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第二章 芽吹きの祈願祭

国王との対面

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 テレシアと合流した頃には、後半の試合が盛り上がりを見せているのか、修練場の方角から歓声が断続的に聞こえるようになっていた。出店を巡る人の数も再び減り、飲食を扱う出店では、昼食準備の為に一旦販売を止めるところも出始めている。

「午後に備えて、一度部屋へ戻りましょうか」
「そうですね」

 少しばかり後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、私はテレシアと連れ立って、坂の上の城に続く門へとその足を向けた。
 門衛に挨拶をして門を潜り抜け、テレシアとの会話を楽しみながら、のんびりと部屋を目指して歩く。

 その途中。

 せっかく天気がいいのだからと、中庭とは別、王族の居館の裏手に作られた庭園を散策しようとのテレシアの提案に賛成して、煉瓦敷きの小道を歩いていた時のこと。
 私達は、庭園の中に、何やら動く人影を見つけた。

 初めは、庭師が作業をしているのだろうと思っていた。けれど近づくにつれて、庭の一角にしゃがみ込むその人物が仕立てのいい服に身を包んだ紳士であることが分かり、更に、少し離れた場所に騎士の姿を見つけるに至って、私はテレシアにしてやられたことを悟る。
 会場にいた騎士達が身に着けていたものよりも更に濃い、クルードの黒にごく近い騎士服。右肩に下がる飾緒は、遠目からでもその数が多いことは明白だった。その制服の差異が何を示すのかなんて、考えるまでもない。そして、そんな騎士が近くに控えなければならない相手など、現在のこの国ではたった一人だろう。

 一面に敷き詰められた芝。整然とした中庭とは違い、自然を模して配置された緑。木陰を作り出す常緑の庭木。庭園の一角には澄んだ水が流れ込む小さな池があり、池に張り出すように白く輝く小さなガゼボが建っている。庭園の区画だけ低く作られた城壁には鉄製の瀟洒な意匠の柵が並び、今は葉を落とし次の芽吹きを待つ蔦が張って、遥か眼下の王都の街並みがその隙間から垣間見えた。
 人に見せることを目的として整えられた中庭とは違い、こちらの庭園は、この城の主たる一族の為の憩いの場所。小ぢんまりとしたものだ。ごく親しい客人を招くこともあるから気にすることはない、とのテレシアの言葉に乗ってしまったのが、運の尽きか。

 私達に気付いたらしい紳士が足元から顔を上げたところで、私は前方を歩くテレシアの後頭部を睨みつけてから、腹を決めた。
 こうなってしまっては、仕方がない。それに、遅かれ早かれ、城を辞す前に一度は顔を合わせることになると思ってはいたのだ。その顔合わせが、予告なしに今日突然訪れたと思えばいいだけ。

(……いやいやいや。全然全く、これっぽっちもよくはないんだけど! 心の準備にまるで時間が足りないし! それにこんな格好で!)

 あとで覚えておきなさいよ、と心の中で文句を言ったところでテレシアの足が止まり、私に道を譲るように脇に控えて、私とその人とを遮るものがなくなる。
 少しの距離を置いて、相手の姿がはっきりと私の目に映った。

 私は、肖像画を見たこともなければ、エイナー達からその容姿について聞かされたこともない。勿論、私のような者がこれ以上王族と関わりを持つことはしてはいけないと、意識的にか無意識的にか、私から積極的に尋ねることもなかった。

 だからだろう、そんな私の態度に何かを察したのか、毎日お喋りをするエイナーの口からも、話題にされたことはない。彼が口にする家族の話題は、いつだって兄キリアンのこと。その為、私がその人について唯一知るのは、その名だけだ。
 けれど、私の姿を目にして優しげに細まるエイナーと同じ夕日色の瞳が、目の前の男性があの兄弟の父親であると、何よりもはっきりと私に示していた。

 エリューガル王国国王――イェルド・ガイランダル。母の、元婚約者。

 相手が立ち上がるのに合わせて一度姿勢を正し、今生では初めてだけれど、すっかり染みついた王族に対する礼を取る。一瞬、脳裏にフィロンの姿が過って、こんなことをするのは一体何十年振りだろうかと、遠い記憶に意識が向いた。
 フィロンはいつだって社交と割り切って、お決まりの当たり障りのない言葉をこちらに投げるだけだった。そこに心はなく、いつも乾いて退屈そうな響きだけが、今も耳朶の奥に残っている。

 こちらの王は、一体、どんな言葉を私に掛けてくださるのだろう。その声に宿るのは、どんな響きだろうか。
 緊張で、珍しくスカートを摘まむ指先が震えた。

「おや、驚いた。こんなに可愛らしい来客があるなんて、たまには庭いじりをしてみるのも悪くないね」

 礼を取ったまま微動だにせず相手の反応を待っていた私に届いたのは、全く飾ったところのないのんびりとしたもの。キリアンの硬質なものとは違う、柔らかく深く、そして耳の奥に響く声は、酷く優しかった。

「そんなに畏まらないで。どうか楽にしておくれ、お嬢さん」

 恐る恐る顔を上げれば、イェルドは本人が言う通り本当に庭いじりをしていた最中だったのか、仕立てのいい服は袖をまくられ、露わになった両手はすっかり土に汚れていた。
 彼の足元には小さなスコップや苗を入れた籠、水の入った木桶、それに、今しがたまでの作業で抜かれたと思しき枯草や雑草の小山まである。

 予想外のことに私が呆気に取られていると、まるで狙ったように侍女が奥から現れて、瞬く間にイェルドの身嗜みを整えていく。
 侍女に示されるままに手を洗い、ガゼボの柵に引っ掛けた上着をそのまま羽織ろうとして止められ、一度はたいて汚れの有無を確かめられてから着せられるイェルドの姿は、一国の王とは思えないほど「普通の人」だった。

 けれど、それでもやはり、王は王と言うべきか。数分の後、私と改めて相対したその姿は、先ほどの庭いじり姿は私の白昼夢だったのではと思うほどに見違えるもので。
 乱れていた銀鼠色の髪まで綺麗に整えられ、微笑む姿には壮齢ならではの色気が滲んで、思わず私の心臓が跳ねる。

「やれやれ。これは君の仕業かな、シーラ?」

 苦笑を零すイェルドに、一仕事終えたと後ろに下がった侍女は、黙して語らない。けれど、それが答えだろう。何も知らなかったのは私と、恐れ多くも国王イェルドだけ。
 それなのに苦笑で済ませてしまう主人と悪びれない侍女の様子に、イーリスの「頭一個分」発言が思い出される。でも、まさか本当に国王に対してまで、こんな態度が許されるとは。

「お嬢さんにも迷惑をかけてしまったね」
「そ、そんな……滅相もないことでございます。お寛ぎのところをお邪魔してしまったのは、わたくし達の方でございますので……」
「おや、緊張しているのかな? さっきも言った通り、畏まる必要はないよ。公的な場ではないし、私自身がこの通り、ついさっきまで土に塗れていたのだからね。お嬢さんだって、この庭園を散策に来ただけなのだろう?」

 穏やかなイェルドの顔は、エイナーによく似ていた。
 瞳の色だけではなく、その目元、笑い方、穏やかな雰囲気。エイナーとの共通点があちこちに見受けられた。
 こうして見ると、初めはキリアンとそっくりに感じていたエイナーは、実に父親似であることが分かる。

 私はちらりと、テレシアを振り返った。彼女は私の視線を受けて、目尻を下げて小さく頷いただけ。それを見て、私はひっそり息を吐いた。
 つば広の帽子のお陰で、少し顔を傾ければ私の顔は人の目に触れない。これもきっと、テレシアは分かっていてこの帽子を選んだのだろう。毎日、服の着合わせを完璧に決めるテレシアが、帽子一つ探すのに手間取ったなんて珍しいとは感じていたのだ。

 一度目を閉じ、深呼吸する。そして、閉じていた目を開け、顔を上げるついでに帽子を取った。明るく広がった視界の中央にイェルドの姿を再度収めて、私は数歩、進み出る。

「……お初にお目にかかります。エイナー殿下の客人として王城に滞在させていただいています、ミリアム・リンドナーと申します」
「うん、初めまして。私はイェルド・ガイランダル。会えて嬉しいよ、ミリアム」
「私の方こそ、お会いできて光栄です、イェルド様」

 イェルドに差し出された手を握り、軽く握手を交わす。水に触れた所為かイェルドの手は冷たくはあったけれど、それ以上に、彼の人となりの温かさを感じる大きな手だった。
 その手に引かれて、私はガゼボに案内される。

「お嬢さんは、珈琲と言う飲み物はご存知かな?」

 私的な場とは言え、相手は国王。おまけに、いくら政略的なものだったとしても、イェルドから見た私は、元婚約者が別の男性との間に授かった子だ。多少なり思うところはあるだろうし、城を辞す前に会うならば世話になった礼を言う場としてそれなりに会話はできるだろうけれど、こんな中途半端に、おまけに何も知らされずに場を設けられても、何をどう話せばいいと言うのか。

 そんな、着席したはいいものの言葉に迷う私に、イェルドの方から話が振られた。それも、予想の斜め上を行く切り出しで。

「……名前だけでしたら。その、木の実の種子を使って作られる、と……?」

 唐突過ぎる話題に戸惑いながらも、これまでの人生で得た知識の中から情報を引っ張り出して私が答えると、一瞬、イェルドの目が輝く。

「では、試してみないかい?」
「……珈琲を、ですか?」
「うん。珈琲を」

 私はしばし、黙考した。
 珈琲は、知識でしか知らない飲料だ。アルグライスを含む東部一帯の小国にはまだ殆ど入ってきていないのか、これまでにお目にかかった記憶はない。精々が旅の途中、アルヴァースの西部で、それらしい飲料が流通している光景をちらりと目にした程度。
 興味を引かれないと言ったら嘘になる。

「……では、お言葉に甘えて……」
「それはよかった。実は、私はとても気に入っているのだけれど、残念なことに私の周りにはまだ愛好者が少なくてね」

 同志がいないのは寂しいことだよね、と肩を落としつつ、イェルドの期待の眼差しが私に向けられた。そんな表情もエイナーにそっくりで、私の中の緊張がほんの少し解れる。
 母とも、婚約者として、この場所でこうしてお茶をすることがあったのだろうか。そして今その場所に、二十五年の時を経て娘である私が座っている――何とも不思議な感覚を味わいながら、私は珈琲がやって来るのを待った。
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