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19 裕介、囚われの身になる
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「……へ、くしっ」
くしゃみとともに裕介は目を覚ました。
あたりは薄暗い。
背中の感触からして、どうやらベッドに寝かされているようだ。
首から下は暖かい毛布に包まれているが、鼻先は冷えて感覚がなくなっている。
(ここは一体……?)
暗闇に目が慣れ、顔を傾けた瞬間、うなじに突き刺すような痛みが走った。
「いってえ……」
首の付け根を撫でながら、裕介は直前までの記憶を辿る。
自室でヴィクトルに番にならないかと口説かれ、断ったら、問答無用で攻撃された。
「あの馬鹿皇子、手加減しろっての……」
バキバキに凝り固まった身体を解しながら、起き上がり、部屋を見回した。
すると、
「なんだ、あれ……?」
壁の一部がほのかに光っている。
楕円形の鏡だ。表面が白く輝いている。恐る恐る近づき、眩しさに目を細めながら、表面を覗き込んだ。
しばらくすると、裕介の顔ではなく、ジェイドとヴィクトルの横顔が現れた。
ジェイドはしかめ面で直立し、対するヴィクトルは重厚な机を挟んで、ジェイドを見上げている。
鏡のなかの室内、正面の壁に、見覚えのある絵画が飾られていた。
どこだったか……。
「そうだ。騎士団長の執務室だ。……てことは、これ、モニターみたいなものなのか?」
滑らかな表面に指を滑らせた、その時――。
『ヴィクトル様。ユースケの居場所に心当たりはございませんか?』
ジェイドの声が鏡から聞こえ、裕介は肩を跳ね上げた。
「ジェイドさん! 俺はここにいますっ」
もしやこちらの声も届くのではと、期待に胸を膨らませ、楕円形の額縁を掴んだ。
しかし、ジェイドは裕介の声に反応せず、横を向いたままである。
一方通行かよ、と裕介は悪態をついた。
『何度も知らんと言っているだろう……お前に愛想を尽かして出て行ったのではないか』
ヴィクトルは机に肘をついて指を組み、のんびりと答える。
『……彼は碌に外の世界を知らないのですよ。そう簡単に出て行くとは思えません』
『番持ちではないΩは気まぐれな猫のようなもの。いくら大切に愛でていても飽きれば他のαに靡いてしまうものだ』
『彼はこの世界の者ではありません。Ωである以前に、思慮深い男です』
なんの伝手もなく、安全な場所を去るとは思えません。
ジェイドの反論に、ヴィクトルは肩をすくめた。
『だが施設内は隈なく捜索したのだろう。であれば、施設の外に逃げたと考えるのが妥当ではないか? そもそも、なぜ俺に麗しの災厄殿の居場所を聞く?』
自信満々な様子からして、ヴィクトルは裕介を連れ去った痕跡を残していないのだろう。
眉間に力を込めるジェイドの姿が、証拠のなさを物語っている。
裕介は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
(無茶をすれば、ジェイドの立場が悪くなる。お願いだから、引き際は間違えないでくれ)
騎士団は上下関係に厳しい。騎士団のトップであるヴィクトルの機嫌を損ねれば、ナンバーツーのジェイドといえどタダではすむまい。
重苦しい沈黙が執務室に漂う。
『……捜索は続行します。何かお気づきになったことがございましたら、ご助言お願いいたします』
ジェイドが厳しい表情で敬礼すると、ヴィクトルは満足したように微笑んだ。
『もちろんだとも。俺とて彼と親交を深めたいのだ……早々に見つかることを願っている』
ジェイドはそれ以上粘ることはなかった。
裕介は安堵し、彼の背中を見送ったが、同時に、落胆していた。
(危険は冒してほしくない。けど、あっさり引き下がった彼に、寂しさも感じてるんだよな……こういうのメンヘラって言うんだっけ)
裕介はヴィクトルの横顔を鏡越しに睨みつける。
「くそっ……」
楕円形の鏡に拳を叩きつけた。鏡は硬く、裕介は手の痛みに背中を丸める。
『おいおい、最新の魔導具に傷をつけるでない』
画面越しにヴィクトルと目が合った。
裕介は自身の背後を振り返る。薄暗い部屋には自分以外、人はいない。
ヴィクトルは裕介と会話しているのだ。
『驚いただろ。離れた相手と話すことができるのだ』
「俺の声が聞こえるのか……?」
『ああ。さきほどの可愛らしい罵倒も聞こえていたぞ』
ではなぜ裕介が叫んだとき、ジェイドは反応しなかったのか。ヴィクトルは得意げに告げた。
『双方の映像や音声を、一方的に流すことも可能なのだ……稀に見る優れ物であろう』
つまりテレビやスマホと同じ機能をもつ鏡、ということらしい。
消音魔法の施された軍服といい、金に物を言わせてやりたい放題な皇子様である。
『しかしだ。ジェイドのやつ、これほどあっさり引き下がるとはな。お前に執着していると踏んでいたのだが……珍しく俺の勘が外れたか?』
つまらん、とヴィクトルは呟いた。
拗ねる子どものような言動に、裕介は違和感を覚える。
(この人、やることなすことめちゃくちゃだけど、もっとこう、賢い人だよな……)
ヴィクトルは観察眼に優れ、他者の心理を読み取ることに長けている。その点はジェイドも一目置いていた。
そんな彼が皇太子の立場でありながら、馬鹿げた誘拐劇を計画、実行するだろうか。
(俺の部屋で番になれって言った後、妙に饒舌だったのも、なんか引っかかるんだよなぁ)
青く澄んでいた瞳が暗い色を帯びるにつれ、ヴィクトルは、熱のこもった演説を繰り広げていた。
(もしかして、【災厄のΩ】は、人を狂わせるフェロモンを出してるんじゃないか?)
それが真実だったとして、あなたはフェロモンでおかしくなっています。正気に戻ってくださいと、説得するための証拠がない。
(ヴィクトルがおかしくなった原因は、この際置いておいて……十中八九、俺を番にするために閉じ込めたんだよな。分かりきってるけど、確認しておくか)
「あの、殿下。ひとつお聞きしてもよろしいでしょうか」
『ふむ。意外と冷静なのだな。発言を許そう』
「殿下はなぜ俺を、ここに閉じ込めたんですか?」
『もちろん、お前を俺の番にするためだ』
「……俺が発情期になるまで、お待ちになる、ということですか」
『その必要はない。発情期を誘発する道具はいくらでもあるからな……お前はよく知っているであろう』
先日、敵の手で発情期に陥ったジェイドを目の当たりにした。無理矢理引き起こされた発情期には苦痛が伴う。
想像するだけで、身体が震えた。
「……どうしてそこまで、俺に拘るんですか?」
一国の皇太子であれば、美男美女、選り取り見取りなはずだ。お世辞にも容姿が優れているとは言えない自分をなぜ選ぶのか。
「【災厄のΩ】が物珍しいからですか? それにしても、誘拐なんて、リスクが高すぎませんか?」
『質問はひとつであろう。ふたつまでは大目に見てやったが、あまり調子に乗るでないぞ』
これ以上情報は引き出せない。焦りが裕介を大胆にさせた。
「こんなことしたら、ジェイドさんを苦しめることになりますよ」
尊敬する異母兄に裏切られたと知ったら、ジェイドはどんなに傷つくことか。
(俺だったら弟を悲しませるようなことは絶対しない)
『……彼奴が俺を尊敬しているだと。疎ましく思っているの間違いではないか』
ヴィクトルは見たこともないほど、頬を引きつらせている。
(そうか)
彼は裕介を餌に、ジェイドの気を引きたいのだ。呆れると同時に言いようのない苛立ちが募った。
「ジェイドさんは殿下を尊敬しています。殿下の行動に頭を悩ませてることもあるみたいだけど……でも憎いとか、そんなことは思ってませんよ、きっと」
『随分と、異母弟を買ってくれてるのだな』
まるでこちらに歩み寄ろうとしないヴィクトルに、裕介は我慢できなくなった。
「……弟を困らせて何が楽しい?」
『ほう。言うではないか。だが勘違いしてもらっては困る。俺は彼奴の化けの皮を剥がしたいだけなのだ』
「化けの皮? 格好つけてないで、弟に振り向いてもらいたいって、そう言えばいいだろう――」
裕介が言い放つや否や、ヴィクトルの口元から表情が消えた。同時に、裕介も自身の言葉にハッとする。
(俺も同じじゃないか……)
ジェイドがなぜ番契約を急いだのか。その時は深く考えなかったが、今なら判る。
ヴィクトルから裕介を守るためだ。
その可能性を考えず、裕介はジェイドを拒絶し、あまつさえ、自身の気持ちを優先してくれないと拗ねた。へそを曲げれば、ジェイドはそのうち折れて、裕介に合わせてくれる。
そう期待して。
好意を逆手に取った誘導。
意識はしていない。無意識の行動に、裕介は血の気が引いた。
(何が年下には甘えたくないだ……充分、彼の好意に甘えているじゃないか)
『偉そうな口を利いているが、お前は彼奴を信用せず、俺に隙を見せたのだぞ……!』
声を荒げるヴィクトルに言い返せず、裕介は唇を噛みしめた。
『まあいい。今しばらくそこで頭を冷やせ』
そう言い残し、ヴィクトルの姿は消えた。代わりに鏡には裕介のやつれた顔が映っている。
「くそっ、どうすれば……」
暗い部屋で蹲っていても、ヴィクトルの思う壺だ。
(なんとかここから脱出して、ジェイドに謝らないと……)
落ちこんでいる暇はない。両手で頬を叩き、活を入れる。
やれることを探せ。
絶望するのはそれからでも遅くはないのだから。
ヴィクトルとの通信が途切れてすぐに、裕介は動き出した。
室内にはベッド以外に調度品の類はない。それだけでなく。
「出入り口がないってどうなってるんだ、この部屋」
周囲は石造りの壁である。完全なる密室だ。
いや、出口がないわけではない。
窓がひとつある。窓枠は肩幅ほどあり、十分通り抜けられそうだ。
腰の高さにあるそれを、裕介は開け放った。瞬間、突風が顔に当たり、息が詰まる。風がおさまり、改めて窓の外に視線をやった。
その光景に裕介は愕然とする。
「マジか……」
目の前には広大な草原が広がっており、地平線の彼方から太陽が昇ろうとしていた。
周囲に人家は見当たらない。王都からかなり離れているようだ。
ビルの上から眺めるような景色に、裕介は高い建物の上階に閉じ込められているのだと悟った。
窓の外壁は垂直である。高層ビルとまではいかないが、地上は遠い。運動が苦手な裕介が、窓から脱出することは不可能である。
「脱出できたとしても、道端で野垂れ死にそう……」
いや、頑張って探せば運よく、人と遭遇することができるかもしれない。
とりあえず脱出する手立てを考えねば。
そう己に言い聞かせ、シーツをロープ状に編んでみたり、隠し扉がないかそこら中を這いつくばったりと、必死に足掻いた。
しばらく後――。
「はあ、はあ……くそう」
裕介は床に脚を投げ出し、上半身を起こしたまま天井を仰ぎ見る。
くまなく部屋を捜索した結果、窓以外の出口は見つからなかった。
窓からシーツで作ったロープを垂らしてみるも、長さが足りない。
それにいくら軽いとはいえ、即席ロープでは、成人男性である裕介の体重を支えるには心もとない。
はあと息を吐き出した途端、胃がぐぎゅぎゅぎゅぎゅ……と空腹を訴える。
(俺、どれぐらい気絶してたんだ……あ――、腹減った)
天井を向いたまま大の字に倒れ込む。
ヴィクトルの悪事が白日の下に晒されるまで、持ちこたえられるだろうか。
あと何日、いや何週間、この密室にいなければならない?
気が遠くなった矢先――。
キイイン、キイイン。
耳鳴りまでし始めた。
偏頭痛かと思いきや、頭蓋骨を締めつけられる、お馴染みの痛みは感じない。
(これは、剣と剣がぶつかり合う音……?)
異世界では聞き慣れた生活音に、裕介は耳をすます。金属音に人の声が重なった。それも聞き慣れた二人の声。
脚をもつれさせながら急いで窓に近づく。外を見下ろし、裕介は目を見開いた。
くしゃみとともに裕介は目を覚ました。
あたりは薄暗い。
背中の感触からして、どうやらベッドに寝かされているようだ。
首から下は暖かい毛布に包まれているが、鼻先は冷えて感覚がなくなっている。
(ここは一体……?)
暗闇に目が慣れ、顔を傾けた瞬間、うなじに突き刺すような痛みが走った。
「いってえ……」
首の付け根を撫でながら、裕介は直前までの記憶を辿る。
自室でヴィクトルに番にならないかと口説かれ、断ったら、問答無用で攻撃された。
「あの馬鹿皇子、手加減しろっての……」
バキバキに凝り固まった身体を解しながら、起き上がり、部屋を見回した。
すると、
「なんだ、あれ……?」
壁の一部がほのかに光っている。
楕円形の鏡だ。表面が白く輝いている。恐る恐る近づき、眩しさに目を細めながら、表面を覗き込んだ。
しばらくすると、裕介の顔ではなく、ジェイドとヴィクトルの横顔が現れた。
ジェイドはしかめ面で直立し、対するヴィクトルは重厚な机を挟んで、ジェイドを見上げている。
鏡のなかの室内、正面の壁に、見覚えのある絵画が飾られていた。
どこだったか……。
「そうだ。騎士団長の執務室だ。……てことは、これ、モニターみたいなものなのか?」
滑らかな表面に指を滑らせた、その時――。
『ヴィクトル様。ユースケの居場所に心当たりはございませんか?』
ジェイドの声が鏡から聞こえ、裕介は肩を跳ね上げた。
「ジェイドさん! 俺はここにいますっ」
もしやこちらの声も届くのではと、期待に胸を膨らませ、楕円形の額縁を掴んだ。
しかし、ジェイドは裕介の声に反応せず、横を向いたままである。
一方通行かよ、と裕介は悪態をついた。
『何度も知らんと言っているだろう……お前に愛想を尽かして出て行ったのではないか』
ヴィクトルは机に肘をついて指を組み、のんびりと答える。
『……彼は碌に外の世界を知らないのですよ。そう簡単に出て行くとは思えません』
『番持ちではないΩは気まぐれな猫のようなもの。いくら大切に愛でていても飽きれば他のαに靡いてしまうものだ』
『彼はこの世界の者ではありません。Ωである以前に、思慮深い男です』
なんの伝手もなく、安全な場所を去るとは思えません。
ジェイドの反論に、ヴィクトルは肩をすくめた。
『だが施設内は隈なく捜索したのだろう。であれば、施設の外に逃げたと考えるのが妥当ではないか? そもそも、なぜ俺に麗しの災厄殿の居場所を聞く?』
自信満々な様子からして、ヴィクトルは裕介を連れ去った痕跡を残していないのだろう。
眉間に力を込めるジェイドの姿が、証拠のなさを物語っている。
裕介は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
(無茶をすれば、ジェイドの立場が悪くなる。お願いだから、引き際は間違えないでくれ)
騎士団は上下関係に厳しい。騎士団のトップであるヴィクトルの機嫌を損ねれば、ナンバーツーのジェイドといえどタダではすむまい。
重苦しい沈黙が執務室に漂う。
『……捜索は続行します。何かお気づきになったことがございましたら、ご助言お願いいたします』
ジェイドが厳しい表情で敬礼すると、ヴィクトルは満足したように微笑んだ。
『もちろんだとも。俺とて彼と親交を深めたいのだ……早々に見つかることを願っている』
ジェイドはそれ以上粘ることはなかった。
裕介は安堵し、彼の背中を見送ったが、同時に、落胆していた。
(危険は冒してほしくない。けど、あっさり引き下がった彼に、寂しさも感じてるんだよな……こういうのメンヘラって言うんだっけ)
裕介はヴィクトルの横顔を鏡越しに睨みつける。
「くそっ……」
楕円形の鏡に拳を叩きつけた。鏡は硬く、裕介は手の痛みに背中を丸める。
『おいおい、最新の魔導具に傷をつけるでない』
画面越しにヴィクトルと目が合った。
裕介は自身の背後を振り返る。薄暗い部屋には自分以外、人はいない。
ヴィクトルは裕介と会話しているのだ。
『驚いただろ。離れた相手と話すことができるのだ』
「俺の声が聞こえるのか……?」
『ああ。さきほどの可愛らしい罵倒も聞こえていたぞ』
ではなぜ裕介が叫んだとき、ジェイドは反応しなかったのか。ヴィクトルは得意げに告げた。
『双方の映像や音声を、一方的に流すことも可能なのだ……稀に見る優れ物であろう』
つまりテレビやスマホと同じ機能をもつ鏡、ということらしい。
消音魔法の施された軍服といい、金に物を言わせてやりたい放題な皇子様である。
『しかしだ。ジェイドのやつ、これほどあっさり引き下がるとはな。お前に執着していると踏んでいたのだが……珍しく俺の勘が外れたか?』
つまらん、とヴィクトルは呟いた。
拗ねる子どものような言動に、裕介は違和感を覚える。
(この人、やることなすことめちゃくちゃだけど、もっとこう、賢い人だよな……)
ヴィクトルは観察眼に優れ、他者の心理を読み取ることに長けている。その点はジェイドも一目置いていた。
そんな彼が皇太子の立場でありながら、馬鹿げた誘拐劇を計画、実行するだろうか。
(俺の部屋で番になれって言った後、妙に饒舌だったのも、なんか引っかかるんだよなぁ)
青く澄んでいた瞳が暗い色を帯びるにつれ、ヴィクトルは、熱のこもった演説を繰り広げていた。
(もしかして、【災厄のΩ】は、人を狂わせるフェロモンを出してるんじゃないか?)
それが真実だったとして、あなたはフェロモンでおかしくなっています。正気に戻ってくださいと、説得するための証拠がない。
(ヴィクトルがおかしくなった原因は、この際置いておいて……十中八九、俺を番にするために閉じ込めたんだよな。分かりきってるけど、確認しておくか)
「あの、殿下。ひとつお聞きしてもよろしいでしょうか」
『ふむ。意外と冷静なのだな。発言を許そう』
「殿下はなぜ俺を、ここに閉じ込めたんですか?」
『もちろん、お前を俺の番にするためだ』
「……俺が発情期になるまで、お待ちになる、ということですか」
『その必要はない。発情期を誘発する道具はいくらでもあるからな……お前はよく知っているであろう』
先日、敵の手で発情期に陥ったジェイドを目の当たりにした。無理矢理引き起こされた発情期には苦痛が伴う。
想像するだけで、身体が震えた。
「……どうしてそこまで、俺に拘るんですか?」
一国の皇太子であれば、美男美女、選り取り見取りなはずだ。お世辞にも容姿が優れているとは言えない自分をなぜ選ぶのか。
「【災厄のΩ】が物珍しいからですか? それにしても、誘拐なんて、リスクが高すぎませんか?」
『質問はひとつであろう。ふたつまでは大目に見てやったが、あまり調子に乗るでないぞ』
これ以上情報は引き出せない。焦りが裕介を大胆にさせた。
「こんなことしたら、ジェイドさんを苦しめることになりますよ」
尊敬する異母兄に裏切られたと知ったら、ジェイドはどんなに傷つくことか。
(俺だったら弟を悲しませるようなことは絶対しない)
『……彼奴が俺を尊敬しているだと。疎ましく思っているの間違いではないか』
ヴィクトルは見たこともないほど、頬を引きつらせている。
(そうか)
彼は裕介を餌に、ジェイドの気を引きたいのだ。呆れると同時に言いようのない苛立ちが募った。
「ジェイドさんは殿下を尊敬しています。殿下の行動に頭を悩ませてることもあるみたいだけど……でも憎いとか、そんなことは思ってませんよ、きっと」
『随分と、異母弟を買ってくれてるのだな』
まるでこちらに歩み寄ろうとしないヴィクトルに、裕介は我慢できなくなった。
「……弟を困らせて何が楽しい?」
『ほう。言うではないか。だが勘違いしてもらっては困る。俺は彼奴の化けの皮を剥がしたいだけなのだ』
「化けの皮? 格好つけてないで、弟に振り向いてもらいたいって、そう言えばいいだろう――」
裕介が言い放つや否や、ヴィクトルの口元から表情が消えた。同時に、裕介も自身の言葉にハッとする。
(俺も同じじゃないか……)
ジェイドがなぜ番契約を急いだのか。その時は深く考えなかったが、今なら判る。
ヴィクトルから裕介を守るためだ。
その可能性を考えず、裕介はジェイドを拒絶し、あまつさえ、自身の気持ちを優先してくれないと拗ねた。へそを曲げれば、ジェイドはそのうち折れて、裕介に合わせてくれる。
そう期待して。
好意を逆手に取った誘導。
意識はしていない。無意識の行動に、裕介は血の気が引いた。
(何が年下には甘えたくないだ……充分、彼の好意に甘えているじゃないか)
『偉そうな口を利いているが、お前は彼奴を信用せず、俺に隙を見せたのだぞ……!』
声を荒げるヴィクトルに言い返せず、裕介は唇を噛みしめた。
『まあいい。今しばらくそこで頭を冷やせ』
そう言い残し、ヴィクトルの姿は消えた。代わりに鏡には裕介のやつれた顔が映っている。
「くそっ、どうすれば……」
暗い部屋で蹲っていても、ヴィクトルの思う壺だ。
(なんとかここから脱出して、ジェイドに謝らないと……)
落ちこんでいる暇はない。両手で頬を叩き、活を入れる。
やれることを探せ。
絶望するのはそれからでも遅くはないのだから。
ヴィクトルとの通信が途切れてすぐに、裕介は動き出した。
室内にはベッド以外に調度品の類はない。それだけでなく。
「出入り口がないってどうなってるんだ、この部屋」
周囲は石造りの壁である。完全なる密室だ。
いや、出口がないわけではない。
窓がひとつある。窓枠は肩幅ほどあり、十分通り抜けられそうだ。
腰の高さにあるそれを、裕介は開け放った。瞬間、突風が顔に当たり、息が詰まる。風がおさまり、改めて窓の外に視線をやった。
その光景に裕介は愕然とする。
「マジか……」
目の前には広大な草原が広がっており、地平線の彼方から太陽が昇ろうとしていた。
周囲に人家は見当たらない。王都からかなり離れているようだ。
ビルの上から眺めるような景色に、裕介は高い建物の上階に閉じ込められているのだと悟った。
窓の外壁は垂直である。高層ビルとまではいかないが、地上は遠い。運動が苦手な裕介が、窓から脱出することは不可能である。
「脱出できたとしても、道端で野垂れ死にそう……」
いや、頑張って探せば運よく、人と遭遇することができるかもしれない。
とりあえず脱出する手立てを考えねば。
そう己に言い聞かせ、シーツをロープ状に編んでみたり、隠し扉がないかそこら中を這いつくばったりと、必死に足掻いた。
しばらく後――。
「はあ、はあ……くそう」
裕介は床に脚を投げ出し、上半身を起こしたまま天井を仰ぎ見る。
くまなく部屋を捜索した結果、窓以外の出口は見つからなかった。
窓からシーツで作ったロープを垂らしてみるも、長さが足りない。
それにいくら軽いとはいえ、即席ロープでは、成人男性である裕介の体重を支えるには心もとない。
はあと息を吐き出した途端、胃がぐぎゅぎゅぎゅぎゅ……と空腹を訴える。
(俺、どれぐらい気絶してたんだ……あ――、腹減った)
天井を向いたまま大の字に倒れ込む。
ヴィクトルの悪事が白日の下に晒されるまで、持ちこたえられるだろうか。
あと何日、いや何週間、この密室にいなければならない?
気が遠くなった矢先――。
キイイン、キイイン。
耳鳴りまでし始めた。
偏頭痛かと思いきや、頭蓋骨を締めつけられる、お馴染みの痛みは感じない。
(これは、剣と剣がぶつかり合う音……?)
異世界では聞き慣れた生活音に、裕介は耳をすます。金属音に人の声が重なった。それも聞き慣れた二人の声。
脚をもつれさせながら急いで窓に近づく。外を見下ろし、裕介は目を見開いた。
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登場人物
ラファエル・ローデン
金髪青眼の美青年。無邪気であどけなくもあるが無鉄砲で好奇心旺盛。
ある日人が変わったように活発になったことで親しい人たちを戸惑わせた。今では受け入れられている。
首筋で脈を取るのがクセ。
アルフレッド
茶髪に赤目の迫力ある男前苦労人。ラファエルの友人であり相棒。
剣の腕が立ち騎士団への入団を強く望まれていたが縛り付けられるのを嫌う性格な為断った。
神様
ガラが悪い大男。
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