待するようにハラルドの返事を待てば、何故かハラルドはにこやかな笑みを一瞬引きつらせ、ほっほ、と梟のように笑った。

「ミリアムお嬢様のご期待に添えますかどうか。……紳士とはどうあるべきか……と、まあ、つまらぬ話でございますよ」
「つまらないだなんて。皆さん、とても楽しそうにしていらっしゃいましたよ?」
「いやいや、ミリアムちゃん。そいつは自分のお嬢様にいい格好したいだけの嘘つき梟だから、気を付けた方がいいよ?」

 謙遜することはないのにと思う私と苦笑するハラルドの間に入って来たのは、熱心にハラルドと言葉を交わし合っていたオーレンだ。胡散臭いものを見るかのようにハラルドを一睨みしたかと思ったら、心底から私の身を案じるような仕草で歩み寄ってくる。

「嘘つき梟……?」

 このハラルドが、嘘をつく――あまりに突飛な言葉に瞬く私へ、オーレンが言葉を重ねる。

「そうなんだよ、ミリアムちゃん。酷いんだぜ、このクソふく――」

 けれどその直後、私はイーリスの腕の中に閉じ込められ、その視界はフレデリクの背中に遮られて、ついでにオーレンの言葉も途中で消えてしまった。
 代わりに聞こえたのは、随分と重たいものが勢いよく床に落ちたような、何とも説明しようのない鈍く大きな音。

「……お前は相変わらず、学習しないな……」

 ため息交じりのレナートの呟きに被って誰かが何かを引きずる衣擦れの音が続き、ふわりと夜気が香ったかと思うと、ややあって、落ち着いたハラルドの声が聞こえてきた。

「お目汚し大変失礼いたしました、皆様」

 一体、何が起こったのか。
 視界が開けると、直前までそこにいた筈のオーレンの姿は忽然と消え、敷かれた絨毯の上に転がる潰れた一輪の水仙の存在だけが、幻ではなく確かにそこにオーレンがいたことを示すばかり。
 けれど、それもすぐさまハラルドの手に拾われて、跡形もなくなってしまう。
 私を突然後ろから抱きしめてきたイーリスを見上げ、私は小さく首を傾げた。

「え……と? イーリスさん、何が……? あの、オーレンさん、は……?」
「いいのよ、ミリアムは何も気にしなくて」
「イーリス殿の仰る通り、何も気になさることはございませんよ、ミリアムお嬢様。それよりも、二曲続けて踊られて、お疲れではございませんかな?」

 私の顔を覗き込む二人の笑顔は、何故か、私にこれ以上問いを重ねることを許さない迫力に満ちていて、私は、でも、と続けようとした言葉を無理やり飲み込む。
 恐らく、私はもうこの件に触れてはいけないのだろう。何故だかは分からないけれど。
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