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21 裕介、ジェイドと今後のことを話し合う
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「あのジェイドさん」
「なんだ」
「何故、俺はジェイドさんの膝の上に、いるのでしょうか……」
誘拐事件から数日後。
ジェイドはベッドに座り、裕介をぬいぐるみよろしく、膝の上に乗せ、抱き抱えていた。
背中からジェイドのぬくもりが伝わり、落ち着かないこと、この上ない。ジェイドは片時も裕介から離れず、それこそお花を摘みに行こうとしてもついてくるのだ。
困ったものである。
「貴殿から目を離すと碌なことにならないからな」
相思相愛になったというのに、この扱い。
しかし不満を言えばバチが当たる。なんせ、裕介は何度もジェイドに迷惑をかけているのだから。
「冗談だ」
「え?」
「俺が貴殿を離したくないのが、その……本音だ」
「そ、そう……」
顔を赤らめたジェイドは、裕介の肩越しに、こちらの顔をのぞき込む。裕介はつられて赤面し、目をそらした。
素直になられると、こちらまで照れてしまう。
誘拐事件以降、ジェイドは変わった。
それはもう、とても感情豊かになったのだ。
(思ったことをストレートに言ってくれるのはありがたいんだけどさ……なんというか)
恥ずかしいのである。
最後に女の子と付き合ったのが、十年くらい前である。付き合いたての頃の距離感なんて、憶えていない。
この歳になって恋愛事で悩むことになるとは、人生、わからないものである。
ちらりとジェイドに視線を戻す。
「……なんだ?」
「いえ、何も」
「……俺は陛下直々に休暇をいただいている身だ」
「俺、何も言ってませんけど?」
(いやまあ、俺も一緒にいたいから、部屋から出て行けとは言わないよ……けど、君はここにいて、いいのか?)
本人は休暇と言っているが、正確には謹慎処分である。
騎士団長であると同時に、王族であるヴィクトルに怪我をさせた罪は重い。
よくて国外追放。
最悪、死罪となる。
ジェイドは裕介を王都に連れ帰った直後、騎士団を去る決意をした。
騎士団員としてではなく、ジェイド・グノーシュ個人として罰を受ける覚悟をしたのだがーー。
『副騎士団長が騎士団を去るだって! 納得できません!』
『そうだ、そうだ。先に喧嘩を吹っ掛けたのは団長だろ?』
『α同士、Ωを賭けた勝負に身分は関係ねえよな』
ジェイドを慕う騎士団員たちは、やんやと騒ぎ、王宮に乗りこもうとする者まで現れた。
部下たちを落ち着かせるため、ジェイドは神経をすり減らし、今に至る。
裕介は一連の騒動を思い出し苦笑した。
「ジェイドさんを引き止めるヨシュアさんの気迫、すごかったですよね」
「あの巨体で泣き落としは勘弁して欲しかったな」
ジェイドの頑張りにより、騎士団員たちの暴走は収まった。
一方で王宮側の出方はというと……。
騎士団長不在の折は、ジェイドが騎士団の運営を取り仕切っている。そんな彼を切り捨てることは騎士団の損失にしかならない。
その事実は王宮側も承知している。
問題は王族の面目だ。
苦肉の策として、
「役職なしの騎士団員に降格って……ジェイドさんを、安く買い叩きすぎですよ」
処分を言い渡した王宮の使者は終始、ジェイドに軽蔑のまなざしをむけていた。その顔を思い出すだけで、怒りが込み上げてくる。
「仕方ない。俺はローリア王国の至宝を害したのだから」
末端の騎士団員になったとはいえ、ジェイドの実力は変わらない。王国騎士団では持て余すため、各地の国王派貴族の領地へ剣術指南員として派遣されることになった。
はたから見れば左遷だが、ジェイドは全く気にしていない様子である。
「ヴィクトル様を傷つけた以上、俺が王都にいては何かと具合が悪い」
「権力争いに巻き込まれる可能性、本当にあるんですか?」
「ああ。俺が皇太子と対立していると噂されれば、十中八九、反乱分子の旗頭として担ぎ出される。継承権がないのにも拘らず、だ」
ジェイドは現国王の庶子ではあるが、すでに継承権を放棄している。それでも、反国王派の貴族たちは、なんだかんだと理由をつけ、ジェイドに接触していたそうだ。
「面倒事に巻き込まれるのはご免だ。今回の沙汰で、俺は大手を振って王都を離れることができる。思う存分利用させてもらうさ……。それでだな、ユースケ……俺についてきてくれないだろうか」
ジェイドは両手を裕介の腹の前で組み合わせ、その肩に顔を埋める。
もちろん、ジェイドとともに行くつもりだ。
しかしその前に確かめておきたいことがある。
ジェイドの鼓動と息遣いに勇気づけられ、裕介は口を開いた。
「あのさ、ジェイドさん」
「……なんだ」
「殿下のことなんだけど。暴走したのって、俺のせいじゃないかなって思うんだよね」
ヴィクトルはこれまでにも大なり小なりトラブルを起こしている。けれど騎士団員を、仲間を傷つけたことはなかったそうだ。
誘拐事件は、ジェイドたちの決闘騒ぎにかき消され、なかったことにされた。
けれど、ヴィクトルとジェイドが決闘をした事実は、両者が少なからず傷を負ってしまったことで隠すことができない。
結果、喧嘩両成敗ということで、ヴィクトルは騎士団長の任を解かれた。
正確には国王がヴィクトルに皇太子としての務めに集中せよ、と命じたのである。
横領の件に関しても、王族たるもの隙を見せるべきではないと、ひどく叱責されたそうだ。
ローリア王国に王位継承権を持つαはヴィクトルただ一人だ。
王国にとって、何よりも大事なのはヴィクトルである。
「殿下は今回のような事件を起こすような方ではなかったんじゃないですか。それが俺と出会って、なんというか、凶暴になったんじゃないかって気がして……」
「何が言いたい?」
ジェイドは顔を上げ、切れ長の瞳を細めた。腹の前で組み合わされた手の力が強くなる。
迷いを見抜かれているようで、裕介はごくりと唾を飲み込んだ。
「ええっと、【災厄】のフェロモンのせいで、殿下は暴走してしまったんじゃないですかね」
「つまり、貴殿は自分のせいで今回の事件が起こったと。そう言いたいのか」
「ないとは言い切れないでしょう」
「……」
全部が全部そうだとは思わない。けれど引き金にはなったはずだ。
兄弟仲を壊してしまった負い目がある。裕介は腹の前で組み合わされたジェイドの手を見下ろした。
【災厄】である自分が、果たしてジェイドを幸せにすることができるのか。
「……俺はこの体質のせいで、殿下同様、ジェイドさんを不幸な目に遭わせるかもしれない。だからその……って、ジェイドさん?」
ジェイドはおもむろに、裕介の髪をわしゃわしゃと掻き回しはじめた。
頭皮マッサージのごとく、程よい力加減に、裕介は肩の力が抜ける。
「今ここで、未来を憂いても、貴殿の体調が悪くなるだけだ。貴殿に言わせれば『メリットはない』だろう?」
「……確かに」
「事が起こってから悩んでも遅くはあるまい」
ジェイドは覚悟を決めている。腹を括れていないのは裕介の方だ。彼を不幸にするからというのは言い訳で、裕介はジェイドの人生を背負うのが怖いのである。
(告白したっていうのに、俺はまだまだ臆病風に吹かれてるな)
髪をなでるジェイドの片手をとり、目の前で矯めつ眇めつする。あたたかくて大きな手は何があろうと裕介を守ってくれた。
与えてもらったものと同様、いやそれ以上の、価値のあるものを返すことができるだろうか。
「殿下が俺に対して、対抗心をお持ちだったのは肌で感じていた」
「ああ、うん。殿下と二人で話したとき、俺も感じたよ」
「恵まれた境遇でありながら、殿下は昔から俺のモノを欲しがっていた」
「それって、ジェイドさんの気を引こうとしてたからだよ」
「……馬鹿な」
ヴィクトルは裕介に執着しているように見せかけ、その実、ジェイドを意識していた。ジェイドが裕介を取り戻そうと躍起になればなるほど、ジェイドの前に立ち塞がっていたのが、なによりの証拠である。
「そうだとしても、貴殿を拐かして良い理由にはならんぞ」
「ああ、まあ、うん。そうですね……」
皇太子とその臣下。
上官と部下。
厳しい上下関係ではなく、ヴィクトルはジェイドと本物の【兄弟】になりたかったのかもれない。
何でも話し合えるかけがえのない兄弟に。
溝を作るきっかけになってしまった手前、いつかは二人を仲直りさせたいと、裕介はひそかに決意する。
「……殿下と俺の関係に、貴殿が負い目を感じる必要はないからな」
考えを読まれ、恐る恐る肩越しに振り返ると、ジェイドが「図星か」とため息をついた。
「貴殿のフェロモンに狂わされたと仮定しても、惑わされる殿下の精神が脆弱だったのだ。そもそも、それ以前の悪行に関しては、貴殿とは何の関係もない」
「なかなか辛口ですね」
「……殿下のことはもういいだろ」
ジェイドはバッサリと切り捨てる。どうでもよくはない。裕介の懸念は晴れていないのだから。
頬を膨らませる裕介に、ジェイドはフッと笑みをこぼす。
「【災厄】のフェロモンについては、謎が多い……貴殿の推測どおりだとして、貴殿のフェロモンで狂おうが俺は構わない。まあ簡単に正気を失う気はないがな」
驚いた拍子に、ふくれっ面が真顔に戻ってしまった。
「それは、いろいろ駄目でしょ……」
「なぜだ。俺は貴殿に酔い、貴殿は俺に甘やかされる。何が問題なんだ?」
「いや、それは男の沽券にかかわるというか、その……」
灰色の瞳は逃がしてくれず、裕介はジェイドの開き直りっぷりにあたふたする。
「で、貴殿は俺についてきてくれるのか、否か。答えを聞かせてもらおう」
好きな人に求められて悪い気はしない。目をそらさないジェイドに、裕介は降参した。
「……俺はどこへでも、ジェイドさんについていきます」
「ジェイドだ」
「え」
「いい加減、畏まった口調は止めろ」
ジェイドは裕介にされるがままだった己の手を引いた。彼の手が離れていくのが名残惜しく、裕介は身体を反転させる。
ジェイドと向かい合っても、その顔を直視できない。彼の胸元に視線を逃がしていると、ジェイドは裕介の手を取り、手の甲にキスを落とした。
まるで物語に登場する皇子様のようである。
(まあ王様の子供だもんな。間違ってはいないか)
ジェイドはすらりとした体躯にしなやかな筋肉を併せ持つ美男子だ。
皇子として育っていたら、今以上に気品溢れる青年に成長したことだろう。
(ヴィクトルの例もあるから、一概には言えないだろうけど)
「何を考えている」
「え、いや何も……ひゃっ」
ジェイドに指の股を舐められ、裕介は文字通り、飛び上がった。しかし、ジェイドの片手はしっかりと裕介の腰をホールドしており、逃げることはかなわない。
ジェイドは裕介の指から甘い蜜が溢れていると言わんばかりに舌を這わせた。
もどかしい刺激が尻の奥をきゅんと疼かせる。
「あの、ジェイドさん、指、汚いんで……」
「構わん」
指の先をちゅぷりと音を立ててしゃぶる姿が、いやらしくも艶かしい。灰色の瞳で流し目をされれば、理性が飛んでいきそうになる。
「こうやって触れていれば、発情期を促せるらしいからな」
ジェイドは王都を起つ前に、裕介と番になろうとしている。
【災厄のΩ】はαに呪いをかける。【災厄】はハーレムを許さない。フェロモンという名の鎖で最愛のαを縛るのだ。
ハーレムの大きさで権力を示すローリア王国では、望んで【災厄】と番いたがるαは皆無に等しい。
(俺が他のαに取られる心配なんかないのに、ジェイドさんほんと、心配性だよな)
とろけた瞳でジェイドを見返すと、唇を塞がれた。重なった瞬間、裕介は口を開く。ジェイドの唾液は砂糖のように甘い。
理性など、あっという間に消し去ってしまうほどに。
「ジェイドさん……」
唇と唇が唾液の糸で繋がる。それすら惜しくて、裕介は舌で絡め取った。
「もっと欲しければ、ジェイドと呼べ」
優しい声音が一変し、有無を言わせぬ響きを孕んだ。Ωを組み敷く衝動を滲ませた声音に、背筋がぞくりと粟立つ。
支配される喜びを覚える自分に呆れつつ、裕介は強請ることをやめられなかった。
「ジェイド、もっと……」
裕介はジェイドの後頭部に手を回し、引き寄せる。ジェイドとのキスに裕介は文字通り、溺れた。
「なんだ」
「何故、俺はジェイドさんの膝の上に、いるのでしょうか……」
誘拐事件から数日後。
ジェイドはベッドに座り、裕介をぬいぐるみよろしく、膝の上に乗せ、抱き抱えていた。
背中からジェイドのぬくもりが伝わり、落ち着かないこと、この上ない。ジェイドは片時も裕介から離れず、それこそお花を摘みに行こうとしてもついてくるのだ。
困ったものである。
「貴殿から目を離すと碌なことにならないからな」
相思相愛になったというのに、この扱い。
しかし不満を言えばバチが当たる。なんせ、裕介は何度もジェイドに迷惑をかけているのだから。
「冗談だ」
「え?」
「俺が貴殿を離したくないのが、その……本音だ」
「そ、そう……」
顔を赤らめたジェイドは、裕介の肩越しに、こちらの顔をのぞき込む。裕介はつられて赤面し、目をそらした。
素直になられると、こちらまで照れてしまう。
誘拐事件以降、ジェイドは変わった。
それはもう、とても感情豊かになったのだ。
(思ったことをストレートに言ってくれるのはありがたいんだけどさ……なんというか)
恥ずかしいのである。
最後に女の子と付き合ったのが、十年くらい前である。付き合いたての頃の距離感なんて、憶えていない。
この歳になって恋愛事で悩むことになるとは、人生、わからないものである。
ちらりとジェイドに視線を戻す。
「……なんだ?」
「いえ、何も」
「……俺は陛下直々に休暇をいただいている身だ」
「俺、何も言ってませんけど?」
(いやまあ、俺も一緒にいたいから、部屋から出て行けとは言わないよ……けど、君はここにいて、いいのか?)
本人は休暇と言っているが、正確には謹慎処分である。
騎士団長であると同時に、王族であるヴィクトルに怪我をさせた罪は重い。
よくて国外追放。
最悪、死罪となる。
ジェイドは裕介を王都に連れ帰った直後、騎士団を去る決意をした。
騎士団員としてではなく、ジェイド・グノーシュ個人として罰を受ける覚悟をしたのだがーー。
『副騎士団長が騎士団を去るだって! 納得できません!』
『そうだ、そうだ。先に喧嘩を吹っ掛けたのは団長だろ?』
『α同士、Ωを賭けた勝負に身分は関係ねえよな』
ジェイドを慕う騎士団員たちは、やんやと騒ぎ、王宮に乗りこもうとする者まで現れた。
部下たちを落ち着かせるため、ジェイドは神経をすり減らし、今に至る。
裕介は一連の騒動を思い出し苦笑した。
「ジェイドさんを引き止めるヨシュアさんの気迫、すごかったですよね」
「あの巨体で泣き落としは勘弁して欲しかったな」
ジェイドの頑張りにより、騎士団員たちの暴走は収まった。
一方で王宮側の出方はというと……。
騎士団長不在の折は、ジェイドが騎士団の運営を取り仕切っている。そんな彼を切り捨てることは騎士団の損失にしかならない。
その事実は王宮側も承知している。
問題は王族の面目だ。
苦肉の策として、
「役職なしの騎士団員に降格って……ジェイドさんを、安く買い叩きすぎですよ」
処分を言い渡した王宮の使者は終始、ジェイドに軽蔑のまなざしをむけていた。その顔を思い出すだけで、怒りが込み上げてくる。
「仕方ない。俺はローリア王国の至宝を害したのだから」
末端の騎士団員になったとはいえ、ジェイドの実力は変わらない。王国騎士団では持て余すため、各地の国王派貴族の領地へ剣術指南員として派遣されることになった。
はたから見れば左遷だが、ジェイドは全く気にしていない様子である。
「ヴィクトル様を傷つけた以上、俺が王都にいては何かと具合が悪い」
「権力争いに巻き込まれる可能性、本当にあるんですか?」
「ああ。俺が皇太子と対立していると噂されれば、十中八九、反乱分子の旗頭として担ぎ出される。継承権がないのにも拘らず、だ」
ジェイドは現国王の庶子ではあるが、すでに継承権を放棄している。それでも、反国王派の貴族たちは、なんだかんだと理由をつけ、ジェイドに接触していたそうだ。
「面倒事に巻き込まれるのはご免だ。今回の沙汰で、俺は大手を振って王都を離れることができる。思う存分利用させてもらうさ……。それでだな、ユースケ……俺についてきてくれないだろうか」
ジェイドは両手を裕介の腹の前で組み合わせ、その肩に顔を埋める。
もちろん、ジェイドとともに行くつもりだ。
しかしその前に確かめておきたいことがある。
ジェイドの鼓動と息遣いに勇気づけられ、裕介は口を開いた。
「あのさ、ジェイドさん」
「……なんだ」
「殿下のことなんだけど。暴走したのって、俺のせいじゃないかなって思うんだよね」
ヴィクトルはこれまでにも大なり小なりトラブルを起こしている。けれど騎士団員を、仲間を傷つけたことはなかったそうだ。
誘拐事件は、ジェイドたちの決闘騒ぎにかき消され、なかったことにされた。
けれど、ヴィクトルとジェイドが決闘をした事実は、両者が少なからず傷を負ってしまったことで隠すことができない。
結果、喧嘩両成敗ということで、ヴィクトルは騎士団長の任を解かれた。
正確には国王がヴィクトルに皇太子としての務めに集中せよ、と命じたのである。
横領の件に関しても、王族たるもの隙を見せるべきではないと、ひどく叱責されたそうだ。
ローリア王国に王位継承権を持つαはヴィクトルただ一人だ。
王国にとって、何よりも大事なのはヴィクトルである。
「殿下は今回のような事件を起こすような方ではなかったんじゃないですか。それが俺と出会って、なんというか、凶暴になったんじゃないかって気がして……」
「何が言いたい?」
ジェイドは顔を上げ、切れ長の瞳を細めた。腹の前で組み合わされた手の力が強くなる。
迷いを見抜かれているようで、裕介はごくりと唾を飲み込んだ。
「ええっと、【災厄】のフェロモンのせいで、殿下は暴走してしまったんじゃないですかね」
「つまり、貴殿は自分のせいで今回の事件が起こったと。そう言いたいのか」
「ないとは言い切れないでしょう」
「……」
全部が全部そうだとは思わない。けれど引き金にはなったはずだ。
兄弟仲を壊してしまった負い目がある。裕介は腹の前で組み合わされたジェイドの手を見下ろした。
【災厄】である自分が、果たしてジェイドを幸せにすることができるのか。
「……俺はこの体質のせいで、殿下同様、ジェイドさんを不幸な目に遭わせるかもしれない。だからその……って、ジェイドさん?」
ジェイドはおもむろに、裕介の髪をわしゃわしゃと掻き回しはじめた。
頭皮マッサージのごとく、程よい力加減に、裕介は肩の力が抜ける。
「今ここで、未来を憂いても、貴殿の体調が悪くなるだけだ。貴殿に言わせれば『メリットはない』だろう?」
「……確かに」
「事が起こってから悩んでも遅くはあるまい」
ジェイドは覚悟を決めている。腹を括れていないのは裕介の方だ。彼を不幸にするからというのは言い訳で、裕介はジェイドの人生を背負うのが怖いのである。
(告白したっていうのに、俺はまだまだ臆病風に吹かれてるな)
髪をなでるジェイドの片手をとり、目の前で矯めつ眇めつする。あたたかくて大きな手は何があろうと裕介を守ってくれた。
与えてもらったものと同様、いやそれ以上の、価値のあるものを返すことができるだろうか。
「殿下が俺に対して、対抗心をお持ちだったのは肌で感じていた」
「ああ、うん。殿下と二人で話したとき、俺も感じたよ」
「恵まれた境遇でありながら、殿下は昔から俺のモノを欲しがっていた」
「それって、ジェイドさんの気を引こうとしてたからだよ」
「……馬鹿な」
ヴィクトルは裕介に執着しているように見せかけ、その実、ジェイドを意識していた。ジェイドが裕介を取り戻そうと躍起になればなるほど、ジェイドの前に立ち塞がっていたのが、なによりの証拠である。
「そうだとしても、貴殿を拐かして良い理由にはならんぞ」
「ああ、まあ、うん。そうですね……」
皇太子とその臣下。
上官と部下。
厳しい上下関係ではなく、ヴィクトルはジェイドと本物の【兄弟】になりたかったのかもれない。
何でも話し合えるかけがえのない兄弟に。
溝を作るきっかけになってしまった手前、いつかは二人を仲直りさせたいと、裕介はひそかに決意する。
「……殿下と俺の関係に、貴殿が負い目を感じる必要はないからな」
考えを読まれ、恐る恐る肩越しに振り返ると、ジェイドが「図星か」とため息をついた。
「貴殿のフェロモンに狂わされたと仮定しても、惑わされる殿下の精神が脆弱だったのだ。そもそも、それ以前の悪行に関しては、貴殿とは何の関係もない」
「なかなか辛口ですね」
「……殿下のことはもういいだろ」
ジェイドはバッサリと切り捨てる。どうでもよくはない。裕介の懸念は晴れていないのだから。
頬を膨らませる裕介に、ジェイドはフッと笑みをこぼす。
「【災厄】のフェロモンについては、謎が多い……貴殿の推測どおりだとして、貴殿のフェロモンで狂おうが俺は構わない。まあ簡単に正気を失う気はないがな」
驚いた拍子に、ふくれっ面が真顔に戻ってしまった。
「それは、いろいろ駄目でしょ……」
「なぜだ。俺は貴殿に酔い、貴殿は俺に甘やかされる。何が問題なんだ?」
「いや、それは男の沽券にかかわるというか、その……」
灰色の瞳は逃がしてくれず、裕介はジェイドの開き直りっぷりにあたふたする。
「で、貴殿は俺についてきてくれるのか、否か。答えを聞かせてもらおう」
好きな人に求められて悪い気はしない。目をそらさないジェイドに、裕介は降参した。
「……俺はどこへでも、ジェイドさんについていきます」
「ジェイドだ」
「え」
「いい加減、畏まった口調は止めろ」
ジェイドは裕介にされるがままだった己の手を引いた。彼の手が離れていくのが名残惜しく、裕介は身体を反転させる。
ジェイドと向かい合っても、その顔を直視できない。彼の胸元に視線を逃がしていると、ジェイドは裕介の手を取り、手の甲にキスを落とした。
まるで物語に登場する皇子様のようである。
(まあ王様の子供だもんな。間違ってはいないか)
ジェイドはすらりとした体躯にしなやかな筋肉を併せ持つ美男子だ。
皇子として育っていたら、今以上に気品溢れる青年に成長したことだろう。
(ヴィクトルの例もあるから、一概には言えないだろうけど)
「何を考えている」
「え、いや何も……ひゃっ」
ジェイドに指の股を舐められ、裕介は文字通り、飛び上がった。しかし、ジェイドの片手はしっかりと裕介の腰をホールドしており、逃げることはかなわない。
ジェイドは裕介の指から甘い蜜が溢れていると言わんばかりに舌を這わせた。
もどかしい刺激が尻の奥をきゅんと疼かせる。
「あの、ジェイドさん、指、汚いんで……」
「構わん」
指の先をちゅぷりと音を立ててしゃぶる姿が、いやらしくも艶かしい。灰色の瞳で流し目をされれば、理性が飛んでいきそうになる。
「こうやって触れていれば、発情期を促せるらしいからな」
ジェイドは王都を起つ前に、裕介と番になろうとしている。
【災厄のΩ】はαに呪いをかける。【災厄】はハーレムを許さない。フェロモンという名の鎖で最愛のαを縛るのだ。
ハーレムの大きさで権力を示すローリア王国では、望んで【災厄】と番いたがるαは皆無に等しい。
(俺が他のαに取られる心配なんかないのに、ジェイドさんほんと、心配性だよな)
とろけた瞳でジェイドを見返すと、唇を塞がれた。重なった瞬間、裕介は口を開く。ジェイドの唾液は砂糖のように甘い。
理性など、あっという間に消し去ってしまうほどに。
「ジェイドさん……」
唇と唇が唾液の糸で繋がる。それすら惜しくて、裕介は舌で絡め取った。
「もっと欲しければ、ジェイドと呼べ」
優しい声音が一変し、有無を言わせぬ響きを孕んだ。Ωを組み敷く衝動を滲ませた声音に、背筋がぞくりと粟立つ。
支配される喜びを覚える自分に呆れつつ、裕介は強請ることをやめられなかった。
「ジェイド、もっと……」
裕介はジェイドの後頭部に手を回し、引き寄せる。ジェイドとのキスに裕介は文字通り、溺れた。
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白(しろ)
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神様曰く、これはお節介らしい。
僕の身体は運が悪くとても脆く出来ていた。心臓の部分が。だからそろそろダメかもな、なんて思っていたある日の夢で僕は健康な身体を手に入れていた。
けれどそれは僕の身体じゃなくて、まるで天使のように綺麗な顔をした人の身体だった。
どうせ夢だ、すぐに覚めると思っていたのに夢は覚めない。それどころか感じる全てがリアルで、もしかしてこれは現実なのかもしれないと有り得ない考えに及んだとき、頭に鈴の音が響いた。
「お節介を焼くことにした。なに心配することはない。ただ、成り代わるだけさ。お前が欲しくて堪らなかった身体に」
神様らしき人の差配で、僕は僕じゃない人物として生きることになった。
これは健康な身体を手に入れた僕が、好きなように生きていくお話。
本編は三人称です。
R−18に該当するページには※を付けます。
毎日20時更新
登場人物
ラファエル・ローデン
金髪青眼の美青年。無邪気であどけなくもあるが無鉄砲で好奇心旺盛。
ある日人が変わったように活発になったことで親しい人たちを戸惑わせた。今では受け入れられている。
首筋で脈を取るのがクセ。
アルフレッド
茶髪に赤目の迫力ある男前苦労人。ラファエルの友人であり相棒。
剣の腕が立ち騎士団への入団を強く望まれていたが縛り付けられるのを嫌う性格な為断った。
神様
ガラが悪い大男。
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