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第一章 家出をした先で

初めての友人

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 ひとしきり互いを抱きしめ合った後、話すべきことを終えたその場は、ようやく雑談の飛び交う場になっていた。

 キリアンが手招いたお陰で、テレシアもレナートもソファを囲む位置まで寄って、少ないながらも人の輪が作られる。
 その中で、キリアンはレナートに対して、先ほどだけでは言い足りなかったのか滔々と文句を並べ、レナートは相変わらずそれらをすげなくあしらっていた。ラーシュはそんな二人を遠巻きにしながらイーリスの隣に並び、こちらには聞こえない声量で何やら話し込んでいる。

 私はと言えば、紅茶を飲んで気持ちを落ち着け、菓子を口に入れつつ、目の前で繰り広げられる、終わることを知らない主従のやり取りを興味深く眺めていた。
 そして、一時休戦……もとい、言えるだけの文句を言い終えてしまって継ぐ言葉をなくしたキリアンが、その口をようやく閉じた頃だった。

「あの、ミリアム。聞いてもいいですか?」
「何でしょうか?」
「えっと……ミリアムがこれからやりたいことは、何ですか?」

 キリアンの隣へ戻ることなく、私の隣に居座って同じく菓子を食べていたエイナーに不意に問われて、私は一時、宙に視線を彷徨わせた。

 やりたいこと――自由になった私は、何だってやろうと思えばできるのだ。そう思うと、一言では言い表せないほどたくさんの望みが出てくる。言い換えればそれは、やりたいことを諦める人生を繰り返し続けたと言う証でもある。
 これから先、やりたいことを叶える為には、どれだけ時間があっても足りないかもしれない。その中から最初にやりたいことを選ぶとしたら、これだろう。

「そうですね……。まずは、友人を作る……でしょうか」

 キリアンとレナート、二人のやり取りを見て羨ましいと思った心に素直に。

「アルグライスでは、友人なんて一人もできませんでしたから」

 数多くは望まない。せめて一人だけでもいいから、心を許せる友を得たい。

「エリューガルの人にとっては、私は半分他国の血が入った異邦人なので、そんな私と仲良くしてくれる人がいるかどうか、ですけど……」
「それならもう叶っていますよ、ミリアム」

 異邦人どころかすっかり身一つになってしまった私には、この国で生きていく為にやるべきことが山のようにあるので、誰かと仲良くしようと言う余裕が出てくるのは、少しばかり先のことになってしまう気はするけれど。
 などと考えていた私は、エイナーの一言に反応するのが少しばかり遅れてしまった。

「……え?」

 聞こえた言葉を頭の中で反芻して、思わず疑問の声が出る。その感情のまま、言葉を発した本人へ首を巡らせれば、満面の笑みが私を出迎えた。

「だってもう、ミリアムは僕の友達ですから」

 心の底から嬉しそうに力強く告げるエイナーの笑顔は、まるで彼から光が溢れ出ているかのように眩しかった。それはもう、羨ましいほどに。
 私がすぐにエイナーに頷けたなら、どんなによかったことだろう。けれど私の冷静な部分が、そんなことはしてはいけないとすぐに自制をかける。それが、戸惑いとなって私の口から零れ出た。

「えっと、でも……」
「ミリアムは、僕のことが嫌いですか?」
「嫌いだなんて、そんなことはありません」

 好きか嫌いかで言えば、エイナーのことは好きだ。毎日見舞いに来てくれて、色んな話をしてくれて、いつも私のことを思ってくれていることが伝わる優しい彼を、嫌いになどなれる筈がない。
 だから、そんな彼と親交を結べたなら、どれだけいいことだろうとは思う。けれど、エイナーは王族で、私はこの国ではまだ確たる身分すらない、ただの異邦人だ。立場としてはエイナーの客人と言う大それたものだけれど、城を辞せばそれも何の意味も成さなくなる。

 よしんば、エステル・カルネアーデの娘と言う事実を持ち出したとしても、貴族階級たるカルネアーデ家は既に断絶していて、やはりその身分は平民にしかならない。
 平民と王族とは、決して交わらないものだ。故に、彼との友誼など望んではならない。

「ただ、その……」

 エイナーはまだ幼いから、分からないのだろう。王族とは、付き合う相手はきちんと選ぶべき存在なのだと言うことを。せっかく、私を友人だと思ってくれているところに申し訳ないとは思うけれど、いずれ困るのはエイナーなのだ。
 私が喜ぶどころか困惑していることに、エイナーは徐々に眉を下げてしゅんとしてしまう。その姿があまりにも可哀そうで、私まで気持ちが沈んでくる。

 どうしよう。どうすればいい。エイナーを傷付けないよう指摘してあげたいけれど、どうにも上手い言葉が見つからない。
 今にも両目に涙を溜めるのではと思うほどエイナーの表情は悲しみに溢れて、私はただエイナーの手を握って、無言で慰めるしかできなかった。
 そこに、救いの声が降ってくる。

「ミリアム様。我が国はアルグライスとは異なり、さほど身分を気にしません。相手が王族だからと、特別にお考えになる必要はありませんよ」

 今この場で、ミリアムに次いでアルグライスのことをよく知るイーリスが、正確に私の戸惑いを汲んで、言葉をくれた。

「エリューガルは、身分に関しては非常に緩い国なのです。一時期、他国と交流するのに爵位があった方が便利だと言う理由で貴族制度を導入はしましたが、今ではそれも形骸化しておりまして、現在、この国に貴族身分と言うものは存在しません」
「そう……なん、ですか?」
「そもそも、我が国は黒竜クルードを最上の存在として戴き、その加護の元に住まう者は皆平等、と言う考えが根付いているのです。ですから、我が国の王族は、クルードとエリューガルの民とを繋ぐ者として、頭一つ分程度偉いだけの存在、と考えていただければよろしいかと」

 思いもかけない言葉の数々に、私は目を見開いた。
 エリューガルには独自の文化があると知ってはいたけれど、身分制度についてもこれほどまでに違うとは、考えたこともなかった。

 アルグライスは、王族は王族、貴族は貴族、平民は平民とはっきりと区別をする国だった。その為、基本的に貴族は貴族と、平民は平民としか親しく付き合わない。そして王族は大抵の場合、貴族の中でも爵位が上の、瑕疵のない者を選んで付き合うものだった。
 そんな国に何回となく死んでは生まれてを繰り返した私にとって、人は区別されて当然、身分は弁えるものとして刻み込まれている。
 それが、国が違えばこうも違うものだとは。

「イーリス、流石にそれはあんまりな言い方だと思うんだが……。頭一つ分では、流石に王家の威厳がなさすぎやしないか?」
「では、頭三つ分でいかがです?」
「いや、そうではないだろう」

 王族に対して、女性すら冗談を言える。それが、エリューガルと言う国。
 身分に縛られていたアルグライスでは考えられない目の前で繰り広げられる光景に、私はまたも驚かされる。
 けれどその驚きは嫌悪からではなく、大いなる喜びによるものだ。エイナーの手を握る力が、自然と増す。私へ片目を瞑ってみせたイーリスに背中を押されて、私は決意を込めて頷いた。

「エイナー様」
「ミリアム……?」

 悲しげに私を見るエイナーの手を両手で握り、私は息を吸い込んだ。
 そして、告げる。

「エイナー様。――私の、最初のお友達になってくれますか?」

 悲しみに沈んでいたエイナーの表情が一瞬動きを止め、瞬く毎に喜色に彩られていく。
 夕日色の瞳が大きく見開かれて頬が紅潮し、口元が緩む。その変化を間近で見つめて、私は笑みを深めた。

「……ほ、んとう、に?」
「はい」
「僕が……勝手に友達だと言ったこと……嫌なのでは、ない?」
「嫌だなんて、そんなことありません」
「あの、じゃあ……」

 エイナーの顔が、嬉しくて堪らないとばかりに晴れる。

「ミリアムは、僕の友達?」
「はい。エイナー様は、私の友達です」

 私達は互いに見つめ合って、同時に破顔した。

「……よかったな、エイナー」
「はい! 兄上!」

 元気よく頷くエイナーを、キリアンがとても愛おしそうに見つめて微笑む。
 周囲に視線をやれば、キリアンだけでなくその場にいる皆が同じように、私達に温かな眼差しを送っていた。
 そんな中で、テレシアの明るく嘆く声が上がる。

「……あらあら。エイナー様に先を越されてしまいましたわ。私が、ミリアム様の最初の友人になるつもりでいましたのに……」

 頬を手に当てる仕草は残念がってはいるものの、その表情は言葉とは裏腹にとても明るい。
 けれど、何より私は彼女の言葉に驚かされた。これまで、世話係として最も長い時間を私と共に過ごしたのに、テレシアがそんな気持ちでいたことにすら、気付かなかったのだ。

 私とテレシアでは身分が違うし、立場も違う。奉仕される側とする側だと線引きをしていつも過ごしていたのだから、気付かなかったのも当然なのかもしれない。むしろ、私が気付こうとしなかった、と言うのが正しいのか。
 それなのに、テレシアはずっと、私との距離を縮めようとの思いを持ち続けてくれていたなんて。

「ミリアム様。私達、もうとっても仲良しだと思いますの。私がこの中の誰より長く、一緒に過ごしてきているのですもの。エイナー様がご友人だと言うなら、私だって友人だと思いませんこと?」
「テレシアさん……」
「あら。それなら、同じ女同士、これからは私ともぜひ親交を深めてくださいませんか、ミリアム様」

 テレシアに続きイーリスからも嬉しい言葉が飛び出して、私の心が浮かれてしまう。

「お二人共、ありがとうございます。とっても嬉しいです」

 こんなに温かな人達に囲まれたのは、いつ振りだろう。こんなに嬉しい気持ちになれたのも、随分久し振りな気がする。
 幸せ。
 その言葉がごく自然に私の中に溢れ出て、鼻の奥がツンと痛んだ。けれど、今度は涙の代わりにはっきりと口角を上げる。
 そうして三人で笑い合ったところで、テレシアが何かを思いついたのか、一度、手を打ち鳴らした。

「そうだわ! ミリアム、お祭りに行きましょう!」
「お祭り……?」
「ええ。芽吹きの祈願祭と言って、王城内で行われる小規模なお祭りがあるの! 我が国の一年の始まりを飾る、伝統的な祭りでもあるのよ!」

 祭りと聞いて、瞬間的に私の体が強張った。加えて、伝統ある祭りと言う点に不安が湧く。王の膝元で行われる祭りと言うものは、歴史が長ければ長いほど、高位の賓客を迎えて行われるのが常だ。
 いくら小規模とは言え、一年の始まりを飾るとまで言う祭りに、他国の王族が招かれないとも限らない。

「テレシア、ちょっと待て。その話は――」
「王都の民だけの小さなものだし、部屋の中で過ごしていたミリアムが、外に慣れるのにもぴったりだと思うの!」

 キリアンが止めに入ろうとするものの、テレシアの口は止まらない。
 私に同意を求めるように振りまかれるテレシアの笑顔はどことなく脅迫めいていたけれど、私はテレシアの提案に仄かな期待が胸に灯るのを感じていた。

 王都の民だけの、小規模な祭り。それならば、不安になることなく楽しめるのではないだろうか、と。
 テレシアの笑みにつられるように手を握り締めた私だったけれど、続いて聞かされた内容には、思わず目を瞬いてしまった。

「それに、今年はこの三人が全員出場するし、ミリアムが彼らの剣の腕を目にするいい機会でもあるわ! 勿論、出店だって多く並ぶし、ぜひ私と一緒に巡りましょう!」

 祭りなのに剣の腕とは、これ如何に。

 私の中で祭りと言えば、アルグライスで毎年行われる、豊穣の女神セーへ感謝と祈りを捧げる、セーの祝祭の認識が強い。今年の豊作を祝い、来年の豊作を祈願して街中で様々な飲食物が振る舞われ、人々はそれらを自由に飲み食いし、あちらこちらで思い思いにダンスをして、夜通し楽しむのだ。
 そして、その祝祭を境にして豊穣の女神セーの季節は終わり、草木に眠りを促す慈愛の女神レーの季節が始まる。

 エリューガルは女神信仰をしない国、果たしてどんな祭りが催されるのか。疑問符を浮かべる私を一人置いて、周りでは様々な会話が飛び交う。

「いいですわね、キリアン様?」
「……だから、待てと言っているのに……」
「止めるなら今が最後の機会だぞ、キリアン。はっきり言っておけよ」
「……いやいや、レナート。ああなったテレシアが、殿下が言った程度で聞くと思います? 自分は無駄だと思いますよ?」
「だが、言わないよりはましだろう。俺達は一応止めた、と言う事実も残るわけだし」
「……どうするんです、殿下?」
「どうもこうも……」

 たかが祭り、されど祭りと言うことなのか、やる気に満ちたテレシアに反して、男性陣は総じて気が進まない様子だ。しまいには、一人盛り上がるテレシアをよそに、肩を寄せ合って互いに耳打ちまで始める始末。

「そんなことを言って。テレシア、あなた、単にミリアムを着飾りたいだけでしょう」
「あら。それはそうよ! せっかくお友達になれたのだもの。素敵にしてあげなくては、我がオルソン家の名が泣くと言うもの! イーリスだって見てみたいでしょう?」
「……それは……否定はしないけれど」

 対する女性陣も、イーリスはテレシアほど積極的ではないように見受けられたものの、その表情は出る言葉を裏切ってとても期待に溢れていた。
 それに、身分をあまり気にしないと言う言葉通り、誰もがごく自然に口調が砕けていて、何やらとてもこそばゆい。

「……ほどほどにしておけよ、テレシア」
「お任せくださいな!」

 深い深いため息の後、白旗を上げるように許可を出したキリアンに、テレシアがどんと胸を張る。その姿に、一瞬にして周囲の目が、こいつは駄目だと物語る目つきになった。次いで同情する視線が私に集中するのを見て、祭りの日の私の命運はテレシアに握られてしまったのだと理解する。

 誰もテレシアを強く止めようとしないのは、恐らくは、こうなってしまった彼女は誰にも止められないからか。

 果たして祭り当日、私はテレシアの手によってどれだけ派手に着飾られてしまうのだろう。できれば、周囲から浮くほどには盛らないでもらえたら嬉しいのだけれど、テレシアの満面の笑みを見る限り、望み薄な気がする。

「じゃあ、当日は僕がミリアムをエスコートするね!」
「あらあら。今日のミリアムの姿にさえ赤面していたエイナー様が、もっと素敵になったミリアムを本当にエスコートできますか?」
「僕だってちゃんとできるよ!」
「……言いましたわね?」

 表現するなら、にやり、だろうか。テレシア笑いの質が若干変化し、その目が一瞬光ったような錯覚を覚えた。そして、勢い込んで答えたエイナーを見下ろすその姿に、何故かエイナーだけでなく私まで怯んでしまう。

「当日が楽しみですわ……んふふ」

 私達から視線を外したテレシアは、胸の前で手を組み視線をあらぬ方向へ向けて、それはそれは楽しそうにしている。私はそんなテレシアの様子に一抹の不安を抱えながらも、祭りを体験できる期待に密かに胸を膨らませていた。

 だから、考えもしなかった。

 エイナーがエスコートをすると言う意味を。エリューガルにおいて、鮮やかに艶めく緑の髪が持つ意味を。
 そして何より、その祭りが、その後に起こる様々な出来事の始まりになることを。

 この時の私は、何一つ知らなかったのだ――
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