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第二章 芽吹きの祈願祭

出店巡り

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 テレシアに連れられて最初に向かったのは、出店の中でも飲食を扱う一角だった。
 部屋に漂ってきた以上に食欲をそそるいい匂いがそこかしこから立ち昇り、まだお昼まで時間がたっぷりあると言うのに、どの店にも既に少なくない行列が出来上がっている。
 私はテレシアに手を引かれて歩きながらも、その物珍しさに、視線は一定の場所に定まらなかった。

 各地域で行われる小規模のお祭りだと聞いた筈なのに、十分規模が大きく感じるのは気の所為だろうか。アルグライスの王都で催されるセーの祝祭ほどとはいかないまでも、一領地で開かれる祭りと比べても、その規模の大きさは私の想像をはるかに超えていた。

 出店は、幅広く作られた修練場までの道を挟むように左右に延びて、目移りする賑やかさだ。それは、人込みの中を歩くことに慣れていない私が、思わず怯んでしまうほど。

「ゆっくり回っていきましょうね」

 そんな私にテレシアは嫌な顔一つすることなく、楽しそうに手を引いてくれた。
 ゆっくりと歩きながら、私は興味の引かれるままにせわしなく視線を動かしていく。
 目の前で作られる料理を見てはしゃぐ子供達や、出店には目もくれず我先に修練場を目指す若者、友人と連れ立ってはしゃぎながら道を行く少女達に、私達と同じくゆっくり店を見て回る夫婦。少し見ただけでも、目が回るほどに様々な人が道を行き交っていた。
 飲食用のテーブルと椅子が設置された一角もあり、両手に料理を持った人がそこを目指して歩く姿も、いくつもあった。

 そんな人々の合間には、黒に近い灰色の制服に身を包んだ警備兵の姿も。
 左腕に竜の翼を模した紋が描かれた赤い腕章を付けた彼らは、普段は名の通り王都の警備に当たっているけれど、今日は騎士団と共に城内の警備にも当たっている。
 その騎士団の方も、警備兵と同色の制服に、こちらは普段つけることのないクルードの紅の飾緒を付けた格好で、警備に当たる姿があちらこちらに見受けられる。どちらも帯剣し、見た目こそ物々しいものの、行き交う人々ににこやかな笑顔で応える姿からは、彼らも少なからずこの日を楽しんでいる雰囲気が窺えた。

 二月ほど前に一国の王子が誘拐されたなんて、まるでなかったかのようだ。いや、実際にそうなのだろう。この事実を知る者はほんの一握りだと、私は知っている。
 だからこそ、少し心配にもなる。流石に王城の中で騒ぎが起きることはないと願いたいけれど、王子誘拐を企てたような相手に常識は通用しない。

(……どうか、何も起こりませんように……)

 そう願ってから、ふと思い出す。
 そう言えば、今日はエイナー達にまだ会っていない。
 私のエスコートに張り切っていたのに、この様子では、午前中はテレシアとの出店巡りで終わりそうである。エイナーは、一体いつどこで私をエスコートするつもりだったのだろう。

 私がそんなことを考えている間にも、向かう店を決めてあるのか、テレシアは歩調こそゆったりとしているものの、迷いのない足取りで出店の一つを目指して進んでいた。
 辿り着いた出店の商品を私が物珍しく眺めている間に手早く注文、さっと支払いを済ませて、あっと言う間に私の手の中に最初の食べ物がやって来る。
 焼いたじゃがいもと干し肉、それにチーズを挟んだパンだ。じゃがいもをその場で焼いているようで、できたてのじゃがいもの熱がチーズをとろりと溶かして湯気を立て、食欲が刺激される。

「初めての祈願祭なら、まずはこれを食べなくてはね」
「祈願祭の為の料理なんですか?」
「祈願祭の……と言うわけではないけれど、祈願祭だからこそ食べる料理、かしら。それに、ミリアムは今まで城の料理人の作るものばかり食べていたでしょう? たまには、庶民らしいものも食べたいんじゃないかと思って」

 冗談めかして言いながら、テレシアが豪快にパンに齧りつく。その様子に胃袋が鳴いた私も、彼女の真似をして口に頬張ってみた。
 外はカリッと中はほくほくのじゃがいもと、とろけたチーズが絡み合い、そこに干し肉の塩気がいい塩梅の味付けになって、硬めのそっけない味のパンと実によく合う。

 とても贅沢なことに、城の料理人が腕を振るって作る料理の味に慣れてしまったのは、テレシアの指摘通りだ。けれど、テーブルマナーも何も気にせず気軽に食べられるこの懐かしさは、それら豪華な料理に勝るとも劣らない。テレシアの言う通り、久々に自分にとっての慣れた味に触れて、私はほっとした。
 それに、きっと母もこの国にいた頃は一度ならず食べたのだろうと思うと、母と同じものを共有できた嬉しさが、輪をかけて込み上げる。

 そのお陰か単に空腹だったからか、パンはあっと言う間に私の胃袋に収まり、腹の虫も一応の満足を得られたようだった。
 けれど、これだけで満足していては楽しんだことにならない。道すがら買い求めた飲料で喉を潤して、テレシアの先導の元、私は更に出店を見て回った。

「祈願祭で振る舞われる料理は、女神リーテに、一つの食材の命も無駄にしていないことを示して、リーテに感謝を伝える意味があるの。だから基本的に、雪の季節の間に消費しきれなかった保存食や、少し古くなった食材を使った料理が並んでいるのよ」
「それで、保存食が目立っていたんですね」

 今度はこれね、とテレシアに手渡された腸詰めの串焼きを片手に、もう片手にはドライフルーツが練り込まれた焼き菓子の袋を持って、私はテレシアの話に耳を傾ける。

「とは言え、王都が今の場所に移されてからは、祭りは雪解けではなく種まきや植え付けの頃に変わったし、他国との交易も盛んになったお陰で観光客も増えて、全部が全部そんな料理ばかりではないのだけれど」

 そう言いながらテレシアが指差した出店には、採れたて野菜で作ったキッシュ、との品名が大きく描かれた看板が見えた。なかなかに人気なのか、次から次に客が買い求めにやって来ている。

「美味しそう……」
「あら。小食のミリアムの口からそんな言葉が出るなんて! これは買いに行かない手はないわね!」
「小食って……これでも、前よりはたくさん食べられるようになりましたよ、私!」

 テレシアのお陰で、それはもう見違えるほどに食べるようになりましたとも、ええ。
 家出旅に出た頃の、三食まともに食べられるようになったと思っていた私に言ってやりたいくらいだ。
 あなたの食事は、少なめの一食分を三食に分けて食べていただけだ、と。
 食べられるようになった証拠を見せつけるように、残っていた腸詰めを私が一気に頬張れば、テレシアはふふふと楽しげに笑った。

「そうね。じゃあ、ご褒美にやっぱりキッシュは買わなくちゃ」

 言うや否やテレシアは迷いなく店へ向かい、店員にお勧めされたキッシュを一切れだけ購入する。てっきり二人分買うものと思っていた私の目の前で、テレシアはせっかく購入したキッシュを、何故か等分に割ってしまった。
 何をしているのかと首を傾げた私に、テレシアから割った半分が差し出されたのは、その直後。

「え?」
「友達と分け合って食べるのも、楽しみの一つよね」

 茶目っ気たっぷりに片目を瞑るテレシアが、一瞬、私の目にとても眩しく映る。
 一つのものを分け合って食べる――これまでずっと一人で奮闘し続けた私には、当然、そんなことをする相手もいなければ、しようと思うこともなくて。
 テレシアの優しさは、お腹だけでなく私の心までをも満たしてくれた。

「ありがとう!」

 キッシュを受け取り、テレシアと同時に頬張って顔を見合わせ、その美味しさに顔を綻ばせる。

「美味しい……!」
「流石、採れたてなだけはあるわね」

 私も納得して大きく頷く。
 もっとも、美味しいと感じたのは、単に味が美味しいという以上に、こうして誰かと一緒に同じものを食べられた幸せがあったからだろう。
 そうしてキッシュを平らげ胃袋を十分に満たしたところで、修練場の方角から、空気を震わせる角笛の音が響いてきた。
 私を含め、周囲にいた人々の意識が一瞬、修練場へと向く。

「テレシアさん、今の音は?」
「試合が始まる合図よ。私達も修練場に行きましょうか」

 周囲を見渡せば、出店を覗く人よりも修練場へ足を向ける人の方が増して、大きな人の流れが出来上がっていた。その流れに乗るように、私もテレシアに手を引かれながら修練場を目指す。
 辿り着いたそこは既に大勢の人が詰めかけて、観戦席は満席、立ち見用の開けた場所にも多くの人が犇めいて、なかなか会場近くまでは行けそうにない。

 度々歓声まで上がって盛り上がりが徐々に増し、騒がしさも先ほどの出店の比ではなかった。こんな場所でテレシアとはぐれてしまったら、きっと私は間違いなく迷子になってしまう。そんな迷惑を、テレシアにかけるわけにはいかない。
 人だかりの多さに圧倒されながら、私はテレシアと繋いだ手に心持ち力を込めて、はぐれることがないように、できるだけ彼女に引っ付くようにその身を寄せた。

「こちらに行きましょう、ミリアム」

 テレシアに連れられて向かったのは、立ち見用の広場の後方。
 そこには、四段ほどの幅の広い階段状の簡易観戦席がいくつか設けられていた。主に小さな子供連れや年配者が、安全に観戦できるよう設けられたもののようだ。中には私達のように、人いきれの中に身を投じることを遠慮して、こちらを選んだらしい女性も多く見受けられた。
 確かにこれならば、遠目ではあるけれど、修練場の中の様子が見られそうだ。

 慣れた様子のテレシアに大人しく従って階段を上り、修練場へ視線を向ける。
 修練場は、二面に一般向けの観戦席、一面に立見席、もう一面には来賓用と関係者向けの観戦席が設けられており、来賓観戦席の一等高い位置に作られた王族の観戦席には、二つ席を空けて、両脇にキリアンとエイナーの姿があった。

 公式行事と言うこともあって、今日の二人は王族としての正装に身を包んでいる。クルードの黒で作られた服を着たキリアンは、いつかの夜会の時を思わせる出で立ちだったけれど、雰囲気は相変わらず柔らかい。
 エイナーも、人前に出ることを嫌がっていたと言う話からは想像できないほど、堂々と振る舞っている様子が窺えた。

 当然と言えば当然だけれど、王族ならば行事に参加しないわけにはいかない。一瞬でもエイナーと一緒に出店を回れるかと思っていた私は、そんなことを考えていた自分に自分で呆れた。
 そもそも、第一王子に勝るとも劣らない目立つ容姿の第二王子が、王城の敷地内とは言え、出店の並びをのほほんと見て歩いては、騒ぎになってしまうと言うもの。少し考えれば分かりそうなものを、初めての祭りへの高揚感が、どうにも私の思考を鈍らせてしまっているらしい。

 気を取り直して、私は上段に座る王子二人の視線を追って、場内中央に視線を下げた。そこには、騎士団と警備兵団からの代表それぞれ十名が、防具を身に着けた格好で並ぶ姿があった。
 名を呼ばれた者が剣を高々と掲げ、詰めかけた観衆の歓声に応えている。ちょうどラーシュが呼ばれていたのか、剣を掲げる騎士は見知った赤銅色の、短く刈り上げた髪をしていた。

 先ほどから断続的に歓声が沸いていたのは、どうやらこの出場者紹介が行われているからのようだ。
 出場者の年齢は、私と同年代ほどと思しき少女から、五十がらみの男性まで多岐に渡り、彼らの体格も、運動とは無縁に思える細身の者もいれば、いかにも兵士と言った筋骨隆々の巨体を誇る者もいる。男女の比率もやや男性が多い程度で、兵士も騎士も、私にとっては驚くべき数の女性が参加していた。
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