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第二章 芽吹きの祈願祭

老執事の誤解

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「……さて、ミリアム。ハラルドも」

 そうして私が落ち着きを取り戻した頃、イェルドによって室内の空気が改められる。
 ハラルドも鉛色の瞳に落ち着いた光を宿し、静かにイェルドの言葉に耳を傾ける姿勢を取った。

「話を戻そうか。……今日こうして二人を対面させることになったのは少々想定外だったのだが、私達は元々君達二人を会わせるつもりでね。その為の正式な場も、後日設ける予定でいた」
「え……?」

 想定外とは、私が過度にハラルドのことを恐れてしまったことを指しているのだろう。その所為で、早急に誤解を解く為にこの場に呼ばざるを得なくなってしまったと。ここまでは理解できる。
 けれど、初めから私とハラルドを会わせるつもりでいたとは、どう言うことだろう。

 いくら私が第二王子を助けた人物だからと言って――もしくは、救国の乙女と呼ばれた元婚約者エステルの娘だからと言って――王族がたかが小娘一人の為に、わざわざ縁故の者と会わせようとするだろうか。それとも、少しでも私の希望を叶えることで、親子が受けた恩に報いようと言うことなのか。
 全く予想しなかったイェルドの発言の真意が分からず、私は驚くと共に疑問を抱いた。
 一方のハラルドは、この急な呼び出しにもイェルドの話にもさして驚く素振りはなく、想定していたことを改めて聞かされたかのように、平静だった。ただ、どことなく腑に落ちない様子なのは、私がこの国にいる理由を彼が知らないからか。

「ハラルドは最も長くエステルのそばに仕え、二十五年前には唯一彼女が相談を持ちかけたほど、誰より信頼した人物でね。勿論、そう言う経緯も含めて、私自身ハラルドを信頼しているし、かれこれ三十年の付き合いのある仲だから、彼の人となりもよく知っている。きっと、君の助けにもなってくれる筈だ」

 ハラルドについての説明を聞かされても、会わせる理由について私が抱いた疑問への答えには、いまいち遠い。
 知らない土地で一人暮らしていくことを考えれば、確かにハラルドをこうして紹介してもらえたことは、心強くはある。それに、母もイェルドも信頼する人物ならば、私にとっても信頼できる人物足り得るだろうと考えていることも理解できる。けれど、何故そうまでして私と会わせようと考えたのか――私には、なかなか話が見えてこなかった。
 疑問の解消ができずに一人悶々とする私を置いて、話は進んで行く。

「私が主と定めたお方が、正しいことをなさろうとしていたのです。それを助けるのは、仕える者として当然のこと。……最後までお仕えすることができなかったのは残念ですが、だからこそ、私にそのご遺志を継ぐ機会を与えてくださったのかもしれませんな……。このハラルド・ラウランツォン、命ある限り、ミリアムお嬢様のお力になると誓いましょう」

 ハラルドからの、ともすれば大袈裟とも感じる宣誓。
 少しばかり芝居がかっているとも言えるそれは、けれどそこに込められたハラルドの強い意志をひしひしと感じるもので、イェルドの真意が見えないとは言え、私にとっては正直に嬉しいものだった。

「……力強いお言葉、感謝申し上げます、ハラルド様」

 初めての祭り、友人との外出、試合観戦、味方、縁故――この国で何も持たなかった私が、今日一日で一体どれだけのものを貰っただろう。
 エリューガルと言う国は、私に対して本当に、信じられないほど優しい国だと思う。それは、いつかこの幸せが壊れてしまうのではないかと、時に恐ろしく感じてしまうほど。
 どうか、そんな日が来ることがありませんように――そう心の片隅で願う私の耳に、軽く手を合わせたイェルドが、さて、と続ける。

「これで最低限、顔合わせと伝えるべきことは伝えたわけだが……今日はここまで、積もる話は後日改めて……では、ハラルドは納得しないのだろう?」
「そうでございますな。できれば最低限、ミリアムお嬢様が城に滞在なさっている理由くらいは、今ここでお聞きしたいものです」
「それは、ミリアムが我が国にやって来た理由にも繋がるのだが……。ミリアム、いいかな?」

 今ここで、これまでの経緯をハラルドに話しても。
 言外にそうイェルドに尋ねられて、私は迷うことなく「はい」と頷いた。イェルドはキリアンから報告されて既に知っていることだし、私の力になると誓ってくれたハラルドならば、何を躊躇うことがあるだろう。

「……うん。では話の前に……まずは、ハラルド。お前の誤解から解いておこう」
「誤解……でございますか、陛下?」
「そうだ。一つ尋ねるが、今のお前にミリアムはどう映っている?」

 誤解しているつもりのないらしいハラルドは怪訝に眉を寄せる。けれど、茶化すことなく、真面目なままにハラルドの答えを待つイェルドの態度に、彼もまた真剣な眼差しを私に注いだ。
 つられて背筋を伸ばし、居住まいを正した私と相対したハラルドは、視線はそのままに口を開く。

「ミリアムお嬢様は、若かりし頃のエステル様と比べても遜色のない、大変にご立派なお嬢様とお見受けいたします。わずかな時間ではありますが、拝見したミリアムお嬢様の立ち振る舞いは、一朝一夕で身に付くものではありません。家の者がお嬢様の為によき教師をつけられ、お嬢様ご自身も大変に努力なさった証と言えましょう。また、真っ直ぐなミリアムお嬢様のお言葉は、ご家族にとても愛され、大切に育てられてきたことが窺えるものかと存じます」

(ああ……)

 普段ならば褒め殺しにも近い言葉の数々に赤面したところだろうけれど、私の心は自分でも驚くほど、瞬時に冷えていた。
 イェルドの言う通り、確かにハラルドは誤解していると知ったから。
 もしも私が、ハラルドの言うような温かく愛し愛される家庭で育っていたならば、まず母が若くして死ぬことなどなかった。私だって、国を捨ててエリューガルへ行こうと決意することもなかっただろう。今日のこの出会いだって、存在しなかったに違いない。

 同時に、納得する。ハラルドは、母が亡くなったのを機に、その死を縁者へと報告する為に私がエリューガルへやって来たと考えているのだと。
 残念ながら、母の死を縁者に伝えたいと言う点は間違ってはいないけれど、私がこの国を目指したのは、そんな優しい理由だけではない。むしろ、それだけだったならどんなにか幸せだろう。

「聞いたかい、ミリアム? これは、実に大いなる誤解だと思わないかい?」
「……その通りですね。ですが、ハラルド様がそう思われるのも仕方のないことだと思います」

 ハラルドは、私のことを何も知らないのだから。
 私がもしハラルドと同じ立場だったなら同じように考えただろうし、常識的に考えても、多くの人が同じ考えに至るだろう。
 それに、私の振る舞いも大いに誤解を生む要因になっているのだから、ハラルドが誤解してしまうのは、ある意味必然とも取れる。

「ハラルド様。私は、そのような温かな家庭で育ってはいません。それに母だって……。――母は、あの家に殺されたようなものですから」

 凪いでいたハラルドの鉛色の瞳が、一瞬にして鋭利な刃物を思わせる不穏な光を帯びる。
 室内の空気が張り詰めたように静まり、一時、部屋の外の音がやけにはっきりと私の耳に届いた。
 廊下を誰かが歩く靴音が近づき、やがて踵を返すように遠ざかって消えた頃、ようやくハラルドが重々しく口を開く。

「……詳しく、お聞かせ願えますか」

 沸き上がった怒りを無理やり押し止めたような、硬い声だった。
 今しがたまで私に見せていた柔らかな表情は鳴りを潜め、今そこに浮かぶのは、灰色の梟の異称に相応しい厳しい面差し。
 私に向けられたものではないと理解しながらも思わず怯みそうになりながら、私はハラルドへ伝えるべき言葉を探した。
 何から伝えるか。どう伝えるか。これは、イェルドの口からではなく、私から直接ハラルドへ伝えなければならないことだ。
 しばしの沈黙を置いて、私は一つ、意識して呼吸した。

「まず、ハラルド様にお伝えしておきます。母は、亡くなりました。ですが、それは最近のことではなく……十年も前のことです」

 ハラルドが鋭く息をのみ、その目がわずかに見開かれる。けれど、彼から言葉が発されることはなく、私は無言のハラルドに促されるように、この城に私が滞在するに至るまでの経緯を、掻い摘んでハラルドへと語った。

「なるほど……」

 私が語り終えた後、ハラルドが一度唸るように呟いたきり誰も言葉を発しない室内に、重い沈黙が落ちる。誰も身動ぎ一つせず、何の物音もしないその場は、まるで時が止まったようでもあった。
 果たして、ハラルドは今、何を思っているだろう。目を伏せ黙する姿からは、彼の心情は窺えない。イェルドも、ハラルドの次の言葉を待っているのか、彼から口を開く気配はなかった。
 そうして、どれほど沈黙が続いたか。全く動きのなかった視界の端、明るい窓辺に小鳥が現れて、確かに時は流れているのだと私がほっとした時だった。

「……よくぞ、生きておいで下さいました、ミリアムお嬢様」

 皺深い眼差しが柔らかな色を取り戻し、全身に入っていた力を抜くように一つ、ハラルドが大きく息を吐く。

「あなた様と生きてこうしてお会いできたこと、改めて、大変嬉しゅうございます」

 ハラルドの語尾が震えていることに気付いて、つられるように鼻の奥が痛み、私の視界が滲んだ。
 私の事情を全く知らない人で、私が生きていることをこんなにも喜んでくれたのは、ハラルドが初めてだ。油断すると溢れそうになる涙に慌てて口を引き結び、せめて涙だけは流すまいと堪えてから、私は喜びを込めて微笑んだ。

「……はい」

 けれど、私が幸せを噛み締める時間は、そう長くは続かなかった。
 眦を下げて微笑むハラルドが、表情はそのままに、それにしても、と、どこか呆れの色を含んでイェルドを一瞥したのだ。

「ミリアムお嬢様が、私より先に王家の皆様とお会いになっている理由については納得いたしましたが、まさか親子揃って危機を救われていたとは……。これは頭が上がりませんな、陛下」

 幸せの余韻に浸る間もなく、三度、言い合いの気配が漂う。
 今度は、どんな嫌味の応酬が始まるのか。咄嗟に身構えた私の前で、けれどイェルドは小さく自嘲の笑みを零しただけで、ハラルドに棘のある返しをすることはなかった。

「それについては、全く持って返す言葉がない。だからこそ、お前をこうしてミリアムに会わせたのだろう? 頼まれてくれるか、ハラルド」
「無論でございます。元より、ミリアムお嬢様のお力になると誓ったばかりですからな。陛下から言われるまでもございません」

 力強く請け負ったハラルドが、では、とそのまま会話を主導する。

「ミリアムお嬢様。今一度確認いたしますが、お嬢様はエリューガルの民としてこの国でお暮しになりたい、と言うことでよろしいのですね?」
「はい。……アルグライスは、捨ててきました。もう、戻りたくありません。母の生まれたこの国で、静かに暮らしたいのです」

 できることなら、アルグライスとはもう二度と関わることがない人生を送りたい。なにより、繰り返される人生をこれきりでおしまいにしたい。エリューガルにいれば、少しはその希望も見えてくる、そんな気がするから。
 ただこの国で、ひっそりと穏やかに静かに暮らせたら、それだけで私は幸せだ。

「畏まりました」

 一つ頷いたハラルドは片手を顎へと当て、しばし口を噤んだ。その視線の先が、何かを思い出したようにテーブルからイェルドへと移されたのは、そのすぐあと。

「陛下。アレックス殿はこのことをご存知で?」
「手紙で知らせている。驚くべき速さで返事が返って来て、すぐにでも帰国するとあったそうだから、今頃は船上だろう」
「おや、国外でしたか」
「西海のエルメーアだそうだ。そうでもなければ、今頃ミリアムはこの城にいないと思わないか?」
「確かに。アレックス殿であればやりかねませんな……」

 ハラルドは納得顔で頷くものの、私は、見知らぬ第三者の名前が出て来たことに疑問しかない。けれど、二人の会話は実に歯切れよく途切れる気配もなく、私が入り込む隙を与えなかった。

「そう言うわけだから、向こうはもう、その気でいる。お前はどうする?」
「どうもこうも……。流石の私も、アレックス殿とやり合う気はございませんよ。あちらが乗り気でいると言うのなら、お任せするまでです」
「もっとも、独り身の男の家に若い女性を預けるわけにいかないがね」
「仰る通りですな」
「お前が家庭を持っていれば、養子と言う手もあったのだが……」
「ご冗談を。それこそ、変な噂が立ちかねないではありませんか。そのようなことになったら、私はエステル様に会わせる顔がございませんよ、陛下」
「その前に、アレックスに二人して殴られるのが落ちか」
「ですから、ミリアムお嬢様にとっても私達にとっても、アレックス殿に任されるのが最良かと。私は私で、ミリアムお嬢様の後ろ盾となり、お嬢様をお助けできればそれで十分でございます」

 先ほど、私へエリューガルへの居住の意思を確認したのは、何の為だったのだろう。
 私の存在をすっかり忘れたように二人の間だけで結論にまで到達したらしい会話に、私はしばし呆然とした。
 けれど、会話の中で聞き捨てならない単語を拾ってしまっては、いつまでも黙っているわけにもいかない。

「……あ、あの!」

 思い切って挙手をして会話に割り込んだ私に、すぐさま二対の瞳が集まる。
 何でございましょう、とのんびり答えるハラルドに一瞬気勢が削がれ掛けるも、私は手を挙げた勢いをなんとか保って、二人の会話に待ったをかけた。

「あ、預けるだとか養子だとか……お二人は一体、何のお話をされているのですか? それに、知らない方のお名前まで出されてっ」

 イェルドがハラルドを紹介したのは、この先、私がエリューガルで暮らすに当たって、王族以外で信頼できる知り合いが一人くらいは必要だろうと言う、配慮だったのではないのか。
 それがどうして、養子なんて単語が出てくるほど話が大事おおごとになっているのか。
 私としては、城を辞した後は、まずは生活資金を貯めるべく、どこか住み込みで働ける場所でも探して雇ってもらうつもりでいるのに。これまで散々よくしてもらって、これ以上周囲の手を煩わせるようなことは、とてもではないけれど私にはできない。

 それに、二人が口にしたアレックスなる人物についても気になって仕方がない。
 今は国外にいるようだけれど、もしも国内にいたら今頃私は城からいないだとか――殺されている、と言う意味でないことを祈るばかりだ――ハラルドとやり合いかねないだとか、国王ですら殴ってしまうだとか、不穏な言葉ばかりが並んでいやしなかっただろうか。
 挙句の果てに、そんな人物に任せるのが最良だなんて、話を聞く限り、どこをどう取っても最良どころか最悪としか思えないのだけれど、どうしてイェルドもハラルドも平然としているのだろう。
 特にハラルドだ。

(私は、あなたの大切な主の娘なのではなかったの!? 私の力になると言ったそばから、助力放棄してませんか!?)

 力に物を言わせるような相手に私を預けるのがいいだなんて、私のこと、本当は欠片も大事に思っていないのでは――思わず、そう疑ってしまいそうになる。
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