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32話 男装令嬢は騎士団長と距離を縮めたい

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 ミアはベッドの中で納得できずにいる。
 ――思慮が足りないのは自覚しているけれど、団長を困らせるような無茶はしないのに。
 ミアが一人で突っ走るのを恐れて、サイラスは相談しなかったのだという。怪我をしている身では反省するしかなく、今後の訓練に、より一層力を注ぐくらいしか、対策が思い浮かばない。
 今、ミアを最も悩ませている問題は。
 ミアが脚を負傷して以来、サイラスがまったく触れてこなくなったことだ。
 相変わらず多忙なサイラスは、三日に一度くらいの頻度でミアを見舞う。同じ屋敷に住んでいても、勤務時間が不規則な騎士団では、顔を合わせるのは難しいのだ。
 ミアが寝ている間に訪れていることもあり、サイドテーブルには毎回違う種類の花が花瓶に活けられている。起きているときには、騎士団や街の様子を事細かに話してくれるが、ミアの手すら握らず、早々に部屋を後にしてしまう。体調に障るだろうと言われてしまえば、ミアも引き留めることができない。
 脚の傷も少しずつ回復し、医師の見立てでは、動かす練習をすれば、騎士団の業務に支障はないとのことだった。
 ――早く騎士団に戻りたい。
 思いっきり走って身体を動かしたい。もぞもぞと寝返りを打ちながら、焦りを抱えていた。完治すれば、サイラスは安心してミアに触れてくれる。
 そう信じて傷を癒すことに専念するミアであった。

 壁伝いに一歩一歩、脚を踏み出す。左足で踏み込み勢いをつけるのは駄目だ。なるべく負傷した右脚を動かすように……。
「はあ……」
 壁の端から端までを何とか歩ききり、用意しておいた椅子に崩れ落ちた。
 ――想像以上に辛い。
 怪我から三ヶ月後。
 やっとベッドから起き上がる許可をもらったミアは、歩行訓練を行っていた。鈍った身体は、ずっしりと重い。生まれて初めて動くのが億劫になった。
 憂鬱の原因は、それだけではない。
「……あの、そんなに見られていると落ち着かないのですが……」
「気にするな」
 そんなに気がかりなら、使用人にミアの監視を任せればいいのだ。サイラス本人が、ミアの部屋で見張る必要はない。
「団長も連日の任務でお疲れでしょうから、お休みなった方が……」
「座っているだけで、特に疲れもしない。……俺がいては邪魔か?」
「い、いえ、そんな。ただ面白い物でもないですし……」
「当たり前だ。婚約者が苦しそうにしていることの何が楽しい?」
 情けない格好を見られたくないという気持ちは、全く伝わっていなかった。
 ――心配はしてくれているみたいだけど、目も合わせてくれないんだよなあ……。
 ミアは小さくため息をつくと、鉛のような身体を起こし、壁歩きを再開した。
 サイラスはベッド脇の椅子で書類をめくっている。その合間に、ちらりとミアへ視線を投げかけるのだ。
 紙が擦れる音と、ミアの息づかい、そして引きずる足音が静かな部屋に時を刻んでいく。
 無事にベッドまで戻ってくると、指一本動かすことすらできなかった。
「……そんなに焦ることはない」
 疲れ切った身体にムチを打ち、運動後に脚の筋肉を指でほぐしていると、サイラスは独り言のようにつぶやく。書類から顔も上げないサイラスに、ミアは我慢が出来なかった。
 再び床に足をつけると、両腕でバランスをとりながら、サイラスの元へよろよろと近づき、その手から書類を取り上げた。
「少し、お話ししてもいいですか?……わっ!」
 気を抜くとすぐにふらついてしまい、倒れそうになったミアの腕をサイラスはぐっと掴んだ。しかしミアが床に座り込むと、すぐに手を離した。
 ミアは上目遣いでサイラスを睨む。なぜかバツが悪そうにサイラスは眉をひそめ、ミアから視線をそらした。
 ――もう目も合わせたくないってこと?
「あの、いい加減機嫌をなおしてもらえませんか?」
「……機嫌? 何のことだ」
 服の裾を強引に引っ張ると、サイラスは首を傾げた。
 ――無自覚なんて……さらにタチが悪いじゃないか。
「クーデターの情報を教えて頂けなくて、私が拗ねてしまったこと、怒っているのでしょう……?」

 サイラスの事情も考えず、子どものように何度もごねてしまった。怒っているというよりも、馬鹿な婚約者にあきれ果ててしまっているのかもしれない。
「怒ってなどいない」
 サイラスはゆっくりと言い含めるように告げた。
 言葉に偽りはないのだろうか。ミアは怖くてサイラスの顔を見ることができず、俯いた。
「……お前に心配をかけたくなかっただけだ」
「え」
「信用していなかったからではない。余計なことを吹き込んで困らせたくなかった」
 髪を掻きむしりながらサイラスは、いや違うなと言葉を濁す。
「お前を言い訳にするのは卑怯だな。……俺は、己の地位を守るため、陰謀を巡らす姿をお前に見せたくなかった」
 何を今さら。そもそもミアを婚約者に選んだきっかけからしてそうなのだから、隠す必要はない。
 どういう心境の変化があったのだろうか。
 ミアの額に滑らせようとした指を、サイラスは直前でとめた。まただ。またミアに触れようとしない。

 ――言いたいことを我慢するのはやめよう。

 これ以上、最悪の事態はなかろうとミアは口を開いた。
「なぜ私に触れてくれないのですか?」
 以前は嫌がってもやめてくれなかったのに。問答無用でミアの中を蹂躙し、快楽を植え付けていったのに。
「ちゃんと責任をとってよ……」
 身を乗り出したミアの肩を、サイラスは両手で掴んだ。なんてことのない接触だったが、意思に反して、ミアの身体はびくりと震え、心臓がどくどくと早鐘を打ち鳴らす。
「自覚していないようだが、お前の身体は男の手を恐れている……」
 指摘されるまで気づかなかった。サイラスの手が離れていくと、寂しさを感じるものの、安堵している自分がいた。
「……今度こそ、守りたかったんだ」
 泣きそうなサイラスの表情はまるで少年のようで、ミアの胸はざわめいた。
「今度こそって、十年前はちゃんと守ってもらいましたよ。それに今回は私の油断が原因ですし……」
 サイラスが後悔する必要などない。
 見当違いの思い込みでミアを遠ざけるなら、きちんと誤解を解かねば――。
 宙に浮いた長い指を頬に引き寄せ、サイラスの手の甲に手を重ねた。深呼吸をすれば、震えは抑えられる。
 しかし、必死の思いも虚しく、サイラスはミアの手からそっと指を引き抜いた。
 呆然とするミアの前髪をサイラスはかき分け、額の傷に触れようとする。うっすらと引き攣れた傷跡を、触れるか触れないかの距離で慈しむ指は、震えていた。
 じっとしていると、サイラスは人差し指、中指と順番にミアの額に沿わせた。さんざん淫らな行為を繰り返してきたのに、ミアはそのどれよりも胸が引き絞られる。

「……私たち全然言葉が足りないですよね。もっとお喋りしましょう。サイラス様のこと、全然知らないって今気づきました」
 ミアはサイラスを安心させるように、微笑んだ。サイラスもぎこちなく笑みを返してくる。
 怪我が癒えるまで、まだもうすこし時間がかかるだろう。ぼんやり過ごしていては、もったいない。ならばできることをしよう。
 手始めに。
「サイラス様のお好きなモノってなんですか?」
 ミアはサイラスの手を握りしめた。
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