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11.とある神父の計画①

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 ドン、ドン、ドン!

 レオナルドは目を覚まし、木の扉が壊れそうな勢いで震えている様を、ぼんやり眺めた。

 ――誰だ?
 
 不機嫌に眉をしかめ、起き上がろうとするも、右腕が痺れて動けない。そちらに顔を向けると、ストロベリーブロンドの髪が、腕の中に広がっていた。

 ――ああ、そうか。

 結界を解くため、堅物な修道女と寝たのだった。レオナルドは、ふたたびベッドに横になり、深く息を吐き出した。
 彼が微笑みかければ、修道女たちは、たいてい態度を和らげるのだが、アンジェラは違った。まるでレオナルドの本性を見抜いているかのように、いつ顔を合わせても、しかめっ面を崩すことはない。
 そんな彼女が澄まし顔を歪ませ、縋り付いてきたのだ。からかうつもりで追い詰めてみたら、想像以上に抱き心地が良く、何度も繋がってしまった。

 ――悪魔をも魅了する身体、ね……。

 造形の整った顔立ちではあるが、レオナルドの好みではない。それなのに夢中で彼女を求めてしまったのだ。迷信も馬鹿にできないものである。
 女と寝ても共に夜を明かしたことは、数えるほどだ。早々に退散するのが、レオナルドのやり方である。 
 だが、気持ちよさそうに眠るアンジェラを起こすのが忍びなく、レオナルドは大人しく腕枕を続けていた。

 ――やることをやった後は、面倒なだけなのにな。 

 幼さの残る寝顔に、抱いていた時の艶っぽさは、まるでない。長いまつ毛がぴくりと動き、レオナルドは息を潜める。己の不可解な行動に胸の内で首を傾げていると、ふたたび扉が激しく叩かれた。
 小さな頭を腕から慎重に下ろし、床に丸めていたシーツを拾い上げる。上半身裸のまま、レオナルドは扉を大きく開けた。
 扉の先には、アンジェラと同じ修道服と頭巾ベールで身を固めた少女が待ち構えていた。もう一度扉を叩こうとしていたのか、振り上げた拳をそのままに、レオナルドを呆然と見つめている。

「ファーザー・レオナルド、なぜここに……」
「君が俺たちを閉じ込めたのか?」
「わ、私は院長様に命じられただけです」

 ――やはり、院長とあの男の差金か……。
 
 アンジェラはレオナルドに捧げられた生贄なのだ。
 レオナルドに悪印象を持たれるのが嫌なのか、ジュリアは修道服の裾を握りしめ、今にも泣き出しそうに唇を噛み締めている。
 特に憐れみも覚えずレオナルドは、人の悪い笑みを浮かべた。

「まあ、いいさ。で、君はここへは何をしに来たんだ?」
「シスター・アンジェラが聖女になる資格を失ったかどうか、確かめるようにと……」

 レオナルドの手元を物欲しそうに見つめるジュリアに、レオナルドはシーツを放り投げる。少女は意気消沈していたのが嘘のように、素早く腕を伸ばし、肉付きの良い手でシーツを乱暴に広げた。すると、そばかすの散った顔を醜く歪ませる。あざけりを含んだ笑みだった。

 ――ああ、胸糞悪い……。

「用事は済んだようだな」
 扉を閉めようとするも、ジュリアは強引に扉と壁の間に身体をねじ込む。

「ああ、ファーザー、乱暴な言葉遣いをなさって……。あの女に毒されてしまったのですね。さあ、私とともに、このような汚れた場所から立ち去りましょう」
 
 どうやらレオナルドが素っ気なくなったのは、アンジェラを抱いたせいだと思いたいようだ。
 レオナルドは情事後の火照った裸体を、ジュリアに近づけ、
「なんなら、彼女に手懐けられたこの身体で、君も抱いてやろうか?」
「な、な、なんて破廉恥な……!」

 ジュリアは顔を赤く上気させ、シーツを抱え込む。レオナルドを軽蔑する仕草に、腹を抱えて笑いたくなった。

「用事が済んだなら、早く行け」

 レオナルドは声を低くし、ふたたびジュリアを急かす。このままでは余計なことを言ってしまいそうだ。言外の脅しがきいたのか、ジュリアはおぼつかない足取りで、修道服の裾をなびかせ、階段を上がっていく。
 頭の中がお花畑な修道女もいたものだ。そんな女に目をつけられたアンジェラに、レオナルドは同情した。
 途端に気が抜け、あくびが漏れる。レオナルドは寝癖のついた髪を搔きむしり、地下室へときびすを返した。

 ――とんだ喜劇だよ、まったく。

 修道院にとってアンジェラは目の上のたんこぶだ。規範を一生懸命に守る姿は健気であるが、清浄すぎる水の中では、魚は窒息してしまう。
 アンジェラは現実を判っていなかったのだろう。いや、判りたくなかっただけなのかもしれない。甘い理想を抱くことで、修道院での慎ましい暮らしに耐えていたのだろう。

 貴族の、それも四男坊というありがたくない生を受けたレオナルドは、早くも世の不条理に気づいていた。
 跡取りに事欠かない父親には、存在を認識されていなかった。すでに男子が三人もおり、息子が一人増えようが、父親はどうでもよかったのだろう。物心ついた頃から、父親はレオナルドがどこで何をしようが関知してこなかったのだから。

 ――俺は誰にも望まれていない。

 レオナルドは坂を転げ落ちるように、堕落していった。抜きん出て顔が整っているわけではないが、大人しそうな外見が、女たちの警戒心を解く役には立った。
 憂いを誘う切れ長の瞳で同情を乞えば、彼女たちは勝手に解釈してくれる。

 ――レオになら何でも話せちゃうわ。
 ――貴方にその気がなくても、抱いて欲しいの。

 レオナルドから女性を誘ったことはない。彼女たちの話に黙って相槌を打っていれば、いつの間にか、ベッドで抱き合うことになるのだ。
 レオナルドは聖人ではない。ご馳走が用意されれば、ありがたく堪能するくらいの性欲はある。元より生家に居場所のなかったレオナルドは、成人するころには、ユンカー家にまったく寄りつかなくなっていた。

 女から女へと渡り歩く生活を送っていたが、毎度世話をしてくれる相手がいるわけではない。時には危ない仕事に首を突っ込み、行く先々で金を借り、遊び暮らすようになった。

「探しましたよ、レオナルド様」

 流れ着いたとある街で、いつものごとく宿代をうやむやにしようとしていたレオナルドは、ユンカー家に長く仕える執事に捕まった。父親の用心棒も兼ねる大柄な老人は、レオナルドをたやすく拘束し、宿屋の一室に閉じこめる。

 家を出てから数年後のことであった。

 代金を踏み倒した娼館や宿からの請求が、ユンカー家に流れ、さすがの父親もその額に動かざるを得なくなったのだという。

「旦那様がレオナルド様の借金を、肩代わりなさるとのことです」
「別に俺は頼んでないぞ」
「レオナルド様だけの問題ではなくなっているのです。ユンカー家のご子息だという自覚をお持ちください」

 レオナルドと父親は血が繋がっているというだけで、顔も年に数度合わすかどうかも怪しい関係だったのだ。そんな環境で自覚を持てなど、無理にもほどがある。

「……親父殿は俺に何をさせたいんだ?」

 父親の人となりに興味はないが、思考傾向は把握するようにしていた。
 レオナルドから見て、ユンカー男爵は、わざわざ出奔している息子を探すためだけに、人と金を使うような殊勝な男ではない。レオナルドに借りをつくった以上、何か要求してくるはずである。
 老執事は、レオナルドの指摘に、一呼吸置いた。

「レオナルド様には、ユンカー家の領地にある修道院で、神にお仕えしていただきます」

 父親とそりが合わず、世をはかなんで俗世を捨てた放蕩ほうとう息子。それがレオナルドに課された役目だった。領主の息子が金に汚いなどと噂されたら、体裁が悪い。
 親父殿も建前を取り繕うのに苦労しているなと、レオナルドは他人事のように己の境遇を理解する。
 しかし、事はそう単純なものではなかった。

「旦那様は、レオナルド様と縁を切りたいわけではございませんので、誤解の無きよう」
「……?」

 なんでも長兄の結婚が近いのだという。

「兄貴の結婚と俺に何の関係が?」
「それは……」

 言葉を濁す執事に、レオナルドは首を振って先を促した。

「お兄様――エリオット様とご婚約されておりますエレナ嬢は、王家と縁続きの家柄でありまして……」
「ああ、なるほど」

 つまり新婦の生家はユンカー家よりも格上なのだ。大枚をはたいても、身内の醜聞をもみ消したい理由に納得したレオナルドは、苦笑するしかない。
 父親にかまって欲しい時期はとうに過ぎ、兄たちには嫉妬心を抱くほどの思い入れもない。他の生き方が頭になかっただけで、レオナルドは放浪生活に執着するつもりはなかった。

「そろそろ逃げるのにも飽きてきたところだしな」

 あっさり条件をのんだレオナルドに、執事は胸をなでおろす。

 修道院に送られはしたが、厳しい暮らしとは無縁であった。
 神父服カソックに身を包んでいようと、レオナルドがひとたび微笑めば、俗世を絶ったはずのシスターたちですら、頬を染めてしまう。いつの間にかレオナルドを神聖視する者まで現れる始末だ。
 どこに行こうがレオナルドは天真爛漫に振る舞える。もちろん外のように、自由に女を抱くことはできないが、だからといって、脱走するほど飢えてもいなかった。

 手慰みに始めた薬草栽培が思った以上に奥深く、レオナルドは次第に薬学に精通するようになる。寝食をともにする神父に教えを請いながら、いつしか村で評判の薬師になるまで腕を上げた。その功績が認められるや、神父に叙階され、修道院での地位は盤石になる。

 ――神を信じたことのない俺が神父とは、見る目のない腑抜け揃いだな。

 笑顔の奥に本心を隠し、レオナルドは修道院を居心地のよいねぐらにしようと画策していた。
 そんな矢先に、予想外の知らせが届く。

「兄上殿たちが、相次いで、亡くなられました……」

 レオナルドを修道院へ送り込んだユンカー家の老執事は、礼拝堂の長椅子に腰掛け、沈痛な面持ちで告げた。
 新たに父親から何を指図されるのかと身構えていたレオナルドは、うなだれる老執事のつむじを、信じられない思いで見つめた。

「なんの冗談だ?」
「すべて夢ならば、どんなによかったことでしょう。……ご長兄のエリオット様は奥様とご旅行中、落盤事故に遭われ、行方知れず。次男のライエル様、弟君のグィン様は流行風邪をこじらせ、そのまま……」

 幅広の肩を丸め、老執事は涙ぐむ。

 長兄には、子がおらず、残る二人の兄は独身だった。
 父親が隠し子でも作っていない限り、ユンカー家の後継者はレオナルドただ一人なのだそうだ。

「で、俺にどうしろと?」

 わざわざ家族の不幸を伝えるためだけに、父親は大事なボディガードを動かしたりはしない。感傷に浸る老執事を気遣うことなく、レオナルドはその顔を覗き込み、問いかけた。

 ――あの男父親が考えていることは、だいたい判るが……。

 老執事は鼻をすすりながら、
「失礼しました。……旦那様は気が滅入っておられます。レオナルド様、いま一度お屋敷に戻ってきては頂けませんか?」
「俺は俗世を絶った身だ。簡単にここ修道院を出るわけにはいかない。……ユンカー男爵が、あの世に旅立てば、葬儀の場で神に祝福を願うことは、できるがな」
「な、なんと言うことを!」

 愕然とする老執事にレオナルドは、「冗談だ」と肩をすくめた。

「ご冗談が過ぎます。それはそれは旦那様は気落ちなさっているのですよ。……単刀直入に申し上げます。旦那様はレオナルド様に家督を継いでもらいたいのです」
「本人がそう言ったのか?」
「ええ。旦那様が直接お伝えするはずでしたが、レオナルド様がご納得されないのであれば、私の口からお伝えしてもよいと、命じられております」

 継ぐと言ってもレオナルドの父親、ユンカー男爵はその地位を金で買ったのだ。生まれながらの貴族ではない。
 金で買った男爵位、それも父親が築き上げた身分だ。
 レオナルドは内心ため息をついた。
 放逐されたのはレオナルド自身のせいでもあり、文句はない。
 今になって後を継げと押し付けられても、こちらにその気はないのだ。できればユンカー家とは距離を取っておきたいのだが……。

 ――まあ、無理だろうな

 ユンカー家は領地にあるこの修道院に毎年、多額の寄付をしている。下手に反抗すれば、追い出されかねない。また一から安全な居場所を確保するのは億劫だ。

 ――俺に後継者としての価値がないと、あの男父親に分からせるのはどうだ?

 問題を起こすのはたやすいが、選択を誤り、修道院に居ることができなくなれば、意味はない。慎重に行動する必要がある。

 ――どうやって穏便に、諦めてもらえばいい?

 後継者として相応しくない振る舞いを思案しながら、レオナルドは礼拝堂の正面、祭壇上の聖女像に目をやった。
 ステンドグラスから漏れる色鮮やかな光を背に、聖女像の表情は影に沈んでいた。初代の聖女をかたどった石像は、身体の前で両手を揃え、柔らかな笑みをたたえているはずだ。
 レオナルドの脳裏で、悪魔が囁く。

「……ひとつ条件をのんでくれるなら、屋敷に戻ってもいいぞ」

 レオナルドが断るものだとばかり思っていたのだろう、うつむいていた老執事は、顎が外れたように、口を開いた。

「な、なんとおっしゃいましたか……?」
「この修道院でやり残したことを叶えてくれるなら、屋敷に戻ってやってもいい」

 前のめりになる老執事にレオナルドは、ほくそ笑んだ。
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