卑屈に純情〜人狼リアムは狩人に認められたい〜

ヨドミ

文字の大きさ
上 下
11 / 24

十話 招待

しおりを挟む
 ヴィクターが指定した場所は、富裕層街アッパーフロアのなかでも高級住宅地にあるアパルトマンだった。
 ホコリ一つない正面玄関を進み、階段を最上階まで登り切った先、すぐ左手の黒光りする扉に向き合ったはいいものの、リアムは立ちすくむ。
 磨かれた黒檀こくたんの扉は不安そうなリアムの顔を映しており、ハンチング帽のなかで耳がびくびくと痙攣けいれんした。新しいシャツの襟元が首を締め付けてくるような錯覚さえしてくる。
 階下でフロントマンが部屋の主に来客を告げているので、逃げ帰ることもできない。

 深呼吸後、弱々しくノッカーを打ち鳴らした。
 扉の向こうから、ヴィクターが出迎えてくれたが、リアムは彼の格好に驚きを隠せない。

「……何か言いたそうだな」

 仏頂面のヴィクターは、柔らかそうな生地のシャツにエプロンをつけていた。黒いエプロンにはところどころ、汚れがこびりついている。

「い、いえ、美味しそうな匂いがしているなぁと……」

 ヴィクターの背後から、ほのかにスープの匂いが漂っていた。スープの他に、何かを焼いた香ばしい匂いが混じっている。リアムはごくりと唾を飲み込んだ。

「早く入れて頂戴ちょうだいよ」
 混乱し立ちすくむリアムを、ジャズが押しのけた。おろしたてのブラウスとスカートを身に着けたジャズは、どこかの貴婦人と言っても通用しそうだったが、口を開くと酒場の女将のままなので、台無しである。

「なんでアンタも来てるんですか」
「おや、リアムと二人きりになって、何するつもりだったんだい?」
「どうもしない……過保護すぎる雇い主は嫌がられますよ」
「こっちは従業員怪我させられてんだよ。どの口がいってんだい?」

 右腕の包帯は、シャツの下に巻いているので外から見えることはないのだが、リアムは思わず右腕を背後に隠した。
 からかうジャズにヴィクターは舌打ちし、「もういいから入れ」と身体をずらして二人を招いた。

 玄関の真正面はリビングで、通りに面した窓のそばに、ダイニングテーブルが設置されている。

「うわ……」

 テーブルには色鮮やかな料理が沢山並べられ、見た目にもにぎやかだ。

 ――な、何がどうなってるの?
 
 ヴィクターに呼び出された理由が、ますます分からなくなっていく。なぜヴィクターは食事の用意をしているのか。

 誰か教えてほしい。

「こ、これヴィクターさんが作ったんですか?」
「ああ」
「でも、どうしてこんな……」

 リアムの疑問にヴィクターは答えず、壁沿いのキッチンでスープを盛り付けはじめた。
「て、手伝います」
「気にするな。……そこの図々しい女を見習って座っとけ」
 振り返れば、ジャズはスカートの裾がはだけるのもいとわず脚を組んで席につき、ワインのコルクを抜いている。

「さすが、ルージェンド家のご子息様は良いもの知ってるね」

 グラスの中身を揺らしながら、ジャズはワインを喉に流し込み、鼻歌を歌った。

 リアムは華奢きゃしゃな猫脚の椅子に腰をおろしたものの、落ち着かずヴィクターの背中をうかがいながら、部屋の中を見回した。
 
 テーブルセットの他、リアムの背後には、書き物机がある。書類が山積みで、今にも床に崩れ落ちそうだ。その横には天井まで高さのある本棚が並び、分厚い背表紙の書物がぎゅうぎゅうに詰め込まれている。
 それ以外に調度品の類はない。

「何を見ている」

 テーブルにスープ皿を置きながら、ヴィクターは鋭く言い放った。

「す、すみません」

 不躾ぶしつけに見すぎたかと、リアムは慌てて食卓の並ぶテーブルに向き直る。
「アンタ、これ持ち出したら駄目でしょ」
 グラスを揺らしつつ、リアムの背後に回ったジャズは、書き物机の紙束を乱暴に掴み上げた。

「……! おいっ」
「見られたくなかったら、ちゃんとお片付けしましょうね、ヴィッキー」

 ジャズが掻き回したせいで、机上の紙が見事床に散らばった。足元に滑り込んできた紙片を、リアムはそろりと拾い上げる。

『NO.1531  裏路地街エンドフロアにて監視中の容疑者 リアムに関する報告書』

 まさか自分の名が書かれているとは思わず、リアムは反射的に文字を目で追った。

『……同容疑者は、……的、温厚で、反抗の……なし。問題があるとすれば……』

 難しい単語を飛ばしながら読んでいると、大きな手にさえぎられる。ヴィクターは険しい表情でリアムから紙片を奪い、派手な音をたて握りつぶした。

「ああ、もう。せっかくの料理冷めちゃうわよ。アンタたち早く席につきな」
「誰のせいで……」
「隠さないアンタが悪いんでしょうが」

 何か言い返したそうに口を開いたヴィクターだったが、諦めたのか無言で椅子を乱暴に引き、腰を落ち着けた。
 葉物野菜を混ぜ込んだキッシュはふんわりと口溶けがよく、ジャガイモのスープは透き通っているのに、味がしっかりついていた。混ざり物のない柔らかなパンにいたっては、手でちぎるとなんとも言えない香ばしい香りがして、食欲をそそる。
 リアムは口と自由に動く左手を忙しなく動かし続けた。
 その間にもヴィクターとジャズは口喧嘩をしている。どちらも本気の言い争いではないようで、リアムはほっとし、料理に舌鼓を打つことに専念した。
 ジャズにつられヴィクターも酒が進み、なごやかに時間は流れていく。

「……で、これは口止め料ってこと?」
 テーブル上の料理をあらかた食べ尽くした頃。
 頬杖をついたジャズは、ヴィクターにくだを巻いた。
 ワインに口をつけようとしていたヴィクターは、焦点の合わない目でジャズを見返す。

 ――そういえばヴィクターさん、お酒弱かったような……。

 リアムはテーブルに転がるワインボトルの数を数え、

 ――ご、五本!

 ほぼジャズが飲んでいたと思うが、二人で空ける量ではない。

「……人聞きの悪いことを言うな」
 ヴィクターは、心なしか呂律が回っておらず、リアムはそわそわした。
「リアム好みの料理まで用意して、言い訳できないでしょう?」

 ジャズはワイングラスを握りしめたまま、ヴィクターの顔を指差し挑発する。その売り言葉を買うように、ヴィクターはコツコツと床板を靴先で叩き始めた。

 ――ヴィクターさん、怒ってる……!

 リアムはヴィクターとジャズの表情を交互に見比べる。喧嘩になってしまったら止められるだろうかと不安になった矢先、ヴィクターはリアムを一瞥いちべつし、
「……少し席を外してくれないか」
と、静かに告げた。リアムはキッシュを咀嚼そしゃくしていたが、素早く飲み込み腰をあげる。

「いや、お前じゃない。こっちの、がめつい女主人に言ったんだ」
「……アタシに借りがある癖に、口が悪いわね」
「……しばらく席を外してくれませんか?マダム•フリッカー」
 ヴィクターはジャズに向かって、金貨を一枚弾いた。ジャズは不満げに空中で金貨を掴む。
 どうやらヴィクターはリアムだけに話をしたいようだ。もともとそのつもりで呼び出されたのだから、リアムは覚悟ができている。

 ――僕は大丈夫。

 リアムはジャズを安心させるように頷いた。
    金貨を指の間でもてあそぶジャズは、テーブルに手をついて立ち上がる。
「……ヴィクターに襲われそうになったら、そこの窓開けて叫びなさい。通り向かいのカフェにいるから」
 ジャズは赤髪とスカートの裾をなびかせ、玄関口へと大股で近づき、荒々しく扉を閉じて出ていった。
 しんと静まり返った室内で、リアムは視線を彷徨さまよわせる。

 ――ど、どうしよう……。

 ジャズに見せた自信はしぼみ、リアムは途方に暮れた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

青少年病棟

BL
性に関する診察・治療を行う病院。 小学生から高校生まで、性に関する悩みを抱えた様々な青少年に対して、外来での診察・治療及び、入院での治療を行なっています。 ※性的描写あり。 ※患者・医師ともに全員男性です。 ※主人公の患者は中学一年生設定。 ※結末未定。できるだけリクエスト等には対応してい期待と考えているため、ぜひコメントお願いします。

【BL】どうやら精霊術師として召喚されたようですが5分でクビになりましたので、最高級クラスの精霊獣と駆け落ちしようと思います。

riy
BL
風呂でまったりしている時に突如異世界へ召喚された千颯(ちはや)。 召喚されたのはいいが、本物の聖女が現れたからもう必要ないと5分も経たない内にお役御免になってしまう。 しかも元の世界へも帰れず、あろう事か風呂のお湯で流されてしまった魔法陣を描ける人物を探して直せと無茶振りされる始末。 別邸へと通されたのはいいが、いかにも出そうな趣のありすぎる館であまりの待遇の悪さに愕然とする。 そんな時に一匹のホワイトタイガーが現れ? 最高級クラスの精霊獣(人型にもなれる)×精霊術師(本人は凡人だと思ってる) ※コメディよりのラブコメ。時にシリアス。

【完結】I adore you

ひつじのめい
BL
幼馴染みの蒼はルックスはモテる要素しかないのに、性格まで良くて羨ましく思いながらも夏樹は蒼の事を1番の友達だと思っていた。 そんな時、夏樹に彼女が出来た事が引き金となり2人の関係に変化が訪れる。 ※小説家になろうさんでも公開しているものを修正しています。

【完結】相談する相手を、間違えました

ryon*
BL
長い間片想いしていた幼なじみの結婚を知らされ、30歳の誕生日前日に失恋した大晴。 自棄になり訪れた結婚相談所で、高校時代の同級生にして学内のカースト最上位に君臨していた男、早乙女 遼河と再会して・・・ *** 執着系美形攻めに、あっさりカラダから堕とされる自称平凡地味陰キャ受けを書きたかった。 ただ、それだけです。 *** 他サイトにも、掲載しています。 てんぱる1様の、フリー素材を表紙にお借りしています。 *** エブリスタで2022/5/6~5/11、BLトレンドランキング1位を獲得しました。 ありがとうございました。 *** 閲覧への感謝の気持ちをこめて、5/8 遼河視点のSSを追加しました。 ちょっと闇深い感じですが、楽しんで頂けたら幸いです(*´ω`*) *** 2022/5/14 エブリスタで保存したデータが飛ぶという不具合が出ているみたいで、ちょっとこわいのであちらに置いていたSSを念のためこちらにも転載しておきます。

【完結】私立せせらぎ学園 〜先生と生徒の恋愛未満な物語〜

フェア
BL
昔作ったノベルゲームを原作に加筆訂正してみました。ちょっと内容が重いかも? 素直でかわいい男子とヤンキー系男子、二人のストーリーを掲載しています。

【完結】父を探して異世界転生したら男なのに歌姫になってしまったっぽい

おだししょうゆ
BL
超人気芸能人として活躍していた男主人公が、痴情のもつれで、女性に刺され、死んでしまう。 生前の行いから、地獄行き確定と思われたが、閻魔様の気まぐれで、異世界転生することになる。 地獄行き回避の条件は、同じ世界に転生した父親を探し出し、罪を償うことだった。 転生した主人公は、仲間の助けを得ながら、父を探して旅をし、成長していく。 ※含まれる要素 異世界転生、男主人公、ファンタジー、ブロマンス、BL的な表現、恋愛 ※小説家になろうに重複投稿しています

僕の王子様

くるむ
BL
鹿倉歩(かぐらあゆむ)は、クリスマスイブに出合った礼人のことが忘れられずに彼と同じ高校を受けることを決意。 無事に受かり礼人と同じ高校に通うことが出来たのだが、校内での礼人の人気があまりにもすさまじいことを知り、自分から近づけずにいた。 そんな中、やたらイケメンばかりがそろっている『読書同好会』の存在を知り、そこに礼人が在籍していることを聞きつけて……。 見た目が派手で性格も明るく、反面人の心の機微にも敏感で一目置かれる存在でもあるくせに、実は騒がれることが嫌いで他人が傍にいるだけで眠ることも出来ない神経質な礼人と、大人しくて素直なワンコのお話。 元々は、神経質なイケメンがただ一人のワンコに甘える話が書きたくて考えたお話です。 ※『近くにいるのに君が遠い』のスピンオフになっています。未読の方は読んでいただけたらより礼人のことが分かるかと思います。

拾った駄犬が最高にスパダリ狼だった件

竜也りく
BL
旧題:拾った駄犬が最高にスパダリだった件 あまりにも心地いい春の日。 ちょっと足をのばして湖まで採取に出かけた薬師のラスクは、そこで深手を負った真っ黒ワンコを見つけてしまう。 治療しようと近づいたらめちゃくちゃ威嚇されたのに、ピンチの時にはしっかり助けてくれた真っ黒ワンコは、なぜか家までついてきて…。 受けの前ではついついワンコになってしまう狼獣人と、お人好しな薬師のお話です。 ★不定期:1000字程度の更新。 ★他サイトにも掲載しています。

処理中です...