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2 騎士ジェイド、αとΩについて説明する
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「遅刻するっ!……って、ここ、俺の部屋じゃない……よな?」
飛び起きた裕介は眼鏡を探し、ベッドの傍ら、サイドテーブルを手探りする。
探し物は見つかったが、ツルの部分が歪んでしまっていた。
ないよりはマシな眼鏡をかけ、室内を見回す。
あたたかみのある木目調の天井や壁紙は、自室の殺風景さとは似ても似つかない内装だ。
ベッドの反対側には暖炉があり、薪のはぜる音がやたら大きく聞こえる。
揺らめく炎をぼんやり眺めていると、部屋の扉が開いた。
「気分はどうだ?」
銀髪の青年が口の端を緩ませる。
ラフなシャツとパンツ姿の彼は椅子を引き寄せ、裕介の顔をのぞき込んだ。凛々しい目元が印象的で、灰色の瞳は吸い込まれそうな輝きを放っている。若さ溢れる視線が目に毒だ。
思わず目を逸らしてしまった。
「取って食うつもりはない。俺はジェイド・グノーシュ。ローリア王国騎士団、副騎士団長だ。ここは騎士団施設の客間。貴殿に危害を加える者はいないから、安心しろ」
銀髪の青年は裕介を安心させるよう、明るく笑う。
裕介は気を失う前の出来事を思い出した。
満員電車で痴漢に間違われ、ヤケクソで線路に飛び込んだ。
気がついたら大勢の人間に囲まれてて――。
(そうだ。俺、殺されそうになったんだ)
青年――ジェイドは裕介の命の恩人だ。
「……あの、その節は助けていただきありがとうございました」
「召喚されて早々、命を落とすところだったんだ。倒れるのも無理はない」
ジェイドは同情するように眉尻を下げた。
言葉遣いは大人びているが、声の張りや肌艶からして、ジェイドは裕介より、うんと若い。
一回り以上は離れているだろう年下に気を遣われ、裕介はいたたまれなくなった。
(落ち込んでる場合じゃないな。とりあえず現状確認するか)
「ここは一体?」
「騎士団施設だ」
「えっと……」
どう質問すればいいのか考えあぐねていると、ジェイドは「説明が大雑把すぎたな」と仕切り直した。
「騎士団施設があるのは、グロリス大陸の東に位置する大国、ローリア王国内だ」
「と言われましても……」
(そんな国や大陸名、聞いたことないぞ)
やはりというか本当に異世界にきてしまったのだ。フィクションであれば簡単に受け入れられるが、興奮が収まった今、我が身に降り掛かった出来事としては消化しきれない。
「そもそも俺はなんでこの世界に呼ばれたんだ?」
「花嫁候補としてだが」
裕介の独り言を、ジェイドは律儀に拾った。灰色の瞳がなんでも聞いてくれと言わんばかりに、裕介を待ち構えている。
「……そういえば、王様は俺のこと、花嫁って呼んでましたね」
「ヴィクトル殿下の花嫁を召喚するのが、今回の儀式の目的だからな」
「……ヴィクトル殿下は男性、ですよね?」
「そうだ」
「俺も男なんだけど」
ジェイドは首を傾げる。
「Ωに目覚めた貴殿が、αであるヴィクトル様と番になるのは、ごく自然な流れだ。まあそれも貴殿が【災厄】だったせいで、破談になったがな」
「同性で結婚……」
性嗜好は人それぞれだ。
しかし王族ともなれば後継者作りは必須なはずで、わざわざ男を花嫁に選ぶ意味が理解できない。
「貴殿の世界にはαとΩは存在しないのか」
「はじめて耳にしました」
召喚直後、大広間には裕介を歓迎する空気が満ちていた。しかし国王が裕介を【災厄のΩ】と宣言するなり、状況は一変する。
振り下ろされた剣の切っ先を思い出すと、身体が震えた。裕介はベッドの上で膝を抱える。
「【災厄のΩ】って何なんだ……」
「まずαとΩについて知る必要がある。……顔色が悪いな。日を改めるか」
「いえ、ぜひこのまま話を聞かせてください」
「貴殿は病み上がりなんだ。無理をするな」
「寝ていれば大丈夫です。ジェイドさんのご都合がよろしければ、説明をお願いします」
わけがわからないまま命を狙われたくはない。裕介は椅子に座るジェイドへ身を乗り出した。
「話してやるから、横になれ」
ジェイドに促され、裕介はベッドに潜り込んだ。
ジェイド曰く、ローリア王国が位置するグロリス大陸では、男女の性の他に、αとΩという特殊な性に目覚める者がいるという。
「αはΩを孕ませることができる。……そこに男女の別はない」
「つまり、男のΩは、子どもを産めるってこと……?」
頷くジェイドに、裕介は頭が真っ白になった。男が妊娠できる世界。ファンタジーにもほどがある。
「つまり俺はヴィクトル殿下の子どもを産むために召喚されたのか……」
「理解が早いな」
人生をやり直すどころではない。完全に詰んでいる。
「続けても平気か?」
ジェイドは絶句する裕介の顔を覗き込んだ。こちらから願い出たのだ。あとには引けない。
裕介は唇を引き結び頷いた。
「αとして目覚めるのは、王族や貴族たちだ。一方でΩ性を発現する者の身分は様々だ。異世界人も例外ではない。貴殿はΩの素質があるため召喚され、見事覚醒した」
ジェイドは腕を組み、「だがな」と難しい顔で付け加える。
「貴殿はΩでも【災厄】のΩだ。特に王族αとは相性が悪い」
「相性……?」
「αとΩは特殊なフェロモンでお互い惹かれ合う。αは複数のΩと番うことが可能だ。一方でΩは生涯ただ一人のαとのみ、番うことができるんだ」
話の終着点が掴めない。
眉間にシワを寄せる裕介に、ジェイドは苦笑した。
「ローリアでは、巨大なハーレムを築くことが、そのまま権力の大きさに直結する。だからαたちはΩを囲うことに躍起になっている」
より多くの子孫を残せる者が偉いなんて。
恋愛沙汰から長く離れている裕介には、野蛮な世界のように感じられた。
「まさか、俺もそのハーレムに加えられるところだったんですか?」
「いや、ヴィクトル様は現在、番をお持ちでない。貴殿が殿下の第一妃になる予定だったのだ」
それはそれで複雑だ。
ハーレムの筆頭に選ばれなくてホッとした。
そこでふと、疑問が脳裏をよぎる。
「召喚って、気軽にするものなんですか?」
自国でΩを探すほうが手っ取り早いはずだ。わざわざ違う世界から人を呼ぶなんて、コストが掛かりすぎる。
「いや、魔力の消耗が激しいから、そう何度もできるものではない。次に儀式ができるのは数年後になるだろう」
案の定、国を上げての一大事業だった。
「そんなリスクをとってまで、召喚するメリットってなんですか?」
「リスク? メリット?」
ジェイドは真顔で裕介に尋ねた。
「あ……、大掛かりな儀式をしてまで俺を呼んだ理由が想像できなくて」
「……異世界から招かれた者がΩに目覚めると、より優秀なαを産むと信じられているからだ。迷信の域をでないと俺は個人的には思っているがな」
ジェイドの見解はさておき、多大な労力を割いてまで呼んだ花嫁候補を、あっさり切り捨てるとは。
【災厄】のΩはローリア王国にとって、かなり都合の悪い存在らしい。
「結局、俺がヴィクトル殿下のお相手に選ばれなかったのはなぜですか? いや、別に結婚したかったわけじゃないけど」
問答無用で殺されそうになれば、誰だって理由は知りたくなるものだ。
「【災厄】のΩが放つフェロモンは、αにハーレムを作ることを許さない」
「というと」
「簡単な話だ。【災厄】のΩと番ってしまえば、αは他のΩを孕ませることができない」
つまり裕介を受け入れてしまうと、皇太子ヴィクトルは裕介以外と子づくりができなくなるのだ。
(なんだそれ。そんな理由で俺、殺されかけたの? ……アホくさ)
脱力感に襲われ、裕介は天井を見上げた。
「こちらの事情で無礼を働き、申し訳ない」
「ジェイドさんは悪くないでしょ」
頭を下げるジェイドに、裕介は笑いかけた。
もし裕介が王族の望むΩであったら、知らない男と結婚させられていたのだ。
ジェイドに助けられたのは不幸中の幸いであるといえる。
とはいえ、これからどうしたものか。
「俺、元の世界に戻してもらえるんですかね」
「……異世界の花嫁が元の世界に戻った記録はない」
「呼ばれた人は全員、帰りたがらなかったんでしょうか?」
ローリア王国は住みやすいところなのかもしれない。期待したが、ジェイドは精悍な顔を曇らせる。
「王族に嫁げば、Ωは王宮から出ることは叶わない」
帰りたくない、ではなく、帰れないだった。
「立派な監禁だろ、それ」
「そうとも言えるな」
ジェイドは肩をすくめた。
諦めを孕んだ表情は、堂々とした彼には似合わない。
ジェイドは裕介が殺されそうになった時、庇ってくれた。もしかしたらこの国のΩに対する扱いに納得していないのかもしれない。
(騎士のイメージそのまんまで、正義感が強そうだもんな……)
「異世界出身のΩは優秀なαを産む傾向にあると言っただろう。他国においても同様だ。そのため監視の目はどうしても厳しくなる。【災厄】である貴殿も例外ではない」
「……俺も自由にさせてはもらえないってことですか?」
用済みとばかりに殺そうとしたくせに、いくらなんでもそれは横暴というものだ。
「貴殿は俺が責任をもって守る。騎士の名において誓おう」
ジェイドは裕介の髪に指を滑らせた。慈愛に満ちた視線を受け、裕介は年甲斐もなく頬が熱くなる。シーツを顎下までひっぱり顔を隠す。
「お、おっさんに優しくしても、何にも出ないぞ」
「そんなことはない。貴殿からは、かぐわしい香りがする」
ジェイドは裕介の首筋に鼻を近づけ、うっとりと目を細めた。
自分でシャツの襟元を嗅いでみたが、汗臭さに鼻が曲がりそうになる。
(加齢臭をフェロモンと間違えてないだろうな……)
ジェイドは変わった嗅覚の持ち主のようである。
(待てよ。αとΩはお互いを惹きつけるフェロモンを出しているんだよな)
裕介は間近に迫ったジェイドと目を合わせる。
淡い灰色の瞳に魅入った直後、彼から甘い香りが漂い、裕介の心臓を締め付けた。
(いやいや俺、どうしちゃったんだ。これもΩになったせいなのか)
経験したことのない昂ぶりが身体中を駆け巡っていた。フェロモンと呼ぶのも道理だ。
「……ジェイドさんはもしかして、αですか?」
「ああ。騎士団にも何人かいるぞ。心配するな。この部屋にαの騎士は近寄らせない」
裕介的にはαであるジェイドの訪問もお断りしたいところである。しかし命の恩人を無下にすることはできない。
「Ωは等しくαに庇護されるべき存在だ」
ジェイドは灰色の瞳を自信満々に煌めかせ、請け負った。頼もしい限りである。
右も左も分からない異世界では、ジェイドが生命線だ。
現時点では、彼を信用するしかない。
「貴殿の場合、まずは体力を回復させることに集中しろ。治療師に診てもらったが、身体の損傷が激しいぞ。貴殿は奴隷だったのか? 特に内臓はひどいそうだ」
「ハハ……」
「笑い事ではない。今、貴殿に必要なのは休息だ」
異世界に来る前から度重なるストレスに襲われていたのだ。さもありなんと苦笑する裕介をジェイドは表情を固くして諫める。 社会人になってこの方、身内以外に体調を心配されることはなかったので、どう反応すればいいのか戸惑う。
「今日はここまでだ。続きは明日にしよう」
大きな手が裕介の額を包み込んだ。温かいぬくもりに、瞼が勝手に閉じてしまう。
誰かに甘えたいと願ったが、いざ優しくされると落ち着かない。
とはいえ、ジェイドの言う通り、体力を回復させることが先決だ。
ここには次から次へと押し寄せる仕事は存在しない。
裕介は思う存分、惰眠をむさぼることにした。
飛び起きた裕介は眼鏡を探し、ベッドの傍ら、サイドテーブルを手探りする。
探し物は見つかったが、ツルの部分が歪んでしまっていた。
ないよりはマシな眼鏡をかけ、室内を見回す。
あたたかみのある木目調の天井や壁紙は、自室の殺風景さとは似ても似つかない内装だ。
ベッドの反対側には暖炉があり、薪のはぜる音がやたら大きく聞こえる。
揺らめく炎をぼんやり眺めていると、部屋の扉が開いた。
「気分はどうだ?」
銀髪の青年が口の端を緩ませる。
ラフなシャツとパンツ姿の彼は椅子を引き寄せ、裕介の顔をのぞき込んだ。凛々しい目元が印象的で、灰色の瞳は吸い込まれそうな輝きを放っている。若さ溢れる視線が目に毒だ。
思わず目を逸らしてしまった。
「取って食うつもりはない。俺はジェイド・グノーシュ。ローリア王国騎士団、副騎士団長だ。ここは騎士団施設の客間。貴殿に危害を加える者はいないから、安心しろ」
銀髪の青年は裕介を安心させるよう、明るく笑う。
裕介は気を失う前の出来事を思い出した。
満員電車で痴漢に間違われ、ヤケクソで線路に飛び込んだ。
気がついたら大勢の人間に囲まれてて――。
(そうだ。俺、殺されそうになったんだ)
青年――ジェイドは裕介の命の恩人だ。
「……あの、その節は助けていただきありがとうございました」
「召喚されて早々、命を落とすところだったんだ。倒れるのも無理はない」
ジェイドは同情するように眉尻を下げた。
言葉遣いは大人びているが、声の張りや肌艶からして、ジェイドは裕介より、うんと若い。
一回り以上は離れているだろう年下に気を遣われ、裕介はいたたまれなくなった。
(落ち込んでる場合じゃないな。とりあえず現状確認するか)
「ここは一体?」
「騎士団施設だ」
「えっと……」
どう質問すればいいのか考えあぐねていると、ジェイドは「説明が大雑把すぎたな」と仕切り直した。
「騎士団施設があるのは、グロリス大陸の東に位置する大国、ローリア王国内だ」
「と言われましても……」
(そんな国や大陸名、聞いたことないぞ)
やはりというか本当に異世界にきてしまったのだ。フィクションであれば簡単に受け入れられるが、興奮が収まった今、我が身に降り掛かった出来事としては消化しきれない。
「そもそも俺はなんでこの世界に呼ばれたんだ?」
「花嫁候補としてだが」
裕介の独り言を、ジェイドは律儀に拾った。灰色の瞳がなんでも聞いてくれと言わんばかりに、裕介を待ち構えている。
「……そういえば、王様は俺のこと、花嫁って呼んでましたね」
「ヴィクトル殿下の花嫁を召喚するのが、今回の儀式の目的だからな」
「……ヴィクトル殿下は男性、ですよね?」
「そうだ」
「俺も男なんだけど」
ジェイドは首を傾げる。
「Ωに目覚めた貴殿が、αであるヴィクトル様と番になるのは、ごく自然な流れだ。まあそれも貴殿が【災厄】だったせいで、破談になったがな」
「同性で結婚……」
性嗜好は人それぞれだ。
しかし王族ともなれば後継者作りは必須なはずで、わざわざ男を花嫁に選ぶ意味が理解できない。
「貴殿の世界にはαとΩは存在しないのか」
「はじめて耳にしました」
召喚直後、大広間には裕介を歓迎する空気が満ちていた。しかし国王が裕介を【災厄のΩ】と宣言するなり、状況は一変する。
振り下ろされた剣の切っ先を思い出すと、身体が震えた。裕介はベッドの上で膝を抱える。
「【災厄のΩ】って何なんだ……」
「まずαとΩについて知る必要がある。……顔色が悪いな。日を改めるか」
「いえ、ぜひこのまま話を聞かせてください」
「貴殿は病み上がりなんだ。無理をするな」
「寝ていれば大丈夫です。ジェイドさんのご都合がよろしければ、説明をお願いします」
わけがわからないまま命を狙われたくはない。裕介は椅子に座るジェイドへ身を乗り出した。
「話してやるから、横になれ」
ジェイドに促され、裕介はベッドに潜り込んだ。
ジェイド曰く、ローリア王国が位置するグロリス大陸では、男女の性の他に、αとΩという特殊な性に目覚める者がいるという。
「αはΩを孕ませることができる。……そこに男女の別はない」
「つまり、男のΩは、子どもを産めるってこと……?」
頷くジェイドに、裕介は頭が真っ白になった。男が妊娠できる世界。ファンタジーにもほどがある。
「つまり俺はヴィクトル殿下の子どもを産むために召喚されたのか……」
「理解が早いな」
人生をやり直すどころではない。完全に詰んでいる。
「続けても平気か?」
ジェイドは絶句する裕介の顔を覗き込んだ。こちらから願い出たのだ。あとには引けない。
裕介は唇を引き結び頷いた。
「αとして目覚めるのは、王族や貴族たちだ。一方でΩ性を発現する者の身分は様々だ。異世界人も例外ではない。貴殿はΩの素質があるため召喚され、見事覚醒した」
ジェイドは腕を組み、「だがな」と難しい顔で付け加える。
「貴殿はΩでも【災厄】のΩだ。特に王族αとは相性が悪い」
「相性……?」
「αとΩは特殊なフェロモンでお互い惹かれ合う。αは複数のΩと番うことが可能だ。一方でΩは生涯ただ一人のαとのみ、番うことができるんだ」
話の終着点が掴めない。
眉間にシワを寄せる裕介に、ジェイドは苦笑した。
「ローリアでは、巨大なハーレムを築くことが、そのまま権力の大きさに直結する。だからαたちはΩを囲うことに躍起になっている」
より多くの子孫を残せる者が偉いなんて。
恋愛沙汰から長く離れている裕介には、野蛮な世界のように感じられた。
「まさか、俺もそのハーレムに加えられるところだったんですか?」
「いや、ヴィクトル様は現在、番をお持ちでない。貴殿が殿下の第一妃になる予定だったのだ」
それはそれで複雑だ。
ハーレムの筆頭に選ばれなくてホッとした。
そこでふと、疑問が脳裏をよぎる。
「召喚って、気軽にするものなんですか?」
自国でΩを探すほうが手っ取り早いはずだ。わざわざ違う世界から人を呼ぶなんて、コストが掛かりすぎる。
「いや、魔力の消耗が激しいから、そう何度もできるものではない。次に儀式ができるのは数年後になるだろう」
案の定、国を上げての一大事業だった。
「そんなリスクをとってまで、召喚するメリットってなんですか?」
「リスク? メリット?」
ジェイドは真顔で裕介に尋ねた。
「あ……、大掛かりな儀式をしてまで俺を呼んだ理由が想像できなくて」
「……異世界から招かれた者がΩに目覚めると、より優秀なαを産むと信じられているからだ。迷信の域をでないと俺は個人的には思っているがな」
ジェイドの見解はさておき、多大な労力を割いてまで呼んだ花嫁候補を、あっさり切り捨てるとは。
【災厄】のΩはローリア王国にとって、かなり都合の悪い存在らしい。
「結局、俺がヴィクトル殿下のお相手に選ばれなかったのはなぜですか? いや、別に結婚したかったわけじゃないけど」
問答無用で殺されそうになれば、誰だって理由は知りたくなるものだ。
「【災厄】のΩが放つフェロモンは、αにハーレムを作ることを許さない」
「というと」
「簡単な話だ。【災厄】のΩと番ってしまえば、αは他のΩを孕ませることができない」
つまり裕介を受け入れてしまうと、皇太子ヴィクトルは裕介以外と子づくりができなくなるのだ。
(なんだそれ。そんな理由で俺、殺されかけたの? ……アホくさ)
脱力感に襲われ、裕介は天井を見上げた。
「こちらの事情で無礼を働き、申し訳ない」
「ジェイドさんは悪くないでしょ」
頭を下げるジェイドに、裕介は笑いかけた。
もし裕介が王族の望むΩであったら、知らない男と結婚させられていたのだ。
ジェイドに助けられたのは不幸中の幸いであるといえる。
とはいえ、これからどうしたものか。
「俺、元の世界に戻してもらえるんですかね」
「……異世界の花嫁が元の世界に戻った記録はない」
「呼ばれた人は全員、帰りたがらなかったんでしょうか?」
ローリア王国は住みやすいところなのかもしれない。期待したが、ジェイドは精悍な顔を曇らせる。
「王族に嫁げば、Ωは王宮から出ることは叶わない」
帰りたくない、ではなく、帰れないだった。
「立派な監禁だろ、それ」
「そうとも言えるな」
ジェイドは肩をすくめた。
諦めを孕んだ表情は、堂々とした彼には似合わない。
ジェイドは裕介が殺されそうになった時、庇ってくれた。もしかしたらこの国のΩに対する扱いに納得していないのかもしれない。
(騎士のイメージそのまんまで、正義感が強そうだもんな……)
「異世界出身のΩは優秀なαを産む傾向にあると言っただろう。他国においても同様だ。そのため監視の目はどうしても厳しくなる。【災厄】である貴殿も例外ではない」
「……俺も自由にさせてはもらえないってことですか?」
用済みとばかりに殺そうとしたくせに、いくらなんでもそれは横暴というものだ。
「貴殿は俺が責任をもって守る。騎士の名において誓おう」
ジェイドは裕介の髪に指を滑らせた。慈愛に満ちた視線を受け、裕介は年甲斐もなく頬が熱くなる。シーツを顎下までひっぱり顔を隠す。
「お、おっさんに優しくしても、何にも出ないぞ」
「そんなことはない。貴殿からは、かぐわしい香りがする」
ジェイドは裕介の首筋に鼻を近づけ、うっとりと目を細めた。
自分でシャツの襟元を嗅いでみたが、汗臭さに鼻が曲がりそうになる。
(加齢臭をフェロモンと間違えてないだろうな……)
ジェイドは変わった嗅覚の持ち主のようである。
(待てよ。αとΩはお互いを惹きつけるフェロモンを出しているんだよな)
裕介は間近に迫ったジェイドと目を合わせる。
淡い灰色の瞳に魅入った直後、彼から甘い香りが漂い、裕介の心臓を締め付けた。
(いやいや俺、どうしちゃったんだ。これもΩになったせいなのか)
経験したことのない昂ぶりが身体中を駆け巡っていた。フェロモンと呼ぶのも道理だ。
「……ジェイドさんはもしかして、αですか?」
「ああ。騎士団にも何人かいるぞ。心配するな。この部屋にαの騎士は近寄らせない」
裕介的にはαであるジェイドの訪問もお断りしたいところである。しかし命の恩人を無下にすることはできない。
「Ωは等しくαに庇護されるべき存在だ」
ジェイドは灰色の瞳を自信満々に煌めかせ、請け負った。頼もしい限りである。
右も左も分からない異世界では、ジェイドが生命線だ。
現時点では、彼を信用するしかない。
「貴殿の場合、まずは体力を回復させることに集中しろ。治療師に診てもらったが、身体の損傷が激しいぞ。貴殿は奴隷だったのか? 特に内臓はひどいそうだ」
「ハハ……」
「笑い事ではない。今、貴殿に必要なのは休息だ」
異世界に来る前から度重なるストレスに襲われていたのだ。さもありなんと苦笑する裕介をジェイドは表情を固くして諫める。 社会人になってこの方、身内以外に体調を心配されることはなかったので、どう反応すればいいのか戸惑う。
「今日はここまでだ。続きは明日にしよう」
大きな手が裕介の額を包み込んだ。温かいぬくもりに、瞼が勝手に閉じてしまう。
誰かに甘えたいと願ったが、いざ優しくされると落ち着かない。
とはいえ、ジェイドの言う通り、体力を回復させることが先決だ。
ここには次から次へと押し寄せる仕事は存在しない。
裕介は思う存分、惰眠をむさぼることにした。
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剣の腕が立ち騎士団への入団を強く望まれていたが縛り付けられるのを嫌う性格な為断った。
神様
ガラが悪い大男。
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