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19話 男装令嬢は騎士団長と恋人を演じる
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「よお」
ダンスフロアで優雅にステップを踏むサイラスとシャーロットをぼんやりながめていると、ダンカンが軽やかに声をかけてきた。
「副団長。……会場の警備ですか?」
「おお、人使いの荒い上官がいてな。休日なのに駆り出された」
壁にもたれ腕を組んだダンカンに、ミアは力なく笑みを返す。
「覇気がないな。せっかく綺麗に化けたんだから、楽しめよ」
「そんな気分じゃありません……」
サイラスの氷のような瞳を思い出し、ぶるりと肩を震わせた。あれはかなり怒っている。あとでどんな叱責を受けるのか考えただけで泣きたくなった。
「団長は怒ってないと思うぞ……」
ずばり悩みを言い当てられたミアは驚いた。
「……私、判りやすいですか?」
「ああ、飼い主に叱られた子犬みたいだ」
広間に視線を向けたまま、ダンカンはミアを慰める。気遣ってくれるのはありがたいが、持ち場を離れていて大丈夫なのだろうか。
「副団長、ここにいては警備に差し支えがあるのでは?」
「……離れたほうが後々面倒臭いからな」
「会場内なら私が見ていますから、巡回に戻ってください」
任務中ではなくとも、染みついた習性は簡単にはぬぐえない。怪しい動きをする者がいれば、すぐさま対応はできる。安心させるつもりでダンカンに提案をしたものの、ため息を返された。
「え、私じゃ頼りないですか。……こんなドレスでも最低限、制圧はできますよ」
最悪、裾を破れば身動きも取りやすくなる。だが、言い繕えば繕うほど、ダンカンは顔をしかめた。
「俺はお前の無自覚さが恐ろしいよ……とにかく、今日は男爵令嬢として振る舞っとけ」
「はあ……」
「ダンカン、ご苦労」
一曲目が終わってまもなく、サイラスはミアたちの方へ足早に戻ってきた。
「本当ですよ。俺を虫除けに使わないでください」
ダンカンは文句を言いながらもサイラスに敬礼し、ミアには、じゃあなと手をあげ、ダンスフロアを後にする。
いきなり二人きりにされてしまったミアは、気まずさに視線をさ迷わせた。サイラスを直視することができずにいると、
「帰るぞ」
「え」
舞踏会は始まったばかりだ。現に、サイラスの背後では、シャーロットが不満げにこちらを睨みつけている。ご機嫌窺いに他の貴公子たちが声をかけても、王女は相手にしていない。
「殿下はご不満そうですが……」
「礼儀は果たした。あとは知らん」
サイラスはさっさとダンスフロアを横切り、出入り口へと向かう。
――私よりも優先してもらえたんだから、シャーロット様の勝ち、になるんだよね……。
ミアはサイラスにダンスすら誘ってもらえないのだ。それはつまり、シャーロットはサイラスを諦めないということになる。
日は沈み、藍色の夜空には星が瞬き始めていた。
綺麗に剪定された樹木が繁る庭先でサイラスは立ち止まると、建物を回り込み奥へと足を踏み入れる。
「え、団長?」
不思議に思うのも一瞬で、その行動の意味を理解したミアは黙って後に続いた。迷路のように生け垣が張り巡らされた庭を抜けると、小さな泉が姿を現した。水面は月の光を反射してキラキラと輝いている。
しんと静まり返った空気に、身体の緊張が解けていく。サイラスは足を止めることなく、片隅に佇む東屋に設えられた木製のベンチに腰掛けた。
ミアを隣に座らせると、サイラスはじっと辺りの気配を窺う。
「監視、されてますよね……」
「ああ、大方殿下が寄越した者だろう」
シャーロットはまだ納得していないようだ。サイラスのあの態度では、シャーロットに望みがあるのか疑わしいからだろうか。このまま屋敷に帰れば、ミアとの偽装婚約が発覚してしまう恐れがある。何とかして監視の目を逸らさなければならない。
――私が団長を本当に愛しているように見せかければいいのか……?
甘えてすり寄るなど、サイラスが最も嫌悪する行為だ。ただでさえ、機嫌を損なっているのに、そんな真似はできない。
「くちゅんっ」
深刻に悩んでいても、身体は正直だ。昼間の暖かさが消え失せた屋外は、水辺と言うこともあって肌寒い。オフショルダーの肩をミアが震わせていると、分厚い布地が素肌に触れた。
「え、団長が風邪を引きますよ」
「いいから着ていろ」
有無を言わせぬ圧に断ることもできず、重厚なジュストコートを両手で引き寄せる。水の流れる音にまじって、舞踏会からの喧騒が遠く微かに聞こえる。ときおり吹く風が、生垣に咲いた花々からの芳香を運んできた。生地から漂うサイラスの香りとそれが混じり合って鼻腔を擽ると、ミアは落ち着かなくなる。
「あの、勝手に入ってもいいんでしょうか?」
丁寧に管理された庭園を見回し、ミアは動揺を紛らわそうとした。
「……見咎められれば道に迷ったことにしておけばいい」
「王国騎士団団長が、王宮内で迷子になっていては信用に瑕がつくのでは……」
純粋に思ったことを口にしたのだが、サイラスは吹き出した。屋敷で知った表情に、ミアは胸を撫でおろす。
「夜の庭園に男女二人がいて、無粋な質問をするのはお前くらいだ」
「そんなことありませんよ」
纏わりつく視線は去る気配がない。サイラスはどうするつもりなのだろうか。
「あの、団長……。彼らを振り切って逃げますか?」
「……いや」
サイラスは真面目な顔をして、ミアの肩を引き寄せた。
「まずは、殿下と何があったのか聞かせてもらおうか」
耳元で囁かれる甘い響きに、背筋が粟立つ。
「ち、近いですっ」
「離れていては監視に怪しまれるだろうが。……俺が近づいて何か問題があるのか?」
――私の心臓が持ちませんからっ!
などとは口が裂けても言えない。
「いや、シャーロット様に勘違いされるじゃありませんか。せっかく殿下を選ばれたのに……」
「なんだ、それは」
ミアはシャーロットとの賭けをかいつまんで語った。最初のダンスの相手に彼女たちのうち、どちらを選ぶのか王女が試していたことを知ると、サイラスは心底呆れかえる。
「なるほど。殿下が満面の笑みを浮かべておられたのはそういう事情か……」
「はい。ですので、このような場面を見せるのは、良くないと思います」
サイラスの逞しい胸板を何度も押し返しているのだが、びくともせず、さらに強く肩を引き寄せられた。力で敵わないたびにミアは、訓練に励もうと意気込むのだった。
「殿下とは過去に終わっている」
口では何とでも言えるだろうと喉元まで出かかり、ミアは不満を飲み込んだ。なぜシャーロットに関するサイラスの言葉が信用できないのか、ミアは自身の苛立ちに戸惑っている。
「シャーロット様はそうは思われていないようですけど」
「……何だ、嫉妬しているのか?」
「誰が誰にですか?」
ミアをからかっている場合ではない。悠然と構えるサイラスにやきもきしていると、
「……釘を刺しておかなければな」
サイラスはミアの背中に手を滑らせる。ビクリと身を震わせ動揺するミアの唇に、サイラスの唇がしっとりと重なった。
ダンスフロアで優雅にステップを踏むサイラスとシャーロットをぼんやりながめていると、ダンカンが軽やかに声をかけてきた。
「副団長。……会場の警備ですか?」
「おお、人使いの荒い上官がいてな。休日なのに駆り出された」
壁にもたれ腕を組んだダンカンに、ミアは力なく笑みを返す。
「覇気がないな。せっかく綺麗に化けたんだから、楽しめよ」
「そんな気分じゃありません……」
サイラスの氷のような瞳を思い出し、ぶるりと肩を震わせた。あれはかなり怒っている。あとでどんな叱責を受けるのか考えただけで泣きたくなった。
「団長は怒ってないと思うぞ……」
ずばり悩みを言い当てられたミアは驚いた。
「……私、判りやすいですか?」
「ああ、飼い主に叱られた子犬みたいだ」
広間に視線を向けたまま、ダンカンはミアを慰める。気遣ってくれるのはありがたいが、持ち場を離れていて大丈夫なのだろうか。
「副団長、ここにいては警備に差し支えがあるのでは?」
「……離れたほうが後々面倒臭いからな」
「会場内なら私が見ていますから、巡回に戻ってください」
任務中ではなくとも、染みついた習性は簡単にはぬぐえない。怪しい動きをする者がいれば、すぐさま対応はできる。安心させるつもりでダンカンに提案をしたものの、ため息を返された。
「え、私じゃ頼りないですか。……こんなドレスでも最低限、制圧はできますよ」
最悪、裾を破れば身動きも取りやすくなる。だが、言い繕えば繕うほど、ダンカンは顔をしかめた。
「俺はお前の無自覚さが恐ろしいよ……とにかく、今日は男爵令嬢として振る舞っとけ」
「はあ……」
「ダンカン、ご苦労」
一曲目が終わってまもなく、サイラスはミアたちの方へ足早に戻ってきた。
「本当ですよ。俺を虫除けに使わないでください」
ダンカンは文句を言いながらもサイラスに敬礼し、ミアには、じゃあなと手をあげ、ダンスフロアを後にする。
いきなり二人きりにされてしまったミアは、気まずさに視線をさ迷わせた。サイラスを直視することができずにいると、
「帰るぞ」
「え」
舞踏会は始まったばかりだ。現に、サイラスの背後では、シャーロットが不満げにこちらを睨みつけている。ご機嫌窺いに他の貴公子たちが声をかけても、王女は相手にしていない。
「殿下はご不満そうですが……」
「礼儀は果たした。あとは知らん」
サイラスはさっさとダンスフロアを横切り、出入り口へと向かう。
――私よりも優先してもらえたんだから、シャーロット様の勝ち、になるんだよね……。
ミアはサイラスにダンスすら誘ってもらえないのだ。それはつまり、シャーロットはサイラスを諦めないということになる。
日は沈み、藍色の夜空には星が瞬き始めていた。
綺麗に剪定された樹木が繁る庭先でサイラスは立ち止まると、建物を回り込み奥へと足を踏み入れる。
「え、団長?」
不思議に思うのも一瞬で、その行動の意味を理解したミアは黙って後に続いた。迷路のように生け垣が張り巡らされた庭を抜けると、小さな泉が姿を現した。水面は月の光を反射してキラキラと輝いている。
しんと静まり返った空気に、身体の緊張が解けていく。サイラスは足を止めることなく、片隅に佇む東屋に設えられた木製のベンチに腰掛けた。
ミアを隣に座らせると、サイラスはじっと辺りの気配を窺う。
「監視、されてますよね……」
「ああ、大方殿下が寄越した者だろう」
シャーロットはまだ納得していないようだ。サイラスのあの態度では、シャーロットに望みがあるのか疑わしいからだろうか。このまま屋敷に帰れば、ミアとの偽装婚約が発覚してしまう恐れがある。何とかして監視の目を逸らさなければならない。
――私が団長を本当に愛しているように見せかければいいのか……?
甘えてすり寄るなど、サイラスが最も嫌悪する行為だ。ただでさえ、機嫌を損なっているのに、そんな真似はできない。
「くちゅんっ」
深刻に悩んでいても、身体は正直だ。昼間の暖かさが消え失せた屋外は、水辺と言うこともあって肌寒い。オフショルダーの肩をミアが震わせていると、分厚い布地が素肌に触れた。
「え、団長が風邪を引きますよ」
「いいから着ていろ」
有無を言わせぬ圧に断ることもできず、重厚なジュストコートを両手で引き寄せる。水の流れる音にまじって、舞踏会からの喧騒が遠く微かに聞こえる。ときおり吹く風が、生垣に咲いた花々からの芳香を運んできた。生地から漂うサイラスの香りとそれが混じり合って鼻腔を擽ると、ミアは落ち着かなくなる。
「あの、勝手に入ってもいいんでしょうか?」
丁寧に管理された庭園を見回し、ミアは動揺を紛らわそうとした。
「……見咎められれば道に迷ったことにしておけばいい」
「王国騎士団団長が、王宮内で迷子になっていては信用に瑕がつくのでは……」
純粋に思ったことを口にしたのだが、サイラスは吹き出した。屋敷で知った表情に、ミアは胸を撫でおろす。
「夜の庭園に男女二人がいて、無粋な質問をするのはお前くらいだ」
「そんなことありませんよ」
纏わりつく視線は去る気配がない。サイラスはどうするつもりなのだろうか。
「あの、団長……。彼らを振り切って逃げますか?」
「……いや」
サイラスは真面目な顔をして、ミアの肩を引き寄せた。
「まずは、殿下と何があったのか聞かせてもらおうか」
耳元で囁かれる甘い響きに、背筋が粟立つ。
「ち、近いですっ」
「離れていては監視に怪しまれるだろうが。……俺が近づいて何か問題があるのか?」
――私の心臓が持ちませんからっ!
などとは口が裂けても言えない。
「いや、シャーロット様に勘違いされるじゃありませんか。せっかく殿下を選ばれたのに……」
「なんだ、それは」
ミアはシャーロットとの賭けをかいつまんで語った。最初のダンスの相手に彼女たちのうち、どちらを選ぶのか王女が試していたことを知ると、サイラスは心底呆れかえる。
「なるほど。殿下が満面の笑みを浮かべておられたのはそういう事情か……」
「はい。ですので、このような場面を見せるのは、良くないと思います」
サイラスの逞しい胸板を何度も押し返しているのだが、びくともせず、さらに強く肩を引き寄せられた。力で敵わないたびにミアは、訓練に励もうと意気込むのだった。
「殿下とは過去に終わっている」
口では何とでも言えるだろうと喉元まで出かかり、ミアは不満を飲み込んだ。なぜシャーロットに関するサイラスの言葉が信用できないのか、ミアは自身の苛立ちに戸惑っている。
「シャーロット様はそうは思われていないようですけど」
「……何だ、嫉妬しているのか?」
「誰が誰にですか?」
ミアをからかっている場合ではない。悠然と構えるサイラスにやきもきしていると、
「……釘を刺しておかなければな」
サイラスはミアの背中に手を滑らせる。ビクリと身を震わせ動揺するミアの唇に、サイラスの唇がしっとりと重なった。
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