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十五話 ハウンド

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 日が昇りはじめても、相変わらずロドルナの上空には、鉛色の厚い雲が垂れ込めている。
 天空に向かってアパルトマンが背を伸ばしている裏路地街エンドフロア。狭い空からの光は乏しく、道は昼間でも薄暗い。おまけに数日前の雨で路地はぬかるんでいた。
 リアムは荒い息を整えつつ、荷車を避けて道端に寄ったが、水溜りに足を突っ込んでしまう。

「うわあ……。どうしよう」

 数少ない靴が泥まみれだ。今日の仕事は裸足でするしかない。

 ――いやいや、『フリッカー』には戻れないって。

 リアムは【人狼狩り】から逃げ出したのだ。ヴィクターたちに見つかれば、ただではすまないだろう。
 目抜き通りの喧騒を振り返り、さらに路地の奥へと突き進む。

 ――ほとぼりが冷めるまで、隠れるところ探さなくちゃ。

 ヴィクターはバニシャ香草密輸犯と逃走中の人喰い狼バシレイアを追いかけるため、【狩り】を優先するだろう。臆病な【人狼】の追跡にあてる人員が、ロドルナ警察にどのくらいあるかは不明だが、息を潜めているに越したことはない。
 リアムは自然と五年前に母と住んでいた廃屋へ足を向けていた。
 元々あばら家であった小屋は、柱だけを残す遺跡に成り果てている。

「まあ、そうだよね……」

 砂埃まみれの床板に座り込み、柱に背をもたせかけた。膝の間にショルダーバッグを置いて抱え込む。
 ぽっかりと穴の開いた天井から注ぐ淡い光の帯が、埃を斜めに浮かび上がらせていた。
 わずかばかりの食器や古ぼけた毛布があったはずだが、リアムが去ったあとに、誰かが持ち去ったのだろう。リアムたちが生活をしていた痕跡は何ひとつない。

 ここでは屑でも売り物になる。

 リアムは抱え込んだショルダーバッグに顎を埋め、砂埃の溜まった床板をじっと見つめた。これからどうしようか頭を悩ませながら、考えないようにしていた疑問を掘り起こす。
 ヴィクターはなぜ仲間にリアムの正体を報告していないのか。

『お前が牢にブチ込まれないのは、いいように使われてる証拠だ』

 ジグザの言葉が脳裏によみがえる。

 バニシャ香草密輸犯の行方を追うためなのは判るが、仲間に人狼を使っていたことがバレたら、ヴィクターの立場は危ういのではないか。
 ヴィクターがリアムの正体を警察内部に明かせば、保護対象として識別タグをつけられ、管理されることになる。ヴィクターはリアムを好き勝手に連れ回すことはできなくなるだろう。
 ヴィクターは出世欲が強くない。それは親の七光りを毛嫌いしている様子から感じ取れた。

 彼は純粋に事件の真相を追っている。だとしたら。

 ――【人狼狩り】で、僕をおとりに使うのも躊躇ためらわない……よね。

 ヴィクターは良くも悪くも手段を選ばない。敵を打ち負かすために、リボルバーを鈍器にしてしまう男だ。犯人逮捕のためなら、何としても職務を果たそうとするだろう。
 ひるがえってヴィクターの役に立てるのなら、無理をすると覚悟したリアムは、このざまである。
 リアムは本能と理想の狭間で、もだえ苦しんでいた。

 逃げたい。
 逃げたい。
 逃げたい。

 けれど、ヴィクターに尽くしたい想いも本心だ。よくやったと褒めてもらいたい。 そして――。

 愛されたい。

 ――ん! あ、愛されたい? 誰に?
 リアムはぐちゃぐちゃになった頭のなかで得体の知れない感情を拾い出し困惑した。確かヴィクターのことを考えていたはずだ。それでなぜ愛などという言葉が出てくる?

『おい』
「うわっ!」

 物思いに沈みすぎていたようで、傍らには、いつの間にか一頭の野犬がいて――。

 リアムは凍りついた。

「あ、あ、あ……」
『相変わらず間抜け面してやがる』

 くすんだ焦げ茶色の獣は野犬ではなく、人喰い狼バシレイア、ジグザだった。頭部の右半分にぐるりと巻いた包帯を、鬱陶うっとうしそうに前脚で掻いている。
 ヴィクターが探している殺人犯が目の前にいて、リアムは逃げようとするも尻もちをついてしまった。

『追われてんのか?』

 噛みつかれた時の衝撃を思い出し震えるリアムに、ジグザはククッと含み笑いを漏らした。

「そ、そんなことない……」
大門ゲート側は大騒ぎだぜ。川沿いの裏路地街エンドフロア奴ら捜査官が入り込みやがって、いい迷惑だ』

 ――やっぱり、僕、追われてるんだ。

 リアムは後悔し始めていた。まるで自分から悪いことをしたと告白しているような行動をとってしまったのだ。ヴィクターに合わせる顔がない。

「ぼ、僕に何の用……?」
『いいのかそんな口の聞き方して。なんなら俺がお前を大通りに引きずりだしてもいいんだぜ?』
「そんなことしたら、あ、あなたも捕まるでしょう?」
『間抜けなお前と一緒にするな。……あのなぁ、俺は喧嘩しにきたわけじゃねえんだよ。お前を連れてくるように言われただけだ』
「誰に」
『ハウンド』

 ――ハウンド

 リアムは続けて尋ねようとしたが、
『捕まりたくなきゃ、ついてこい』
 片耳を路地に向けたジグザに無視された。戸惑うリアムを置き去りに、チョコレート色の獣は軽やかに廃屋から姿を消す。

「え、ちょっ……」

 ヴィクターにジグザの存在を知らせなければいけない。でも、ここでジグザといた理由をどう説明すればいいのか。

 ――絶対、仲間だって疑われる……。

 路地の坂を遠ざかっていくジグザと廃屋を交互に見やった。
 どうすればいいか答えてくれるものはない。わかっているのはジグザを追った先に、何かがいることで。

 ――す、進むしかないのかぁ……。

 リアムはハンチング帽を深く被り直し、ジグザを追いかけた。

 廃屋からさらに裏路地街エンドフロアを登っていく。母を探しているときですら、数回しか足を踏み入れなかった、最貧民窟だ。
 急斜面の道端に、老若男女が座り込んでいる。通り過ぎるリアムたちを、胡乱な視線が追いかけてくるので、落ち着かない。 ジグザはそんな様子を物ともせず、優雅に四肢を動かしていた。

 ――どこまで行くんだろう……?

 リアムが不安を募らせていると、今にも崩れそうな石造りのアパルトマンに突き当たった。

「あ……」

 こけむした石階段の先は、真っ暗な玄関口に続いている。ジグザは止まることなく、暗闇のなかに消えていった。
 ショルダーバッグを抱え直し、リアムは意を決する。

「お、お邪魔します……」

 目を凝らし暗闇に慣れるまで、リアムは入り口でじっとしていた。暗い廊下の先は見えない。もう一度外の空気を限界まで吸い込んで、暗い廊下に足を踏み出した。
 進み出してすぐに、なんとも言えない湿った臭いに鼻をつまむ。
 足をあげるたびにぬちゃりと靴底に張り付くモノを見ないようにして、リアムはジグザの背中を追いかけた。
 しばらく進むと、吹き抜けの広間に突き当たる。崩れかけた建物の真ん中を、螺旋階段が貫いていた。蛇がとぐろを巻いてそのままのびあがったような階段を、ジグザは躊躇ためらうことなく登っていく。
 一歩踏み出せば、ぎしりと不吉な音を立てる段差に足を引っ込めるも、小さくなっていくジグザにリアムは焦る。

 ――お、落ちませんように……!

 心のなかで念じながら、体重移動に苦労しつつ、リアムはつま先立ちで素早く階段を駆け上がった。
 底が抜けないか怯えながらも、なんとか最上階の踊り場にたどり着く。朽ちかけた扉を押し開けると、頬を冷たい風が通り過ぎていった。思わず顔をうつむける。

「っ……」

 目の前に広がる光景に、リアムは言葉をなくした。
 山際にへばりつく裏路地街エンドフロアから傾斜を下った先の中心地、富裕層街アッパーフロアが眼下に広がっている。リアムが逃げ出してきた川に面した門前付近の裏路地街エンドフロアは霞んでぼんやりとしていた。
 宙に浮いているように、ロドルナの全景が見渡せる。一瞬なぜここにいるのか忘れそうになり、慌てて焦げ茶色の獣の姿を探した。

『おせぇぞ。人狼のくせにノロマだな』

 屋上の端の方でジグザがこちらを振り返り、悪態をついた。

 その隣には。

 ――人……じゃない。

 波打つ黄金色の髪が曇り空の下でも、目にまぶしい。風によそぐ髪の間からは立派な狼の耳が立ち上がっていた。周囲の音を聞き漏らすまいと、それはぴくぴく神経質に動いている。

 ――【人狼】だ。

「……君が俺たちの商売道具を台無しにしてくれた子だね」

 金色の瞳と視線がばっちりあい、リアムはごくりとつばを飲み込む。眼鏡ごしの瞳の色あいがヴィクターと似ていた。

「あ、あなたは……」
「ハウンドとでも呼んでくれ」
「……!」

 一瞬でリアムの目前に近づいたハウンドは執事のように胸の前に片手を添え、リアムへと身をかがめる。
 柔らかい所作に反して、レンズの隙間から覗く瞳は、リアムを品定めしているようだった。耐えきれず視線を反らした先には、ハウンドの尻尾が左右に揺れ、金色の軌跡を描いている。
 ここにいては駄目だと、出口を振り返ったが、いつの間にかジグザが背後で腹ばいになり、退路を防いでいる。リアムが近づこうものなら、噛み殺しそうに、牙を剥いて喉を鳴らした。
 ハウンドが許すまで、ここから立ち去ることはできないようだ。

「あの、僕に用事があるっていうのは……」
「そう焦らなくてもいいじゃないか。数少ない同志が集まったんだ。……今日は僥倖ぎょうこうだね」

 ハウンドはリアムを遮り、街並みに向き合った。

「……君はシティ・ロドルナで人狼が虐げられているのを不思議に思わないかい?」
「……?」

 初対面のリアムに、この男は何を言っているのか。返事に困っていると、ハウンドは構うことなく言葉を続ける。

「彼らはね、俺たちを恐れているんだよ」

 それはそうだろう。人だと思っていた者が急に獣に姿を変えたりすれば、怖いに決まっている。
 リアムでさえ、ジグザが獣化したとき、腰が砕けそうになった。

「そ、そ、それは、分かります……」
「君はだいぶ人寄りの考え方をするんだね」

 ハウンドは幼い子供を宥めるように瞳を細めた。風で乱れるシャツの襟元を押さえ、
「実に興味深い。君ともっと親交を深めたくなったよ。どうだい? お茶に付き合ってくれないかな?」
 まるで旧友と再会したかのような気安さでリアムを誘った。
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