卑屈に純情〜人狼リアムは狩人に認められたい〜

ヨドミ

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十七話 決裂

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 息を切らしたヴィクターが、路地の角から姿を現した。両膝に手をあて、前かがみで息を整えた後、中折れ帽のつば越しにリアムを睨む。

「お前……なんで逃げた?」
「す、すみません……」
「謝ったら許されると思うなよ。……俺は理由を聞いて――」

 言葉を途切らせ、ヴィクターは驚愕に目を見開いた。肩からライフル銃を素早く下ろし、銃口をリアムの背後に向ける。

「……ロドルナ警察期待の星は【狩り】に出向かなかったのかい。……それほどこの子に価値があるのかな?」

 ハウンドはヴィクターの殺意に満ちた眼差しを物ともせず、リアムのハンチング帽に、手を置いた。

「貴様、生きてやがったのか……ハウンド」
「ルージェンド•ジュニアに認識して頂けているなんて、光栄だな。……親父さんは元気かい?」

 鼻歌でも歌い出しそうに、ハウンドは上機嫌だ。

「リアム……。てめぇ最初から俺をめようとしてたな」
「え」
「知らねえとは言わせねえぞ。コイツはロドルナで人喰い狼バシレイアを増やそうとしているイカれた野郎だ」
「増やすだなんて……。俺たちは元々人を喰う種族だよ。そもそも君たちが何も考えずに【人狼】を自分たちの巣に引き入れたのが、悪い」
「話をすり替えるな。……バニシャを大量に仕入れるのに、貴様がリアムを隠れみのにしたんだろ」
「捜査官たるもの、無闇に人を疑うのは良くないよ」

  糸のように目を細めたハウンドに、ヴィクターは額に青筋を立てる。
「まあ、バニシャを闇取引で入手しようとしたのは、間違っていないよ。……ほら、自白したんだから逮捕すればいい」
 ハウンドは両手をヴィクターに向かってかざした。

「ふざけやがって……」

 ヴィクターは照準を保ったまま、片手でコートのポケットをさぐり、手枷を取り出す。

「ヴ、ヴィクターさん!」

 リアムは裏返った声で、険悪になりつつある二人の間に割って入った。
「ぼ、僕は偶然、ハウンドさんに会ったんです。だから……」
 横顔は一度たりともリアムを振り向かない。

 ――ヴィクターさんにとって、僕って何なんだろう?

 硬い手枷の施錠音が、路地に反響した。

 グルルル……。

 振り返ると、アパルトマンの玄関の奥、薄暗い廊下で身を低くし威嚇するジグザがいた。今にもヴィクターに飛びかかりそうである。

「……! くそっ。やっぱり罠かよ」

 ヴィクターは首から下げた呼笛を鳴らした。細く高い音が、密集したアパルトマンの壁を駆け抜けていく。

「……ジグザ、後はよろしく」
 手枷を揺らして、ハウンドは手を振った。一瞬固まったジグザだったが、くるりと方向転換すると、アパルトマンの奥へと消えていく。

「……一人で行動するなんて、狩人らしくない失態だね。ほら、もたもたしていると、凶悪な殺人狼が逃げちゃうよ」
「……黙れ」
「ぼ、僕が追いかけます!」

 走り出そうとしたリアムの首根っこをヴィクターは掴んだ。

「お前は動くな。……これ以上厄介事を増やすんじゃない」
「でも」
「勝手に逃げ出した癖に言い訳するな」

 突然いなくなったことは大いに反省しているし、叱られるのも仕方のないことだ。
 はっきりロドルナから出られないことを説明できなかったことも、リアムの落ち度である。
 大人しくなったリアムの襟元からヴィクターは力を抜き、応援が来るまで、ハウンドに銃口を向け続けた。


「どうして僕にはタグをつけないんですか?」

 裏路地街エンドフロアには、大勢の捜査官が入り乱れていた。ハウンドは捜査官に囲まれ、リアムの目の前を通り過ぎていく。口輪を嵌められたハウンドの眼鏡の奥の瞳は、絶望に沈んではいなかった。
 壁際に座り込んだリアムの隣に、腕を組んだヴィクターがいて、現場を調査する捜査官たちを見つめている。

「……お前は協力者だ。それとも保護対象として監視されたいのか?」
「そ、そういうわけじゃ……」
「言いたいことがあるなら、はっきり言え」
「……じ、人狼を見つけたらタ、タグをつけて、じ、実験施設に送られるんですよね?」

 そうなればヴィクターはリアムを駒として使うことはできなくなる。だから。

「……やつハウンドに何を聞いたか知らんが、隔離施設行きになるのは、凶暴な個体だけだ。タグつけはあくまで、ロドルナ内で監視するためにつけてるに過ぎん。タグをつけても、むやみに拘束することはない」
「な、なら、どうして、ぼ、僕にはタグをつけないんですか? そ、それに、なぜ、ぼ、僕の正体をヴィ、ヴィクターさんは仲間に話さないんですか?」

 問いを重ねるごとにヴィクターは、眉間のしわを深くした。

「……フリッカーがうるせえんだよ」
「女将さん?」

 予想外の答えにリアムは目をぱちくりさせる。

「……タグ付けするとまれに衰弱する【人狼】がいる。原因は不明だ。そうなったら従業員をまた探さないといけないだろって、クソババアが毎度毎度騒ぐんだよ。鬱陶うっとうしいことこの上ない」
「ぼ、僕のことがバレたら、そ、捜査できなくなるからじゃあないんですね……?」
 しゃがみ込んだまま見上げるとヴィクターは「何だそれは」と声を低くした。
「……お前の正体を報告していないのは、手続きがめんどくせえからだ。他に理由はねえよ」
「そ、それって、ヴィクターさんはだ、大丈夫なんですか?」
「あ? 俺の心配するなら勝手にいなくなるんじゃねえよ」
 鼻をつままれ、「ふがっ!」とリアムは情けない声をあげた。
「お前、ほんとに【人狼】か。調子狂うぜ」
 呆れながらもヴィクターの声音から怒りの気配はなくなっていた。ホッとしたリアムの気配を察してか、ヴィクターは、
「おい、腑抜けた面してんじゃねえよ。俺はまだ許してねえからな」
 そうだ。まだリアムが【狩り】から逃げ出した理由を話していない。

「お、怒らないですか……?」
「馬鹿が。内容によるに決まってるだろ」

 リアムはつっかえながらも、門前で囚われた【人狼】を目にして、過去の恐怖を思い出したことを告白した。

「それは言い訳だろ。自分が可哀想と思ってりゃ、楽だからな」
 リアムの悩みをバッサリと切り捨てるヴィクターに、言葉を失う。
 そこにジグザを追跡していた捜査官たちが、行方を見失ったと報告しにきた。

「クソが……。まあこれで【人狼狩り】に参加する意味がなくなったから良しとするか」

 帰るぞ、とヴィクターはリアムに立ち上がるように命じたが、リアムは微動だにしない。

「今度はなんだ?」
「……ヴィ、ヴィクターさんは強いから、そ、そんなこと言えるんだ」
 頭ごなしに言い含められるのは初めてではないのに、リアムは何故か反発してしまった。
「強いも弱いもあるか。境遇に向き合おうとしてないだけだろ。弱いと思い込んでる、その考えが好かん」

『君は弱さを知っている』

 ハウンドの柔らかな声音が脳内によみがえる。
「よ、弱いのはダメなことですか……?」
 珍しく反抗するリアムにヴィクターは違和感を覚えたのか、
「あいつに何を吹き込まれた?」
「え、あいつって……」
「とぼけるな。ハウンドの野郎だ」
「……あ、あの人そんなに悪い人じゃないですよ」
 ハウンドは人喰い狼バシレイアなのだからヴィクターが敵視するのは当たり前だ。一方でリアムの存在を否定しないどころか、必要なんだと手を差し伸べてくれる人でもある。リアムは彼を悪く思うことができなかった。
 
「……へえ、ならメガネ野郎ハウンドのほうがお前を理解しているっていうのか?」
 ヴィクターは片方の口角が歪んだ笑み浮かべている。口が悪いのはいつものことだ。けれどもヴィクターの表情に意地の悪さを感じ、リアムは眉をひそめた。

 ――ヴィクターさん……?

「バニシャが肉屋に隠されていた理由を知ってもそんなことが言えるのか、見ものだな。……いいか、ハウンドは獣肉にバニシャを混ぜて人間を【人狼】にしようと計画していた」
「ヴィ、ヴィクターさん、な、何言ってるんですか? 人間が【人狼】になるなんて……。バニシャは臭み消しに使われているんでしょう? 人間に害はないんじゃ……」
「害があるから、少量の取引しか認められていない。薬と毒は紙一重だぞ。……それに、取引が認められているのは、根の部分だ。地下に収められていたのは、大部分が根を乾燥させたものだったが……。そっちは囮だった」
 根を大量に摂取すれば、人狼の肉体を強化する作用を引き起こす。

 であれば、他の部位ならどうなのか?

「ハウンドが肉に混ぜようとしていたのは、葉や茎だ」

 確かにハウンドは葉を食べていた。それも美味そうに。

「【人狼】が喰っても効果はない。あるのは、人間だ。過剰に摂取すれば、【人狼】化する。……証拠は地下にいた」
「居たって……」
「……食人衝動が抑えられなかったのか、自分の身体を喰い散らかした【人狼】もどきがな」

 人狼が人狼を食えば毒になる。ジグザで経験済みのリアムは血の気が引いた。
「人間を人狼に変える代物をバラ撒こうとしている奴が悪人でないなんて、よく言えるな」
 まるで人狼が病気のような言い草にリアムは泣きたくなった。

 ――僕たちはただ生きているだけなのに。

「……【人狼】は悪いモノなんですか?」

 不穏な気配を察したのか、帰り支度をしている捜査官たちが、リアムとヴィクターのほうへちらちらと視線を投げかけてくる。注目されるのはよくないと思いながら、リアムは口をつむぐことができなかった。

「ハ、ハウンドさんは人間と人狼が共存する道を探してるだけだ。……あ、貴方のか、考えで人狼を測らないでください」

 否定されることに慣れ、いつもなら諦めて終わるのに、リアムはヴィクター相手には食い下がっていた。
 微動だにしないヴィクターにさらに言い募ろうとしたが、
「……まったく成長してねえな。ハウンドはお前を体よく利用しようとしているだけだ。もっと人を疑え」

 ――僕が何も変わっていないって?

 逃げグセは治っていないが、少しずつ思っていることも口にできるようになったし、体力もついてきている。
 それもこれもヴィクターがいてくれたお陰なのに。
 変化に気づいて欲しい人がリアムの成長に気づいていないなんて。
 悲しいのか悔しいのか。リアムは全身の毛が逆立った。その拍子にハンチング帽が脱げ、黒光りする両耳があらわになる。

 ――自分勝手だと分かっていても、我慢できない。

「……おいっ!」
「ぼ、僕を利用しようとしているのは、ヴィ、ヴィクターさんも、お、同じじゃないか! 僕を聞き分けのいい、の、野良犬程度にしか思ってないくせに!」
 牙が疼き、収まりきらなくなった尻尾がズボンから飛び出した。それを威嚇するように反らす。

「じ、人狼だ……」

 捜査官たちは一瞬で臨戦態勢に入った。今朝、気さくに声をかけてくれた、そばかすの青年が顔をこわばらせ、懐からリボルバーを取り出す。

 ――認めてもらえるなんて、夢のまた夢なんだ。

 同僚たちを必死で落ち着かせようとヴィクターは怒鳴っているが、火に油を注ぐばかりだった。

「ぼ、僕は利用されるんだとしても、な、納得して利用されます。……僕を本当に必要としてくれている人のもとで」
「話は最後まで聞け――」

 バシュッ!

 ヴィクターの声を遮り、捜査官のひとりが放った弾丸は、リアムの足元の地面を削った。

「勝手に撃つなっ!」

 リアムは騒然とする捜査官たちの隙間を抜け、路地に逃げ込んだ。
 揺れる視界が次第に滲んでくる。頬に水滴を感じて、乱暴に袖で擦った。

 ――悲しいだなんて、認めるもんか。

 暗がりを求めてリアムは路地を駆け抜けた。
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