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10話 男装令嬢は騎士団長が理解できません

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「本当に申し訳ありませんでした……‼」
 豪快に頭を下げるジョナサンを、豪華なベッドのうえでサイラスは、無表情に眺めている。
 直立不動で兄の後ろに控えるミアは、気が気でなかった。
 救護室から貴族御用達の治療院に移ったサイラスは、日に日に回復している。屋敷に戻っても日常生活に支障はないのだが、なぜか公爵家に帰ろうとしない。
 謎はすぐに解けた。サイラス目当ての見舞客が、治療院の屈強な門番に追い払われている。面会謝絶という理由があれば角も立たないためだったのだ。

 決闘の結果は、ジョナサンの不戦勝。
 だからといって、ミアは領地に戻るつもりはない。勝敗に満足していないものの、再戦を申し込む権利はないと、ジョナサンもそのことは話題にしなかった。
「義兄上、顔をあげてください。元はと言えば、私の体調管理が至らず起きた騒動です。……義兄上さえよろしければ、後日、改めて決闘を申し込みたいのですが」
 サイラスの申し出に、ミアとジョナサンは眼を見交わした。
「申し出は大変光栄なのですが。……実は、領地を抜け出したことが父にバレまして……」
決闘の顛末てんまつは遠くヴォルフガルト領にまで及んだ。数日後、領地から息を切らした伝令が届けた書面に、ジョナサンは顔を蒼くする。
「父上からこっぴどく叱られました。……お詫びに公爵様にお仕えしろと厳命されましたので、何なりとお申し付けください……」
 封蝋ふうろうが施された書状を受け取ったサイラスは、片手で器用にペーパーナイフを使う。
「……ふむ。承知した」
 内容を確認すると、サイラスは口許に微笑をたたえた。
「義兄上に調べて頂きたいことがあります。後日詳細を伝えますので、滞在先を教えてもらえませんか?」
ジョナサンとサイラスの間に和解の兆しが見え始めたようだ。

――これで、心配事が減った。

 だが、ミアを悩ませている問題はこれだけではない。

「……では、失礼いたします」
 ジョナサンが病室を出て行ったあと、ミアも退出しようとした。
「ミア」
 静かにサイラスが呼びとめる。
 席を外す機会を逃したミアは、サイラスに促されるまま、ベッド脇の椅子に腰を下ろした。病室は清潔感溢れる白で統一されている。ミアが腰掛けた椅子は座面が滑らかな絹だ。頼りない座り心地に落ち着かないでいると、サイラスがポンポンとベッドの縁を叩いた。
「ここに座れ」
「ですが……」
「怪我もほぼ完治している」
 他に断る口実を見つけられず、ミアはそっとベッドの縁に腰をおろした。

「騎士団の様子はどうだ?」
「い、異常はありません。副団長が取り仕切っていらっしゃいますから……」
「そうか」
「あ、あの団長」
「なんだ」
「これは一体……」
 ミアは腹に回されたサイラスの腕に、困惑を隠せないでいた。加えて首筋に鼻を擦りつけられている。
 怪我をして以来、サイラスの様子がおかしい。
 やたらとミアをそばに置こうとするのだ。怪我で気が弱り、人肌が恋しいだけなのだと思いきや、その域を超えている。
「お前は俺の婚約者だ」
「ええ、そうですね」
「恋人同士では普通のことだと思わないか?」
 サイラスとは断じて恋仲ではない。
 それは彼が公言していたではないか。甘えるような仕草は周囲をあざむくために必要ではあるが、二人きりの部屋でいちゃつく意味は、はたして。

 ――そ、そういえば、私、団長と二人きりじゃないか!

 サイラスが遠慮なく触れてくるので意識してしまい、慣れるどころか羞恥心は増すばかりだった。
「く、訓練終わりに来たので、私汗かいてますよっ」
 裏返ったミアの声に、くすくすとサイラスは笑う。
 ――だ、団長が笑ってる!
 なぜそんなにも上機嫌なのか、ミアは恐ろしくなった。
「……怪我をさせてしまった償いに、俺を慰めてくれるのではなかったか?」
「もう完治してるってご自身で仰ってたじゃ……、ひゃっ⁉」
 首筋にぬるりと湿った感触がして悲鳴をあげてしまう。
「まあ、確かに汗の味はするが、お前が励んだ証拠だろう」
 舐められたのだと気づき、泣きそうになりながら振り向けば、サイラスは、からかうように唇の端を歪めていた。

 ――この人、こんなに性格悪かったのか。

 冷静沈着でその表情は戦場でも微動だにしない。ゆえに【仮面公爵】と綽名あだなされるサイラスが、こんなに悪戯好きだったとは。ミアをからかって何がそんなに面白いのか、理解に苦しむ。
「せっかくゆっくりできるんですから、もっと大人しくしてくださ……て、うわっ」
 首筋にまたもや違和感があり、確かめると冷たくて硬いものが指に触れた。
「騒がしいやつだな」
「……何ですか、これ」
 いつの間にか胸元には、鳥籠を模したペンダントトップが揺れていた。なかには緑色の石が淡く輝いている。
「肌身離さず身につけておけ。バッハシュタイン公爵家の家宝だ」
「そんなモノ、受け取れません。……は、外れないので取ってもらえませんか?」
 チェーンのどこを探しても留め具の位置が分からない。仕方なく懇願したが、
「……持ち主の許可があるまで外せない仕様だ」
「なら今すぐお願いします」
 サイラスは眉を跳ね上げると、ミアの顎を掴み、唇で唇を塞いだ。
「んむっ」
 弄ぶように角度をかえてサイラスの舌は、ミアの唇を味わう。強引に唇をこじ開けようとするサイラスにミアは、口を固く閉ざし抵抗した。
「……頑固者め」
「話をそらさないでください。それに、こ、こういうことは正式に夫婦になってからすることですっ。」
 ぷはっと息をつくミアを、サイラスは無言で見つめる。

「……お前、経験がないのか?」
「何のですか?」
 とりあえずペンダントの件は、後日作戦を練ることにして、ミアは今度こそ帰ろうとサイラスの腕を振りほどいた。しかし、手首を掴まれ、またもや力強く引き寄せられる。
「だ、団長、いい加減に……」
「質問に答えろ。男に抱かれたことはないのか?」
「なっ! あるわけないじゃないですか!」

 騎士の道を邁進まいしんしてきたミアに色恋に割く暇はなかった。
「……私をそんな目で見る男性には会ったことがありませんから」
 アマグスタニアでは、小柄でやわらかい印象の女性が美しいとみなされる。背が高く、引き締まった体躯のミアに惹かれる男性がいるとは思えない。
 それに結婚前に身体を繋げることに抵抗感がある。サイラスとも将来、肉体関係を持つことにはなるのだろうが、彼の事だ、きちんと計画を立てて子作りを……。
「そうか」
 サイラスは、自らの膝の上にミアを座らせると、ヘッドボードに背中を預けた。
「え、何を納得されたので……、えっ⁉」
 サイラスはミアの腰を片腕で抱き込む。
「団長、話、聞いてましたかっ? こういうことはまだ早いです、よっ!……」
 腰に掛かった腕を振り解こうとするも、怪我人とは思えない力でホールドされる。
「婚前交渉など、いまどき珍しくもないぞ。……初心うぶなところもそそるな」
 サイラスはミアの頬をそっとなでると、唇を合わせてくる。
 完治したとはいっても違和感はのこっているのだろう、右腕を庇うサイラスを退けることはできず、ミアは逃げ出すタイミングを逸してしまった。

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