花嫁と貧乏貴族

寿里~kotori ~

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別邸執事の災難

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ラン・ヤスミカ家別邸で執事として働くシオンは元裏賭場の元締めでゴロツキさんだった。

縁があり、子分数名とラン・ヤスミカ家に就職したが存外居心地がよくて働き甲斐がある。

貧乏没落貴族とはいえラン・ヤスミカ家は由緒ある名家だ。

当然、貧乏なクセに無駄にプライドだけは高い連中だと思っていたが、ラン・ヤスミカ家の面々は優しくて寛大で召し遣いを非常に大切にする。

給金もそれなりにもらえて、主人一家は優しくて、アットホームなホワイト奉公先である。

ホワイトすぎて80歳の下働きのお爺さんをそのまま住まわせているレベルだ。

下働きのお爺さんの名前はヨゼフ。

15歳からラン・ヤスミカ家で奉公している長老である。

老体なので薪割りさせるのも悪いと当主でユーリの父ラクロワが代わりに薪割りするくらい大切にされている。

本来ならば十分な退職金と年金を渡して隠居させるのが筋なのだが、ヨゼフ爺さんは天涯孤独で頼れる身内もいないので屋敷で少し雑用をしながら余生を送っている。

独居老人にさせるのは可哀想というラン・ヤスミカ家の人々の優しい配慮であった。

そんなヨゼフ爺さんの日課は毎朝屋敷の庭で筋トレをすることだ。

「80歳でもまだまだ現役!どれ!薪をバッサバッサ割ってやろう!」

「ヨゼフ!腰を痛めるからやめろ!この前も薪を割りすぎて腰をやられたばっかだろ!?」

ユーリの父ラクロワが必死でヨゼフ爺さんを止めている。

無駄に気力だけはあるお爺さんを貴族の当主が気遣っている光景でラン・ヤスミカ家の朝は始まるのだ。

ラクロワの声で本邸執事のトーマスが慌てて出てきてヨゼフを説得する。

「ほらほら!お爺ちゃん!薪割りより朝の紅茶の用意ができてますよ!お爺ちゃんの大好きなシナモンミルクティーです!寒いので屋敷に入りましょう!」

「おう!シナモンミルクティー!あれを飲まないと1日は始まらんわい!ありがとな。トーマス!」

笑顔で喜ぶヨゼフ爺さんの隙をついてラクロワが穏やかに言い募る。

「さあ!ヨゼフ。シナモンミルクティーを飲んでおいで!薪割りは私とエセルがやるから!」

執事のトーマスがヨゼフ爺さんに付き添って屋敷に入るとラクロワはエセルを呼んで薪割り開始。

なんか、どう見ても当主一家より下働きのヨゼフ爺さんの方が優雅に暮らしている。

この光景を目の当たりにしたリンも最初は目を疑った。

「ユーリ。ヨゼフはラン・ヤスミカ家の召し遣いですよね?」

当主ラクロワと嫡男エセルと執事トーマスにまで気を遣われている下働きの老人ヨゼフって何者だと流石のリンも困惑した。

すると、ユーリはなんてこともないように言ったのだ。

「ヨゼフは俺が生まれるずっと前から、うちに奉公してる。もっと言えば父上が生まれる前から働いてるな!」

15歳でラン・ヤスミカ家の屋敷に就職して80歳なので勤続65年になる。

ユーリの祖父より長生きなので、いろんな意味でラン・ヤスミカ家の生き字引のような存在らしい。

65年も屋敷で身を粉にして働いてきたのだから主であるラン・ヤスミカ家も決して粗末にはできず珍重している。

「うちみたいな給金激安の貧乏貴族のもとで長年働いてくれたんだ。ありがたいって思ってる」

ユーリにとってヨゼフは早くに亡くなった祖父に代わる存在でもある。

リンの実家シルバー家も召使いを粗末に扱うことはなかったが、使い物にならなくなっても解雇せず屋敷に住まわせるなんて聞いたことがない。

もっとも貧乏貴族ラン・ヤスミカ家とは違ってシルバー家は名門大貴族なので雇用している召使いの人数が全然違うのだが。

リンの生母はシルバー家正妻であるローズ夫人付きのメイドのような立場で生まれは平民だった。

13歳で行儀見習いという形でシルバー家に奉公に行って、当主クロードのお手付きになりリンを妊娠した末、出産後に死亡という悲惨な末路を辿っている。

しかし、クソ当主クロード以外のシルバー家の面々はリンの生母を相当大切にしていた。

リンの生母は短命であったが、ローズ夫人には可愛がられ、リンの異母兄姉にも大事にされていたのがせめてもの救いである。

貴族が絶対的権力者な世界では奉公した屋敷でどんな思いをするかも、いわゆる運ゲーになってくる。

ヨゼフ爺さんは明らかな運ゲー勝者だ。

そんなヨゼフ爺さんも最近は力仕事をシオンや、その元子分に任せて半隠居の身分である。

気のいい老人なので屋敷でも煙たがれず、むしろ人気者だ。

「シオン。暇なのでひとつ、ワイ談をしてもらえまいか?」

暇だから別邸執事に優雅な口調でワイ談を要求しているのはご存知、リンの異母兄で心優しき変態仮面エドガーである。

ヨゼフ爺さんは老体なので1線を退いているが、エドガーは25歳でバリバリ健康体なのにいろんなものから1線を退いている。

同じシルバー家の子弟でもリンはユーリの嫁なので屋敷の家事をしているが、エドガーはなにもしない。

都のシルバー家本邸に帰還したミシェルは大貴族の嫡男という大層な立場なのに、ラン・ヤスミカ領滞在中は学校の先生をしたり、ユーリと畑仕事を手伝ったり、ちゃんと働いていた。

なんで兄弟でこうも違うのかとシオンはワイ談を希望するエドガーを見ながら考えてしまう。

「エドガー様は悪い人じゃねーが。賭場の元締めだった俺でも何を考えてるかわかんねー!」

客人でも長く世話になってれば弟の嫁ぎ先に遠慮して働こうとか思いそうだが、エドガーはそんな素振りを見せない。

毎日、シオンが見ている範囲でも、明らかに破廉恥な小説を熟読して、行きつけの居酒屋に通ってシュザンヌ婦人や女性陣にチヤホヤされ、さらに暇だと本邸にいるユーリの甥と姪にあたるジャン&クレールと遊んでいる。

「全く優雅なもんだな」

与えられた身分が違うのだから仕方ないとシオンは苦笑したが、エドガーは澄ました顔で再度要求してきた。

「シオン。ワイ談を頼む。ユーリ殿とリンは買い出しに出かけてしまい暇なのだ」

別邸の主夫婦も働いてるのに優雅にワイ談要求をやめないエドガー・イリス・シルバーにシオンは努めて穏やかに告げた。

「エドガー様。俺はこれでも一応は執事です。屋敷の食堂でワイ談はさすがにできません。チェスとかにしませんか?」

「断る!チェスは全くできぬ。ワイ談が無理ならば初恋の思い出でも構わん」

「つまり、何でもいいんですね?初恋っていうより死んだ妻の話になりますが」

シオンが元既婚者だと知ったエドガーは少し驚いたように瞳を見開いた。

「お前……妻がいたのか?」

「はい。子供もいましたよ。妻と一緒に亡くなりました。死産だったんで」

もう、10年以上前なのでシオンなりに割りきっていたが、エドガーは黙り込んでしまった。

「そうか。すまぬ……無神経なことをきいた」

それきり沈黙するエドガーにシオンは苦笑いすると謝罪した。

「暗い話をしてすみません。でも、妻子と暮らせた時間は決して不幸ではなかった。多分、人生で1番幸せなときだったと思います」

死別して心の底から絶望したが、幸せな時間だったことには変わらない。

シオンがそう語るとエドガーは息を吐いた。

「シオンはまだ若い。再婚は考えぬのか?」

エドガーの問いかけにシオンは少し瞳を伏せて首をふった。

「それは考えてないです。俺もヨゼフ爺さんみたく働けるだけ働こうと思います」

そんな会話をしていたら噂のヨゼフ爺さんが別邸に顔を出した。

「おお!シオンや!暇だからワイ談しとくれ!そこのイケメン紳士も一緒にどうじゃ?」

なんでヨゼフ爺さんまで暇だと別邸に来てシオンにワイ談を要求するのか?

28歳にしては落ち着いているシオンだが、25歳の貴族ニートと80歳の半隠居老人の2人にワイ談を求められる現状にしんみりした気分が吹っ飛んだ。

「ヨゼフ爺さん。暇だからって主人が留守の別邸にホイホイとワイ談ねだりにくるな。紅茶を用意するからエドガー様とお話ししてくれ」

「すまんすまん!エセル若様が執務してて暇での。ワイ談なら別邸に行っておいでってラクロワ様に言われたのじゃ!」

当主と嫡男が仕事してるのに下働きの爺さんが、ワイ談をねだっている状態がそもそもおかしい!

どこまで召し使いを大事にしてるんだとシオンは呆れていたがエドガーは澄ました顔で命じた。

「シオン。この御老人に熱い紅茶を頼む。あと、私の愛人になってくれ」

「承知しました。ヨゼフ爺さんの紅茶です……!?あの、いま悪趣味な冗談を言いませんでしたか?」

愛人うんぬん言ってた気がするが、自分の耳が狂ったか、エドガーの頭がついに狂ったかの2択であり、多分、エドガーの頭が狂ったが正解だとシオンは判断した。

シオンは元賭場の元締めであり、ゴロツキさんのリーダー格だったので小さいことでは動揺しない。

なので変態仮面エドガーが、ガチで頭がおかしくなって変な発言をしても流そうとしたのだ。

しかし、紅茶を用意して戻ってくるとエドガーは澄ました表情でシオンの顔を見てのたまった。

「私にはルクレチアという理想の女性がいる。ルクレチアは愛読書に出てくるヒロインで貴族令嬢だが実の兄の子供を妊娠して流産。愛する兄も失うという悲劇のヒロインだ。シオンと似ている。だから愛人になってくれ」

「失礼ですが性別から何から何まで全然似てません!死んだ妻は血縁者じゃないです。子供が死んだ点しか共通項ないですから!」

ルクレチアがどんなヒロインなのか知ったことではないが、エロい小説の登場人物と俺を混同させるなとシオンは思った。

あまりに暇すぎて本格的にヤバくなったのかとシオンが考えていたらヨゼフ爺さんが呑気に笑いながら口を開いた。

「エドガー様や!そのルクレチア嬢はどんなヒロインかのう?美女なのかい?」

「美女だ。ルクレチアの髪は美しいプラチナブロンド。瞳は私と同じ碧眼。肌の色は白いが頬は薔薇色で華奢なのにバストは大きい。清楚な美しい令嬢が恥じらいつつ男に体を許す展開が……」

愛読書について熱弁するエドガーにヨゼフ爺さんは大喜びだが、シオンは困っていた。

「俺、髪は茶色で目は鳶色。全然共通点がねーだろ?」

リンやモモのように美少女顔でもなく、28歳のそれなりに小綺麗だが男前な兄さんである。

性別とかの問題以前にエドガーの恋愛対象者にされても困るのでシオンはとりあえず食堂から逃げようとしたが遅かった。

エドガーはシオンの手をがっちり掴んで平然と言ったのだ。

「シオンは再婚予定はないのだろ?ならば問題ない。私の愛人になれ。幸せにする」

「問題はありますし、幸せになれる気がしません!これ以上、変な冗談を言うならセクハラされたとユーリ様とリン様に訴えます!」

断固拒否するシオンにエドガーがわずかにショボンとなるとヨゼフ爺さんが愉快そうに笑った。

「ははは!若いのう!ワシも昔はそうやって言い寄られたもんじゃ!ユーリ様のひい祖父さんにの!」

ユーリの曾祖父に何があったかは気になるが、ヨゼフ爺さんは甘酸っぱい青春を懐かしんでいる。

「あれは奉公にきて2日目の夜中……寝てたら旦那様が夜這いにきて……」

「エドガー様!ヨゼフ爺さんがワイ談しそうな勢いです!そっちを聞いて退屈を紛らわしてくれ!」

ヨゼフ爺さんの青春をワイ談にするレベルにエドガーから逃れたいシオンは必死だ。

別邸が異様な騒ぎになっているなかユーリとリンが仲良く帰ってきた。

「ただいま!あれ?シオン。エドガー義兄上と手を繋いでなにやってるんだ?」

怪訝な顔をしているユーリにシオンがセクハラ被害を訴えようとするとエドガーがぬけぬけと口にした。

「ユーリ殿。シオンは私の愛人になる。構うまい?」

唐突な愛人宣言にユーリはポカーンとしてシオンに訊ねた。

「シオン。エドガー義兄上と想い合ってたのか?それならば俺は反対しない」

「反対してください!想い合うもなにも、先ほど10分前くらいに急に言い寄られたんです!俺はそんなつもりはないんで!」

ここでユーリが反対してくれないと、なし崩し的に変態仮面の愛人にされるとシオンは柄にもなく動揺していた。

それか、エドガーの弟にあたるリンがバカ兄貴を諌めてくれたら安全だと希望を持っていたが、その希望はついえた。

「シオン!エドガー兄様はとてもお優しいから安心して!ユーリ!兄様に恋仲の人ができれば全裸で屋敷を疾走する発作が治るかもです!」

そんな発作を起こす兄様を執事に押しつけるな!

完全シオンの意思はガン無視されている。

ここで嫌だと主張しないと後がないと悟ったシオンはキッパリ告げだ。

「俺はエドガー様にそんな感情は全く抱いてません!これから先も抱きません!貴族でも勝手に決めないでください!」

そう叫んで席を外そうとしたシオンにヨゼフ爺さんは言った。

「シオン。そんなに拒絶せんでもいいじゃろ?イケメン貴族と寝れるなら寝ちゃえ!」

「ジジイ!!他人事みたいに言うな!!俺は死んだ妻以外の奴と関係はもたねー!」

しまいには、ぶちギレたシオンをユーリがなんとかなだめようとしたが、無駄に終わった。

怒らせた元凶であるエドガーがシレっと言ったのだ。

「そういう貞操観念を持っているところはルクレチアにそっくりだ。ユーリ殿。シオンが愛人になるなら私は誓って全裸で疾走をやめて、領内の女性のパンツと靴下とパンストを頭に被らない。それならよかろう?」

ユーリのなかでシオンの自由意思と領地の平穏が天秤にかかり、領地の平穏が勝利した。

「シオン。悪いがエドガー義兄上の愛人になってくれ。頼む!」

「俺より領民の平和を選びましたね!?」

こうしてシオンという犠牲者が生まれたが、ラン・ヤスミカ領では安心して洗濯物を干せるようになった。

エドガーの愛人にされたシオンだが全く恋愛感情はないので、エドガーとは口もきかなくなったが、リンは微笑んでいる。

「エドガー兄様がシオンを選んだ理由がわかります」

実をいうと特に男性を恋愛対象にしていないエドガーがなんで唐突にシオンを愛人にしたのかユーリには謎であった。

「リンにはわかるのか?シオンに教えればエドガー義兄上をガン無視はしなくなるかも」

執事を辞めることはなかったがシオンは自分の意思を無視されてかなり怒っている。

まあ、怒って当然だとも思うがリンは嬉しそうにユーリに伝えた。

「エドガー兄様は男女問わず翳がある雰囲気の……薄幸そうな人が好きです。薄幸は兄様には無縁なものなので」

「つまり、過去になにか不幸を抱えてる感じの人がタイプなのか?」

「はい!ルクレチアみたいに!」

それを教えてもシオンの機嫌がなおるとも思えないがユーリはなんとなくエドガーの趣味趣向は理解できた。

シオンは都のシルバー家にいるモモに「エドガー様の愛人にされた。助けてくれ!」と手紙を出した。

モモは驚きより「あっ!やっぱり!」という感想である。

リンが説明したようにエドガーは心に苦しみを秘めている人に惹かれてしまう。

賭場でスカウトしたとき、モモはシオンの出自を調べていた。

誰にも言わないがシオンは隣国の中流貴族の出身だった。

政略結婚で15歳のとき結婚したが、世継ぎ争いに巻き込まれて妻子を失い、亡命せざるおえなくなり、ラン・ヤスミカ領近くの街に流れ着いている。

身元がバレないよう裏賭場に潜んでいたが、雰囲気や顔立ち、そして所作で貴族の出だとモモはすぐに気づいた。

「15歳で妻子も貴族の地位も失った薄幸な執事……エドガー様の好みのど真ん中なんだよな」

エドガーの愛読書に出てくるルクレチアも兄との密通がバレて貴族の身分を失い、落ちぶれて売春婦になっている。

はからずともシオンの運命とルクレチアの物語が微妙にリンクしたせいで起こった偶発的な事故であった。

モモはシオンへ手短に「これも運命と思って受け入れろ。ウザかったら少しくらい殴ってもいい」と返事を書き送った。

シオンがラン・ヤスミカ家別邸で働いてるとエドガーが澄ました顔で言ってくる。

「シオン。少し膝枕してくれ」

「そこの柱に頭叩きつけますよ?」

それだけ言って去ってしまうシオンをエドガーが見つめているとヨゼフ爺さんが紅茶を飲みながら言ったのだ。

「エドガー様や!アンタ、28歳の未亡人とか好きじゃろ?」

「ご明察。シオンも28歳だ。私は人生で自分は不幸だと思ったことがない。だから、不幸を抱えてる者に惹かれる。それは変だろうか?」

「変というより薄幸な人萌えじゃのう!」

薄幸な人どころかエドガーと関わったらガチ不幸な人になりそうだと鋭いシオンはわかるので今日もエドガーを無視し続けていた。

ユーリとリンは相思相愛だが普通に考えて、妻子がいた元貴族でゴロツキさんだった28歳男性が弟の嫁ぎ先でニートしてる大貴族で25歳男性に求愛されても困るかキレるかである。

そうそう都合よく世の中はまわらず、エドガーの恋は前途多難だが、ラン・ヤスミカ領の洗濯物問題は無事解決された。

執事のシオンは決してエドガーを嫌いではないが、愛人になりたいとは現時点では微塵も想ってはいなかったのである。


end



























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