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5.女魔王は恋を知る

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再会を喜んだのもつかの間、ラヘルの鋭い指摘に、シャルティは「ゆ、勇者息の根を止めるため、隙を窺っている最中なのだ」と語気を強めた。

 それでもラヘルは疑り深く横長の瞳を細めたまま、

「……地下の居室には陛下の御髪と血が残されておりました。見事、勇者と相討ちになられたのかと、このラヘル、貴女様の雄姿に想いを馳せていた次第です」

 しかし、この状況はどういうことなのでしょうか。

 シャルティは混乱する。
 ラヘルはまるで魔王の死を望んでいるようではないか。

穿うがちすぎね。私がなぜ勇者を仕留めようとしないのか、不思議に思っているだけよ、きっと)

 信頼してもらうには、真実を打ち明けなければ。
 首をかしげる下僕に、シャルティは事情を語った。

 シャルティの髪と血を人族の王のもとに届け、魔王は死んだと見せかけた。
 今後、人族の勇者が魔族を襲ってくることはないのだ、と。

「今、彼を殺してしまったら、新たな勇者が魔族領に送り込まれる。それは私の望むところでないのだ」

 シャルティが言葉を尽くすと、ラヘルは口をつぐみ、深々とこうべを垂れた。
 納得してくれた様子の彼に、シャルティは肩の力を抜く。忠臣であるラヘルがローレンスと殺しあうさまは見たくない。
 
 そこでふと、違和感を覚える。

(私はラヘルだけでなく、ローレンスが傷つくのも恐れているの?)

 ローレンスは魔族を、シャルティの親族すら剣のさびにした。恨みこそすれ、親愛の情を抱くのはいけない。ひとりあたふたするシャルティに、ラヘルは淡々と告げた。

「陛下には失望いたしました」
「!」

 ラヘルの足元から影が鞭のように伸びて、シャルティの足首に絡みついた。床に引きずり倒され、尻もちをつく。引きはがそうとするも、影は指をすり抜けた。

「まったく勇者ごときに骨抜きにされるとは……。やはり【無能】か」

 ラヘルはシャルティの角を掴み、乱暴に彼女を上向かせる。角輪に鼻を寄せ臭いを嗅ぎ、唸り声をあげた。

 バングルを改造した角輪の中央には、シャルティの瞳の色に合わせ、薄紫色のアメジストが嵌め込まれている。ローレンスが知り合いの鍛冶師にオーダーし、彼女に贈った特注品だ。

「……勇者めに魔族の誇りに触れることを許し、のうのうと生き恥を晒すなど愚の骨頂。父上が悲しみますぞ」
 
 長年にわたり、慰め導いてくれた青年の変わりように、シャルティは本能的に恐怖を覚えた。
 右手に握りしめていた笛を咄嗟とっさに口に含み、息を吹き込む。
 笛の先からはプスっと空気の抜ける音がした。甲高い音が鳴るものとばかり思い込んでいたシャルティは呆然とする。

 ラヘルは横長の瞳を不愉快そうに細めた。

「犬でもけしかけるおつもりですか。よもや陛下に羊扱いされる日がくるとは……」

 誤解だと口を挟む間もなく、ラヘルはシャルティの首を絞め上げる。

「か、あ、うぅ……」
「陛下。なんと嘆かわしい。勇者めの愛玩動物に堕ちてしまわれたとは。下僕たる私めが、ひと思いに父上のもとに逝かせてさしあげます」

 魔族の繁栄を願い、十年間、領土の全域に魔力を注いだ。地下牢から連れ出されても、同胞に危害が及ばないよう必死にローレンスをとりこにしようとした。
 けれどラヘルはシャルティの努力を理解しようとせず、あまつさえ軽蔑する。

(私は皆のためを思って……。)

ローレンス勇者の手に堕ちたのよ。

 喉を締め付けられる苦しさに涙があふれ、視界がぼやける。
 頬を伝うしずくを、ラヘルは白けた様子で見つめた。

「勇者の隙をつき、亡き者にしようとなさっていたそうですが……。簡単な魔術すら発動できない【無能】である陛下が、どのようにして勇者を屠るおつもりだったのです? ああ、ねや夜伽よとぎをし、寝首を掻くおつもりでしたか」

 誰もそんなことは頼んでいませんよ。

 ラヘルは滔々とうとうと語り続ける。まるでシャルティをさいなむかのように。

「何のために【無能】を生かしていたと、お思いですか? 陛下が身の丈に合わない魔力をお持ちだからです」
「だから、私は、魔力を皆に分け与えて……」
「ええ、ええ。我らのために尽くされたことには感謝いたします。魔力が底をつきかけていても生かしておいたのは、せめてもの情けでございます」
「おまえ、知っていて……」
「魔族の恥になる行いもされたことですし、この下僕めが幕引きさせていただきましょう」

 無駄話は終わりだとばかりに、ラヘルの指に力が入る。
 首の骨が軋む音に、シャルティは己を嘲笑あざわらった。

(薄々感じていたけれど……。誰も魔王としての役目を、私に期待していなかったのね)

【無能】の烙印を押されようが、魔力源として生かされていようが、願わずにはいられなかった。

 シャルティは魔族の長として、同胞に認められたかった。
 彼らの輪の中に加わりたかった。

 魔王シャルティとして、いや、それ以前に――。

 意識が遠のく。瞼の裏にローレンスの笑顔がよみがえった。その時。

 シャルティの背後、窓ガラスの割れる音とともに、一陣の風が窓から吹き込んだ。
 ローレンスは流れるように大剣を鞘走らせた。
 白く輝く刃が、喉を締め上げるラヘルの手首を両断し、シャルティは床に崩折れた。

「……忌々しい人族め」

 血が滴る手首をかばいながら、羊頭の青年はローレンスを睨みつける。ローレンスはラヘルには目もくれず、シャルティの前にしゃがみこんだ。

「ちゃんと笛を吹いてくれて嬉しいよ。怪我は……首に指の跡がついてる。あとは――」
「勇者よ、舐めた真似を」

 勇者に無視されたラヘルは目を吊り上げた。ラヘルの周囲には、影の鞭がうねうねと蠢いている。

「なんだあれ、気持ち悪いな」

 苦虫を嚙み潰したような表情をするローレンスだったが、ふと、真顔に戻る。
 嫌な予感がした。彼が真剣になる対象はただひとつ。

「よくよく見たら、あの羊クン、いい角持っているね」

 ローレンスは腕組みし、「右をもう五ミリ、ヤスリで削ってカーブを滑らかにすれば、見栄えが良くなるんじゃないか」などと、ラヘルの角を吟味し始めた。
 身体を左右に揺らし、ああでもない、こうでもないと思案するローレンスは隙だらけだ。
 対するラヘルは警戒心を解かず、切断された手首を拾い、つなぎ合わせながらローレンスに目を光らせている。

(この男、やっぱり魔族の角にしか興味がないのね)

 ローレンスは出会ったころから何も変わらない。シャルティは言いようのない胸のムカつきを覚え、つい恨みがましい声を漏らした。

「……お前は魔族だったら誰でもいいのね」
 
 口にしてから気づいた。

(ってこれじゃあ、私が拗ねているみたいじゃない)

 慌てて「違うの」と取り繕うも、遅かった。
 ローレンスは青い瞳をわんぱくに輝かせ、問いかける。

「シャルティ、もしかして妬いてるの?」
「わ、私を愚弄する気!?」
「なんでそうなるの。独占欲は誰だって持ってるから安心して」
「そうだとしても、私はお前を独り占めしたいなんて思っていない!」
「必死に否定するってことは、図星ってことなんだよ、シャルティ」

 シャルティは顔を真っ赤にした。実際ローレンスか他の魔族に目移りするのが気に食わなかったのだ。けれど素直に認めたくない。
 しどろもどろになるシャルティとは打って変わり、ローレンスは口元をほころばせた。

「君は本当に面白いね」

 ローレンスは微笑みながら、乳白色に輝く角にそっと唇を近づける。

「なっ……」

 角への口づけは生涯、忠誠を誓うことを意味する。

「お前、自分が何をしたか判っているの?」

 人族であるローレンスは知る由もないと思いきや、「死ぬまで君の下僕なんて最高じゃないか。その前に夫として認めてもらいたいところだけど。どっちにしろ・・の角を俺好みに育てることができるなら、なんにでもなるよ」と笑顔を絶やさない。

(狂っているわ)

「陛下。勇者と仲がよろしいようで……。これで心置きなく貴女様を殺めることができます」

 ラヘルが放った影の鞭を、ローレンスは指揮棒を振るごとく、大剣で薙ぎ払う。

「忌々しい聖剣め」
「自分の攻撃が効かないのを、この剣のせいにするなんて、君、弱すぎない?」

 ローレンスは次から次へと放たれる鞭を、難無く切り裂きながら、一歩、また一歩とラヘルへ近づいていく。
 対するラヘルは少しずつ後退していた。
 戦闘に疎いシャルティでさえ、予知できる。
 このままではラヘルは確実に殺されるだろう、と。

「もう限界か?」
「くっ……」

 ラヘルが繰り出した無数の影の鞭をローレンスは聖剣を大きく振りかぶり、消し飛ばす。そのままの勢いで床を蹴り、次の瞬間にはラヘルの喉元に聖剣の切っ先を突き付けた。

「やめて!」

 シャルティはラヘルの前へ飛び出した。
 ローレンスは眉をひそめる。

「……その首の跡をつけたのは、こいつだろ。殺されそうになったっていうのに、まだそいつをかばうのか?」
「私が殺されようが、お前には関係ない」
「俺、君の下僕になるって誓ったばかりなんだけど。それに俺は君の夫だ。それなのに無関係って……。へえ、そうなんだ。ふーん」

 ローレンスは見たことのないほど冷たいまなざしで、片頬をゆがめた。柔らかい微笑みを絶やさない彼にしては珍しい表情だ。
 次第に、「シャルティがそんな風に思っていたなんて、ガッカリだ」とそっぽをむいてしまう。
 まるで幼子のようである。頬をぷっくりと膨らませるローレンスをどう宥めればいいのか、シャルティは目を泳がせる。

「くっ、くっ、……ふはははははっ!」

 背後にかばうラヘルが高笑いした。
 ローレンスは咆哮ほうこうまがいのわらい声に固まるシャルティを胸元に引き寄せた。

「なんたる喜劇……。勇者と【無能】が恋仲とは、傑作だ。皆に報告せねば」

 くくくっと腹を抱え、ラヘルはふらつきながら「興が削がれました」と影の中に身体を沈ませていく。

「人族にたぶらかされた女など、もはや魔王と崇める価値はない。魔族に無用だ。勇者、貴様の好きにしろ――」
「何勝手に逃げようとしてるんだ、よっ」

 ローレンスは目にもとまらぬ速さでラヘルの角をわし掴むと、影から引きずり出し、液体のように揺れる影に剣を突き刺した。
 ラヘルの逃げ道を塞いだ後、彼の顔面を踏みつけ「動けば殺す。口を開いても殺す。まあそうしてもらえれば俺のコレクションが増えて嬉しいんだけど」と脅し、シャルティを振り返る。

「シャルティ。君はどうしたい?」
「え……」
「俺は君の夫であり、下僕なんだ。なんでも望みを叶えてあげるよ」
「私は……」

 裏切られたとはいえ、長年尽くしてくれた側近である。彼は身動きの取れない彼女に代わり手となり足となって、外界とシャルティを繋いでくれた。

 その事実は消えない。

(私が【無能】でなければ……なんて考えても無駄ね)

 すでに魔族の中にシャルティの居場所はない。覚悟を決めなければ。シャルティは背伸びをしてローレンスの耳元にささやいた。

「それが君の答えなら、仰せのままに」

 ローレンスはラヘルから足をあげ、聖剣を鞘に戻した。言いつけ通り身動きしない羊頭の青年に、ローレンスは声をかける。

「もう行っていいよ。……皮肉だよね。【無能】と蔑む相手から、情けを掛けられるなんて。お仲間にも警告しておいてよ。今度、シャルティの身体に指一本でも触れたら、首を刎ねて俺のコレクションに加えてやるからって」

 にこやかに微笑むローレンスから距離をとったラヘルは「調子にのるな、人族風情が……」と捨て台詞を吐くと、影の中に沈んでいった。
 ラヘルの気配がなくなっても、シャルティはそこから目が離せなかった。 喪失感が重くのしかかり、思わずその場に座り込んでしまう。

「後悔してるの?」

 しゃがみこんだローレンスがシャルティの角に手を添える。ここで後悔していると口にすれば、彼はどうするのだろう。
 シャルティの首を落とし、壁の装飾品として愛でるのだろうか。

「まあ、後悔しても、誰にも渡さないけどね」

 ローレンスはシャルティの頬に手を滑らせた。
 彼が角以外に触れるのは初めてのことで、シャルティは驚き、目を見開く。
 シャルティもローレンスの頬にそっと触れた。あたたかい。滑らかな肌触りに何度も撫でさすっていると、彼はシャルティの手のひらに頬を押し付けた。
 空よりも青く澄んだ瞳を気持ちよさそうに細める。
 淡い金髪にも手が伸びそうになったが、ほほ笑むローレンスと目が合い、すんでのところで思いとどまった。

「……何よ」
「シャルティは可愛いね。それに勇敢だ。仲間に裏切られても殺さないなんて、そうできることじゃない」

 俺の妻は素敵だ。

 ローレンスは歯の浮くような台詞をとめどなく垂れ流す。
 シャルティは恥ずかしくなり、「お前が愛しているのは私の角でしょう?」と照れ隠しにつぶやいた。
 ローレンスはシャルティの問いには答えず、微笑み続ける。

(私、この人の笑った顔が好きだわ)

 ふいに芽生えた想いに、シャルティは頬を真っ赤に染めた。と同時に頭がくらくらし、床に倒れ込む。
 知恵熱を出したシャルティを、ローレンスは慌ててベッドに放り込むと、つきっきりで看病をした。
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