卑屈に純情〜人狼リアムは狩人に認められたい〜

ヨドミ

文字の大きさ
上 下
20 / 24

十九話 潜入

しおりを挟む
 シティ•ロドルナは切り分けたタルトのような地形で、盛り上がった生地の部分は山脈にあたる。
 山々から流れ込む二本の大河が作り出した中洲に、ロドルナ警察が管理する中央監獄は鎮座していた。巨大な獣がうずくまっているような建物である。
 ジクザに言われるがまま中央監獄を臨む川岸にたどり着いたリアムは、中央監獄の裏手にまわり、その城壁にへばりついていた。

 近づけば即、捜査官に見つかるかと思いきや、表側――中央監獄の門前とシティを繋ぐ橋以外に、人気ひとけはない。わざわざ断崖絶壁をよじ登って、捜査官が出入りする施設に侵入しようとする物好きはいないからだろうか。
 遠くから見ればのっぺりとした外壁は、いざ近づくとレンガ積みされており、傷みの目立つその隙間に指や裸足のつま先を引っ掛け、リアムは壁をよじ登っていく。

 ――そ、それにしても……。た、高い。

 川から吹きつける風は刃のような冷気でリアムの両指を突き刺し、その感覚を奪っていた。
 厚い雲が月を見え隠れさせている。霧も立ち昇り川面がぼんやりとしてよく見えないのが救いである。

 ――ジグザさんの情報は合ってるんだよね……。

 リアムは数時間前のジグザとの会話を思い出し、眠気を覚まそうとした。

※※※
『あの中にハウンドはぶち込まれているはずだ』
 ジグザは川岸から見える中央監獄を前脚で示す。
 
「あ、あそこにハウンドさんが? ほ、保護施設に連れて行かれたんじゃないんですか?」
『アイツの匂いがこの辺りで途切れてるから間違いない。俺はここで待つ。早く行ってこい』
「え……? ぼ、僕ひとりで行くんですか?」

 てっきりジグザとともに潜入するのだと思い込んでいたリアムは、裏返った声を出してしまう。あくまでハウンド救出の手伝いをするだけ。そう聞いていたのだが。
 リアムは夜霧にかすむ威容に怖気づいた。

『あ? 俺が行くんならお前に頼むわけねえだろうが』
「そ、そんなあ……」

 覚悟を決めたとはいえ、そうそう臆病な性格が治るものでもない。尻込みするリアムにジグザは牙をむいた。
 
『あのなあ……あれ中央監獄には死刑囚が集められてんだぞ。そこにブチ込まれてるってことは、人間ども、本気でハウンドの首を落とす気だ。……そうなれば人狼連中の抑えが効かなくなる。万が一てめえがハウンドを死なせてみろ。誰が後始末するってんだよ』

 リアムが失敗する体で計画が進んでいるのが、怖ろしい。言い返す度胸のないリアムは、せめてもの抵抗として、ジグザの気を逸らそうとした。

「ハ、ハウンドさん、そんなに強いんですか?」

 終始笑みを浮かべている彼からは想像できないが、プライドの高そうなジグザが従っている相手だ。抜きん出て強いのだろう。

『それほどでもねえな。どっちかって言うと口でシティの連中人狼を煙に巻いてるって感じだ』
 後ろ脚で包帯を掻きむしりながら、ジグザは呑気に言った。
『ここではいかに人間に馴染むかが重要だからな。ハウンドはその辺の調整が上手い』
 いきなり刃物を振り回したことを完全に忘れているジグザに、リアムはなんと返事をすればいいのか迷う。

「ジ、ジグザさんが、ハ、ハウンドさんを補佐する役なんですね」
『……子守してる気分だよ。アイツ見境なく舌戦に持ち込んで、騒ぎをデカくするからな』
 ジクザは言うほど困っていないようだ。
 冗談を言いながらも信頼できる間柄が、なんだか羨ましい。

「そ、そうなら、ジグザさんがハウンドさんを迎えに行かないと……」

 ハウンドも側近であるジグザを待っているはずだ。だが、当の本人は首を縦に振らなかった。

『俺が行けば奴らの思うツボだ。……一応、俺は殺人で指名手配されてるんだぞ?ハウンドと共倒れになるようなことをするつもりはねえ』

 それでお前だ、とジグザは前脚でリアムを指し示す。

「ぼ、僕が捕まるのはいいってことですか……」

 ジグザに協力した思惑を悟られないよう、リアムは尻込みしてみせたのだが、

『……お前、ハウンドを言い訳にして、飼い主を引きずり出すつもりだろ』

 あっけなく見透かされ、リアムは背筋が不自然に伸びた。

「な、何を言って……。それに、ヴィ、ヴィクターさんは、か、飼い主じゃないですっ」
『誰もアイツだって言ってないぜ』

 ニヤリと牙を剥き出しにするジグザに、リアムはしまったと手で口元を塞ぐ。

『どう見ても飼い主と飼い犬だろ、お前ら。俺の頭に弾ブチ込むときの表情って言ったら……可愛がってるワンコが傷つけられて、怒り狂ってたもんなあ』
 くつくつと喉の奥で嗤うジグザの気が知れないが、それよりも。

「ヴィ、ヴィクターさん、僕が傷ついて怒ってたの……?」
『あ? 喜んでんじゃねえよ、胸糞悪いぜ。俺は今すぐにでも、あのクソ野郎を食い殺してぇんだぞ』
 今だにジグザの頭には包帯が巻かれている。ヴィクターを恨む気持ちは分かるが、ジグザが軽快に動き回っているせいで、リアムは彼が怪我人だと忘れがちになるのだ。

『それにハウンドに思いっきり噛み付いてたからな。飼い犬に余計な知恵吹き込まれんのが気に食わねえんだろうよ。邪魔な獲物の処理に立ち会わねえはずがねえ。……ハウンドを見つければ、そばにいる可能性は高いって浅知恵だろ』
「……」

 すべて見破られたリアムは、沈黙するしかなかった。
『まあ、お前が何考えてようが、ハウンドが自由になれば、どうでもいい。お、見張りが消えたな……さっさと行け』

 川岸の木立から監獄の敷地を窺っていたジグザは話を断ち切ると、リアムを急かした。

※※※
 ――僕にとってヴィクターさんは何なんだろう。

 出窓のわずかな隙間に身体を滑らせ休憩しながら、リアムは酷使したせいでぶるぶると震える両腕を撫でさすった。

 ――あと、もう少し。

 深呼吸して立ち上がるとふたたび壁にしがみつき登り続ける。何度か足を止めたものの、やっとのことで屋根に辿り着いた。
 風で飛ばされないようハンチング帽を押さえつけ、身を低くする。埃に目を細めながら、入り口を探したが、屋根には嵌め殺しの天窓しか見当たらない。
 窓から下を覗くとガランとした薄暗い廊下が広がっている。細長い影が廊下に伸びてきたので、誰かが通り過ぎる前に慌てて顔を引っ込めた。

 ――どこから入ればいいんだ……?

 そもそも壁をよじ登って侵入するのが正しかったのかが疑問だ。見張りがいないのは、侵入経路がないからなのでは、とひらめいても後の祭りである。
 手に息を吹きかけ温めながら、リアムは途方に暮れた。
 遠くから暖かな空気がふわりと頬をなでる。心なしか野菜を煮込んだスープの匂いも漂っていた。
 リアムは必死にニオイのもとを探る。鼻をうごめかせた先に、細長い煙突が伸びており、先端からは白い煙がゆっくりと、たなびいていた。

 ――他に手はないし……。

 疲労感から恐怖が麻痺していた。リアムは、最後の力を振り絞り、屋根を伝って煙突の中に身を踊らせる。

「うっ! あっつ!」

 当たり前だが、中は湿気と高温で息ができない。手足を突っ張らせ壁を伝い降りてすぐに横穴を見つけ、危険があるなど考えるよりも先に、リアムは転がるようにその横穴へ逃げ込んだ。
 煙突よりもマシだというだけで、立ち上がることができない高さの通路だ。腹ばいになりながら、リアムは安全な出口を求め這いずる。

 すでに埃塗れのシャツをさらに黒く汚しながらリアムは進んだ。蜘蛛の巣にうんざりしながら前進すると、横穴は再び縦に伸びる通路に繋がっていた。下を覗き込んでも火の気配はない。とりあえず丸焼きになる心配はないなと、リアムは再び両手足を突っ張り、伝い下りることに集中した。

「え、壁がない……」

 すでに腕の筋肉は限界をむかえている。出口が見つかったのは嬉しいが、床まで飛び降りて平気な高さなのか、暗すぎて判然としない。

「も、もう、ムリ……」

 しかたなくリアムは飛び降りた。案の定、着地に失敗し、盛大に尻もちをつく。

「いてっ!」
 
 リアムは尻をさすりながら立ち上がった。両側には小窓状の鉄格子がついている鉄扉がびっしりと並んでいる。すぐそばの鉄格子から舐めるような視線が注がれ、リアムは全身から汗が吹き出した。
 
 ――あ。

 侵入失敗。

 四方から衣擦れの音が聞こえ、リアムは立ちくらみを起こしそうになる。

「おい、お前、どっから入ってきたんだ?」
「足震えてやがるぜ。……おい、俺を出しやがれ。悪いようにはしねえぞ」
「人殺しが何言ってやがる。女かぁ……?この際男でもいいや。俺と遊ぼうぜ」

 囚人たちは思い思いに口を開き、次第に廊下は彼らの濁声で満たされていった。これ以上騒がれたら看守がきて終わりだ。

 ――ど、ど、どうしたら……。

「おや、リアムくん。通気孔から飛び降りるなんて、派手な登場の仕方をするね」

 小さな呟きに、騒いでいた囚人たちはぴたりと静かになる。リアムは振り向き、廊下の先に目を凝らした。

「ハ、ハウンドさん?」

 廊下の正面、一際広い区画にある鉄格子のなかにハウンドは居た。片足を立てて座っており、背後の高窓から注ぐ月明かりで、その金髪が銀色に輝いている。

「もしかして俺に会いに来たのかい?」
 リアムはゆっくりとハウンドのいる牢屋に近づいた。
「あ、あのロドルナに住んでる人狼が、ハ、ハウンドさんを解放しろって、あ、暴れてるんです。あ、あなたなら止められますよね?」
「そんなことが外では起こっているのかい。別に俺は彼らのリーダーってわけでもないし、どうかな」

 ジグザの話と食い違っている。どちらが正しいのか、リアムには判断がつかない。
「まあ、君が俺に賛同してくれるなら、人喰い狼バシレイアたちをなだめるのに協力するよ」
 唇だけで笑うハウンドに、リアムが口を開こうとしたその時。

「リアム」
「ヴィ、ヴィクターさん……」

 看守を伴って駆けつけたヴィクターに、リアムは思わず声が弾んでしまう。

「……お前、やっぱり人喰い狼バシレイアと繋がってたのか……」

 ――ち、違うんです。ヴィクターさん。

 すぐにでも否定したいところだが、ハウンドを説得し、シティで暴れている人喰い狼バシレイアたちを何とかしてもらわねばならない。
 ハウンドの機嫌をとって、首を縦に振ってもらわなければ。

「リアムくんを口説いている最中だよ。君はいつもいいところに入り込んでくるね。……そんなに大事なら首輪でもつければいいのに」
「俺に指図するな、人狼」

 口角を引き上げるハウンド。いつもの人を煙に巻く風ではなく、本心から皮肉を言っているようだ。
 ハウンドを逃がすことと、ヴィクターを説得すること。同時にこなすのは至難の業だ。

 ――無理、じゃなくてやらなくちゃ。

 ヴィクターの背後、看守のひとりのベルトに鍵の束がぶら下がっている。あの中にハウンドの牢の鍵がある可能性に賭けよう。
 リアムは両足を踏ん張り、次の瞬間、勢いよくヴィクターたちのほうへ飛び込んだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

青少年病棟

BL
性に関する診察・治療を行う病院。 小学生から高校生まで、性に関する悩みを抱えた様々な青少年に対して、外来での診察・治療及び、入院での治療を行なっています。 ※性的描写あり。 ※患者・医師ともに全員男性です。 ※主人公の患者は中学一年生設定。 ※結末未定。できるだけリクエスト等には対応してい期待と考えているため、ぜひコメントお願いします。

貴族軍人と聖夜の再会~ただ君の幸せだけを~

倉くらの
BL
「こんな姿であの人に会えるわけがない…」 大陸を2つに分けた戦争は終結した。 終戦間際に重症を負った軍人のルーカスは心から慕う上官のスノービル少佐と離れ離れになり、帝都の片隅で路上生活を送ることになる。 一方、少佐は屋敷の者の策略によってルーカスが死んだと知らされて…。 互いを思う2人が戦勝パレードが開催された聖夜祭の日に再会を果たす。 純愛のお話です。 主人公は顔の右半分に火傷を負っていて、右手が無いという状態です。 全3話完結。

【完結】I adore you

ひつじのめい
BL
幼馴染みの蒼はルックスはモテる要素しかないのに、性格まで良くて羨ましく思いながらも夏樹は蒼の事を1番の友達だと思っていた。 そんな時、夏樹に彼女が出来た事が引き金となり2人の関係に変化が訪れる。 ※小説家になろうさんでも公開しているものを修正しています。

僕の王子様

くるむ
BL
鹿倉歩(かぐらあゆむ)は、クリスマスイブに出合った礼人のことが忘れられずに彼と同じ高校を受けることを決意。 無事に受かり礼人と同じ高校に通うことが出来たのだが、校内での礼人の人気があまりにもすさまじいことを知り、自分から近づけずにいた。 そんな中、やたらイケメンばかりがそろっている『読書同好会』の存在を知り、そこに礼人が在籍していることを聞きつけて……。 見た目が派手で性格も明るく、反面人の心の機微にも敏感で一目置かれる存在でもあるくせに、実は騒がれることが嫌いで他人が傍にいるだけで眠ることも出来ない神経質な礼人と、大人しくて素直なワンコのお話。 元々は、神経質なイケメンがただ一人のワンコに甘える話が書きたくて考えたお話です。 ※『近くにいるのに君が遠い』のスピンオフになっています。未読の方は読んでいただけたらより礼人のことが分かるかと思います。

将軍の宝玉

なか
BL
国内外に怖れられる将軍が、いよいよ結婚するらしい。 強面の不器用将軍と箱入り息子の結婚生活のはじまり。 一部修正再アップになります

虐げられている魔術師少年、悪魔召喚に成功したところ国家転覆にも成功する

あかのゆりこ
BL
主人公のグレン・クランストンは天才魔術師だ。ある日、失われた魔術の復活に成功し、悪魔を召喚する。その悪魔は愛と性の悪魔「ドーヴィ」と名乗り、グレンに契約の代償としてまさかの「口づけ」を提示してきた。 領民を守るため、王家に囚われた姉を救うため、グレンは致し方なく自分の唇(もちろん未使用)を差し出すことになる。 *** 王家に虐げられて不遇な立場のトラウマ持ち不幸属性主人公がスパダリ系悪魔に溺愛されて幸せになるコメディの皮を被ったそこそこシリアスなお話です。 ・ハピエン ・CP左右固定(リバありません) ・三角関係及び当て馬キャラなし(相手違いありません) です。 べろちゅーすらないキスだけの健全ピュアピュアなお付き合いをお楽しみください。 *** 2024.10.18 第二章開幕にあたり、第一章の2話~3話の間に加筆を行いました。小数点付きの話が追加分ですが、別に読まなくても問題はありません。

突然現れたアイドルを家に匿うことになりました

雨宮里玖
BL
《あらすじ》 「俺を匿ってくれ」と平凡な日向の前に突然現れた人気アイドル凪沢優貴。そこから凪沢と二人で日向のマンションに暮らすことになる。凪沢は日向に好意を抱いているようで——。 凪沢優貴(20)人気アイドル。 日向影虎(20)平凡。工場作業員。 高埜(21)日向の同僚。 久遠(22)凪沢主演の映画の共演者。

某国の皇子、冒険者となる

くー
BL
俺が転生したのは、とある帝国という国の皇子だった。 転生してから10年、19歳になった俺は、兄の反対を無視して従者とともに城を抜け出すことにした。 俺の本当の望み、冒険者になる夢を叶えるために…… 異世界転生主人公がみんなから愛され、冒険を繰り広げ、成長していく物語です。 主人公は魔法使いとして、仲間と力をあわせて魔物や敵と戦います。 ※ BL要素は控えめです。 2020年1月30日(木)完結しました。

処理中です...