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見上げるような巨大な肉塊――アニータ曰く魔神の眷属――が、複数の目を上下左右に動かしながら、ミオたちへ接近してきている。臭いと地響きは、秒単位で強くなっていった。
「魔神の眷属だと。しかも腐鬼を生み出すとは、一体」
巨大な妖魔を見上げつつミオが尋ねた。
そういえば、妖魔とは何かとか、考えたことがなかったな。
妖魔の種類や属性、あれば言語や文化、疑問は尽きない。だが、――
「今はどうでもいい話か」
ミオは自身の考慮不足を棚上げした。
考えてもわからないことは考えない主義のミオは、アニータの言葉を待った。
顔を青くしたアニータが、腐鬼を生み出す存在について、解説をしてくれる。
「腐鬼王、腐敗系妖魔の長です。大中小の腐鬼を腹から生み出すヤバイやつです」
「中と大を飛ばして、いきなり王様の登場とはな。段階を踏んで欲しいものだ」
早くも立ち直ったミオは、細い腕で尊大に腕を組んだ。
「ちなみに、偉大なる腐れた汚物様とも呼ばれているそうです」
「誰が名付け親だ。学者か? それとも売文業者か?」
「どっちも違いますよ。中腐鬼です」
アニータの答えを聞き、流石にミオも驚愕した。
「妖魔と、それも腐鬼と会話ができるのか? 脳みそまで腐っていそうだが」
「妖魔でも、中級以上となら意思の疎通はできるんすよ」
アニータは、事実を伝える学者のように、淡々と答えた。
「奴らに、妖魔に意思があるのか」
「へー初めて知ったよ。でも本当?」
ニコラスの出した暢気な声は、ミオの癇に障った。
自然と、ミオの声は険しくなる。
「お前は知らなかったのか。騎士なのだろう」
「幾らボクが素晴らしい騎士だって、なにもかもを知ってるわけじゃないさ」
ニコラスは不服そうに口を結び、肩をすくめた。
ミオはまだ、この世界の常識には詳しくない。妖魔などという凶暴でおぞましい存在と意思の疎通ができるというのは、かなり重要な情報なはずだとわかる。
ニコラスが知らないだけで、妖魔と意思の疎通ができるという情報は、世間で知られているということもあるのだろうか。
「外の奴ら……いえ、外部の人たちは、知らないですよ」
「なぜだ? 報告しなかったのか」
「そうだよ。意地悪しないで教えておいてよ」
ニコラスの変わらぬ暢気な態度を目の当たりにして、アニータはため息をついた。
うなだれるアニータの姿は、破滅の予言を聞いてもらえなかった預言者さながらに、徒労感を瘴気のように漂わせていた。
「報告なら幾つも上げましたよ。意思の疎通ができれば、交渉の余地もあるかもしれないわけですから。でも、その度に〝嘘をつくな〟とか〝森から逃げるための言いわけだろう〟と罵倒されたあげく、報告は握りつぶされました」
「学園長だな」
ミオは決めつけた。
「ご名答です。あのおっさん、いえ学園長は、アタシたち特設戦闘科の生徒を、人間扱いしませんから」
自身の出した答えが偏見ではないとわかっても、ミオは嬉しいとは思わなかった。
嘆息も出ずに、ただ呆れた。
あの学園長、イメージ通りの偏屈ジジイだったか。
「でも、解決は簡単だね。騎士であるボクが証言すれば信じてくれるさ」
ニコラスが笑いながら言った。
「だと、いいのですが」
アニータの声には、末期がん患者を診る医者のような諦観があった。
彼女が置かれた状況を察して、ミオは注意を脅威に戻す。
「それよりも、目の前の偉大なる汚物様が問題だな」
「そういやそうだった。でも君が何とかしてくれるんだよね」
話を戻したミオに、あくまで能天気なニコラスの声が続いた。
ニコラスは、幼女と少女の中間にあるような外見のミオに、頼り切る満々だった。
年少者に縋りつくような態度をとっているにもかかわらず、ニコラスに恥じる様子は微塵もなく、堂々としていた。
ニコラスを弟分とみなしているのだから頼られて当然であっても、ミオに愉快な感情はわかなかった。
しかし、説教なり叱るなりする時間が、ミオには惜しかった。
ミオは、危険を押し付けておいて、恥じることのない汚物――ニコラスともいう――から目線を外すと、視線を遠くの〝偉大なる腐れた汚物様〟へ向けつつ、端的に答えた。
「そのつもりだ。皆、俺の後ろに下がれ。ステッキの力で、飲み込んでやる」
ミオは、夕闇のような薄暗い声で、堂々と宣言した。
「姐さん。相手は、遠目からでも山のような腐鬼の王様ですよ」
アニータ心配してくれていた。
「ハンパな攻撃では通用しないだろうな。だから命を懸ける」
「へ?」
間の抜けた声を漏らしたアニータを横目に、ミオは、ステッキに力を込める。強く込め続ける。
額の血管が浮き上がるほどに、関節部の軟骨が弾けるほどに、噛みしめた歯が軋むほどに、ステッキに力を込め続けた。
まだ足りない。
小山のような腐鬼王を睨みつけながら、ミオはさらに力を込めて、注ぐ。途端、鼻血が滝のように両鼻から溢れ、呼吸が困難になる。
見開かれた目は、乾季の荒野のように乾燥し、激痛が走って、涙があふれだす。
「ちょ、ええ。ヤバくない!」
「いや、姐さんなら大丈夫、ですよね?」
ニコラスが慌てつつ、アニータが遠慮がちに心配する中、ステッキに込めるチカラを、ミオは限界を超えて込めて く。
不意に、身体の変調が酷くなった。
まずは、ミオの視界が急速に狭まる。望遠鏡をのぞいたかのようだ。
ついで、あちこちの皮膚が破けて、血がしたたって、苦痛と熱と痒みが身体を這いまわる感触がし始めた。
フリルが無駄に多い黒いドレスの上と下で、何かが這い回る。
虫だ。
ミオは舌打ちをした。
「おい、虫がうっとうしい。払ってくれ」
「うわ! ムシだ! ボク、ムシ無理」
「毒虫ばかりだ。早く払わないと全身が爛れちまいすよ! 騎士なんでしょう。手伝って!」
「わかった! 頑張る!」
ニコラスとアニータが、ミオの身体を手で払い始めた。
しかし、二人ともスグに手を抑えて、ミオから離れた。
「いたたた! 手が焼ける」
「無理だ! この虫たちは、姐さんの身体から出てる」
アニータの指摘通りだった。
ミオの破れた皮膚の内側から、蜘蛛や百足、蠍の形をとった赤や黒の毒虫が、這い出ていた。
毒虫の群れが、ミオの身体の各所に鋭い牙を振るい、毒をまき散らす。
ミオの全身は、血と虫たちの放つ毒で、爛れていった。
「これでいい」
常人なら気が狂いそうな苦痛を押し殺して、ミオは口の端を上げた。
ミオには、毒虫たちを身体からあふれ出させる現象には、強力な一撃を放つため必要な過程だと、確信があった。
毒虫の牙と独で体を蝕まれていくたびに、ミオの身体を、ドス黒い力がみなぎっていった。
ミオに、ステッキ対する恐怖はない。むしろ期待と興味があった。
どれだけの力が巡っているのだろうか。
どれだけ力を込めれば、より強い力を、放てるのだろう。
毒虫が長い髪の内外を縦横に走り回る。
ついには、毒虫の中でも小さく細いモノたちが、耳や鼻から侵入し、ミオの脳内を這い回る感触がし始めた。
痛みと痒みがピークに達し、嘔吐がと出血が、無駄に豪奢なミオのドレスを汚していく。するお、血まみれで毒まみれなミオの身体に、力の波動がみなぎった。
禍々しい力だ。
破壊神に風神・雷神の力、さらに疫病神とオマケに死神の権能を合わせたような、絶対的で絶望的で不吉な力だ。
身体を駆けまわる激痛と、力を得た恍惚がミオを支配した。
ミオの精神が激痛と恍惚で拮抗した時、語りかけてくる者があった。
「よくぞ耐えたね。我が友。小さな体で偉いじゃあないか。御褒美に、力を貸そう」
以前のステッキから聞こえてきたモノとは違い、声はさわやかに響いた。
「魔神の眷属だと。しかも腐鬼を生み出すとは、一体」
巨大な妖魔を見上げつつミオが尋ねた。
そういえば、妖魔とは何かとか、考えたことがなかったな。
妖魔の種類や属性、あれば言語や文化、疑問は尽きない。だが、――
「今はどうでもいい話か」
ミオは自身の考慮不足を棚上げした。
考えてもわからないことは考えない主義のミオは、アニータの言葉を待った。
顔を青くしたアニータが、腐鬼を生み出す存在について、解説をしてくれる。
「腐鬼王、腐敗系妖魔の長です。大中小の腐鬼を腹から生み出すヤバイやつです」
「中と大を飛ばして、いきなり王様の登場とはな。段階を踏んで欲しいものだ」
早くも立ち直ったミオは、細い腕で尊大に腕を組んだ。
「ちなみに、偉大なる腐れた汚物様とも呼ばれているそうです」
「誰が名付け親だ。学者か? それとも売文業者か?」
「どっちも違いますよ。中腐鬼です」
アニータの答えを聞き、流石にミオも驚愕した。
「妖魔と、それも腐鬼と会話ができるのか? 脳みそまで腐っていそうだが」
「妖魔でも、中級以上となら意思の疎通はできるんすよ」
アニータは、事実を伝える学者のように、淡々と答えた。
「奴らに、妖魔に意思があるのか」
「へー初めて知ったよ。でも本当?」
ニコラスの出した暢気な声は、ミオの癇に障った。
自然と、ミオの声は険しくなる。
「お前は知らなかったのか。騎士なのだろう」
「幾らボクが素晴らしい騎士だって、なにもかもを知ってるわけじゃないさ」
ニコラスは不服そうに口を結び、肩をすくめた。
ミオはまだ、この世界の常識には詳しくない。妖魔などという凶暴でおぞましい存在と意思の疎通ができるというのは、かなり重要な情報なはずだとわかる。
ニコラスが知らないだけで、妖魔と意思の疎通ができるという情報は、世間で知られているということもあるのだろうか。
「外の奴ら……いえ、外部の人たちは、知らないですよ」
「なぜだ? 報告しなかったのか」
「そうだよ。意地悪しないで教えておいてよ」
ニコラスの変わらぬ暢気な態度を目の当たりにして、アニータはため息をついた。
うなだれるアニータの姿は、破滅の予言を聞いてもらえなかった預言者さながらに、徒労感を瘴気のように漂わせていた。
「報告なら幾つも上げましたよ。意思の疎通ができれば、交渉の余地もあるかもしれないわけですから。でも、その度に〝嘘をつくな〟とか〝森から逃げるための言いわけだろう〟と罵倒されたあげく、報告は握りつぶされました」
「学園長だな」
ミオは決めつけた。
「ご名答です。あのおっさん、いえ学園長は、アタシたち特設戦闘科の生徒を、人間扱いしませんから」
自身の出した答えが偏見ではないとわかっても、ミオは嬉しいとは思わなかった。
嘆息も出ずに、ただ呆れた。
あの学園長、イメージ通りの偏屈ジジイだったか。
「でも、解決は簡単だね。騎士であるボクが証言すれば信じてくれるさ」
ニコラスが笑いながら言った。
「だと、いいのですが」
アニータの声には、末期がん患者を診る医者のような諦観があった。
彼女が置かれた状況を察して、ミオは注意を脅威に戻す。
「それよりも、目の前の偉大なる汚物様が問題だな」
「そういやそうだった。でも君が何とかしてくれるんだよね」
話を戻したミオに、あくまで能天気なニコラスの声が続いた。
ニコラスは、幼女と少女の中間にあるような外見のミオに、頼り切る満々だった。
年少者に縋りつくような態度をとっているにもかかわらず、ニコラスに恥じる様子は微塵もなく、堂々としていた。
ニコラスを弟分とみなしているのだから頼られて当然であっても、ミオに愉快な感情はわかなかった。
しかし、説教なり叱るなりする時間が、ミオには惜しかった。
ミオは、危険を押し付けておいて、恥じることのない汚物――ニコラスともいう――から目線を外すと、視線を遠くの〝偉大なる腐れた汚物様〟へ向けつつ、端的に答えた。
「そのつもりだ。皆、俺の後ろに下がれ。ステッキの力で、飲み込んでやる」
ミオは、夕闇のような薄暗い声で、堂々と宣言した。
「姐さん。相手は、遠目からでも山のような腐鬼の王様ですよ」
アニータ心配してくれていた。
「ハンパな攻撃では通用しないだろうな。だから命を懸ける」
「へ?」
間の抜けた声を漏らしたアニータを横目に、ミオは、ステッキに力を込める。強く込め続ける。
額の血管が浮き上がるほどに、関節部の軟骨が弾けるほどに、噛みしめた歯が軋むほどに、ステッキに力を込め続けた。
まだ足りない。
小山のような腐鬼王を睨みつけながら、ミオはさらに力を込めて、注ぐ。途端、鼻血が滝のように両鼻から溢れ、呼吸が困難になる。
見開かれた目は、乾季の荒野のように乾燥し、激痛が走って、涙があふれだす。
「ちょ、ええ。ヤバくない!」
「いや、姐さんなら大丈夫、ですよね?」
ニコラスが慌てつつ、アニータが遠慮がちに心配する中、ステッキに込めるチカラを、ミオは限界を超えて込めて く。
不意に、身体の変調が酷くなった。
まずは、ミオの視界が急速に狭まる。望遠鏡をのぞいたかのようだ。
ついで、あちこちの皮膚が破けて、血がしたたって、苦痛と熱と痒みが身体を這いまわる感触がし始めた。
フリルが無駄に多い黒いドレスの上と下で、何かが這い回る。
虫だ。
ミオは舌打ちをした。
「おい、虫がうっとうしい。払ってくれ」
「うわ! ムシだ! ボク、ムシ無理」
「毒虫ばかりだ。早く払わないと全身が爛れちまいすよ! 騎士なんでしょう。手伝って!」
「わかった! 頑張る!」
ニコラスとアニータが、ミオの身体を手で払い始めた。
しかし、二人ともスグに手を抑えて、ミオから離れた。
「いたたた! 手が焼ける」
「無理だ! この虫たちは、姐さんの身体から出てる」
アニータの指摘通りだった。
ミオの破れた皮膚の内側から、蜘蛛や百足、蠍の形をとった赤や黒の毒虫が、這い出ていた。
毒虫の群れが、ミオの身体の各所に鋭い牙を振るい、毒をまき散らす。
ミオの全身は、血と虫たちの放つ毒で、爛れていった。
「これでいい」
常人なら気が狂いそうな苦痛を押し殺して、ミオは口の端を上げた。
ミオには、毒虫たちを身体からあふれ出させる現象には、強力な一撃を放つため必要な過程だと、確信があった。
毒虫の牙と独で体を蝕まれていくたびに、ミオの身体を、ドス黒い力がみなぎっていった。
ミオに、ステッキ対する恐怖はない。むしろ期待と興味があった。
どれだけの力が巡っているのだろうか。
どれだけ力を込めれば、より強い力を、放てるのだろう。
毒虫が長い髪の内外を縦横に走り回る。
ついには、毒虫の中でも小さく細いモノたちが、耳や鼻から侵入し、ミオの脳内を這い回る感触がし始めた。
痛みと痒みがピークに達し、嘔吐がと出血が、無駄に豪奢なミオのドレスを汚していく。するお、血まみれで毒まみれなミオの身体に、力の波動がみなぎった。
禍々しい力だ。
破壊神に風神・雷神の力、さらに疫病神とオマケに死神の権能を合わせたような、絶対的で絶望的で不吉な力だ。
身体を駆けまわる激痛と、力を得た恍惚がミオを支配した。
ミオの精神が激痛と恍惚で拮抗した時、語りかけてくる者があった。
「よくぞ耐えたね。我が友。小さな体で偉いじゃあないか。御褒美に、力を貸そう」
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