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28話 言い知れぬ不安に男装令嬢は落ち着きません
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サイラスと気持ちがすれ違ったまま、一月が経過した。何度も彼を説き伏せようとするも、のらりくらりと躱されてしまい、最近では執務室を訪ねても中に入れてもらえない。ミアの手の中には切れるカードはなく、騎士団の任務に勤しんで気を紛らわすしかなかった。
町外れの廃墟に、魔犬の咆哮がこだまする。飛び掛かってくる魔犬を、ミアは地面を踏みしめて横っ跳びに回避した。直前まで彼女が立っていた場所は、魔獣の鋭い爪で抉り取られ、土塊が辺りに飛び散る。
「今だっ」
魔犬が次の動きに入る前に、左右から騎士団員たちが、魔犬の腹に剣を突き刺した。
「ぐぉぉぉぅつ!」
どす黒い血をほとばしらせ、魔犬は瞳をギラギラと敵意に光らせる。ミアは跳躍すると、後ろ脚を立てて暴れる魔犬の脳天めがけて、剣を振り下ろした。
最後のあがき、とばかりに頭部を振り回す魔獣にしがみつき、愛剣を喰い込ませていく。魔犬の頭部には頭蓋の間に隙間があり、そこが急所となっている。的が小さいので狙う者は少ないが、当たればダメージは大きい。
やがて力尽きた魔犬が地に倒れ伏すと、ミアは身体の力を抜いた。
「騎士様方、ありがとうございました……」
「感謝するのはこちらの方です。報告ありがとうございます」
いくばくかの謝礼が入っているであろう麻袋を老人は差し出したが、ミアは丁重に断る。老人に手を振り、ミア達巡回組は騎士団施設に向かって歩き出した。
「最近、城壁内に魔犬が多くないか? 門番は何してんだよ」
「商人組合が給料出し渋ってるから、碌な門番を雇えてないんだろう」
「街中が荒れたら、ケチっても意味ないのにな……」
同僚の愚痴に、ミアは違う懸念を抱いていた。
――魔犬はめったに人を襲わないのに……。ここ数日で何人も被害に遭っているのは、おかしい。
まるで、誰かがけしかけているかのようで。
――何の目的があってそんなことを?
夕闇迫る石畳に伸びる自身の影に、ミアは得体のしれない不安を覚えた。
がちゃがちゃと金属の擦れあう音が、騎士団施設の中庭に鳴り響いている。
ミアたちが魔犬駆除を完了させた三日後。
城壁の外で、複数の田畑が魔犬の群れに襲われているという報告が入り、騎士団内は騒然とした。朝も早い時間帯で、収穫に出ていた多くの農民が逃げ惑っているのだという。
「準備のできた者から、馬車に乗れ! 魔犬に遭遇したら複数人で取り囲め! 一人では決して斬り合うなっ!」
「副団長‼ 私も指揮下に入ります」
鈍く光る鎧に身を固め指示を飛ばしているダンカンに、ミアは籠手を装着しながら近づいた。
「……お前はシャーロット殿下の護衛に回ってくれ」
「王宮にまで魔犬が現れているのですか!」
「違う。今日は王立孤児院の視察があってな。……この騒ぎで殿下付の近衛騎士が出払っていて、人手が足りんのだ」
近衛騎士は昼夜を問わず王族の護衛を務めている。もちろん交代制で任務にあたっており、護衛から戻ってきた団員は、仮眠するため騎士団施設を利用している者が多い。
ちょうど交代の時間帯に魔犬襲撃がかち合ってしまい、護衛任務に向かうはずだった交代要員を応援に合流させてしまったらしい。寝ずの番をしていた団員を再び護衛に戻すのも、集中力を欠いている状態では好ましくない。
「視察は中止にはならないのですか?」
「……魔犬を侮っているわけではないが、あの程度の魔物を制圧するためといって、王族の執務を止めるわけにもいかん。それに、あまり騒ぎ立てると城下の者たちが不安がるしな」
ダンカンの周りには彼の指示を仰ぐため、次々団員たちが押し寄せている。その合間を縫って、ミアは頷いた。
「……シャーロット殿下の護衛、承りました」
胸に手を添え、騎士の礼を取るミアにダンカンは満足したようだ。さっそく王宮に向かおうとしたミアは、回廊に姿を現したサイラスとぶつかりそうになった。
「す、すみません」
「……どこに行くつもりだ」
「シャーロット殿下の護衛に」
サイラスは片眉をぴくりと跳ね上げた。
「……その指示は撤回する。街の守備隊を援護しろ。殿下の護衛には俺が行く」
ミアは呆然とする。緊急事態にサイラスは何を考えているのか。騎士団長ならば司令塔になるべき存在だ。一兵隊のような役割を自ら進んでするべきではない。
「いい加減にしてください」
ミアの困惑を代弁するように、ダンカンはサイラスに噛みついた。
「貴方は士気向上のため、魔犬討伐に出向いて頂かねば。ヴォルフガルトの実力なら殿下をお守りするのに不足はない。……それとも彼女が殿下のそばにいるのが問題なのですか?」
ダンカンの正論に、サイラスは沈黙するも、かすかな殺気を放った。それに気づかないダンカンでもないはずだが、涼しい表情で受け流している。
――うう、居心地が悪い。
ミアは固唾を飲んで、どちらの命令に従えばいいのか、待つしかなかった。
やがてサイラスはため息を吐くと、軍服の裾を翻した。
「……出撃の準備をする。ヴォルフガルト、殿下を頼んだぞ」
立ち去るサイラスの背を見送るダンカンは、ミアに疑問のまなざしを投げかけてくる。
――私にも何が何だか。
騎士団員に呼ばれたため、ダンカンは「後で教えろよ」と言葉を残し、指揮に戻った。
ダンカンでなくとも、サイラスの行動は意味不明だと感じるだろう。ミアの実力で近衛騎士が務まらないのであれば、はっきりそうと指摘すればいいのだ。ミアはふつふつと怒りがこみ上げ、大股で厩舎に向かう。
騎乗の準備を整え鞍にまたがると、手綱を引き締め、王宮へ馬を走らせる。消化しきれない不満を追い払うように、馬の腹を鐙で蹴り、ミアは先を急いだ。
二頭立てのこじんまりとした馬車は、コツコツと小気味よい音を立てて進んでいる。城壁近くにある王立孤児院まで数十分の道程だ。
落ち着いた色合いの内装は、乗る者に安心感を与えるはずだが、ミアは膝に置いた拳に冷や汗をにじませていた。原因は向かい側、座り心地のよい座面に腰かけるシャーロットである。
すべてを拒絶するかのように彼女は腕を組み、瞼を閉じていた。
――なぜ、私は殿下と同じ馬車に乗っているの?
本来であれば、馬車と並行して騎馬で護衛するのだが、
「一緒に乗りなさい」
シャーロットは有無を言わせず、ミアを馬車に押し込んだ。そうして侍女が乗るはずの場所に、ミアはいる。
彼女の気まぐれは近衛騎士を務めた時に経験しているので、まだいい。
ミアが今困っているのは。
「あの、殿下……」
声をかけてもシャーロットは反応しない。まるでミアはここにいないとばかりに無視を決め込んでいる。
――私が護衛であることが、そんなにお嫌なのか。
へこたれずに何度も呼びかけるが、沈黙が返ってくるばかりだった。
近衛騎士を外された理由を、この機会に尋ねてみようとしていたのだが、まともに会話をしてくれないのであれば、どうすることもできない。サイラス絡みでやはり蟠りがあるのだろうか。
――やはり、殿下はまだ団長のことを……。
ミアの戸惑いが通じたのか、閉じていた瞼を開けば、淡い紫の瞳がミアを力強く射貫いた。
「……貴女に怒っているわけではないから、安心して」
では何に対して腹を立てているのだろう。ミアはますます頭を悩ますことになった。シャーロットはそれ以上語ろうとはせず、カーテン越しに車窓を眺めている。
孤児院への道は、先日の雨でぬかるんでいた。貧民窟とは目と鼻の先にあり、窓からはこちらを物珍しそうに見送る、ぼろきれを纏った人々と目があった。
「王宮のすぐ近くにこのような場所があるのね……」
がくんと馬車が跳ね、しばらくすると停止した。ミアは扉を細く開けて、同僚の騎士に尋ねた。
「どうしたの?」
「でかい穴に車輪が入り込んだ。殿下にはしばらくお待ちになってもらえるよう言ってくれ」
「私も手伝うよ」
「いや、殿下のご機嫌を取っていてくれると助かる」
肩を竦める同僚に、ミアは分かったと頷いた。
「何事?」
「車輪がぬかるみにはまり込んでしまったそうです。皆で持ち上げるので、少し揺れると思いますが、お気になさらず」
「そう……」
再び静まり返った車内で、ミアは外の作業に参加すればよかったと後悔した。
――何か、話題を。
頭にふっと浮かんだのは。
「殿下、失礼を承知でお聞きするのですが。私の兄、ジョナサンがご迷惑をお掛けしていないでしょうか?」
「え」
するとシャーロットの白皙の頬がうっすらと桃色に染まった。
「な、何を言い出すのよ!」
「いえ、先日兄から殿下とお近づきになったと聞きまして……。あの、嫌なら遠慮せずきっぱり振ってやってください」
内緒話をするように頬に手を翳し、畏れながらもミアはシャーロットに忠告する。
ジョナサンはミアの上をいく楽天家だ。はっきりと口にしなければ諦めることを知らない。黙って剣を握っていれば、美丈夫なのだが、口を開くと軟派な雰囲気ですべてを台無しにする。
――それも、真実を聞く耳を悟らせないようにする演技、なんだろうけど。
それでも根は真面目なシャーロットには、許せない相手だと思ったのだが。
「迷惑だなんて、そんな……」
俯いて両手をもじもじさせるシャーロットに、ミアは目が点になった。
まんざらでもなさそうに言い淀むシャーロットは、年相応の少女に見えた。否、恋をしている乙女だ。
「いや、お気に障っていなければよかったです……」
まさか、ジョナサンの思惑通りになってしまうのか。ミアはシャーロットの今後我心配になってきた。
「殿下。妹の私が言うのもなんですが、彼はおやめになったほうが……」
「な、何をよっ。彼とは少しお話するだけの知人よ。変な詮索は止めて頂戴」
ぷいっと顔をそらしても、首筋まで真っ赤になっていれば説得力がない。
――兄様、慎重に頼むよ。
ミアは心の中で兄に願った。
「とにかく、貴女が心配するようなことは何もないから」
こほんと咳払いするシャーロットに、ミアはここぞとばかりに言った。
「では団長との企みも、私は気にしなくてもよいことなのでしょうか」
「言いながら、全然納得していないわよね……」
苦々しげにシャーロットは呟くも、意を決したように、口を開いたのだが――。
「き、貴様ら何だ⁉」
馬車の外で威嚇する同僚騎士たちの声に、ミアはシャーロットを背にして腰を浮かした。聴き慣れぬ男たちの声も聞こえてくる。何やら貧民窟の住人ともめているのか、段々と口論は激しくなり、しまいには金属が火花をちらすような摩擦音も鳴り出した。
そっとカーテンの隙間から外を窺うと、貧民窟の人間にふさわしくない物々しい剣や槍を構えた男たちが、馬車を取り囲んでいた。
町外れの廃墟に、魔犬の咆哮がこだまする。飛び掛かってくる魔犬を、ミアは地面を踏みしめて横っ跳びに回避した。直前まで彼女が立っていた場所は、魔獣の鋭い爪で抉り取られ、土塊が辺りに飛び散る。
「今だっ」
魔犬が次の動きに入る前に、左右から騎士団員たちが、魔犬の腹に剣を突き刺した。
「ぐぉぉぉぅつ!」
どす黒い血をほとばしらせ、魔犬は瞳をギラギラと敵意に光らせる。ミアは跳躍すると、後ろ脚を立てて暴れる魔犬の脳天めがけて、剣を振り下ろした。
最後のあがき、とばかりに頭部を振り回す魔獣にしがみつき、愛剣を喰い込ませていく。魔犬の頭部には頭蓋の間に隙間があり、そこが急所となっている。的が小さいので狙う者は少ないが、当たればダメージは大きい。
やがて力尽きた魔犬が地に倒れ伏すと、ミアは身体の力を抜いた。
「騎士様方、ありがとうございました……」
「感謝するのはこちらの方です。報告ありがとうございます」
いくばくかの謝礼が入っているであろう麻袋を老人は差し出したが、ミアは丁重に断る。老人に手を振り、ミア達巡回組は騎士団施設に向かって歩き出した。
「最近、城壁内に魔犬が多くないか? 門番は何してんだよ」
「商人組合が給料出し渋ってるから、碌な門番を雇えてないんだろう」
「街中が荒れたら、ケチっても意味ないのにな……」
同僚の愚痴に、ミアは違う懸念を抱いていた。
――魔犬はめったに人を襲わないのに……。ここ数日で何人も被害に遭っているのは、おかしい。
まるで、誰かがけしかけているかのようで。
――何の目的があってそんなことを?
夕闇迫る石畳に伸びる自身の影に、ミアは得体のしれない不安を覚えた。
がちゃがちゃと金属の擦れあう音が、騎士団施設の中庭に鳴り響いている。
ミアたちが魔犬駆除を完了させた三日後。
城壁の外で、複数の田畑が魔犬の群れに襲われているという報告が入り、騎士団内は騒然とした。朝も早い時間帯で、収穫に出ていた多くの農民が逃げ惑っているのだという。
「準備のできた者から、馬車に乗れ! 魔犬に遭遇したら複数人で取り囲め! 一人では決して斬り合うなっ!」
「副団長‼ 私も指揮下に入ります」
鈍く光る鎧に身を固め指示を飛ばしているダンカンに、ミアは籠手を装着しながら近づいた。
「……お前はシャーロット殿下の護衛に回ってくれ」
「王宮にまで魔犬が現れているのですか!」
「違う。今日は王立孤児院の視察があってな。……この騒ぎで殿下付の近衛騎士が出払っていて、人手が足りんのだ」
近衛騎士は昼夜を問わず王族の護衛を務めている。もちろん交代制で任務にあたっており、護衛から戻ってきた団員は、仮眠するため騎士団施設を利用している者が多い。
ちょうど交代の時間帯に魔犬襲撃がかち合ってしまい、護衛任務に向かうはずだった交代要員を応援に合流させてしまったらしい。寝ずの番をしていた団員を再び護衛に戻すのも、集中力を欠いている状態では好ましくない。
「視察は中止にはならないのですか?」
「……魔犬を侮っているわけではないが、あの程度の魔物を制圧するためといって、王族の執務を止めるわけにもいかん。それに、あまり騒ぎ立てると城下の者たちが不安がるしな」
ダンカンの周りには彼の指示を仰ぐため、次々団員たちが押し寄せている。その合間を縫って、ミアは頷いた。
「……シャーロット殿下の護衛、承りました」
胸に手を添え、騎士の礼を取るミアにダンカンは満足したようだ。さっそく王宮に向かおうとしたミアは、回廊に姿を現したサイラスとぶつかりそうになった。
「す、すみません」
「……どこに行くつもりだ」
「シャーロット殿下の護衛に」
サイラスは片眉をぴくりと跳ね上げた。
「……その指示は撤回する。街の守備隊を援護しろ。殿下の護衛には俺が行く」
ミアは呆然とする。緊急事態にサイラスは何を考えているのか。騎士団長ならば司令塔になるべき存在だ。一兵隊のような役割を自ら進んでするべきではない。
「いい加減にしてください」
ミアの困惑を代弁するように、ダンカンはサイラスに噛みついた。
「貴方は士気向上のため、魔犬討伐に出向いて頂かねば。ヴォルフガルトの実力なら殿下をお守りするのに不足はない。……それとも彼女が殿下のそばにいるのが問題なのですか?」
ダンカンの正論に、サイラスは沈黙するも、かすかな殺気を放った。それに気づかないダンカンでもないはずだが、涼しい表情で受け流している。
――うう、居心地が悪い。
ミアは固唾を飲んで、どちらの命令に従えばいいのか、待つしかなかった。
やがてサイラスはため息を吐くと、軍服の裾を翻した。
「……出撃の準備をする。ヴォルフガルト、殿下を頼んだぞ」
立ち去るサイラスの背を見送るダンカンは、ミアに疑問のまなざしを投げかけてくる。
――私にも何が何だか。
騎士団員に呼ばれたため、ダンカンは「後で教えろよ」と言葉を残し、指揮に戻った。
ダンカンでなくとも、サイラスの行動は意味不明だと感じるだろう。ミアの実力で近衛騎士が務まらないのであれば、はっきりそうと指摘すればいいのだ。ミアはふつふつと怒りがこみ上げ、大股で厩舎に向かう。
騎乗の準備を整え鞍にまたがると、手綱を引き締め、王宮へ馬を走らせる。消化しきれない不満を追い払うように、馬の腹を鐙で蹴り、ミアは先を急いだ。
二頭立てのこじんまりとした馬車は、コツコツと小気味よい音を立てて進んでいる。城壁近くにある王立孤児院まで数十分の道程だ。
落ち着いた色合いの内装は、乗る者に安心感を与えるはずだが、ミアは膝に置いた拳に冷や汗をにじませていた。原因は向かい側、座り心地のよい座面に腰かけるシャーロットである。
すべてを拒絶するかのように彼女は腕を組み、瞼を閉じていた。
――なぜ、私は殿下と同じ馬車に乗っているの?
本来であれば、馬車と並行して騎馬で護衛するのだが、
「一緒に乗りなさい」
シャーロットは有無を言わせず、ミアを馬車に押し込んだ。そうして侍女が乗るはずの場所に、ミアはいる。
彼女の気まぐれは近衛騎士を務めた時に経験しているので、まだいい。
ミアが今困っているのは。
「あの、殿下……」
声をかけてもシャーロットは反応しない。まるでミアはここにいないとばかりに無視を決め込んでいる。
――私が護衛であることが、そんなにお嫌なのか。
へこたれずに何度も呼びかけるが、沈黙が返ってくるばかりだった。
近衛騎士を外された理由を、この機会に尋ねてみようとしていたのだが、まともに会話をしてくれないのであれば、どうすることもできない。サイラス絡みでやはり蟠りがあるのだろうか。
――やはり、殿下はまだ団長のことを……。
ミアの戸惑いが通じたのか、閉じていた瞼を開けば、淡い紫の瞳がミアを力強く射貫いた。
「……貴女に怒っているわけではないから、安心して」
では何に対して腹を立てているのだろう。ミアはますます頭を悩ますことになった。シャーロットはそれ以上語ろうとはせず、カーテン越しに車窓を眺めている。
孤児院への道は、先日の雨でぬかるんでいた。貧民窟とは目と鼻の先にあり、窓からはこちらを物珍しそうに見送る、ぼろきれを纏った人々と目があった。
「王宮のすぐ近くにこのような場所があるのね……」
がくんと馬車が跳ね、しばらくすると停止した。ミアは扉を細く開けて、同僚の騎士に尋ねた。
「どうしたの?」
「でかい穴に車輪が入り込んだ。殿下にはしばらくお待ちになってもらえるよう言ってくれ」
「私も手伝うよ」
「いや、殿下のご機嫌を取っていてくれると助かる」
肩を竦める同僚に、ミアは分かったと頷いた。
「何事?」
「車輪がぬかるみにはまり込んでしまったそうです。皆で持ち上げるので、少し揺れると思いますが、お気になさらず」
「そう……」
再び静まり返った車内で、ミアは外の作業に参加すればよかったと後悔した。
――何か、話題を。
頭にふっと浮かんだのは。
「殿下、失礼を承知でお聞きするのですが。私の兄、ジョナサンがご迷惑をお掛けしていないでしょうか?」
「え」
するとシャーロットの白皙の頬がうっすらと桃色に染まった。
「な、何を言い出すのよ!」
「いえ、先日兄から殿下とお近づきになったと聞きまして……。あの、嫌なら遠慮せずきっぱり振ってやってください」
内緒話をするように頬に手を翳し、畏れながらもミアはシャーロットに忠告する。
ジョナサンはミアの上をいく楽天家だ。はっきりと口にしなければ諦めることを知らない。黙って剣を握っていれば、美丈夫なのだが、口を開くと軟派な雰囲気ですべてを台無しにする。
――それも、真実を聞く耳を悟らせないようにする演技、なんだろうけど。
それでも根は真面目なシャーロットには、許せない相手だと思ったのだが。
「迷惑だなんて、そんな……」
俯いて両手をもじもじさせるシャーロットに、ミアは目が点になった。
まんざらでもなさそうに言い淀むシャーロットは、年相応の少女に見えた。否、恋をしている乙女だ。
「いや、お気に障っていなければよかったです……」
まさか、ジョナサンの思惑通りになってしまうのか。ミアはシャーロットの今後我心配になってきた。
「殿下。妹の私が言うのもなんですが、彼はおやめになったほうが……」
「な、何をよっ。彼とは少しお話するだけの知人よ。変な詮索は止めて頂戴」
ぷいっと顔をそらしても、首筋まで真っ赤になっていれば説得力がない。
――兄様、慎重に頼むよ。
ミアは心の中で兄に願った。
「とにかく、貴女が心配するようなことは何もないから」
こほんと咳払いするシャーロットに、ミアはここぞとばかりに言った。
「では団長との企みも、私は気にしなくてもよいことなのでしょうか」
「言いながら、全然納得していないわよね……」
苦々しげにシャーロットは呟くも、意を決したように、口を開いたのだが――。
「き、貴様ら何だ⁉」
馬車の外で威嚇する同僚騎士たちの声に、ミアはシャーロットを背にして腰を浮かした。聴き慣れぬ男たちの声も聞こえてくる。何やら貧民窟の住人ともめているのか、段々と口論は激しくなり、しまいには金属が火花をちらすような摩擦音も鳴り出した。
そっとカーテンの隙間から外を窺うと、貧民窟の人間にふさわしくない物々しい剣や槍を構えた男たちが、馬車を取り囲んでいた。
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