卑屈に純情〜人狼リアムは狩人に認められたい〜

ヨドミ

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十四話 恐怖

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「そこについてるのはおそらくジグザの血だ。お前なら臭いを辿れるんじゃないか。……まあ、違ったとしても、何らかの手がかりにはなるだろう」

 さらにリアムが【狩り】に同行すれば、大量のバニシャ香草をどこで調達したのか、嗅覚を頼りに群生地を探すこともできる。

 ヴィクターはどうだ、名案だろうと身を乗り出した。

「え、と……」

 手のひらがじっとりと汗ばみ、頬が痛がゆくなってくる。

 ――どうしよう、嬉しい。

 ヴィクターがリアムを頼ってくれた。前回のように仕方なく、ではない。積極的にリアムの能力を買ってくれているのだ。
 元々、協力を約束しており、リアムに迷いはない。
 ただし、それはシティ内で行動できる範囲に限る。リアムはロドルナから出たくても出られないのだ。
 理由を打ち明けるのは躊躇ためらわれた。到底、ヴィクターには理解できないだろうから。

 膝に置いた両手がぶるぶると震える。

「旅券の心配か?……【狩り】の編成員には無償で配られるぞ」

 沈黙を勘違いしたヴィクターに、リアムは首を振った。

「それもありますが、そうじゃなくて、その……」

 煮えきらないリアムに、ヴィクターは革靴の爪先で、床を打ち鳴らし始めた。

 コツ、コツ、コツ――。

「えっと、その、さ、酒場を長く空けるのは、女将さんに申し訳ないなぁと……」
「ロドルナ警察の要請だ。フリッカーが抗議したところで覆すのは難しいぞ。彼女は元捜査官、そのあたりは身にしみて理解しているはずだ」

 ヴィクターの声は小さいのに、腹の底に響いてくる。まるで照準を合わせた銃口を向けられているようだ。

「食事を振る舞ったが、俺はお前と馴れ合うつもりはない。……はっきり言っておく。お前はロドルナ警察の監視下にあって、こちらの要求を拒否することは許されない。まあしてもいいが、この店がどうなるか、責任は持てないな」

 ヴィクターは物置部屋をぐるりと見回した。

 襲撃事件で、リアムに密輸犯との接点はないと証明できたはずだ。
 おそらくヴィクターはどこまでリアムが応えるのかを試している。
 肉屋での対応は間違えていなかったのだろう。ご褒美を用意したくらいである。何も考えずリアムも尻尾を振って喜んだ。

 流されるままヴィクターについていきたい。ヴィクターがそばにいればここロドルナから出られるだろうか。

 リアムはふらふらと頭を揺らし始めた。

 ――どうしよう、どうしよう、どうしよう。

「……出発は明後日だ。朝一の開門に間に合うようにしろ」

 リアムは取りすがるようにヴィクターを見上げたが、「じゃあな」と手を振って彼は部屋を出ていった。


 城塞都市であった名残である大門が、門番たちの手によってゆっくりと動き出した。獣の唸り声を思わせる異音が、シティ•ロドルナに夜明けを告げる。

「開門ー!」

 土埃が吹き込み、シティの濁った空気が外へと吐き出される。まるで都市全体が呼吸しているようだ。門前では検問待ちの行商人や旅行者がすでに行列をつくっている。

 門前の広場でリアムは身を縮こませていた。隣のヴィクターをちらちら窺いながらショルダーバッグの肩紐をギュッと握りしめ、震えを堪えている。

 目の前では【人狼狩り】に参加する捜査官数人が出発の準備に勤しんでいた。

「ルージェンド様、備品、人員ともに問題なしです!」

 敬礼するのは、そばかすが目立つ若い捜査官だ。真新しい制服のジャケットが窮屈なのか、額にかざした腕の動きがぎこちない。ヴィクターは頷きながら「様付けは止めろ」と苦言を呈する。

「しかし……」

「俺に媚び売っても出世できないぞ。親父に労力を割くほうが効率がいいんじゃないか?」

「自分は出世に興味はありません! 見くびらないでくださいっ」

 肩肘張る若者をヴィクターは「判った。判った」とその肩を叩きなだめた。

「隊長~。そいつ本気で隊長に憧れてるんで、優しくしてやってください」

 からかう同僚にヴィクターは「了解」と軽く請け負う。

「その子が例の?」
「うわ、そんな薄いシャツで寒くないのか? 予備のコートあるぞ、貸そうか?」
「い、いえ、だ、大丈夫です……」

 捜査官たちに囲まれ、リアムはハンチング帽のつばを下げ目元を隠した。

「……人見知りでな。そっとしておいてやってくれ」

 ヴィクターが念押しすると、捜査官たちは神妙に頷いた。

「【人狼】絡みの事件に巻き込まれたなんて、災難だったな。短い間だが、よろしくな」

 そばかすをくしゃりと歪ませて、青年捜査官はリアムに笑いかけた。

「よ、よろしくお願いします……」

 やっとのことで声を絞り出すリアムに、若者は敬礼すると、同僚たちの元に戻っていった。

 リアムは顎をあげ、深く息を吐き出した。息が白い跡を残して宙に消えていく。白みはじめた上空では、鷲が悠然と翼を広げ、雲を出たり入ったりして旋回していた。

 リアムは唾とともに不安を飲み込もうとする。

 城壁外で検問を終えた者たちは、物々しく武装した捜査官たちに興味津々で通り過ぎていった。
 とりわけ大柄な男たちの集団は、ヴィクターの肩に担がれた黒光りするライフル銃に、口笛を吹く。
 背中に斜めがけした細長い筒状の布袋と、清潔とは言いがたいほど黒ずんでいるシャツやズボンから、血と火薬の臭いがした。

「……狩人だわ。こんな朝に出入りするなんて珍しいわね」
「ほらあれ、獲物を捕まえたから、自慢したいのよ……」

 どこからかひそひそと囁きあう女たちの声が聞こえ、リアムは一歩退しりぞいた。

 大柄な男たち――狩人の集団の真ん中あたりに男が二人、縦に連なって丸太を担いでいる。大型の獣が四肢を丸太に括り付けられていた。大きな牙の間からだらりと舌が垂れ下がっている。

 ――あれって……。

 目を凝らそうとしたが、ヴィクターがリアムの視界を遮った。見慣れたフロックコートの背中越しに、酒焼けした男の声がする。

「お、ヴィクター。見てみろよ、大物だぜ。しかも獣化できる成獣だぞ。群れのリーダーだ」

 お前たちに出張ってもらう必要ねえのかもな、と狩人の男は豪快に笑う。

 対するヴィクターの声はこわばっていた。

「どこで見つけた?」
「大森林の深部だ……。おっと、場所は言えねえぞ。まだ俺たち狩人も手を付けてねえ未開拓地とだけ言っておくぜ。こいつは群れに俺たちを近づけないように出てきたにちげぇねえ」
「縄張り争いしている場合か。それに人狼を追いかけてまで狩るのは、アンタたちのパーティーぐらいだから安心しろ」
「数年前まで親子で人狼殺しまくってた男が言っても、説得力のカケラもねえぞ」
「……減らず口を叩いてる暇があるなら、早く本部へ報告しに行け」
「へいへい。ルージェンドのお坊ちゃんは相変わらず短気だな」

 狩人は顎髭をボリボリと掻きながら、ヴィクターに応じた。

 ヴィクターと狩人の男は何気ない世間話をしているだけだ。そう言い聞かせても、心臓が飛び出しそうになり、リアムは胸を押さえる。

 男たちが上機嫌で担ぐ棒に揺られている獣は、まさか。

 ――【人狼】……。

 遠ざかっていく男たちの隙間から、吊るされた獣の白濁した瞳がリアムを追いかけてくる。ただの錯覚だと言い聞かせ、瞼を閉じても遅かった。

 塗りつぶされた視界に、過去が溢れてくる。


 群れを追われたリアム親子は、人間の集落を転々としていた。シティ•ロドルナ以上に大森林周辺で生きる人々は見慣れない存在に残酷だ。彼らは畑で少し息を潜めているだけのリアムたちに、汚物や残飯を投げつけ、追い払うのだ。
 耳や尾を隠していても、本能的に察知するのか、リアムたち親子はどこにいっても邪魔者だった。
 わずかな食料のために農作業の手伝いを申し込んでも、村人から通報を受けた狩人に追われることになり、命からがら逃げおおせたこともある。

 ロドルナに流れ着き、母はリアムを捨てた。ジャズに拾われたものの、リアムは隙を見て、母の痕跡を探し続けた。
 当たり前なのだが、酒場では常に人に囲まれている。これまで人間の近くに長く留まったことのないリアムにとって、想像以上に窮屈で、体力を消耗した。
 とりわけ酒場の客は好奇心が強い。働き始めた当初は、出自をしつこく問いただされた。

 気を抜けば正体を疑われてしまう。

 必死で周囲の環境に馴染もうとしているうちに、懸命に動き回るリアムを困らせようとする者は、いなくなった。
 酒場での日常が中心になり、ついにリアムは母を探すことをやめてしまった。

 彼女に会いたい気持ちはあるが、それよりも生きながらえたい欲が育ちはじめたのである。裏路地街エンドフロアでも城壁沿いには、極力近づかないようになった。

 門から一歩外へ出れば、リアムは再び異物になってしまう。だから。

 ――い、嫌だ。

 ヴィクターへの思慕が恐怖を打ち消してくれれば良かったのに。死臭を残していく【人狼】の姿は、リアムの未来の姿かもしれないのだ。悪い想像に脚がすくみ、腰が砕けそうになる。

「おい……」

 ヴィクターがこちらを振り返ると、緊張の糸が切れた。もし、囚われた人狼のような扱いをヴィクターから受けることになったら、大人しく殺されるのか。それとも抗って。

 ――僕はヴィクターさんを襲ってしまうかもしれない。

 傷つけたくないのに、傷つけてしまう衝動がリアムのうちに眠っているのだとしたら。

「な、どうした!」

 リアムは踵を返し、もと来た道を駆け出した。ヴィクターや他の捜査官が止める声は、すでにリアムの耳に届かない。
 得体の知れない恐怖が身体を突き動かす。捜査官たちが追いかけてくる気配に怯えながら、人通りの少ない道をひたすら走り抜けた。

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