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37:トモダチの願い
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ミオが目を覚ますと、高く丸い天井が視界に入った。
灰色の石壁に、ロウソクの炎が小さく揺らめいている。ところどころに小さな窓があることから、灯台や監視塔、あるいはサイロのような建物の中だとあたりを付けた。
背中の感触からベッドに寝かされていると、ミオは理解した。
「どこだここは……くつ」
起き上がろうとした刹那、全身が激痛に襲われた。
痛みの奔流が電気信号の形態をとって、ミオの身体を駆け巡る。一センチも頭を上げられないままに、激痛でミオは気絶しそうになった。
痛みが治まるのを待って、呼吸を整える。身体は一ミリとて動かさないよう注意し様子をうかがう。微動だにしなければ、痛みはさして大きくならなかった。
浅い息を吐きながら、呼吸法を試みる気にもなれない激痛を恐れて、ミオはただ横たわる。
これでは、なにもできない。意識を保っていた際の最後を思い出す。ミオの心に、常ならばミオにとって無縁な感情――絶望――が滑り込んできた。
指一本動かすにも、ミオは苦労する身体となっていた。
武術家として、武人として、活動できない。どころか、一人では日常生活を送ることさえ不可能だ。
もう駄目なのか。絶望が諦めに取って代わろうとしたその時、脳内に聞き覚えのある声が響く。
「やあ、良い夜だね」
トモダチだ。
「夜に良いも悪いもあるか。月が出ているかどうかにしか興味はない」
「月が好きなのかい。意外だね」
トモダチの声には、高貴な野蛮人を見た文明人のような響きがあった。
「好きでも嫌いでもない。月が出ていれば敵を見つけやすい。月のない夜は、奇襲を受けやすい。それだけだ」
「風情がないね」
「余計な話はもういいだろう。本題に入れ。見舞いにきたわけでは、ないのだろう」
「精神に余裕がなさそうだね」
「おかげさまで、この身体だ。余裕なぞあるものか」
ミオは、嫌味でトモダチの揶揄するような声に応じた。
身体を動かせないミオにできる精一杯の抵抗だった。
「文句は筋違いというものだ。貧弱な幼女のミオちゃん。弱者であるキミに、力を貸してあげていたのは余ではないか。おかげさまでキミは妖魔の王を葬り、強い戦士団も手に入れたのだ。感謝して欲しいものだね」
「芋虫からの感謝を、お前はありがたがるのか?」
「言われてみれば、今のキミからの感謝に、価値はないね」
ミオから自虐のこもった嫌味に対して、トモダチはあからさまな嘲弄で返した。
「それで、価値無き身の上である俺に、何の用だ。まさか、笑いに来ただけではあるまい」
「笑いに来ただけかもしれないよ」
「ろくでもない要件を、悪意の彩を添えてもってくる。それがお前だろ」
「へえ、よくわかったね」
トモダチの声には、嗜虐心だけでなく喜びの感情も含まれていた。
「短い間でも、お前と直に接っしたのでな。性格は理解できた」
「余を理解したと主張するわけだね。嬉しいな。つまり余とキミは、真実のトモダチとなったわけだ?」
「そんなわけないだろう。さっさとろくでもない要件を言え」
にべもないミオの返事を聞いても、トモダチの声に変化はない。
「キミを助けに来てあげたのだよ」
「助けだと? 次は四肢でなく。首でも折るのか」
「まさか! トモダチ、じゃあないか」
トモダチがわざとらしく悲しみのこもった声色を出し、すぐにミオが突き放す。
「よく言う」
「証を見せようじゃないか」
トモダチの声が終わるや、ミオの身体の内部を、何かが這い回る感触がした。
なにが這い回っているのかは、ミオにはわからないが、冒涜的でおぞましいモノという他に、表現のしようはなかった。
黒くオゾマシイ存在がミオの関節に食い込み、砕けた骨に巻き付き、神経を刺激していく。
肉体的にも精神的にも追い詰められているとあって、本来なら強靭にできているミオの精神も、恐怖に飲み込まれそうになる。
「やめろ!」
「おやおや、ベッドの上から命令かい? 聴けないなぁ。余はトモダチ思いなのだよ」
トモダチのいたずらっ子のような声が脳内で響いた。
当然、制止の声は無視された。
黒い蠢動が、ミオの全身を這い回る。激痛と痒みが同盟を組み、肉体と精神の双方が犯されていく。痛みも強烈だが、今回の痒みは耐え難いものだった。
時に強烈に、時に鈍い痒みが身体を縦横に駆ける感覚は、ミオの精神を急速に消耗させた。
強大かつ緩急の付いた刺激に耐えるなど、山田剛太郎のころの肉体と精神ですら困難な苦行だ。
まして、幼女と少女の中間に位置するミオの身体では、耐えられるはずはなかった。
四肢を砕かれた上、充分以上に痛めつけられたミオの身体は疲労し、精神は摩耗しきっていた。
最早、ミオを新たな刺激から守るモノは、なにも存在しなかった。
「もう、やめて……くれ」
ミオの口から、懇願の形態をとった悲鳴が漏れ出ていた。
弱者が強者に全てをゆだねるような、媚びる声色が含まれていた。
山田剛太郎のころであれば、嫌悪と軽蔑を示すであろう態度を、ミオはとっていた。
ミオの心身、特に精神は、打ち砕かれてしまっていた。
ぼろきれのようになったミオの精神が、ただの幼女になりかけた時、トモダチの愉悦に満ちた声が頭に響いた。
「治療なら、もうやめているよ。手足を動かしてごらん」
「……動く、動くぞ!」
トモダチ発した悪質な冗談のような言葉が終わるや、ミオの細い手足が動いた。それも骨と関節部に何らの損傷もなかったかのような軽やかな動作だった。
ミオは上半身を起こした。
すると、建物の内部が見えるようになった。
槍や剣、カブトやヨロイなどの武具が納められた棚があった。
おそらく、目的地であった駐屯地だ。
特設戦闘科の生徒たちや家臣にした元妖魔たちは、どうしているのだろうか。
手足が回復したミオは、ベッドから降りようとする。
しかし――
「ハイッ! ここまで!」
ミオの脳内で、イタズラの成功を祝う悪童のような声が響くや、四肢に違和感が生じた。
「まさか!」
「そのまさかさ!」
ミオの四肢は再び砕け、痛みと痒みに熱病が加わって、口からは恐怖と絶望の叫びが漏れだす。
「ああ、ああああ!」
ベッドの上でのたうつミオに、トモダチの声がかけられる。
「安心してくれたまえ。余のお願いを聞いてくれさえすれば、また治してあげるよ。他の子たちとも会えるようにしてあげる」
「……お願い?」
「なに、やっぱりちょっとしたことなのさ。お願いって言うのはね……」
トモダチは、嬉々として〝願い〟を口にした。
その願いは、普段のミオなら、速やかかつ断固として拒絶していただろう。
今も「お断りだ」と言ってやりたい気持ちはあった。
しかし、現状でミオに願いを断る選択肢はなかった。
「その願い、叶えよう」
血を吐くような言葉を吐くや、ミオの全身に、またおぞましい違和感が襲い掛かる。黒くオゾマシイ存在が、痛みと痒みを伴って、ミオの体中を駆けまわった。
数分後、ミオが身体に負った傷は全て治っていた。
身体とは対照的に、ミオの精神は弱り切りっていた。
ミオは、前世を含めた人生で初めて〝屈服〟という概念を、理解させられていた。
無言で屈辱を噛みしめるミオに、トモダチの能天気な声がかけられる。
「ありがとう! 今から楽しみだよ! ああ、必要な人員の手配は、余がやっておくから楽しみに待っていてね」
トモダチの気配が脳内から引っ込んでも、ミオは自由になった身体を、ベッドに横たえたままだった。
「畜生」
幼女と少女の間に位置する存在としては、不適切な言葉がミオの口をついた。
トモダチの〝お願い〟を考えれば、無理もなかった。
なにせ、トモダチの願いは、ミオが可憐な少女として振る舞えるよう、教育を受けるというモノだったからだ。
灰色の石壁に、ロウソクの炎が小さく揺らめいている。ところどころに小さな窓があることから、灯台や監視塔、あるいはサイロのような建物の中だとあたりを付けた。
背中の感触からベッドに寝かされていると、ミオは理解した。
「どこだここは……くつ」
起き上がろうとした刹那、全身が激痛に襲われた。
痛みの奔流が電気信号の形態をとって、ミオの身体を駆け巡る。一センチも頭を上げられないままに、激痛でミオは気絶しそうになった。
痛みが治まるのを待って、呼吸を整える。身体は一ミリとて動かさないよう注意し様子をうかがう。微動だにしなければ、痛みはさして大きくならなかった。
浅い息を吐きながら、呼吸法を試みる気にもなれない激痛を恐れて、ミオはただ横たわる。
これでは、なにもできない。意識を保っていた際の最後を思い出す。ミオの心に、常ならばミオにとって無縁な感情――絶望――が滑り込んできた。
指一本動かすにも、ミオは苦労する身体となっていた。
武術家として、武人として、活動できない。どころか、一人では日常生活を送ることさえ不可能だ。
もう駄目なのか。絶望が諦めに取って代わろうとしたその時、脳内に聞き覚えのある声が響く。
「やあ、良い夜だね」
トモダチだ。
「夜に良いも悪いもあるか。月が出ているかどうかにしか興味はない」
「月が好きなのかい。意外だね」
トモダチの声には、高貴な野蛮人を見た文明人のような響きがあった。
「好きでも嫌いでもない。月が出ていれば敵を見つけやすい。月のない夜は、奇襲を受けやすい。それだけだ」
「風情がないね」
「余計な話はもういいだろう。本題に入れ。見舞いにきたわけでは、ないのだろう」
「精神に余裕がなさそうだね」
「おかげさまで、この身体だ。余裕なぞあるものか」
ミオは、嫌味でトモダチの揶揄するような声に応じた。
身体を動かせないミオにできる精一杯の抵抗だった。
「文句は筋違いというものだ。貧弱な幼女のミオちゃん。弱者であるキミに、力を貸してあげていたのは余ではないか。おかげさまでキミは妖魔の王を葬り、強い戦士団も手に入れたのだ。感謝して欲しいものだね」
「芋虫からの感謝を、お前はありがたがるのか?」
「言われてみれば、今のキミからの感謝に、価値はないね」
ミオから自虐のこもった嫌味に対して、トモダチはあからさまな嘲弄で返した。
「それで、価値無き身の上である俺に、何の用だ。まさか、笑いに来ただけではあるまい」
「笑いに来ただけかもしれないよ」
「ろくでもない要件を、悪意の彩を添えてもってくる。それがお前だろ」
「へえ、よくわかったね」
トモダチの声には、嗜虐心だけでなく喜びの感情も含まれていた。
「短い間でも、お前と直に接っしたのでな。性格は理解できた」
「余を理解したと主張するわけだね。嬉しいな。つまり余とキミは、真実のトモダチとなったわけだ?」
「そんなわけないだろう。さっさとろくでもない要件を言え」
にべもないミオの返事を聞いても、トモダチの声に変化はない。
「キミを助けに来てあげたのだよ」
「助けだと? 次は四肢でなく。首でも折るのか」
「まさか! トモダチ、じゃあないか」
トモダチがわざとらしく悲しみのこもった声色を出し、すぐにミオが突き放す。
「よく言う」
「証を見せようじゃないか」
トモダチの声が終わるや、ミオの身体の内部を、何かが這い回る感触がした。
なにが這い回っているのかは、ミオにはわからないが、冒涜的でおぞましいモノという他に、表現のしようはなかった。
黒くオゾマシイ存在がミオの関節に食い込み、砕けた骨に巻き付き、神経を刺激していく。
肉体的にも精神的にも追い詰められているとあって、本来なら強靭にできているミオの精神も、恐怖に飲み込まれそうになる。
「やめろ!」
「おやおや、ベッドの上から命令かい? 聴けないなぁ。余はトモダチ思いなのだよ」
トモダチのいたずらっ子のような声が脳内で響いた。
当然、制止の声は無視された。
黒い蠢動が、ミオの全身を這い回る。激痛と痒みが同盟を組み、肉体と精神の双方が犯されていく。痛みも強烈だが、今回の痒みは耐え難いものだった。
時に強烈に、時に鈍い痒みが身体を縦横に駆ける感覚は、ミオの精神を急速に消耗させた。
強大かつ緩急の付いた刺激に耐えるなど、山田剛太郎のころの肉体と精神ですら困難な苦行だ。
まして、幼女と少女の中間に位置するミオの身体では、耐えられるはずはなかった。
四肢を砕かれた上、充分以上に痛めつけられたミオの身体は疲労し、精神は摩耗しきっていた。
最早、ミオを新たな刺激から守るモノは、なにも存在しなかった。
「もう、やめて……くれ」
ミオの口から、懇願の形態をとった悲鳴が漏れ出ていた。
弱者が強者に全てをゆだねるような、媚びる声色が含まれていた。
山田剛太郎のころであれば、嫌悪と軽蔑を示すであろう態度を、ミオはとっていた。
ミオの心身、特に精神は、打ち砕かれてしまっていた。
ぼろきれのようになったミオの精神が、ただの幼女になりかけた時、トモダチの愉悦に満ちた声が頭に響いた。
「治療なら、もうやめているよ。手足を動かしてごらん」
「……動く、動くぞ!」
トモダチ発した悪質な冗談のような言葉が終わるや、ミオの細い手足が動いた。それも骨と関節部に何らの損傷もなかったかのような軽やかな動作だった。
ミオは上半身を起こした。
すると、建物の内部が見えるようになった。
槍や剣、カブトやヨロイなどの武具が納められた棚があった。
おそらく、目的地であった駐屯地だ。
特設戦闘科の生徒たちや家臣にした元妖魔たちは、どうしているのだろうか。
手足が回復したミオは、ベッドから降りようとする。
しかし――
「ハイッ! ここまで!」
ミオの脳内で、イタズラの成功を祝う悪童のような声が響くや、四肢に違和感が生じた。
「まさか!」
「そのまさかさ!」
ミオの四肢は再び砕け、痛みと痒みに熱病が加わって、口からは恐怖と絶望の叫びが漏れだす。
「ああ、ああああ!」
ベッドの上でのたうつミオに、トモダチの声がかけられる。
「安心してくれたまえ。余のお願いを聞いてくれさえすれば、また治してあげるよ。他の子たちとも会えるようにしてあげる」
「……お願い?」
「なに、やっぱりちょっとしたことなのさ。お願いって言うのはね……」
トモダチは、嬉々として〝願い〟を口にした。
その願いは、普段のミオなら、速やかかつ断固として拒絶していただろう。
今も「お断りだ」と言ってやりたい気持ちはあった。
しかし、現状でミオに願いを断る選択肢はなかった。
「その願い、叶えよう」
血を吐くような言葉を吐くや、ミオの全身に、またおぞましい違和感が襲い掛かる。黒くオゾマシイ存在が、痛みと痒みを伴って、ミオの体中を駆けまわった。
数分後、ミオが身体に負った傷は全て治っていた。
身体とは対照的に、ミオの精神は弱り切りっていた。
ミオは、前世を含めた人生で初めて〝屈服〟という概念を、理解させられていた。
無言で屈辱を噛みしめるミオに、トモダチの能天気な声がかけられる。
「ありがとう! 今から楽しみだよ! ああ、必要な人員の手配は、余がやっておくから楽しみに待っていてね」
トモダチの気配が脳内から引っ込んでも、ミオは自由になった身体を、ベッドに横たえたままだった。
「畜生」
幼女と少女の間に位置する存在としては、不適切な言葉がミオの口をついた。
トモダチの〝お願い〟を考えれば、無理もなかった。
なにせ、トモダチの願いは、ミオが可憐な少女として振る舞えるよう、教育を受けるというモノだったからだ。
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